契約の森 精霊の瞳を持つ者

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33.

 タカオは最後の一撃の場所にすでに立っていた。この怒りは利用できるだろう。タカオは化物が嫌がるだろう言葉を知っていた。


「俺からみたら、あんた達は同じだ。なんの違いもない」


 タカオの言葉は建物の中ではっきりと響いた。化物は唸り声をあげている。怒りでストッパーが外れたように呼吸が荒く、口からはよだれが垂れ下がり歯をむき出している。


「だまれ!俺たちは、誇り高き戦士だ!!!!」


 化物の攻撃は素早く、これまでで1番、凄まじい威力だった。タカオが決めた最後の場所を攻撃する。怒りのせいで全力を込めたのだろう。自分が傷つくことも忘れて。


 化け物の腕は、もう使いものにならない。床の下を通してある鋼が何本も変形し、化物の腕を傷つけていた。皮膚は裂け、自分の血をかぶって、真っ赤に染まっている。床から離した腕は、もう力が入らずだらりと肩からぶら下がっているだけだった。


 避けることは、分かっていたはずだ。化物は本当に自分に対して怒りをぶつけたのだろうか。タカオはそう疑問に思いながら、足元を見つめる。床は傷つき、もうぼろぼろだ。それでも抜け落ちる気配はなかった。


「床が抜けなくて、がっかりしたんじゃないのか」


 冷静さを取り戻した化物はそう言うと、赤い瞳でタカオを見る。タカオはとっさに顔を上げて化物を見ると、思わず言葉がこぼれた。


「分かってて……」


「遊びに付き合っただけさ。だがもう、それには時を使いすぎたな。奴隷の受け渡しが迫っている」


 化物は息を吐き出し、もう片方の手で、後ろの腰にさしていたらしい大きな剣を取り出した。血で錆び付いた大きな剣だった。あんなものを一振りされただけで、全ては終わるだろう。


 タカオはグリフのように素早く飛べない。ウェンディーネのことが頭に一瞬過ぎったけれど、彼女は今、この戦いに力を貸せるほどの力は残っていない。そんなことは分かっているのに、それでも頼ろうと一瞬でも思ったことを、タカオは心底恥じていた。タカオには、もう化物を倒す策はなかった。


 タカオは足元でかすかに光る何かに気がつくつと、それがライルからもらった銀の剣だと気が付いた。ここへ走り込んだ時に、手が滑って小さなレッドキャップに向かって飛んでいってしまったものだ。


 あの化物の剣に比べたら、ずいぶんと小さい。まるで小人が針で戦うようなものだ。それでも足元の剣を手にとる。剣が床を撫でる音が微かに響いた。


 目の前の化物は、タカオにとって、もう少しも恐ろしい存在ではなくなっていた。自分の血を頭からかぶった化物は、血に染まった帽子はなくても、今はどう見たってレッドキャップにしか見えない。


化物は静かに笑った。


「無謀だと、何度も言わすな」


 それはどこか、疲れ切っているように聞こえた。
 タカオが逃げないと分かると、化物は横ではなく、叩き潰そうとするように垂直に剣を振り下ろそうと決めたようだ。


 タカオは反射的に剣を横にして、頭の前で化物の剣を受けようとする。あの剣を止められるとは思わない。けれど、そうするより他に選択肢はなかった。化物の体が仰け反り、戻って来るときには恐ろしいスピードだろう。避けたところで、化物はそれを横に振るだけだ。


 剣に添えたタカオの左手に力が入る。ふと、その左手に血がついていた。逃げ回っている間に切れたことにも気がつかずにいた。その血が、銀の剣についたのが目の端に映る。


 銀の剣は磨き上げられたように、指紋ひとつもない。けれど、タカオのたった少しの血がつくと、その場所から一気に錆び始めた。剣の向こうで、化物と目が合う。赤い瞳には何故か恐怖が見える。まるで、化物の周りにいた小さなレッドキャップ達のように。


 化物が剣を振り下ろすよりも早く、タカオの剣は全体が赤茶の錆びで覆われてしまった。そうかと思うと、その錆びの奥から白い光が発光しはじめ、タカオは持っていることさえできずに手を離す。


 化物は仰け反った体を戻して、タカオに剣を振り下ろしている。タカオの耳には、化物が目の前のもの全てを潰そうとしている音が聞こえていた。その中で、目を開けていられないほどの強い光が目の前を覆っていた。


 鮮明に聞こえるのは、化物の剣の音よりも、もっと遥か遠い、上空の風の音だった。

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