異世界列島

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21.交渉

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【中央大陸/ウォーティア王国/王都ウォレム/王城/12月11日(接触13日目)】


 相互理解を深める〝情報共有会合〟から一夜明けたこの日。王城内のとある会議室にて、第一回目の交渉が行われた。


 日本側からは特命全権大使、黒沢くろさわあきらを筆頭とする特別使節団が。王国側からは外務局トップ、ロイド・モリアン外務卿を筆頭とする交渉団が出席する。


 今回の会談は非公式・非公開の形式を採っている。突っ込んだ話し合いが行われることを期待されたのだ。


 会談の冒頭。王国側交渉団の纏め役、モリアン外務卿は、国交樹立に対する王国政府としての結論を告げる。


「国交樹立はこちらとしても異論ありません」


 モリアンの言葉に、日本側はほっと胸を撫で下ろす。当然だが、王国側が国交を拒否すれば、この交渉は先へは進まない。


「まあ……条約の中身次第ですが」


 モリアンは釘を刺すように付け加えた。


 王前会議の席上でも取り上げられたが、王城内には今なお日本が覇権主義国ではないかとの疑義の声が残っている。


 弱肉強食が当たり前であるこの世界においては、優位な立場にある国が相手国に不利な条約を押し付けることも多い。


 それは仕方がないことだとしても、譲歩できる内容には限度というものがある。


 この世界の世情に疎い日本側がどの程度の要求をしてくるのか。金品の献上など言語道断。属国同然の関係など以ての外だ。


 モリアンは内容次第では国交樹立をね付けざるを得ないと日本国側に、暗に伝達したのである。


 そんなモリアンの言葉に、黒沢は「当然」と顔を縦に振り、話を進めた。


「では中身の話に進みましょうか」 
「お手柔らかにお願いします」


 この日の会談は互いの要求を確認し合うことが目的だった。


 モリアンはこの席で出た日本側からの要求を、王前会議の場で王国の重鎮たちと共有する。


 内容次第では今日の王前会議は相当荒れるかもしれない、とモリアンは睨む。


 日本側の王国に対する要求は領域関係―――例えば、領海や排他的経済水域の概念から、王国内に在留する日本国民の権利保障―――例えば、財産権の保障など、多岐に及ぶ。


 その中で日本側が最も重要視していた要求が三つあった。


 第一に、〝東岸地域の帰属確認〟。第二に、〝関税税率の調整〟。そして最後に、〝在留日本国民に対する裁判権の免除〟である。


 まず、一つ目の〝東岸地域の帰属確認〟について。黒沢は言う。


「我が国はこの世界に飛ばされたのち、入念な調査の結果、大陸東端一帯が無主の土地であることを確認しました」


 黒沢の言葉に、モリアンも「ええ」と頷く。


「あそこは魔物だらけで開拓しようにも開拓できない土地なのですよ」


 モリアンの返答を受け、黒沢は「そこで」と切り込んだ。


「我が国は閣議決定により当該地域を日本領に編入しました。つい最近のことですが」
「……あの魔物だらけの土地を?」


 モリアンは驚きに満ちた表情で黒沢を見つめた。その目には疑念の色が透けて見える。日本人はあんな土地を開拓しようなどと本当に思っているのか?と。


 会議に出席する王国側交渉団の面々も、「あんな土地をどうしようというのか」と苦笑した。


「では、領有権の所在は日本側にあると認めてもらえるということですね?」
「ええ。王前会議次第ではありますが、恐らくは」


 モリアンはそう言って、卓上に置かれた銀杯に手を伸ばす。銀杯にはレモン水が注がれていた。


 モリアンは心底、興味がなさそうだが、実際、東岸地域の帰属を日本側と争う気は毛頭ない。


 そもそもあの地の開拓は一〇〇年も昔にあきらめられている。曰く、強力な魔物が多すぎて話にならないのだとか。


「では、大陸における国境線の画定が必要ですね」
「そうですね。南部の諸貴族にも話を通しておきます」


 一つ目の要求はすんなりと受け入れられた。


 続いて、話は二つ目の〝関税税率の調整〟に移る。モリアンは要求書の内容に目を通し、頭を捻った。


「関税税率の調整……?」


 モリアンの呟きに、黒沢は頷き説明する。


 関税には、外国製品に対し国境で課される狭義の関税に加え、国内の特定地域を通過する際にも課される広義の関税とがある。


 現代社会においては後者……すなわち、国内の流通に課される関税は多くの国で廃止されており、狭義の関税としての意味合いが強い。


「これは交易特権を認めよ。と、いうことですか?」


 モリアンはそう言って黒沢に視線を向ける。


 交易特権は税制面での優遇や各種往来の保証など多岐にわたるが、この交易特権の付与は王国でも実例が多い。


 実際、王国内で活動する異国の商人の中にも、交易にかかる関税の免除を受けている者は多数存在した。


 モリアンの言葉に、黒沢は黙したまま顔を振ってその考えを否定する。


「そうではありません。あくまでも双方の関税税率を協議の上で決しようと。そう言う話です」


 日本は何も一方的な関税自主権の放棄を迫っているのでは無く、あくまで、互恵的な関税税率の協議を申し込んでいるのである。


 そして日本側は関税税率に関して、一定期間税率を固定することを望んでいた。


 例えば、日本側が小麦を輸入するとき、海外産の小麦には原則二五〇%以上の関税が課されている。


 その関税税率を王国側との協議によって調整しよう。場合によっては低くしますとも当面は。その代わり王国側の関税税率も日本との協議で調整しましょう。工業製品締め出しはやめてね。お互い様でしょ?……というのが、日本側の要求である。


 これは関税障壁の撤廃を目指す自由貿易の考え方とは根本的に異なり、関税の維持を前提とした協議になると予想される。


 あくまで互恵的な要求であり、王国側にもメリットがある。というのが黒沢の説明だ。


 もっとも日本は衣料品などの輸出を目論んでおり、王国による関税障壁を事前に潰したかった。というのがこの要求に繋がっているのだが。


「なるほど。そう言うことですか」
「はい。無茶な関税をかけ合うのは避けたいのですよ。一時的に固定した関税を適用すべきです」
「それは我々にも輸出面でメリットとなりますね」


 協議次第であるが、関税による大きな収益も当然に見込める。モリアンは納得して頷いた。


「この件に関しても、恐らくはいい返事ができるかと」
「ありがとうございます。外務卿」


 黒沢はそう言って頭を下げる。


 続いて話は、最後の〝在留日本国民に対する裁判権の免除〟へと進んだ。


 実のところこの要求、日本側としては是が非でも認めさせたい重要な要求なのだが、如何せん王国側の反発が予想される要求でもあった。


「それはつまり……我が国で法を犯しても、ニホン人はその罪を免責されると?」


 日本の要求を前に、王国側の交渉団に緊張が走る。そのような無法がまかり通れば、王国の国権は日本に蹂躙されてしまう。


 この要求が王前会議ですんなりと通るはずが無い。しかし黒沢はモリアンの言葉を首を横に振って否定する。


「まさか」
「詳しくお教え願えますか?」


 モリアンの疑義を否定する黒沢に、モリアンが食い付く。黒沢は「つまるところ」と前置きしてから話を始める。


「日本人の犯した罪は我が国の法で、我が国の裁判所が裁く。ということです」


 この日本側の要求は、〝地位協定〟に類似した条約の締結を求めるものだ。


 地位協定は、二国間における国民の役割や権利などの地位を規定し、両者の摩擦を防ぐ目的で締結される。


 代表的なもので言えば、在日米軍関係者の特別の地位及び第一次的裁判権の米国帰属を認める〝日米地位協定〟などがこれに該当する。


 もっとも、現在、日本政府とアメリカ臨時政府は日米安保条約と併せて、この協定の改廃に着手することで合意している。


 日本側はこの〝地位協定〟の適用範囲を、全ての在留日本人に拡大した条約をウォーティア王国と締結したいと考えていた。


 しかし、日米地位協定が不平等条約だ。治外法権だ。と批判されることからも分かるように、この要求は過分に不平等足りえる要素が盛り込まれている。


 駐留軍関係者に限った地位協定ではない。全日本人を対象とする地位協定だ。それは、言葉こそ違えど領事裁判権の要求に等しかった。


 領事裁判権とは、外国人がその在留国において本国の領事による裁判を受ける権利のことで、幕末に日本が列強諸国と結んだ不平等条約などにみられる。


 例えば、もしウォーティア王国が日本国の領事裁判権を承認した場合、日本人が王国内で殺人を犯しても、それを裁くのは日本側。勿論、その裁判には日本の刑法が適用され、王国側が被疑者を裁くことはできない……と言うことになる。


 モリアンはこれは困ったと心の中で呟く。日本側に裁判権を認めるとなれば、やはり国権が侵害される。モリアンは恐る恐るといった様子で、口を開いた。


「クロサワ閣下……これはあまりにも」


 しかし黒沢は動じない。


 王国側がこのような反応を見せることは想定の範囲内だ。日本だって、他国からそのような要求をされれば断固として反対するだろう。


 しかし、日本側としてもこの要求をせざるを得ない事情がある。


「我が国は歴史の歩みの中で、憲法を頂点とする法体系を構築してきました」


 黒沢は厳かな声音を意識して、説明する。日本側の言い分はこうだ。


 この国には〝法の支配〟と〝権力分立〟がまだ確立されていない。


 前者、法の支配とは、すなわち、専断的な国家権力の支配を排し、権力を法で拘束するという考え方。


 後者、権力分立とは、権力の集中を防ぎ権利の乱用を防ぐシステムで、三権分立が典型例として挙げられる。


 法の支配が確立されていないこの国では、多くの罪が明文化されていない慣習法によって裁かれる。


 そしてその法は王侯貴族といった権力者の恣意的な運用を許し、しばしば権力者の横暴を招く。法が権力者の行動を支配できていないのである。


 また、権力分立が確立していないこの国では、司法権を行政―――多くの場合は国王や貴族が持ち、恣意的な処罰がまかり通ることも多い。


 王侯貴族の裁量次第で量刑は如何様にも変動する。ばかりか、無実の者が罪人として処罰されることも珍しい話ではない。


 これは何もこの国に限った話では無く、この世界全体に言えること。教会が絶大な権力を握る西方では、聖職者もまた権力者として市民を裁く。


 そこに平等の概念は残念ながら無い。


 そのような世界において、日本人が差別的な取り扱いを受けたり、恣意的な刑罰を受けることを甘受することはできない。


 もっとも地球では、如何なる国の裁判権であっても制限することはしなかった。


 内政不干渉の原則に基づけば、司法権という独立国家の主権を制限する条約を締結することは、国際的な孤立と批判を招くこと間違いない。


 しかしここは良くも悪くも異世界だ。


 国際社会の目は無いし、仮にあったとしてもやむを得ない人道上の措置、ないしは双方の合意によるものと説明すれば足りる。日本政府としてはそう考えている。そしてこれらの要求は、法務省たっての希望でもあった。


「……話は分かりました。この件は十分に相談させていただきます」


 モリアンの返答に、黒沢は満足そうに頷いた。


 続いて王国側の要求項目に移る。モリアンは手元の羊皮紙に視線を落とした。


「我が国としては以下の事項を二ホン側に要求します」


 そこには様々な要求が並ぶが、中でも強調されているのは〝国権の尊重〟と〝相互不可侵の確約〟であろう。


 まず一つ目、〝国権の尊重〟について、モリアンは詳細な説明を始めた。


 曰く、ウォーティア王国が独立した国家であることを前提にその統治権や外交権を尊重し、さらに王侯貴族の丁重な取り扱いを求める、とのこと。


 独立した国家云々は日本側が覇権主義国ではないかとの疑念によるもので、属国同然の関係は御免ですよ。という牽制の意味を持つ。


「国権の尊重は当然です。国家とはそもそも対等な関係なのですから」


 主権国家の主権は相互に平等である。という主権平等の原則は、現代の国際社会においては常識的なことだ。


 しかし前近代的なこの世界においては、国家間の対外主権もまた国家の力関係に比例する。故に、王国側はわざわざ両者が対等だということを強調したのだ。


 主権平等の原則を確認しておけば、前述の裁判権問題に関するモリアンの懸案も少しは晴れるだろう。


 前述の条約締結が日本とウォーティア、共に〝平等な主権国家〟の合意に基づくものであれば、運用後に条約の改廃も可能ということになる。条約の改廃は主権国家の自由裁量に委ねられるのだから。


 モリアンは一先ず、安堵の息を吐いた。黒沢は「しかし」とすかさず牽制する。


「王侯貴族の丁重な取り扱いは不明確すぎます」


 貴族はその国外においても免税や量刑の軽減など一定の特権が認められるというのが、この世界の常識である。


 勿論、その貴族の祖国の影響力やその者の権力の大きさ、富など。いくつかの尺度が存在し、場合によってはそれらの特権が受けられないこともある。


 だが、その判断如何によっては国家間の紛争に発展することもあるのだ。


 黒沢の指摘を受け、モリアンは頭を掻いた。日本には貴族という存在がいないことを思い出し、どう説明すべきかと頭を捻る。


「例えば免税や量刑の軽減のようなものをですね」
「……免税に量刑の軽減ですか」


 黒沢は食い気味にモリアンの言葉を遮る。法治国家日本としては身分による差別は受け入れられないと、黒沢は告げた。黒沢の断固たる拒絶に、モリアンは言葉を濁す。


「勿論、二ホン国の見解も尊重します。この件は王前会議でもう一度精査いたします……」


 続いて、二つ目の〝相互不可侵の確約〟に話は進む。これに関して言えば、日本側も異論はなかった。黒沢は、柔和な笑みを浮かべ、モリアンに頷く。


「我が国としても貴国との相互不可侵は前提条件と考えております」
「それは良かった」


 黒沢の断言に、モリアンは胸を撫で下ろす。


 くどい様だが、王国内には日本を覇権主義国と疑う声もある。相互不可侵の確約は、日本がそうではないことを示す指標となるだろう。


 こうして両国の交渉一日目は終了した。 

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