異世界郵便局

ノベルバユーザー291271

異世界郵便局

 〶
 石畳の舗装された街路。ここは神聖帝国、北部辺境の街〝ノーザン〟のメインストリート、〝ノーザン通り〟。


 街の名前を冠したこの通りはこの街で唯一舗装された街路で、通りの先、街の中心部には申し訳程度の尖塔を持った小さなお城があります。


 お城にはこの街を治める代官〝ジョーン・カルサーム様〟が住んでいると聞きますが、もちろん私はお会いしたことはありません。平民のそれも失職中の身である私がお会いできるはずもないのですけど。


 私はアナン。今年、16歳になるヒト種の娘。一年前に冒険者の父が失踪して以来、幼い妹二人と、三人で力を合わせて生きてきました。


 母は私が幼いころに流行り病で死んでいましたし、この街に私たちを養ってくれるほどの親しい者はいなかったからです。それも当然で、冒険者の街とも言われるこの街では隣人が突然引っ越したり、失踪したりは当たり前。


 故に、頼れるものなどいません。私が幼い妹二人の面倒を見なくては、しっかりしなくては。私は14歳の自分をそう奮い立たせていました。


 と言っても、まだ若い、それも女である自分にできる仕事は限られています。冒険者か淫婦か酒場の店員です。私は自分まで居なくなるわけにはいかないし、冒険者になるには経験も力もなかったので酒場の店員として働き始めました。


 淫婦?それはないですよ。


 でも、そこは駆け出し冒険者向けの安酒場。当然、妹二人を養っていくには給金が足りません。だからといって就職先の少ないこの小さな街に、他に働けるような場所なんてないのです。


 浮浪者にならずに済んでいるだけまだましでした。でした……そう、私が酒場で働いていたのはつい先日、首にされるまでの話。


「はぁ……」


 私はため息とともに、肩をだらりと落とします。私のテンションに比例するように、頭のサイドで結われた金髪が下に垂れました。


 私が首にされたのはなにも私のミスなどではなく、ただ単純にこの街の景気が悪くなったからです。最近この周辺の魔物が少なくなり、ここより北東に出来た街に冒険者が流れていることが影響しているそうなのです。


「なにか仕事はないものでしょうか……」


 このままでは私は、いえ、私たちは飢えて死んでしまう。そんなとき私の目に大きな建物が飛び込んできました。そこには一本の横棒を貫く縦棒がもう一本の横棒に交わる不思議なマークがあります。


「郵便局」


 私の口は自然とその単語を呟いていました。


 郵便局。それは、この街を収めるカルサーム様よりお偉い方、たしか伯爵様が皇帝陛下から直接認可を受けて運営する組織で、帝国冒険者ギルドにも匹敵する大きな組織だったはずです。


「……ここなら私を雇ってくれますかね?」


 郵便局には配送人がいるはずです。文字が分からない私でも配送人にならなれるかも……そんな軽い気持ちで私は郵便局の戸を叩きました。このときは、この軽い気持ちが私の人生を変えるとは知らずに。












 〶
 コンコン。


「……」


 返事がないただの屍のようだ。


「入ってもいいのでしょうか」


 私はそう呟きつつ、その木製の扉を押し開けます。


 ギィィィィィ―――。


 音を立てて開いた扉の先は、柔らかなオレンジ色の光で照らされた部屋でした。その部屋の四方には天井まで届きそうな本棚がずらりと並び、至る所に観葉植物が置かれています。


「すごい」


 私は感嘆の言葉を漏らし、その本棚に並ぶ数々の本を眺めました。


 本は貴重です。一冊一冊、高名な学者が手書きしたもの、またはそれを書き写したもの。どちらにしても非常に大きな手間がかかるため値段も高く、庶民がぽんと気軽に買えるような品ではないのです。


「これ全部が本なんですかね」


 私はその中から一冊の本を手に取り、一人呟きます。すると―――。


「あぁ、そうだ」


 え!?


 私は突然の声にびくりと肩を震わせ、背後を振り返りました。そこには、柔らかな笑みを浮かべた青年が一人。身長は私より頭一つ分ほど高く、すらりとした好青年。この国では金髪や茶髪と並び、さして珍しくない黒髪ですが、その髪質は非常に良さそうに見えます。


 どこかのお金持ちなのでしょうか?よく見ると着ている黒い服も、簡素ながら上品さを感じさせる作りです。


「あ……あの、すみません。勝手に」


 私はふと我に返ると、平伏して謝罪しました。郵便局というところに入ったのは初めてだったから、勝手が良くわからないのです。そうでなくとも、勝手に本を手に取ったのは軽率な行動でした。


 しかし青年は全く気にした様子はなく、むしろ当然と話を進めます。


「いや、いいよ。ここは郵便局だからね。君はお客さん、俺は郵便局員。君がここに来るのも当然だ。そうだろ?」


「あ、いえ!」


 私は青年が私を客と間違えていることに気が付き、慌てて訂正します。ここで訂正しておかないと、後々ややこしいことになりそうなので。


「違うんです」


「え?違う?おかしいな」


 青年は首を傾げます。なんかちょっと可愛い……あ、心の声が。青年には私の心の声が聞こえているはずもなく、不審がることもなく話を続けます。


「それじゃあ君は何者?おっと、それを聞くなら俺から名乗らなくちゃな。俺の名前はノア・ヤクモ。この〝第零郵便局〟の局長兼配送人。よろしく」


 その青年はつっかえることなく言葉を紡ぎだし、右手を差し出しました。私は彼の差し出した手にそっと手を添え、挨拶を返します。


「ご丁寧にありがとうございます。私はアナンと言います。ここには働きに……」


 そこで気が付きました。彼が家名を名乗ったことに。王侯貴族の力の強いこの国では、家名を名乗っていいのは王侯貴族に限られているのです。


 そして彼の名乗った家名はほぼ誰もが見知ったもの。ヤクモ……それはこの郵便事業を一手に手掛ける新興貴族、ヤクモ伯爵の家名と同じだったのです。


 まさか、ヤクモ家の名を語る不届き物が、彼の一族が運営する郵便局にいるはずがありません。


「えっ、ちょっと待ってください」


 混乱する私。私は少し頭を捻ってみましたが、所詮は無学の女。頭で考えるより聞いたほうが早いのです。私は混乱しつつも尋ねます。


「ヤクモ様と言いますと郵便局の、あのヤクモ伯爵様?」


 ノア・ヤクモと名乗ったその青年はどうでもいいことのように答えます。


「あぁ、それは俺の父上だ。俺はヤクモ家の嫡男、一応跡取りってことになってる。それと俺のことはノアと呼んでくれ」


「えぇ!?」


 私は驚きのあまり声を上げてしまいました。


 あのヤクモ伯爵様のご嫡男……しかもお世継ぎ様!?


 私は大声を上げてから自分の粗相に気が付きました。もし彼が気分を害されたら最悪、処刑です。そうなったら、妹たちは路頭に迷ってしまいます。


「すみません!つい……」


 私は、地を這うように頭を地に伏せ、謝罪の言葉を述べました。しかしその青年……いえ、ノア様は私の態度に憤慨するどころか、むしろ楽しそうに声を立ててコロコロと笑いました。


 なんでしょう?ノア様はドSさんなのでしょうか?


「いや、すまない。君はよく表情が動くと思ってね」


「えっ?そ、そうですか?」


「あぁ。それよりも立ったらどうだ」


 よく分かりませんが気分を害されてはいないようです。首の皮が繋がりました。仕事を首になった上に、本当に首を刎ねられたら堪ったものではありません。私は黙って立ち上がります。


「まぁ君が驚くのも無理はないね。ここがどこだか分るか?」


 ヤクモ様の問いに、私は馬鹿にされているのかと思い、少し不機嫌になって答えます。……と言っても、本当に不機嫌そうに答えて処刑されては堪らないので、心の中に留めておきますが。


「どこって……ノーザンの郵便局ですよね?」


 あれ?そう言えばここは北部辺境の街です。なんでこんなところにヤクモ伯爵様のお世継ぎ様が?……まさか、やはり名を語った不届き者なのでしょうか?不信の目―――。


「そんな目を向けないでくれ。俺は本物のノア・ヤクモだよ」


 ノア様はそう言って言葉を区切り、「それに」と続けます。


「ここはノーザン?という場所ではない」


「えっと……どういうことですか?」


 ここはノーザンです。私はずっと生活しているのですから間違うはずがありません。意味が分からないと首を傾げる私に、ヤクモ様は言い聞かせるように話します。


「ここは帝都の中心部にある郵便局本部の一室。第零郵便局という部署だ」


「え、帝都!?」


 私はまたも声を上げてしまいました。しかし、帝都と言えばここからうんと離れた位置にあるはずです。私はただノーザンにある郵便局の扉を開けただけ。そんなこと言われても意味が分かりません。


「驚くのも無理はない。みんな君と同じような反応をする。じゃぁ、簡単に説明するから、よく聞いてくれ」


 ノア様はそう言って話を始めました。私は黙って頷きます。


「ここ第零郵便局は特別な部署なんだ。どう特別かと言えば、ここは全ての郵便局の入り口と繋がっている。君はそうすると……ノーザンだったかな?」


 疑問形で聞かれたので「はい」と頷きます。


「そう、ノーザンの郵便局からこの場所に転送されてきたんだ。君は誰か、心から手紙を届けたい、会いたいと願う人がいるんじゃないか?」


 ノア様の言葉に私の心は跳ね上がりました。私はずっと父の安否を知りたかったのです。亡くなっていたとしても、私は父の死を確かめたかったのです。でもそれは叶わないこと……そう諦めていました。


「なんで分かったんですか?」


「ここはそういう人しか来られない場所だからね……君みたいな想いを持った人が来る」


「そうなんですか……」


 私はノア様の言葉に興味を惹かれ、彼の話に引き込まれていきました。


「それでここに来た人は……どうするんですか?」


 まさか連れてきて終わりということはないでしょう。いえ、言い切れませんが。ノア様は再び柔らかな笑みを浮かべ口を開きます。


「俺は特殊能力ギフト持ちだ。俺の特殊能力は父上と同じで……父上はこれを〝ゲート〟と呼んでいる。これは、簡単に言えば、対象が心から手紙を届けたい、会いたいと願う相手の居場所へと門を開く能力だ」


 私はノア様の言葉に息を飲みました。そんな私の様子を見て、何か感じ取ったのでしょう。さすがですね……ノア様は。彼は「そうか」と笑みを浮かべます。


「じゃぁ、やはり君はお客様だ」


「で、でも、そんなお金私は」


 私はそう否定しました。私もできることなら父の安否を知りたいですよ……そりゃあ。死んでいるならお墓でもいいのです。生きているのなら他の家族の下でもいいのです。ただ、父の安否を知りたいのです。


 でも、これは伯爵様のお世継ぎ様が直接行っている特別な事業。私のごとき平民が、それも失職したばかりで蓄えも不安な者が易々とお願いできる金額ではないのでしょう?


 そう思い、断ろうとした私の言葉は、ヤクモ様の言葉に遮られました。


「お金は気にしなくていい」


「え……?」


「これは父上の我儘みたいなものだから。父上はこの能力で成り上がったんだが、人々の想いを届けることは天命だって信じてるみたいでね」


 ノア様はそれだけ言うと、私に聞きました。


「イエスかノーか。選ぶのは君だ」


 そんなこと……言われなくても。私は迷うことを止めました。自分の心に正直に。私は声を絞り出します。


「イエスです!」


 私はさらに声を張り上げます。最後は懇願するように必死にお願いしていました。


「イエスです!ノア様!お願いします!」


 私の答えに満足したように頷いたノア様。


「おーけー。それじゃぁ、少し体に触れるが……いいな?」


 そう言って、ノア様は私の方へ歩み寄ってきます。


 え、近い。近いですノア様……!


「……っちょ、え!?ノ、ノア様?」


 ノア様は黙って、私の肩に手を置き、額を私の額にくっつけてきます。ノア様のお、お顔が……。近くでよく見ると、いえ……よく見るまでもなく、ヤクモ様のお顔は整っています。


 ああ……こんなことされたらもう、おかしくなりそうです。


「あぅ……」


 変な声が漏れ出てしまいました。聞こえてしまったでしょうか?恥ずかしいです……。


 しかしノア様は何も言わず黙ったまま。しばらくの沈黙の後、ようやく私は解放されました。私の顔はほんのりと上気し、赤みを帯びています。ですが一方のノア様は、何事もなかったかのように、口を開きます。


「よし、行こうか」


 そうですよね、私のような娘に緊張なんてしませんよね。伯爵様のお世継ぎ様、それにこんなにも容姿端麗なお方。女など取って捨てるほど寄ってくるのでしょう……。


 ノア様はそんな私の心の中など知る由もありません。私の肩に左手を置いたまま、右手の指をぱちりと鳴らしました。


 瞬間―――、目の前に重厚な扉が光を伴って現れます。それは片開の木製の扉です。


 ノア様は黙ったままその扉に手を掛けました。


 軋む音一つせずに開いたその扉の先に、ノア様は躊躇うことなく足を踏み入れます。


「ま、待ってください!」


 私も慌ててノア様の後を追いました。












 〶
 その扉の先に広がっていたのは森の中の、開けた草原でした。風に乗った草木の香りが鼻腔を刺激し、さわやかな風が体を撫でます。今は夏ですが、ここはノーザンと同じように涼しいくらいの過ごしやすい気候のようです。いえ、ノーザンにほど近いのかもしれません。


「ここはどこですか?」


 私の当然の問いに、ノア様は首を振ります。


「分からない。僕は君の想いに従ってここに来ただけだからね」


 ノア様はそう言って地面の草に手を触れました。私もゆっくりとその周囲を歩いてみます。


 ひょっとしたらこの辺りに父の墓か遺体があるかもしれません。遺体だったら白骨化しているかもしれませんが。


 それとも、もしかしたら父の新しい家があるのかもしれません。……そう考えると、少し複雑です。私たち姉妹は捨てられてしまったことになるのですから。


 しばらく草原を歩いていると、少しだけ小高くなった丘の上に、いくつかの木片と剣が刺さっているのを見つけました。


「これは……」


 そのうちの一つ、それは見覚えのある剣です。錆付いてはいますが、見紛うはずのない剣。それは父愛用の鉄製の片手剣だったのですから。


 失踪する前日の夜にもこの剣を手入れしている父の姿を見ていた記憶があります。


 その剣に添えられた木片には、〝我が友アンドリュー、ここに眠る〟と記されていました。アンドリューは私の父の名前です。


「お父さん……」


 私は膝を突き、その剣のつかを握りしめました。この木片に父の名を記した父のご友人の方も、ここで亡くなったのかもしれません。


 父はこの場所に埋められている。そう考えたら、自然と涙が零れ出ました。一度零れ出た涙は止まるところを知りません。わんわんと大粒の涙が私の目から溢れ出ます。


 その間、ノア様は黙ったままでした。しばらく泣き続けた私の涙は、やがて、枯れました。そこで冷静になり、周りに目が向きます。


 背後には申し訳なさそうな顔で佇むノア様がいました。


「すまない。まさかお亡くなりになられていたとは知らなかった……」


「いえ……私が言わなかったから悪いんです。それに、はしたない姿をお見せしました……すみません」


 私の謝罪に、ヤクモ様は首を振った。


「いや、謝ることじゃない。君が会いたかった方とは、いったいどういう?」


 私は今更ながら、ノア様に会いたいと思っていた人物を言っていないことに気が付きました。


「父です。私の。父は冒険者でした」


「そうか……君の父上はこの場に」


 ノア様はそれだけ呟くと、私の隣に片膝を突き、目を瞑って手を組みました。それは祈りです。


「ノ、ノア様?お召し物が……」


 ノア様はお召し物が汚れるのも気にせずに祈りを捧げ続けました。平民の、それもなんら関係のない男のために祈りをささげるお貴族様。今までこんな方がいらっしゃたでしょうか?


 しばらく祈りを捧げたノア様は、立ち上がると、私に手を差し伸べました。私は遠慮がちに彼の手を握り立ち上がります。


「君はこれからどうする?」


「えっと……」


「郵便局で働くつもりだったんだろ?」


 ノア様の言葉に私は黙って頷きました。そうです。長らく心の中で想い続けていたことは実現しましたが、私は今を生きなければならないのです。


「君さえよければ、俺と一緒に働かないか?助手として。人手が足りないんだ」


「え……本当ですか!?」


 私はノア様の優しさに甘えかけましたが、そこでふと我に返りました。


「で、ですが」


 私は無学な女ですから、文字の読み書きも算術もできません。それにノーザンに妹が二人いるのです。その旨をノア様に伝え、丁重にお断りしました。働きたいのはやまやまですが仕方がありません。しかし、ノア様は気にしていないようで……。


「あぁ、心配しなくていい。文字も算術も……ゆっくり教えていく。それに妹も纏めて帝都に引っ越せばいいさ。支度金はもちろん用意する。転移ポータルをノーザンに設置してもいいな」


 ノア様はそう言って再び「働かないか?」と声をかけてくれました。こんな私でも働けるのでしょうか?


「心配しなくても大丈夫。イエスかノーか。選んでくれ」


 私は答えます。


「イエス。イエスです!働かせてください」


 私はこの日、人生の転換期を迎えたのだと、後に気が付きました。それはもう少し、後のことなのですが。

コメント

  • 結月楓

    郵便局が題材って珍しい気がします。期待

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