契約の森 精霊の瞳を持つ者
44.
シルフの風は、もう準備を終えたようだ。タカオにはそう思えた。黒い風は上空で渦巻いている。見える景色はタカオの視界ではなく、上に広がる川に立って見ているような鮮明な景色だった。
ーーウェンディーネが見ている景色なんだ。
それはひとつではなく、多くの景色が見えていた。けれど鮮明に見えるのは、ウェンディーネが見ようと思っているものだけだった。
あとはまるで、いつかの記憶のようにはっきりとは見えない。水路を流れる水、それがどこから流れてくるのかや、森を流れる小川、どこかの街の様子。あっと言う間に目の前の景色は上空へと移る。
空には、星も月さえも見えない。黒煙のようなもやが渦を巻き、それがこちらに向かっていた。恐ろしい竜巻が今、地上に降り立とうとしている。
シルフが起こした最初の風は、廃墟の壁の多くを壊してしまっていた。ウェンディーネが見ていたいくつかの残像の中には、風によって折られた木々も見えた。
木々は枝どころかその幹を折られ、空がたやすく見えるほど、森はすかすかになっていた。今度の風を防げなければ、森がどうなってしまうのか、タカオは想像さえもしたくはなかった。
シルフもウェンディーネも、こんなことを望んでいるわけではない。ウェンディーネの集める水にも、シルフが起こす風にも、その想いが感じられた。このまま2人の力がぶつかり合えば、森が無事でいられるとは思えない。なんらかの被害は覚悟しなければならないだろう。
1番心配なのは、ライル達のいる村だ。廃墟にいる子供達はウェンディーネに守られる。だが、あの村はどうだろうか。タカオの心配とは別に、風は唸りをあげて、落ちるように向かうことをやめなかった。
ライルやレノやトッシュ。それにユミルや、不安そうな顔の村の者達。ジェフやイズナの顔を一気に思い出していた。
ウェンディーネはもう水を集めはしなかった。水は分厚い壁となり、シルフの風を待ち構えている。
ーーやっぱり、駄目だ。
シルフが望みもしない、狂気の風が森へ向けられている。ウェンディーネがどんなに防ごうとしても、良い結果にはならない。
タカオはウェンディーネに操られている間、水の感触や、いないはずの場所の物音や、そこを流れる道筋を知ることができた。
ここしばらく、遠くの音がやけに聞こえていたのは、ウェンディーネの力だったのだ。水の流れる道筋の音を拾っていただけにすぎない。けれど、今なら、彼女の次の行動を知ることができた。指先ひとつ、瞬きのタイミング、彼女の息づかいさえも、同調し始めていた。
そして、ウェンディーネよりも早く、タカオが行動に移す。一瞬の差で、ウェンディーネの少し先を望む。タカオには、あくまでもイメージでしかなかった。けれど次の瞬間、上に広がっていた分厚い川が揺らいだ。
ーーやめろ。
そう言ったのはウェンディーネだった。
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