黒い花

島倉大大主

第二章:田沢京子 7

「京さん、僕は狂ってると思うかい?」
「さてね。ところで先輩、今、両親とはどうなってんの?」
 真木は口の端を上げた。
「それがね、実に良好な関係なんだ。正月と年末は必ず家族で過ごしているんだ」
「へえ。で、その――家族入れ替わり問題の事は話したのか?」
「ああ。ちなみに父と母は僕を信じたよ」
 あたしは親指を下にして唇を尖らせた。真木はイヤイヤイヤと首を振る。
「嘘ではなーい! 父と母は信じたのだな、これが。勿論理由がある。
 ところで……『僕の両親は昔別の人間だった。ある日を境に今までいた人間が、最初からいなかったことになっている』。どうかね、こういう話を聞いたことはないかね?」
「あるさ。中学の頃にテレビの怪談で見たことがあるし、最近じゃあネットでよく読むよ。ただ、直接体験した人間には会った事はないな」
「何故会った事はないか、考えたことは?」
 あたしはふーむ、と唸った。
「その一、実際はそんな話はない。オチをつけない不条理な投げっぱなし実話怪談の雛形として大変優秀だな。明日はわが身に降りかかる可能性が完全にゼロではないってとこがミソだな」
「いい分析だ。流石はオカ研」
「その二、真顔でそんな事を主張する奴はアレに見られる。また、それを真顔で信じるよ、という奴はやっぱりアレと見られる。だからして、黙して語らず……これ、結構多いんじゃねえかなあ」
「そう、それだ。僕も冷静じゃなかったからね、違うんじゃんかよぉっとか病院で喚いてたら、そっちのお医者にまわされてね、まあ、おかげで助かったんだけどさ」
「ほう、カウンセリングの結果、正常であると診断されたとか?」
「いや、頭を打ったんじゃないかとCTを撮ったんだ」
「へえ……で?」
「ま、今はそれは置いておこう。」
 真木は手を大きく打った。
「家に帰ると素知らぬ人が家族と名乗る。気が違ったか、別の次元に迷い込んだか、ともかく記憶の齟齬、現実世界への認識における不可解なずれ、辻褄の会わない現実、それが僕に訪れた!」
「ああ、なんだっけ、どっかの大統領の名前がついた現象だっけ?」
「そういう通称もあるようだね。正式には――虚偽記憶とか過誤記憶とか言ったかな? 今はネットで、その手の話は尽きないね。類似した例で有名なところでは、映画のラストで確かに観たはずのシーンがソフト化の際に無くなっているとかだね。
 勿論これらの殆どは思い込みが原因だ。例えば映画のラストは、同時期に出版されたノベライズに影響されたり、同ジャンル、もしくは同じ監督、俳優の映画と混同し、記憶を変形させてしまうのだね。勿論、ソフト化の際にディレクターズカット版に差し替えられた例などは除くよ」
 真木は頭の後ろに手をやる。
「だけども、全てが思い込みや勘違いだろうか? 例えばこの家の横の道は? 昔は向こう側に通じていたんじゃないか? いやいや多分似たような住宅街があって、それと記憶を混同しているだけなのだ……」
 真木はゆっくりと眼帯を外した。
「でも、もし、昔は本当に行き止まりじゃなかったら? 僕の両親のように違う現実があったとしたら?」
 あたしは息を飲んだ。
 眼帯の下から現れたのは真っ黒な穴だった。いや、よく見れば眼球自体が黒いだけで、空洞ではないようだ。
「うわ、何だその目……」
 あたしは中腰になると真木の目を覗き込んだ。普通の眼球とは違う。水槽に墨を垂らしたように真っ黒い靄のような物が渦を巻いている。そして時折、その中で緑色の光が舞っているのだ
 はて、何処かで見たような……。
「こいつが『深く考えているどころではない事態』の二つ目さ。事故直後から、外観が黒くなり始め、二週間くらいでこうなった。黒にんにくみたいに熟成したわけだ、はは! 
 偉いお医者が入れ代わり立ち代わり検査したが、一体何がどうなってるのか現代の医学では解析不能だそうだ。更に近くで見ればわかるのだけど、僕の左目は流動する液体なのだ。指だって入る。だが、分離するのは不可能。しかも底が無い」
「はぁ? なんだ、底ってのは?」
「さっきCTを撮ったと言っただろう。僕の脳の左半分は真っ黒く写った。何度撮っても同じ結果だ。そして目がこうなった。網膜剥離の治療用のレーザーを撃ちこんでもらったんだがね、本来なら網膜がレーザーで焼かれる感覚というのがあるらしいんだが、何も感じなかった。ペンライトの光も何も照らさない。ブラックホールを覗くとこんな感じかもしれないと医者は言っていたね。で、僕の許可を取ったうえで、医者は単純かつ豪快な実験を試みたんだ」
 あたしはごくりと喉を鳴らす。
「じゅ、銃弾を撃ちこんでみたとか?」
 真木は殺す気かっと甲高い声で叫んだ。
「関係者一同の前で針金を水平に入れたんだよ。一メートルくらいあったかな。僕の目は全部飲み込んだよ。両親は僕に異常な事が起きたのを信じた、というわけだ」
「なるほど、底なしね。だけど、それだけじゃないんだろ? さっき黒い染みをそっちの目で見てただろう」
「君の事もじっくりと観察させてもらったよ」
 あたしは頭を掻く。
「あまり聞きたくなくなってきたが、その――なんか見えるわけ?」
「ああ。人間の視覚情報では捉えられない幾種類かのエネルギーを観測できる……要は色々視えるわけだね。別の世界と繋がりのある物体等がさっきの写真のように光ったり歪んだりして見えたり、所謂霊能力者などから溢れ出るエネルギー、怨みにつらみ。ついでに、別の世界の存在も時折ぼんやりと見えたりする」
「……そりゃまた、色々フルコースだなあ」
「これは僕の推測なんだがね、世界は薄い膜なんだ。それが幾つも重なっている。人間が見えるのは、僕らが住んでいる一枚だけだ。しかし、僕の目は、他の膜が見えてしまうのだろうね」
「へえ。……もしかして、結構便利じゃね?」
「京さん、君には驚かされること夥しいね。そういう感想がポンと出てくるのが今日一番の神秘だよ。
 それと僕の脳だがね、どうも何処かと繋がっているらしい。僕の脳の暗黒部分には此処ではない何処かの情報が詰まっているようでね、色々ととんでもない知識が溢れ出してくるのだよ。ただ、残念な事に僕の残った脳では、その情報をそのままでは理解できないようなんだなあ」
「はあ? どういうことだ?」
「つまりだね、実際に怪しげな物や現象を目撃、体験すると、そこで初めて、それに対する回答が色々と頭に浮かぶ、というわけだね」
「……キーワードなしじゃ、何もできないってわけだ。ネット検索みたいなもんか」
 真木はふむ、それに近いかな、と頷いた。
「ちなみに、僕が自分のこの能力に関して理解したのは、父を殺そうとしたゴミ野郎を撃退した時だ」
「おいおいおい、おだやかじゃねえ話になってきたぞ」
「すまないね。今でも思い出すだけで反吐が出そうな御仁でね。
 父は――勿論今の父だけど、小児科をやっている。
 ある時、風邪を引いて熱があるんで解熱剤をくれって母子がきてね、診察はしたくない薬をくれってごねる。こりゃおかしいと父はこっそり子供を診察した。で、服をめくってビックリ仰天、酷い火傷が現れた。熱の原因は火傷の化膿だったわけだ。
 しかもこの火傷、普通の火傷じゃあない。何やら怪しげな文様が浮かんでいる。診察室の外で喚く母親を無視し、押し黙る子供を説得して父が聞きだした事実というやつは、自称『神のお使い』の怪しげな心霊治療という実にくだらない話だった。
 なんでも焼けた文様付き鉄板を体に押し当てて、今後一生分の病魔から守護する奇跡の――おや、どうした京さん?」
 あたしの顔を見て真木は吃驚しているようだった。やっぱり表情に出ちゃったか。
「あたしはそういう連中が大嫌いなんだよ。しかも何にも知らない子供を……」
 真木はふふっと笑うとちょっと下を向き、顔を上げると不思議な表情を浮かべていた。
「まあ、なんだね、僕もそういう連中が大嫌いだ。僕が思うに宗教とは『杖』であるべきだと思うのだ」
「杖、ね。成程、あくまでも歩くための補助か」
「そう! まあ批判等はあると思うけどね。無くても問題はないが、あれば辛い時に助かるし、急な山道を歩く時に、周りを見る余裕だって出てくるわけさ」
「変態に襲われた時に、しばけるしな。露出狂なら下からスイングを決められる」
 真木はオゥと小さく内またになった。
「さて父はどうしたかといえば児童虐待ということで関係機関への連絡をした。
 だが、予想通り反応が今一。被害届が出ないと云々。今は人がいなくて云々。
 というわけで、家で沈んだ顔をしているしかなかったのだな。保険証から連絡先は判っているが、ここから先は医者の仕事ではない。
 だけれども父は小児科の医者だ。
 子供が悲惨な目に会っているのには耐えられない」
 あたしは大きく頷くと、真木の空になったグラスに緑茶を注いだ。
「ある日、父は炬燵の上に火傷の写真を並べ、そのまま寝てしまっていた。今となっては父なりに何か思う所があって僕の目につく所にわざと置いておいたんじゃないかしらと思ったりもするが、ともかく僕は火傷の写真を見た。即座にそれが何かわかったよ」
「病魔退散じゃなかったんだろ? あれか、なんかの儀式の紋章とか、邪神を召喚したりとか――」
「いや、もっと酷い物だった。あれは何の意味もない物だったんだ」
「……は?」
「つまり素人が色々本を見て作り上げた落書きなんだよ。
 簡単に言うと『状況を停滞させないシンボル』と『敵対者を遠ざけるシンボル』、『周囲の気の流れを一番近い植物に流すシンボル』を合体させたものだ。何の効果も……いや、精々『盆栽が良く茂る』程度の効果だ。馬鹿かっ!」
 真木はテーブルをどんと叩き、緑茶をぐいと飲む。
「頭に来た僕は、父を叩き起こして子供の家に乗り込んだ。今すぐそのインチキ野郎に会わせろと喚いてね。いや、よく警察を呼ばれなかったもんだよ。まあ、僕はその時目がもうこんな風になりつつあったからね、怖かったのかもしれないなあ」
「いや……待ってたんじゃね、先輩みたいな人を」
 あたしの言葉に真木はぐぅと言葉に詰まっていた。
 ああ、ようやく分かった。
 なーんかさっきから、態度が妙だなと思ったら、こいつ――照れてやがる……。
「と、とにかくだ、その親子からクソ野郎の住居を聞きだした。僕は勢い、父の制止を振り切って乗り込んだんだ」
 あたしはうおぅと声を上げた。
「熱いねえ! やっちゃった?」
「いや――」
 真木は姿勢を正すと、ふうと息を吐いた。
「あいつは、そういう心霊治療なんかはへっぽこだったんだが、呪の腕に関しては本物だった。僕は初戦でいきなり呪術師と闘う羽目になったんだ」
「ノロイ!? かけられたのか?」
「ああ。しかも僕じゃなかった。奴は僕の服についていた髪の毛を盗み取り、泣いて謝って、もうしませんなんて言って僕を帰らせると、それをヒトガタ、まあ蝋で作った人形だね、それに入れて、針を刺したんだ。髪の毛は父のものだったんだ」
「うわ、殴りてぇ! で、先輩の親父さんはどうなったんだよ!?」
「帰宅すると父が炬燵で泡を吹いて痙攣していた。それも驚いたが、父の頭をいじっている奴がいる。見た目はそう、小学生が針金で作った案山子といったところかな」
「想像がつかん。それはその……一種の生物なの?」
「うーん、一番近いのは――ウィルスかな。ある目的を持って行動している存在、だな。僕はそいつの腕を掴もうとしたが無理だった。この世界には、いなかったんだね。
 仕方なく、よく観察すると、頭と思われる場所から酷く細い赤い糸みたいなものが出ているのに気がついた。糸は家の外にまで伸びている。僕は母に事情を話し、父を任せて外に飛び出した。勿論お約束通り――」
「クソ野郎の家まで伸びてたんだな?」
「妙齢の女性がクソとは感心しないねえ。まあ、その通りで、僕はそれが呪術だと理解した。頭にさっとそれが浮かんだんだね。
 『複雑な手続き』によって、『散らばった状態にある人に影響を与える因子』を組み上げて、『それを使って人の調子を狂わせる』……と頭の中にばっと出てきた。
 その時の僕は、怒りもあったが、自分の能力に関してワクワクし始めていてね。わかる! わかるぞ! ってな感じだ。で、糸を追って家の中に忍び込むと、隠してあったヒトガタを見つけた。いや、酷い経験だったよ。僕は普段そんな事は出来ないのに、あのクソが込めた『強い想い』が案山子に関連付けられていた所為なのか、目で読めちゃってね」
「そいつは御愁傷様だな。わしの邪魔をする奴は容赦せんぞ! とか?」
 真木は首を振って、溜息をついた。
「聞きたいかね? そうかあ……。
『ああ、なんだって俺ばっかり酷い目に会うんだ。なんであんな奴に怒鳴られなくちゃならないんだ。俺みたいな能力のある人間には敬意を払え――』
 まだ聞きたい?」
「いやもう……腹いっぱい」
「ふむ、そうか。で、まあ、僕はヒトガタを盗み出した。針を抜くと糸は消えた。家に帰ると父は炬燵で、いや参ったとか言いながらお茶を飲んでいた。僕は父に事情を説明し、ヒトガタはどうするか、という話になったんだが、結局清浄な場所に持っていったよ。
 以上、終わり」
「……え? 終わり? そのクソはどうなったのよ? あと子供! ここ重要よ!」
 真木はにやりと笑った。
「そのクソだが、次の日に自宅で死んでいるのが発見されたそうな。神社に持っていった際にヒトガタの所にあの案山子がいつの間にかいてね、小刻みに震えているんだ。よく見るとね、どうも目的を中途半端な形で失った所為で、歯車が狂っちまったらしいんだ。
 死んでるのが発見される数時間前、そのクソの家から頭が痛いって悲鳴が聞こえたって近所の人が噂しているのを聞いたねえ。
 ちなみに子供、というか母子だがね、あのクソの洗脳を解くのに数か月かかったが、今ではうちの実家によく遊びに来るよ」
 あたしは、ふうと息を吐くとソファーに深くもたれた。
「スッキリした~」
「そりゃ、良かった。さて、僕はそれから色々あって資産を手に入れてね、そして――」
 あたしは真木の言葉を遮った。
「わかった、わかったよ。先輩は、その目と頭の中の怪しげな情報を使って、色々解決してるわけだ。あの車やカメラ、それから標識みたいな物を処理したり回収したりしてね。特殊管理産業廃棄物ってのは、そういうヤバい物なわけね?」
 真木も、ふうと息を吐くとソファーに深く腰掛けた。
「まあ、そうだね。中には無害だったり、人を幸福にするものもあるんだが、そういうのに限って、悪用されてたりするんだけどね。
 さて、僕を信じてもらっている、という前提で話を進めようか。車の中で話したように、今から十一時間前、昨夜午前一時に通報があった。警官がある家に駆けつけた。
 で、中に入ると――」

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