偽悪皇帝アルヴィクトラ・ヴェーネ

月島しいる

16話 戦線拡大

 森の中を閃光が走る。
 アルヴィクトラは荒い息を吐きながら、木々の間を駆けるリヴェラ・ハイリングとエイリア・ドゥームを見つめた。
 弓矢と熱線。
 それぞれに与えられる魔力特性は"直進"と"貫通"。
 攻撃手段は共に遠距離で、魔力特性も類似している。
 ただし、矢の数を気にする必要がなく、遮蔽物を貫通するリヴェラの方が遥かに有利だ、と判断する。
 エイリア・ドゥームもそれを理解しているのだろう。彼はすぐに距離を取るように木々の中へ身を潜めた。それを炙り出すように、リヴェラが熱線を手当たり次第に連射する。
 不意打ちからの狙撃を狙っているのだろうか、とアルヴィクトラは背中から貫通した矢を片手で押さえながら、周囲を警戒した。その時、奥の茂みが赤く光った。炎の光だった。
 叫ぶより早く、茂みの中から轟々と燃える矢が頭上に向かって放たれた。それは魔力特性"直進"の影響により、重力に逆らうように真っ直ぐと空高く打ち上げられる。
 空に消えていく火矢を確認したリヴェラが素早くアルヴィクトラの元へ駆け寄る。それを妨害するように茂みから矢が放たれ、すぐ近くの樹木に突き刺さった。リヴェラは一度だけ熱線を撃ち返すと、アルヴィクトラの身体を抱え込んだ。
「今の火矢に気づいた周囲の騎傑団が一斉に動くはずです。すぐにここを離れなければなりません」
 アルヴィクトラは頷くと、リヴェラに抱えられながらよろよろと立ち上がった。
「アル様。少し痛みますが我慢を」
 何を、と聞く前にリヴェラがアルヴィクトラの身体に刺さった矢を引き抜く。激痛が走る中、すぐにリヴェラの術式が傷口へ向けられ止血が始まる。
 アルヴィクトラは声にならない叫び声を上げながら、後方を見やった。二発目の火矢が空高く放たれるのが見えた。
「走ります」
 リヴェラが駆け出す。アルヴィクトラはそれに引っ張られるように、腹部を抑えながら後を追った。自然と腹部を庇う形となり、上手く走れない。追いつかれるのは時間の問題だった。
 アルヴィクトラは腰を落として右手を地面に向けると、時間をかけて術式を組み上げた。魔力特性"凍結"によって地表が凍りつき、周囲の空気との温度差によって足元に薄い霧が発生する。
「凍結領域を広げます。リヴェラ、滑らないように注意してください」
 アルヴィクトラは宣言と同時に、更に術式を拡大させた。供給する魔力が増大し、アルヴィクトラを中心に冷気が地表を覆っていく。草木が露に濡れ、次第に凍り付いていく。アルヴィクトラの駆けた後が氷で覆われ、温度差によって足元から霧が立ち上り、視界を塞いでいった。
 凍結領域の拡大によって、冷気で濡れた足元がしゃりしゃりと音を立てる。アルヴィクトラは背後に形成された霧が十分な濃度に達したのを確認すると、更に術式を拡大し、大気の冷却に移った。薄く広範囲を対象とした術式が、魔力特性"凍結"の効果を薄め、冷却の特性へ変化する。
 より広範囲に、高濃度の霧が展開していくと、アルヴィクトラの前方も視界が覆われ始めた。完全な隠蔽には至らないが、それでも追跡を逃れるには十分な効果を持つほどまでに成長した霧。その維持の為に魔力供給を調整しながら、アルヴィクトラは隣のリヴェラを見上げた。
「このまま走り続けますか? 霧に紛れてどこかに潜伏し、やり過ごしますか?」
「走れるだけ走りましょう。打ち上げられた火矢にどれだけの騎傑団員が気づいたかは不明ですが、あの場所からは出来るだけ距離をとる必要があります」
 アルヴィクトラは頷くと、リヴェラと並んで道なき道を走った。広がる樹木の間を抜け、鬱蒼と茂る草を飛び越え、霧の中をひた走る。
 冷えていく外気に逆らうように、身体が熱を持つ。
 息が乱れ、傷口が悲鳴をあげる。
 術式の維持が困難になり、使い古した魔力が毒素となって身体を回るのがわかった。
「そこをどけ!」
 不意にリヴェラが叫び声をあげる。
 アルヴィクトラが事態を認識するより早く、リヴェラの右手が頭上へ向けられ、熱線が放たれた。
 悲鳴が頭上から響いた。
 反射的に足を止めたアルヴィクトラの前へ、木の上から一人の男が落ちてきた。熱線を受けて左太腿が千切れかけた男の右手には鈍い輝きを放つ短剣が握られている。
「アル様! お下がりください! もう一人います!」
 リヴェラの警告に紛れ、前方の木々の間から燃える何かが放り出された。それが発火石と呼ばれる魔石だと気づいた時、発火石はアルヴィクトラの前方に転がり落ち、激しく燃え上がった。怯んだアルヴィクトラの隙を突くように、左太腿が千切れかけた男が短剣をアルヴィクトラに向かって投げようと振りかぶる。
「アル様……!」
 短剣がアルヴィクトラに向かって投擲されるより早く、リヴェラ・ハイリングが動いた。組み立てられた指先の術式から熱線が放たれ、男の頭部を吹き飛ばす。その間に発火石によって燃え上がった草木が不自然な盛り上がりを見せ、轟々と広がるようにアルヴィクトラへ向かう。アルヴィクトラはそれに気づくと迫る炎から逃げるように前方へ身を投げた。
「魔術です! ネル・ワインの魔力特性"延焼"による攻撃です!」
 リヴェラの悲鳴とともに、燃え盛る炎がすぐ横を通り過ぎ、激しい熱風がアルヴィクトラを襲った。体勢を立て直す暇もなく、炎がうねりを上げて勢いを増し、火の粉を散らす。
 アルヴィクトラは立ち上がると同時に、燃え広がる炎から離れるように駆け出した。炎の壁がアルヴィクトラを追うように草木を呑みこんで瞬く間に巨大化する。アルヴィクトラは足を休めることなく、術者の場所を特定しようと周囲を見渡した。しかし、それらしい姿は視認できない。
 まずい、と思う。
 霧の生成が中断し、周囲を取り巻いていた霧が急激に薄れていく。更に、延焼していく炎は既にアルヴィクトラの背丈を遥かに超えるほど巨大化し、勢いを増している。激しい炎と黒い煙を見た他の騎傑団員が駆けつけてくる可能性が高い。
「……リヴェラ。無差別凍結を展開します。追撃を」
 早期決着の為、アルヴィクトラは巨大な炎から逃げながら、術式を組み上げた右手を地面へ向け、魔力を放った。凍結領域が高速で展開され、アルヴィクトラの前方一面を凍りつかせていく。草が、木々の根元が、薄く凍り付いていく。
「次!」
 アルヴィクトラは背後から迫る炎の壁を巻くように地面を大きく蹴って方向を変えると、新しく術式を組み上げ、別方向へ魔力を放った。凍結領域がアルヴィクトラの死角となる草木の中も撫でて、薄く伸びていく。その凍結領域から逃れるように、一つの影が草木の向こうで飛び出すのが見えた。
「リヴェラ!」
 アルヴィクトラの呼びかけに応じるように、リヴェラの指先から熱線が放たれ、黒い影を掠める。しかし、動きを封じるには至らない。
 アルヴィクトラは更に術式を組み立てると、木々の間を駆け抜ける影に向かって三度目の無差別凍結を繰り出した。アルヴィクトラが手をかざした地面から草が凍りつき、黒い影目指して領域が凄まじい速さで展開していく。
 確かな手ごたえが、あった。黒い影が何かに引っかかるように前方へ転倒する。その隙を逃がすまいと、リヴェラが大きく前へ駆け出し、術式を展開する。その時、リヴェラの肩越しに別の影が見えた。
「リヴェラ! 横です!」
 リヴェラが振り返るより早く、アルヴィクトラの目は弓を構えたエイリア・ドゥームの姿をはっきりと捉えた。
 アルヴィクトラの指先に術式が展開される。同時にエイリア・ドゥームの弦がゆっくりと張られ、リヴェラに向けて固定される。
 早く。
 もっと早く。
 術式の展開に合わせるように、アルヴィクトラの右手が遠くのエイリア・ドゥームへかざされた。術式から放出された魔力は瞬く間にエイリア・ドゥームの弓と矢を凍結させ、射出を困難なものとする。
 一刻遅れて、エイリア・ドゥームの奇襲に気づいたリヴェラの指先がゆっくりと上がる。その間、エイリア・ドゥームは凍りつき使い物にならなくなった弓を見て驚愕に目を見開いた。そして、リヴェラの指先が完全にエイリア・ドゥームを捉え、術式が組み上げられる。
 一連の動作が、妙にゆっくり見えた。
 組み立てられた術式から熱線が放たれ、それは大気を貫いて真っ直ぐとエイリア・ドゥームの弓を砕き、そのまま彼の首を撃ち抜いた。頭と胴体が千切れ、壊れた弓を持つ手が大きく痙攣するところまでもがはっきりと見えた。
 エイリア・ドゥームの身体が地面へ沈んでいく。
 その時、背後で膨大な熱風が吹き荒れた。反射的に前方へ身を投げ、凍結によって表面が濡れた草の上を転がる。
 振り返ると、燃え盛る炎が天を目指すように激しく踊っていた。木々が、森が燃えていく。
 エイリア・ドゥームに気をとられている隙に、術者を逃したことを知り、アルヴィクトラはよろよろと立ち上がった。
 火が燃え広がり、炎の壁が森を支配していく。
 広がる陽炎。
 その奥。
 炎に釣られるように、森の奥から新たに三つの影が現れるのが見えた。

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