契約の森 精霊の瞳を持つ者

thruu

40.

 ウェンディーネは、もう届きはしないと分かっていながらもシルフの名前を叫んでいた。


 タカオは相変わらず何もできず、何も分からずに、立ち尽くしていた。


「早く逃げるぞ!」


 グリフの怒鳴るような声と同時に、力強く腕を掴まれた。振り返ればグリフが険しい顔でシルフを見ながら、タカオの腕を掴んでいる。そして、なんとか動けるようになったコダが遅れてやってきた。オーガに吹き飛ばされ、次にはシルフに吹き飛ばされて、コダは傷だらけだ。


「逃げるって、なんで」


 タカオは今の状況について行けず、まだ残る上空の黒い風をぼんやりと見上げていた。頭がまるで動かなくなったように、何も考えられなかった。グリフはタカオの腕をさらに力強く掴むと、子供達のいる地下の入り口へと引っ張る。


「サラを忘れたのか?大地の契約が切れるとどうなるのか、お前だって目の前で見ただろう」


 その言葉で、タカオは一瞬で今のこの場に引き戻されたようにはっとした。脳裏には、サラが暴走したあの瞬間が一気に蘇っていた。


 シルフがこれからどうなるのか、タカオはやっと理解したのだ。シルフもまた、あの時の黒い炎に焼かれたサラのように何かを傷つけ、自分で自分を傷付けるだろう。


「大地の契約をしないと……」


 タカオは空を見上げて、逃げるどころか、近づいて行こうとすらしていた。大地の契約が何かは分からない。けれどそれはきっと、彼女を正気に戻すだろう。


 けれど、コダが止めた。


「やめろ。精霊の意思がない以上、無理だ。さっきまでのシルフとはもう違うんだ。あんなのは、俺達だって見たことがない。これ以上、シルフの苦しむ姿を見せないでくれ。頼む」


 コダは眉間に皺をよせて、黒い風をみようともしなかった。タカオはコダの表情をみて、ようやく逃げる決心をした。


「……地下に、避難しよう」


 タカオが逃げる決心をしたのは、コダの言うようにシルフに契約をする意思がないせいだった。


 タカオにはどうすれば契約を結べるのかすら分からない。シルフが望まなければ、結局のところ何もできないのだ。ここにいたところで、全員を危険にさらすだろう。なによりコダの辛そうな表情を見ていられなかった。


 思えば、コダと一緒にいるアルは風のちからを使っている。コダも、シルフとは強い繋がりがあるのだろう。だから余計に、タカオはなんとかしたかった。ウェンディーネにしてもそうだ。彼女はシルフを頼っていた。けれどそれは叶わず、これが最後かもしれないのに、何もできないことに歯がゆさを感じていた。


ーー本当にこれでいいのか?風の精霊を失えば、たぶん、この森のバランスは……。いいや、そんなことより、ウェンディーネやコダが悲しむことになる。


 タカオはこの森と精霊について考えながら、最後には彼らが悲しむことのほうが辛かった。


 タカオが逃げる決心をした時、上空の風は渦を巻き始めていた。夜空よりも、もっと暗い闇が風となって上空で唸りをあげていた。


「もう遅い」


 ウェンディーネがそう呟き、あたりの空気は一瞬で変わる。ウェンディーネは地下に落ちた水を引き上げようとしたものの、ちからはもう入らず、大量の水が落ちる音が響いただけだった。


「来るぞ!伏せろ!」


 グリフが叫び、全員が床に伏せる。ふと、タカオが気がつくと、ウェンディーネはタカオをかばうように守っていた。もう力もなく、姿を保っていることも難しいにも関わらず。


ーーすでに、あなたのちからを奪ってる。


 タカオには、シルフの言葉が蘇っていた。

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