偽悪皇帝アルヴィクトラ・ヴェーネ

月島しいる

12話 幸福

 夜が訪れても、リヴェラの熱が下がることはなかった。
 アルヴィクトラはリヴェラの氷を新しいものに変えながら、襲撃について考えを巡らせた。
 帝国騎傑団による強襲を受けた場合、リヴェラを逃がすことは難しい。同様に再びヴェガの群れに襲われた場合もアルヴィクトラだけで撃退することは不可能に思えた。
 ヴェガの群れを遠ざける為には、火が有効であることが広く知られている。しかし、火を焚けば帝国騎傑団から発見される可能性が高い。
 アルヴィクトラは僅かに迷いながら、地面に右手をつけて魔力を放った。アルヴィクトラの魔力特性"凍結"によってアルヴィクトラを中心に周囲の地面が薄く凍りついていく。それはやがて地面付近の空気へと伝わり、薄い霧が立ち昇り始めた。
 闇夜を白い霧が包み込んでいく。
 アルヴィクトラはその中で息を止めて、じっと耳を澄ませた。霧によって帝国騎傑団から姿を隠すことができるが、臭いで獲物を探す獣たちには通用しない。それどころか霧が発生することによって、ヴェガの接近に気づくことが遅れる危険性もある。それでも、アルヴィクトラは意図的に霧を作り出し、姿を隠すことを選んだ。
 帝国騎傑団は、獣以上に脅威である。
 それがアルヴィクトラの下した判断だった。上位団員との遭遇は何としてでも避けなければならない。
 アルヴィクトラは冷たい地面に右手をつけたまま、無言で魔力を注ぎ込み続ける。その間も、獣たちに包囲されないように耳を澄ませ、じっと息を潜める。
「アル様……」
 すぐ横で眠るリヴェラが擦れた声でアルヴィクトラを呼ぶ。夢を見ているようだった。
 アルヴィクトラは弱りきったリヴェラを見つめながら、食料のことについて考える。まともな食事が必要だ。食料がなければ、リヴェラの回復が遅れてしまう。
 早く日が昇ることを祈りながら、アルヴィクトラは冷たい霧の中でじっと魔力を注ぎ込み続けた。
 光も音もない空間での単純作業というものは、嫌な記憶を掘り起こす。考えても無駄なことが頭をよぎり、思考に埋没していく。
 アルヴィクトラはリヴェラと初めて出会ったことを思い出した。
 中庭で静かに佇んでいた彼女。
 あの時は、全てが自由だった。
 アルヴィクトラとリヴェラは、上を目指すことができた。
 帝国に蔓延していた闇を吹き飛ばすことができるのだと疑わなかった。
 しかし、それは間違いだった。
 アルヴィクトラは深い闇を纏い死を撒き散らす存在となり、リヴェラは虐殺幼帝の懐刀として多くの血を吸うことなった。
 一体どこで選択を間違ったのだろうか。
 あるいは、と思う。
 何も選択は間違っていなかった。
 帝国の膿は取り除かれ、後はアルヴィクトラが討たれることによって新たな救世主は求心力を得て、帝国は一つとなる。
 どこにも間違いはない。
 為政者としては誇るべきだった。
 それでも、これが正解だったという思いは全く湧かない。残されたのは達成感ではなく、空虚な無力感。
 まるで周囲を包む霧のようだと思った。
 何が正解で、何が間違いだったのか全てが曖昧でわからない。
 唯一わかっていることは、リヴェラが絶対的なアルヴィクトラの味方であり、彼女の為に生きなければならない、ということだった。何もかもがわからない中、リヴェラだけがアルヴィクトラの明確な行動指針となった。



 夜が明ける。
 霧の中に朝日が差し込み、世界が白ばむ。
 アルヴィクトラはリヴェラの氷を交換してから行動を開始した。
 歩く度に朝露に濡れた草がしゃりしゃりと音を立てる。この状況で狩りは難しいと判断して、山菜の採集を目的にアルヴィクトラは草木を掻き分けて歩き回った。
 近くの木々に木質化しかけた複数の蔦が巻きついているのを見つけると、アルヴィクトラは無言で氷のナイフを創りだし、まだ柔らかそうな部分だけを慎重に切り取った。それから端を齧り、食べられることを確認する。木質化すると非常に苦いが、生でも食べられる植物だ。周囲に茂る同様の蔦を切り取り、硬い部分だけを捨てていく。
 採集を続けている間、泉に残してきたリヴェラのことが気にかかり何度も引き返しそうになった。その度に、食料が必要であることを自らに言い聞かせるようにして作業的に採集を続けた。
 太陽が真上に上がる前に採集を終えると、アルヴィクトラは大量の蔦を腕に巻きつけて森の中を駆け抜けた。何度も転びそうになりながら、泉を目指して真っ直ぐ走る。
 木々が開き、陽光に煌く水面が視界に入る。
 荒れた様子はなく、泉のそばではリヴェラが寝息を立てて横たわっていた。
 何事もなかったことに安堵すると、アルヴィクトラは採集した蔦を泉に浸して柔らかくなるのを待った。
 その間にリヴェラの氷を新しいものに交換し、手で掬った水を彼女の口に含ませる。
 眠い。
 夜間一睡もせず警戒していたせいか、アルヴィクトラの熱も未だに下がる様子がない。
 体力の限界を感じながら、泉に浸していた蔦を取り出し、石ですり潰して水で練ったものをリヴェラに食べさせた。
 リヴェラは酷く疲れた様子でそれを口にすると、苦くてよく目が覚めます、と微かに笑った。アルヴィクトラはそれを聞くと一緒に笑って残った蔦を口に含み、苦さに顔をしかめた。
 太陽が真上に上がった頃、アルヴィクトラは遂に眠気に耐えられなくなり、リヴェラの横で丸くなった。
「アル様……」
 リヴェラが弱々しい力でアルヴィクトラの小さな身体を包むように抱きしめる。
 目を閉じる寸前、こちらをじっと見つめるリヴェラの紅い瞳が見えた。
 その眦は温かく、優しいものだった。
 胸の中に安堵が広がっていく。
 アルヴィクトラはそのまま泥のように眠った。



 目を覚ませば、すっかりと日が落ちて辺りは暗くなっていた。
 身体がだるい。
 熱が下がらないまま採集に出かけた為、体調が悪化したのかもしれない。
 アルヴィクトラは重い頭を抱えながら、ゆっくりと上体を起こした。見張りをしなければならない。
 ふと、隣に目を向ける。
 そこで、アルヴィクトラは思わず息を止めた。
 寝ているはずのリヴェラは、アルヴィクトラの横で上半身を起こし、頭上の星空を見つめていた。
 その真剣な横顔に彼女の言葉を思い出す。
 ――高位の魔術師たちは、天体の動向から導きを受けます。我々はその運命に流されるだけの、矮小な存在でしかありません。
 リヴェラは今、運命を覗いているのだろうか。
 リヴェラほどの魔術師になれば、どれほど遠くの運命を見通すことができるのだろうか。
 どこか神聖な雰囲気を纏うリヴェラを、アルヴィクトラは邪魔にならないように見つめることしかできなかった。
 長い間、アルヴィクトラは星空を見上げるリヴェラの横顔を眺めていた。不意にリヴェラがアルヴィクトラの視線に気づいたように振り返る。
「リヴェラ、寝ていなくても大丈夫なのですか?」
 ずっと横顔を見ていたことを取り繕うように、自然と口から言葉が飛び出した。
「まだ熱はあるようですが、アル様のおかげで随分と楽になりました。少しくらいなら支障はありません」
「星を見ていたのですか? 天体の動向を?」
 アルヴィクトラの問いに、リヴェラは薄い笑みを浮かべて首を横に振った。
「よく見えませんでした。魔術師として、私は到達点に届いていないということです」
「リヴェラが、ですか? 信じられません」
 リヴェラは笑みを浮かべたまま、諭すように小声で言った。
「アル様。魔術を用いた戦闘能力と魔術師としての位は比例しません。私はもう、高位の魔術師にはなれない」
 アルヴィクトラは黙り込んだ。
 リヴェラの顔に諦めのようなものが混ざっていて、魔術に疎いアルヴィクトラが口を出すべきことではないと思ったからだ。
「アル様は、見張りをするつもりだったのですね。でも、大丈夫です。今夜は私が見ているので、休んでいてください」
 リヴェラはそう言って、再び天を仰ぐ。
 その姿がどこか寂しく見え、アルヴィクトラは首を横に振った。
「起きたばかりで、眠れません」
 そう言って、そっとリヴェラの傍に寄る。
「私もです」
 リヴェラはそう言って小さく笑い、傍に寄ったアルヴィクトラにゆっくりと体重を預けた。彼女の長い髪がアルヴィクトラの頬をくすぐる。
「では、二人で見張りをしましょう。一人で見張るよりも安全です」
「昼はどうしますか?」
 アルヴィクトラが問いかけると、リヴェラは悪戯っぽく笑った。物静かなリヴェラにしては珍しい笑い方だった。
「一緒に寝ましょう。そのほうが悪い夢を見なくて済む」
 アルヴィクトラはクスッと笑い返して、それから夜空を見上げた。星の海がどこまでも広がっている。
 瀕死の状態で最悪の状態で夜を迎えているにも関わらず、不思議と怖いとは思わなかった。
 逆に、胸の中には深い安堵の色が広がっている。
 虐殺幼帝として過ごしていた時には得られなかった平穏が、確かにこの時あった。
 全てが遠くの事のように感じられた。
 身を寄せ合うリヴェラ・ハイリングの温かみと、穏やかな星の海だけが世界がどこまでも広がっている。
 アルヴィクトラ・ヴェーネはこの時、確かに幸福だった。
 それが恐らく、最後の時間だった。

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