契約の森 精霊の瞳を持つ者

thruu

1. サーカス墓場

 グリフは音もなく森の中を走り抜けた。行き来することのなくなった道は、どこもかしこも草花が生い茂っている。虫が羽音をたてて近づく音も、通り過ぎて小さくなっていく音も、夜の森ではすべてが澄んで聞こえる。


 月明かりは道しるべのように木々の葉を銀色に光らせて、森の中に目を向ければ闇が満ちている。冷えきった鋭い気配を裂きながら、グリフはタカオに追いつこうと全力で走っていた。


「風向きの変わる時が来る」


 グリフはそう呟いて、より姿勢を低くした。そうすることで、グリフはより速く走ることができる。けれど、背後から聞こえてくる力強い足音に気がつくと、グリフは速度を速めるのをやめた。


 コダはグリフに追いつこうと馬を走らせ、ようやく追いついたところだった。グリフはちらりとコダを見ると、同じ速度で並んで走る。お互い、正面を見たまま無言で走り抜ける。


 少しの沈黙の間、森は相変わらず静かで荒々しい。コダは息を吐き出して、低い落ち着いた声で話しかけた。


「お前が、あいつを王子かもしれないと思うのも、分かる。だが、別人だ。似てるってだけで、王子の代わりにはするな」


 その言葉には、あきらかに怒りの感情が混ざっていた。グリフもそれに気がついてはいたものの、正面を見つめたまま走り続けた。


 コダの言ったことを聞いていなかったように、グリフは不意に訪ねた。


「覚えてるか?」


「……何をだ」


 グリフの態度に苛ついて、コダが乱暴に聞き返し、顔を向ける。けれどグリフの視線は変わらずにまっすぐ道の向こうを見ていた。


 仕方がなく、コダも正面を見つめる。目の前からやってくる風が木の葉を舞い上げて、数枚の葉がグリフとコダに向かう。


 グリフはそれをするりとよける。コダは木の葉をよけることもせず、コートに引っかかっても気にもしなかった。


「あの崖で、王子が言ったことだ」


 グリフの言葉の後、森はいっせいにざわついた。森の奥から、葉のざわめきは大きくなる。


「風向きが変わる」


 そう言ったのはコダだった。その言葉は呪文のように響き、そしてそれは風を呼ぶ。風は森の中を獣のように荒ぶりながらやってくると、彼らのいる道に突っ込んで来た。


 大きな音と衝撃に2人の体は揺らいだ。すぐに体勢を整えると、どういうわけか、その風は急に方向を変えて、コダとグリフを導くように道の先へと向かう。


 木々の葉が乾いた音をたてて、後ろから、前へと吹き飛ばされる。グリフとコダの背中を押すように、その風は力強く吹いていた。


「風向きが変わる。あの風に乗りたいなら」


 グリフの呟く声は風の音でかき消されてしまう。それでも2人の耳には聞こえていた。100年前に聞いたあの声を。


ーーその目を開けろ!


 まるで、耳元で怒鳴られたように。


ーー風がどこに向かうのかを見るんだ。それが、お前達の向かう場所だよ。


 コダに引っかかっていた乾いた木の葉は、気がつけば、あの風に乗って飛ばされていた。風の、向かう先へ。

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