黒い花

島倉大大主

第四章:黒い花 7

「数時間ぶりねえ、恵子」
「……あたしが誰だか判ってるとは、話が早いわ」
「はは! まさかあのクソったれな妹とはね! ビンタされた時は大きくなったんでわからなかったわぁ」
「嘘つけよ。どうせ、あたしが一度死んでから思い出しもしなかったんだろう?」
 御霊桃子は口の片方を釣り上げた。
「あたしは未来志向なの。常に前を向き続けるのが成功のコツなのよ。で、あんたは私の事を覚えてるの?」
「いや、全然。覚えてたら、平手打ちなんてしねーよ。汚くて触れるかよ」
 御霊桃子の右腕がどろりと溶け、あたしの首に絡みつくと締め上げてきた。
 たちまち頭がパンパンになり、息ができなくなる。
「無口なこけしだったあんたが、やけに喋るじゃないのよ……あら? 力が弱くなったようだけど、心は読めないわね。流石、ってとこかしら?」
 あたしは御霊桃子を睨み続けた。
 視界が狭くなったようだ。頭がガンガンする。ふっと喉への締め付けが弱くなる。だが、あたしは深呼吸はしない。こいつが見たいのは無様に喘ぐあたしの姿なのだ。
 ぐずぐずにとろけた右腕があたしの体に絡みついてきた。更に喉への締め付けも再開される。
 おー、おー、苦しい苦しい、とあたしは小さな声で喋りながら、御霊桃子に笑いかけた。
「なんて弱々しいのかしら。あたしがもうちょっと力を籠めたら喉の骨が粉々になるわね」
 あー、そうですか。すごいすごい。
「へえ、記憶が無くなってるのに、昔みたいに糞度胸だけはあるじゃないの。馬鹿親父があんたの事を生贄にするって言った時も眉一本動かさなかったものね。
 ふふ、あんたってば両親に愛されてなかったのよぉ。あの母親も本音ではあんたの事を怖がってたのよ?」
 うわー、あたしめっちゃ不幸じゃん。泣いていい?
 締め付けが更にきつくなった。
「うがっ……」
 反射的に悲鳴が漏れ、涎が垂れた。御霊桃子が顔を近づけてくる。
「あんた、もっと怖がりなさいよ。
 いい? あんたは今から酷い死に方をするのよ。爆発で消し飛ばしたりはしない。内臓をぐずぐずに腐らせて、口から腐った舌と一緒にゲロみたく吐かせてやるわ。
 それから体中から膿を垂れ流させて、脳みそもジュースになるまで掻き回してやる。
 でも、安心して。最低限の物は確保してあげるわ。途中で意識を失ったり死んだりしないようにね」
 御霊桃子は本当に嬉しそうに笑った。と、車の前方に誰かが飛び出してきた。
 野町さん!
「おやおやおや」
 御霊桃子はどろどろの手であたしの体をまさぐると、車の鍵をポケットから取り出した。エンジンをかけると、目をキラキラさせながらアクセルを踏み込む。シートに押し付けられたあたしの目に、フロントガラス越しに発砲する野町さんがグングン近づいてきた。
 くぐもった発砲音。だがガラスやボンネットに真っ白い跡が次々につくが、結露みたいにふっとすぐ消えていく。
「ははは、この車凄いわねぇ! 弾が効かないわぁ!」
 あぁっ、野町さん! くそっ! てめぇっ! このインチキ霊能力者が!
 御霊桃子が物凄い勢いでこちらに顔を向けると、頭突きをしてきた。目と目の間に衝撃が走り、思わず目を瞑る。鼻の奥の方に渋い感触が湧き上がり、ああ、くそっ、多分鼻血が出てきやがった!
 だが、こちらに体を近づけた所為か、拘束が緩んでいる。あたしは左手を伸ばすとハンドルを逆手で掴み、思い切り右に切った。
 野町さんが左に流れ、壁が迫ってくる。またも衝撃。だが、どろどろに拘束され、謎自動車に乗っているのである。ガラスにはヒビも入らず、あたしも前に投げ出されることはなかった。だが、御霊桃子はシートベルトをしていなかった。
 凄まじい速さで前に投げ出された御霊桃子は、フロントガラスに叩きつけられくの字に変形した。左腕は肩ごと体にめり込み、杭が運転席の下に転がる。首は天井付近まで伸びており、顔の半分はぺしゃんこで、押し出された左目がどろりと垂れ下がってぶらぶら揺れている。
「はは、はははは、はははははは!」
 おうおう、楽しくて楽しくてしようがないって? あたしは無敵だって?
「そうよ! あたしは死なない! 見なさい、外の屑を!」
 首をめぐらすといつの間にか銃を構えた野町さんが近づいてきていた。
 ああ、くそっ、真木の車が異常なのが裏目に出ちまったか。何ともならんぞこりゃ。
「ふふ、さあて、どうやってぶっ殺して――」
 香織さんが塀から飛び降りてきた。ボンネットに仁王立ちになると、運転席めがけて散弾銃をぶっ放す。それでもフロントガラスは一瞬真っ白に曇るだけで、傷一つ付かない。 
「ゴミ屋! この車頑丈すぎんだろうが!」
 香織さんの怒声に、いつの間にか少し離れた場所で塀にもたれていた真木が、にやりと笑って手を振った。
「ふふ、どいつからやっちゃおうかなあ……いっそのこと全員同時に殺そうかしら」
 御霊桃子はあたしを見降ろしながら、へらへらと笑う。あたしは構わず運転席の下へ手を伸ばそうともがく。
「またまた、そんな無駄な事をして。
 あんた、それに手が届いたからって、あたしにちゃんと刺せると思うの? あんたの全てを見ている、あたしが隙を見せるとでも?」
 あたしに絡みついたどろどろに、またも無数の切れ目が現れ、どろりとした液体を垂らしながら眼球が現れた。それらはぐりぐりと動くと一斉に瞬きをした。
 やれやれ、気持ち悪ぃなあ……。
「大体ね、例えその杭で刺しても、あたしは爆発するのよ。勿論大規模じゃないけど、あんたも含めて車の周りの人間くらいは道連れにできるわ。もしかしたら、ここら一帯も消し飛ばせるかもしれないけどね。
 あたし? あたしはそれが目的だもの。あたしを侮辱した奴らを一人でも多く巻き添えにできるなんて、胸がスカッとするわぁ!
 あ、勿論あんたが御執心のあのガキも消し飛ぶわよ」
 へえ、そりゃスゲェや。でもまあ、逆に考えればこれを刺さなけりゃあ、この町どころじゃない勢いで吹っ飛ぶんだろう?
「あたしの考えでは半径百五十キロくらいかしら」
 なら、やった方がいいに決まってんだろうが。覚悟しろよ、この糞女。
「どうやって?」
 この杭をぶっ刺して、それから爆発する前に車を運転して、確か来る時に大きなコンクリのどぶ川があったから、そこに突っ込む。
「ははは、勇ましいわねェ。ところで、あんた、そんなにあのガキを助けたいの?」
 御霊桃子は歪んでない方の眉を上げてみせた。
「あんた、もしかして、あの時助けてもらったから――なんて、くっだらない理由で命をかけてるわけ? ぶっははははは! バッかじゃないの!」
 そうかい……。
 あたしの手はようやく杭を探り当てた。指で転がし、なんとか握ることに成功する。と、ぐいっと首を締め上げられ、あたしは無様にシートに体を沈められた。

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