偽悪皇帝アルヴィクトラ・ヴェーネ
02話 衰弱
歩く度に吐き気がした。
傷口が熱を持ち、全身を蝕んだ。
朦朧とする意識の中、アルヴィクトラはリヴェラの後に続いて道なき道を進んだ。
「今日はここで休みましょう」
徐々に歩みが遅くなるアルヴィクトラの様子を見て、リヴェラが足を止める。
「私が見張りに立ちます。アル様は休息を」
アルヴィクトラは倒れるようにその場に伏した。全身が熱かった。
熱によって体力が奪われていくのがわかった。
この逃走が長く持たない事を嫌でも理解するしかなかった。
「リヴェラ、私を置いていってください。何らかの感染症にかかっているようです。満足に動けない私を守りながらヴェガの群れを相手どるなど不可能です」
息も絶え絶えに言う。
リヴェラは何も言わず、手持ちのキートの枝を折り、それをアルヴィクトラの口にそっと近づけた。アルヴィクトラはそれを反射的に口に含んだ。
「熱が引くには後三日は必要でしょう。その間、絶えず水分摂取を心がけてください」
アルヴィクトラの言葉など聞かなかったように、リヴェラはキートの枝をまとめてアルヴィクトラのそばにおいて、見張りに立った。
アルヴィクトラは朦朧とする意識の中、リヴェラの横顔を見上げた。その美貌は、逃走の中で泥と汗に汚れていた。しかしその瞳に宿る強い光は薄れる事なく、輝きを放ち続けていた。
彼女の瞳に絶望の色がないことを確認すると同時に安堵感に包まれ、アルヴィクトラはそのまま眠りに落ちた。
◆◇◆
リヴェラと初めて顔を合わせたのは、七歳の時だった。
彼女は中庭の中央で、一人で佇んでいた。
黒衣を纏う長身の彼女はまるで物語の中の魔女のようで、アルヴィクトラはその姿に目を奪われた。
「子ども?」
リヴェラが振り返り、不思議そうな顔をする。
彼女の瞳は血のように赤く、アルヴィクトラは思わずたじろいだ。それから躊躇するようにリヴェラを見上げて、思ったことをそのまま口にした。
「貴女は魔女なのですか? 父上を、虐殺皇帝を成敗しにきたのですか?」
「父上? ああ、貴方は……」
リヴェラは何かに気付いたように、微笑む。
「貴方の父は疑心暗鬼に陥っているのです。その環境が誰も信じる事を許さず、虐殺へと走らせた。人の身である私が解決する事は叶いません」
でも、とリヴェラは言った。
「貴方が同じ道を辿らないように、魔法をかけることはできます。多くの大きな物語で使い古されてきた古代の魔法です」
「古代の魔法?」
アルヴィクトラが不思議そうな顔をすると、リヴェラはにこりと笑った。
「人の温もりです」
そう言って、リヴェラはそっとアルヴィクトラを抱きしめた。
「あの?」
アルヴィクトラが困ったような声をあげると、リヴェラは抱きしめたまま囁いた。
「貴方が疑心に陥らぬように。帝国騎傑団序列五位、リヴェラ・ハイリングが貴方を守る魔槍となりましょう」
その二年後、彼女は帝国騎傑団序列一位、頭席魔術師まで昇り詰める。
過去最年少の序列一位の魔術師としてリヴェラ・ハイリングは注目を集めると同時に、アルヴィクトラ・ヴェーネの腹心として絶対的な地位を築いていくことになる。
そして、アルヴェクト・ヴェーネは虐殺皇帝と呼ばれた父に対抗する為、絶望的な内部闘争を開始するのだった。
◇◆◇
獣の雄叫びが響いた。
アルヴィクトラが目を覚ますと、辺りを包囲するヴェガの群れにリヴェラが向き合っているところだった。
「リヴェラ……!」
声をあげると、リヴェラがチラリと振り返る。その瞳に、焦りの色はなかった。
「寝ていてください。この獣たちは、手負いのアル様を置いていくよう、私にプレッシャーを与えているだけです。まだ交戦するつもりはないでしょうから安心してください」
そう言いながらも、リヴェラは油断なくヴェガの群れに注意を配り、戦闘態勢を崩そうとはしない。
「夢を見ました」
アルヴィクトラは荒い息を吐きながら、近くの木に背中を預けて身を起こした。
ヴェガが一斉に吠える。
不思議と怖いとは思わなかった。
「リヴェラと初めて顔を会わせた時の夢です」
リヴェラは何も言わない。
ヴェガの群れを警戒したまま、アルヴィクトラの真意を探るように視線を向けてくる。
「あの時、リヴェラは魔法をかけてくれました。父上と同じ道を歩まないように、と。結果的に私は父と同じ道を歩む事になりました。改革も中途半端で成し遂げる事が出来ず、君主にはなれませんでしたが救いを受けました。大きな救いでした」
だから。
「だから、リヴェラ、もう良いんです。貴女は本当によくしてくれました。忠実すぎるほど、よく働いてくれた。だから、行ってください。貴女の持つ才覚は、次の皇帝を大きく助ける事になるでしょう。私の為に潰してしまう程、リヴェラの才幹は安くはない」
リヴェラの無言の眼差しがアルヴィクトラに突き刺さる。
暗闇の中、周囲でヴェガの瞳が妖しい光を放つ。その中、リヴェラの血のように赤い瞳が一際異彩を放っていた。
「アル様は、勘違いなされています」
不意に、リヴェラが口を開いた。
「私は帝国に忠誠心を持っている訳ではありません。アルヴィクトラ・ヴェーネというただ一人の皇帝に忠誠を誓っているのです」
リヴェラはそう言って身を翻す。
同時に熱線が放たれ、一体のヴェガが貫かれた。獣はそのまま草木の間に崩れ落ち、抵抗らしい抵抗もなく絶命した。
突然の攻撃に獣たちが次々と咆哮をあげる。しかし、襲いかかってくる様子はない。
「やはり」
リヴェラが呟く。
「ヴェガには積極的な交戦の意思がありません。我々が衰弱して動けなくなる時を待っているのでしょう。ならば――」
リヴェラがアルヴィクトラの元へ歩み寄り、その腕を肩に回す。
「――進みましょう。騎傑団の追手が来る前に、可能な限り帝都から離れる必要があります」
アルヴィクトラは無言で頷いて、リヴェラに抱き起こされながら立ち上がった。
依然として身体が燃えるように熱かったし、少し眩暈がした。しかし、気分は悪くなかった。睡眠をとったおかげだろうか。
「私が司る魔力特性は"貫通"」
アルヴィクトラの身体を支えながら、リヴェラが凛とした声で言う。
「アル様の前に立ち塞がる全ての障害を貫いてみせます。その為ならば、このリヴェラ・ハイリングは死霊とも契約してみせましょう」
リヴェラの血のように赤い双眸は、月明かりを反射して爛々と鈍い輝きを放っている。
その瞳を見て、何故か虐殺皇帝と呼ばれた父親のことが脳裏に蘇った。
傷口が熱を持ち、全身を蝕んだ。
朦朧とする意識の中、アルヴィクトラはリヴェラの後に続いて道なき道を進んだ。
「今日はここで休みましょう」
徐々に歩みが遅くなるアルヴィクトラの様子を見て、リヴェラが足を止める。
「私が見張りに立ちます。アル様は休息を」
アルヴィクトラは倒れるようにその場に伏した。全身が熱かった。
熱によって体力が奪われていくのがわかった。
この逃走が長く持たない事を嫌でも理解するしかなかった。
「リヴェラ、私を置いていってください。何らかの感染症にかかっているようです。満足に動けない私を守りながらヴェガの群れを相手どるなど不可能です」
息も絶え絶えに言う。
リヴェラは何も言わず、手持ちのキートの枝を折り、それをアルヴィクトラの口にそっと近づけた。アルヴィクトラはそれを反射的に口に含んだ。
「熱が引くには後三日は必要でしょう。その間、絶えず水分摂取を心がけてください」
アルヴィクトラの言葉など聞かなかったように、リヴェラはキートの枝をまとめてアルヴィクトラのそばにおいて、見張りに立った。
アルヴィクトラは朦朧とする意識の中、リヴェラの横顔を見上げた。その美貌は、逃走の中で泥と汗に汚れていた。しかしその瞳に宿る強い光は薄れる事なく、輝きを放ち続けていた。
彼女の瞳に絶望の色がないことを確認すると同時に安堵感に包まれ、アルヴィクトラはそのまま眠りに落ちた。
◆◇◆
リヴェラと初めて顔を合わせたのは、七歳の時だった。
彼女は中庭の中央で、一人で佇んでいた。
黒衣を纏う長身の彼女はまるで物語の中の魔女のようで、アルヴィクトラはその姿に目を奪われた。
「子ども?」
リヴェラが振り返り、不思議そうな顔をする。
彼女の瞳は血のように赤く、アルヴィクトラは思わずたじろいだ。それから躊躇するようにリヴェラを見上げて、思ったことをそのまま口にした。
「貴女は魔女なのですか? 父上を、虐殺皇帝を成敗しにきたのですか?」
「父上? ああ、貴方は……」
リヴェラは何かに気付いたように、微笑む。
「貴方の父は疑心暗鬼に陥っているのです。その環境が誰も信じる事を許さず、虐殺へと走らせた。人の身である私が解決する事は叶いません」
でも、とリヴェラは言った。
「貴方が同じ道を辿らないように、魔法をかけることはできます。多くの大きな物語で使い古されてきた古代の魔法です」
「古代の魔法?」
アルヴィクトラが不思議そうな顔をすると、リヴェラはにこりと笑った。
「人の温もりです」
そう言って、リヴェラはそっとアルヴィクトラを抱きしめた。
「あの?」
アルヴィクトラが困ったような声をあげると、リヴェラは抱きしめたまま囁いた。
「貴方が疑心に陥らぬように。帝国騎傑団序列五位、リヴェラ・ハイリングが貴方を守る魔槍となりましょう」
その二年後、彼女は帝国騎傑団序列一位、頭席魔術師まで昇り詰める。
過去最年少の序列一位の魔術師としてリヴェラ・ハイリングは注目を集めると同時に、アルヴィクトラ・ヴェーネの腹心として絶対的な地位を築いていくことになる。
そして、アルヴェクト・ヴェーネは虐殺皇帝と呼ばれた父に対抗する為、絶望的な内部闘争を開始するのだった。
◇◆◇
獣の雄叫びが響いた。
アルヴィクトラが目を覚ますと、辺りを包囲するヴェガの群れにリヴェラが向き合っているところだった。
「リヴェラ……!」
声をあげると、リヴェラがチラリと振り返る。その瞳に、焦りの色はなかった。
「寝ていてください。この獣たちは、手負いのアル様を置いていくよう、私にプレッシャーを与えているだけです。まだ交戦するつもりはないでしょうから安心してください」
そう言いながらも、リヴェラは油断なくヴェガの群れに注意を配り、戦闘態勢を崩そうとはしない。
「夢を見ました」
アルヴィクトラは荒い息を吐きながら、近くの木に背中を預けて身を起こした。
ヴェガが一斉に吠える。
不思議と怖いとは思わなかった。
「リヴェラと初めて顔を会わせた時の夢です」
リヴェラは何も言わない。
ヴェガの群れを警戒したまま、アルヴィクトラの真意を探るように視線を向けてくる。
「あの時、リヴェラは魔法をかけてくれました。父上と同じ道を歩まないように、と。結果的に私は父と同じ道を歩む事になりました。改革も中途半端で成し遂げる事が出来ず、君主にはなれませんでしたが救いを受けました。大きな救いでした」
だから。
「だから、リヴェラ、もう良いんです。貴女は本当によくしてくれました。忠実すぎるほど、よく働いてくれた。だから、行ってください。貴女の持つ才覚は、次の皇帝を大きく助ける事になるでしょう。私の為に潰してしまう程、リヴェラの才幹は安くはない」
リヴェラの無言の眼差しがアルヴィクトラに突き刺さる。
暗闇の中、周囲でヴェガの瞳が妖しい光を放つ。その中、リヴェラの血のように赤い瞳が一際異彩を放っていた。
「アル様は、勘違いなされています」
不意に、リヴェラが口を開いた。
「私は帝国に忠誠心を持っている訳ではありません。アルヴィクトラ・ヴェーネというただ一人の皇帝に忠誠を誓っているのです」
リヴェラはそう言って身を翻す。
同時に熱線が放たれ、一体のヴェガが貫かれた。獣はそのまま草木の間に崩れ落ち、抵抗らしい抵抗もなく絶命した。
突然の攻撃に獣たちが次々と咆哮をあげる。しかし、襲いかかってくる様子はない。
「やはり」
リヴェラが呟く。
「ヴェガには積極的な交戦の意思がありません。我々が衰弱して動けなくなる時を待っているのでしょう。ならば――」
リヴェラがアルヴィクトラの元へ歩み寄り、その腕を肩に回す。
「――進みましょう。騎傑団の追手が来る前に、可能な限り帝都から離れる必要があります」
アルヴィクトラは無言で頷いて、リヴェラに抱き起こされながら立ち上がった。
依然として身体が燃えるように熱かったし、少し眩暈がした。しかし、気分は悪くなかった。睡眠をとったおかげだろうか。
「私が司る魔力特性は"貫通"」
アルヴィクトラの身体を支えながら、リヴェラが凛とした声で言う。
「アル様の前に立ち塞がる全ての障害を貫いてみせます。その為ならば、このリヴェラ・ハイリングは死霊とも契約してみせましょう」
リヴェラの血のように赤い双眸は、月明かりを反射して爛々と鈍い輝きを放っている。
その瞳を見て、何故か虐殺皇帝と呼ばれた父親のことが脳裏に蘇った。
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