契約の森 精霊の瞳を持つ者

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7.

 旅館に着くと、松嶋はそのまま工場へ向かった。表面には出さないが、上機嫌であることには違いなかった。タカオは1人、まるで一軒家を改造したようなこじんまりとした旅館に向かう。


 顔なじみの旅館の女将さんに挨拶をし、いつもと同じ部屋に向かう。女将さんといっても、近所のおばさんのような親しみやすい雰囲気の人で、時折、世間話をしたりもする。


 外は暑いでしょ、とか。朝は寒いのよ、とか。そんな、取り留めのない事ばかりだ。部屋に着くと、鍵は開いていた。毎回の事だが、同室の松嶋が鍵をかけて行かないのだ。


「不用心だな……」


 そう毎回呟くのも、最近はバカバカしいと思い始めていた。旅館にはいつだって自分達しか泊まっていない。旅館も家族で経営しているものだし、旅館と言うよりも知り合いのおばさんの家にお邪魔しているような気分なのだ。


 すれ違うのは、知り合いしかいないのだから。鍵なんて必要ないよと言う松嶋の気持ちが、タカオもなんとなく分かってきた。自分の住む町にもどれば、こんな感覚には絶対になれないのだけれど。


 部屋に入れば10畳ほどの畳に、艶のある木の机がある。部屋の隅には松嶋の荷物と、100円を入れると動くテレビがあるだけ。障子で仕切られた奥は木の床になり、窓とソファー、テーブルそれに小さな洗面台がある。


 部屋によっては冷蔵庫もあるという噂を聞くが、タカオは今だにその部屋を知らなかった。部屋の中は、冷房が変な音を立てて動いていた。今にも壊れそうな音におののき、涼しいというよりも寒いくらいの部屋でタカオは畳の上に横になった。


 このまま眠ったら、あの森に戻れるのだろうか。タカオの心に淡い期待が浮かんだ。すぐに馬鹿らしいと気が付くと、先ほどの期待を取り消した。


ーー夢だったんだ。全部。


 言い聞かせる度に、タカオの中には鮮明に蘇ってくる記憶が怖かった。


 ウェンディーネの美しい姿や声、水の匂い。グリフにジェフやイズナ。サラやエントに、アレルさんだって、あのガラさえも。


ーーもし夢じゃないとしたら、あの森は死後の世界?いや、でも夢なんだろ?


 答えが出ない自問自答をタカオは繰り返した。


ーー稲荷神も、あの森に行ったのかな……。


 考えれば考えるほど、疑問は増えた。


 ノームを救え。シルフに会え。村を襲う精霊。闇の者。卵になったサラ。大地の契約。森の中の家。


 ジェフの母親は何故、あんな言い方をしたのだろうと、タカオはいまだに気がかりだった。


「あれじゃあ、まるで……」


 そう言いかけてタカオは止めた。今更どうにも出来ないのだ。そうやって考えないようにしようと思うほど、頭のどこかでは記憶が無意識に出てきては駆け巡る。


――ジェフが言っていたアレルさんが闇の者って話。闇の者はそんなに簡単に紛れる事ができるのかな。


――グリフはどうして、命がけで守ろうとしたんだろう。


――ウェンディーネ。どうして街を襲ったんだ。原因があるはずなのに。罪とは何だ。


――大地の契約って一体……。サラはどうしているだろう。


 考えても考えても、何一つ分かる事はなかった。


「何も、知らないんだな……」


改めて痛感すると、胸がざわめく。


ーー気持ちが悪い。何も出来ない、今のこの状況が。

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