契約の森 精霊の瞳を持つ者

thruu

26.

 視界のない霧のどこかで、ウェンディーネの声だけがはっきりと聞こえた。


「罪がないとでも思っているのか?私が手にかけた者も、お前にさえも……罪がない、だと?」


 ウェンディーネは怒りを押し殺しながら、それでも抑え切れない様子だった。


「何があったんだ!どんな理由があっても命を奪うなんて、あってはならないだろう!」


 タカオはウェンディーネの強い怒りに戸惑いながらも、自分自身の信じる信念を言葉にした。さらに湖の中に足を一歩踏み入れた。


 その時だった。タカオは正面から突き飛ばされ、後ろへ倒れた。何があったのか分からないまま、首の辺りに冷たい感触に気が付いた。


 目の前にはウェンディーネの顔が、冷たい息がかかるほど近くにあった。冷たい感触はウェンディーネが持っている水の剣だったのだ。その形はまるで刀のように長く、そして鋭い。


「勘違いをするな!生かしておくのは、まだ殺す時ではないだけだ。役割を終えればお前など……いや、もういい!今すぐにでも!」


 ウェンディーネがそう言うと、タカオの首に当てていた剣が肌に食い込んだ。我を失ったウェンディーネがタカオを殺そうとした時、辺りの木が風もないのに揺れ始めた。


 まるで濃い霧を払おうとするように、木は枝を揺らし、葉を揺らした。あまりにも沢山の木が揺れるので、その音でウェンディーネの声も聞こえなくなるほどだった。


 その異常さにウェンディーネは我に返り、揺れる木々を睨みつけるように見回した。木がざわめく音は湖の全てを包んでいた。気が付けばウェンディーネはタカオを掴む力を弱めていた。


 木のおかげなのか、ウェンディーネによるものなのか、霧も徐々に薄くなっていく。ウェンディーネはタカオから一歩離れると、衿を掴んでいた手を放した。


 彼女の表情は眉間に皺がより、辛そうに歪んでいる。その顔には後悔が滲み出ていた。


「私は……化け物だ」


 ウェンディーネはその言葉を証明するように手に持った水の剣を様々な形に変化させていた。斧やナタ、大きな剣や鋭い槍を。


「怒りに襲われると、全てを攻撃しないと気が済まなくなる。その時は、自分が何をしているかも、分からない」


 今にも涙がこぼれそうな瞳を伏せながら、水の剣を一瞬で水に変えた。草の上にはバケツをひっくり返したように音を立てて水が落ちた。


「さっき言っていた、罪って……」


 タカオはためらいながらも聞いた。聞いた事で怒りが爆発したらどうしようかと思ったが、聞く時は今しかなかった。


「……お前には到底、分かるはずがない」


 ウェンディーネはタカオに目を合わせないまま、冷たく言い放つ。顔色を伺いながら、タカオは静かに言う。


「もしかして、精霊殺し……か?」


 ウェンディーネは静かに黄金の瞳をタカオに向けた。真っ直ぐに、心を覗き込もうとしているように。タカオはそれで確信した。ウェンディーネは精霊殺しの対象になり、殺されてしまった精霊なのだと。


「どうしてそんなことが……」


 恨むのも、"罪"の言葉にも理解はできた。けれどウェンディーネがその仕返しに沢山の人の命を奪った事実は正しいことであるはずがない。


「罪っていうのは精霊殺しの事なんだな?でも、じゃあ……」


 考えをまとめながら、タカオは困惑の表情を見せた。タカオにも、罪があるとウェンディーネは言っていた。


ーー同じ"罪"なのか?


 そんな事があるわけがないと思いつつ、タカオの心には得体の知れない不安が広がった。





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