契約の森 精霊の瞳を持つ者
52.
ほんの短い時間、全ての時が止まったように静まり返った。誰も、こんなことをすんなりと受け入れられるはずがなかった。それでも、時間は止まるわけもなく。動きだす。
残っていたレッドキャップ達は一気に走りだし、村の正面の門へと移動して森へと向かう。村のいたる所から、子供達を担ぎ、連れ去っていく。泣き叫ぶ声、子供の名前を叫ぶ声、悲鳴、足音が重なるように響いた。
こんなことは、今に始まったわけではない。つい10日前にも同じことが起こっていた。もう誰の心にも暗い影が差していた。誰もが、立ち向かう気力さえ失い、もう一歩だって動けない。
ライルはレノの名を呼びながら近づく。タカオ達もレノのそばへ行く。ライルは仰向けに倒れているレノを抱くように体を起こす。
レノは目を見開き、空を見上げて手を前に出して、何かを掴もうとした。
「レノ、レノ……君まで行かないでくれ」
ライルはそう言いながらレノが前に出した手を握りしめる。レノはもう声にならない声で微かに言った。
「ライル……あの子達の声、聞こえるわ」
最後の言葉はどこか、希望に満ちた響きでライルに届いた。けれど、その言葉がライルに響くのと同時に、レノの瞳は閉じられた。
タカオは静かにライルのそばへ行く。そして何も言わずに血が吹き出すレノの傷に手を当てた。
「ウェンディーネ」
そう一言だけ呟くと、タカオの手は微かな光を放っていた。タカオは、ウェンディーネが自分の左目で繋がっていることを、なんとなく分かっていた。
それは以前にエントから聞いた話のせいではなく、もっと体感的なものだった。タカオの腕は自分の意思ではなく、ウェンディーネの意思によって動いていた。けれどそれは弱々しい。放つその光は儚げで、まるで小さな炎のように揺れた。
ウェンディーネは疲れきっている。もう力も思うようには使えない。それでも、レノの傷の血は止まっていた。呼吸も穏やかな呼吸に変わっていく。
「なんてお礼を言っていいか……」
ライルはそう言うとタカオ見て、言葉を失った。タカオの左目は相変わらずの黄金だった。それは美しく、光を放つ。悲しそうにうつむく、その顔がライルにはどうしても見覚えのある顔に見えていた。
「ウェンディーネは今、ちからがない。ここまでしかできない」
そう言うと、タカオの手からは光が消えた。光の消えたその手は、拳をつくっていた。
ーーどうして、レノがこんな目に合わなきゃならない。
ーーどうしてシアが、子供達がさらわれるんだ。
タカオは血だらけのレノを見つめていた。後ろからイズナが来ると、レノから離れようとしないライルを説得する。
「レノの傷は塞がっているけど……まだ安全じゃない。どこかに移動しないと」
イズナはゆっくりとした口調でライルにそう言う。ライルはどこか上の空でそれを聞き、ようやく辺りを見る。
「ああ、イズナ……グリフも……」
ライルはそう言いながら、レノを離そうとはしない。もう誰の言葉も届かないように呆然としている。グリフは静かにライルの肩を掴み、膝をついて瞳を覗き込むように見つめる。
「今は、イズナに任せよう」
ライルもグリフの瞳を覗き込む。しばらくグリフを見つめた後、ライルはようやく頷いた。噛みしめるように。
タカオはそれを、グリフの後ろで見守っていた。何度か見た、あの鋭い目をしたライルはもうどこにもいなかった。タカオは静かにその場を離れると、そっと家の中へ入る。
最初に目にしたのは、玄関に置いた荷物だった。先ほどライルがタカオにくれたコートやブーツだ。あのライルとのやりとりは、ついさっきの出来事のはずなのに、もう遠い過去のような気がしてならない。
レッドキャップが通り道にしたせいで、廊下も、その先の部屋もめちゃくちゃだった。廊下に散らばる泥と血。ガラスが割れ、壁にはレッドキャップの爪でつくられたのであろう、大きな溝の線が無惨にも何本も走っていた。
廊下を通り抜けようとすると、どうしても、目に入ってしまう。あの壁一面に飾られた、沢山の写真。ほとんどが床に落ちて、ガラスが割られ泥だらけだった。けれど、レッドキャップが壁に残した爪痕の隙間に、ひとつだけ写真が残っていた。
たったひとつの、無傷の写真。それは、ライルとレノ、シアとシアンがこちらに笑かけている家族写真だった。タカオはその写真にそっと触れる。片方の手は今だに強く握りしめていた。
それから廊下を通り、2階へ上がり、あの屋根裏に向かう。もう真っ暗で何も見えないけれど、タカオはそのまま屋根裏を進んだ。暗闇の中で宝箱みたいなあの箱が、銀色の月明かりを受けて、静かに待ちうけていた。
暗闇でも、不安はなかった。積み重なった荷物の隙間を、タカオは進み、宝箱の前で膝をついた。軋むような音を立てて、宝箱を開ける。そして迷うことなく、それを取り出した。ライルがタカオに渡そうとしていたもののひとつ。
今では月の光を受けてより一層輝く、銀の剣を。
残っていたレッドキャップ達は一気に走りだし、村の正面の門へと移動して森へと向かう。村のいたる所から、子供達を担ぎ、連れ去っていく。泣き叫ぶ声、子供の名前を叫ぶ声、悲鳴、足音が重なるように響いた。
こんなことは、今に始まったわけではない。つい10日前にも同じことが起こっていた。もう誰の心にも暗い影が差していた。誰もが、立ち向かう気力さえ失い、もう一歩だって動けない。
ライルはレノの名を呼びながら近づく。タカオ達もレノのそばへ行く。ライルは仰向けに倒れているレノを抱くように体を起こす。
レノは目を見開き、空を見上げて手を前に出して、何かを掴もうとした。
「レノ、レノ……君まで行かないでくれ」
ライルはそう言いながらレノが前に出した手を握りしめる。レノはもう声にならない声で微かに言った。
「ライル……あの子達の声、聞こえるわ」
最後の言葉はどこか、希望に満ちた響きでライルに届いた。けれど、その言葉がライルに響くのと同時に、レノの瞳は閉じられた。
タカオは静かにライルのそばへ行く。そして何も言わずに血が吹き出すレノの傷に手を当てた。
「ウェンディーネ」
そう一言だけ呟くと、タカオの手は微かな光を放っていた。タカオは、ウェンディーネが自分の左目で繋がっていることを、なんとなく分かっていた。
それは以前にエントから聞いた話のせいではなく、もっと体感的なものだった。タカオの腕は自分の意思ではなく、ウェンディーネの意思によって動いていた。けれどそれは弱々しい。放つその光は儚げで、まるで小さな炎のように揺れた。
ウェンディーネは疲れきっている。もう力も思うようには使えない。それでも、レノの傷の血は止まっていた。呼吸も穏やかな呼吸に変わっていく。
「なんてお礼を言っていいか……」
ライルはそう言うとタカオ見て、言葉を失った。タカオの左目は相変わらずの黄金だった。それは美しく、光を放つ。悲しそうにうつむく、その顔がライルにはどうしても見覚えのある顔に見えていた。
「ウェンディーネは今、ちからがない。ここまでしかできない」
そう言うと、タカオの手からは光が消えた。光の消えたその手は、拳をつくっていた。
ーーどうして、レノがこんな目に合わなきゃならない。
ーーどうしてシアが、子供達がさらわれるんだ。
タカオは血だらけのレノを見つめていた。後ろからイズナが来ると、レノから離れようとしないライルを説得する。
「レノの傷は塞がっているけど……まだ安全じゃない。どこかに移動しないと」
イズナはゆっくりとした口調でライルにそう言う。ライルはどこか上の空でそれを聞き、ようやく辺りを見る。
「ああ、イズナ……グリフも……」
ライルはそう言いながら、レノを離そうとはしない。もう誰の言葉も届かないように呆然としている。グリフは静かにライルの肩を掴み、膝をついて瞳を覗き込むように見つめる。
「今は、イズナに任せよう」
ライルもグリフの瞳を覗き込む。しばらくグリフを見つめた後、ライルはようやく頷いた。噛みしめるように。
タカオはそれを、グリフの後ろで見守っていた。何度か見た、あの鋭い目をしたライルはもうどこにもいなかった。タカオは静かにその場を離れると、そっと家の中へ入る。
最初に目にしたのは、玄関に置いた荷物だった。先ほどライルがタカオにくれたコートやブーツだ。あのライルとのやりとりは、ついさっきの出来事のはずなのに、もう遠い過去のような気がしてならない。
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