婚約破棄したら、人畜無害の(元)婚約者がいろいろ面倒くさい

森の木

25.道中、そして田舎くらしとおじいさま 5

 王都、ここは侯爵家。
 侯爵家はずっと薄暗い膜がはったような、よどんだ空気が充満していた。オスカーはその膜に身を絡め取られる気分でこの家で生きてきた。
 オスカーは毎日仕事に忙殺されていた。今まではどんなに忙しくても、婚約者の顔を思い浮かべがんばってこられた。いつか彼女にふさわしい男になり、名実ともに婚約者として立てるように必死に努力してきたつもりだった。
 そうかつての婚約者の周囲には、優れた人間がたくさんいた。


 まず叔父のフレーベルだ。彼の商才は王都にいる大商人に勝るとも劣らない。彼が気になったものはまず売れる。今まで彼が買いとった工場は、他の商人に売り払ったあと王都で流行になったことも一度や二度ではなかった。
 次に彼女の父親。商才には恵まれないが、人徳があった。何も知らない人間からは、悪く言われることもあった。だが彼と話せば、みんながいい人と言う。フレーベルの手腕は素晴らしいものがあったが、彼女の父・フレデリックの人脈のおかげで大きくなった事業は多い。


 そしてオスカーが一番恐れている人物。それは彼女の祖父である。
 彼女の祖父は農業王として、王都としても有名人である。孤児だったが、そのあと地主の娘の婿となり、圧倒的な手腕で王都1、2の財力を築いた。そんな彼の影響力を無視はできなくなった王家は、申し訳程度に男爵の地位を授けた。
 だが、農業王はそんなものには興味をもてなかった。妻の死に際して、田舎に戻って子どもたちに事業を任せた。そして貴族はその子どもたちに辛くあたる。影響力を無視できなくなったためだ。農業王の息子・フレデリックが伯爵令嬢ビアンカと結婚してますます貴族は警戒した。
 それからは、貴族達の陰湿ないじめがおこった。自分たちの領域に入られることを拒否した。まして平民あがりの卑しい身分の者を認めたくなかった。


 人のいいフレデリック男爵は日に日に憔悴しょうすいしきっていた。そんな彼を支えたのは家族。妻ビアンカと弟フレーベルは男爵の地位を捨てると決めた。
 それから彼らの行動がはやかった。オスカーが関知する余地がないほどに。そんな騒ぎに乗じて、母が婚約破棄の書類を相手方に通達してしまうなど考えもしなかった。


「はあ……」


 ため息がこぼれる。オスカーは最近眠れていない。オスカーの長年の思い人、ソフィアが王都を離れて少し経った。ソフィアが明らかに嫌がっているのは知っていたが、自分の感情を押しつけてまで彼女にすがった。
 こんなこと彼女が相手でなければ、死んでもしたくないことだ。プライドもすべて捨て去って、彼女だけは離したくなかった。一生に一度の恋、これからもきっと彼女以上の存在など現れないだろう。生きた屍となって無為な時間を過ごすだろう。そんな思いを抱えてこれから過ぎる時間がひどく鬱陶しい。どうにでもなればいい。
 そんなオスカーを苛立たせること、それは父と母の存在。


「オスカーいるか?」


「はい、どうぞ」


 今日は珍しいお帰りだ。書斎にいたオスカーを訪ねてくる父。父は外につくっている愛人の家にいることが多く、自宅であるこの家に帰ってはこない。わざわざ帰ってきて、自分を訪ねてくることなど大体仕事のことだけだ。何かあったのだろう。


「父上、仕事で支障がありましたか?」


「オスカー、なぜ婚約を破棄した!!」


 開口一番、大きな声で怒鳴られた。父の表情をみれば、今し方事実を知ったようで飛んで帰ってきたようだった。婚約破棄をして随分経つ。知ったのが遅すぎる。それが父親なんて、母親には同情しかもてない。


「それは……、いろいろありまして」


 事実を話せば、きっと母親が問い詰められる。ただでさえ不安定な母親。父が帰ってきたと知れば喜ぶが、それが婚約破棄の件のためだと知れば怒り狂うだろう。母の話題を出さない方がややこしい事態にならないだろうとオスカーは悟っている。


「王に呼び出された。お前を派遣すると言われた」


「どこへ?」


「フィル様がいらっしゃる領地だ。あの領地を治めている貴族がいるが、後継者もいなく独り身だ。その後任にオスカーを指名するとお達しだ」


「なぜわたしが……」


「王はあの家を警戒されている。フィル様の地域のことは知っているな」


「他国と繋ぐ街道をしきっている一族ですね。古くからあの地域を治める地主であると。あの周辺の地主は結束が強く、さらに他国との行き来も自由にできる。敵に回したら厄介であることは間違いないです」


「王が恐れているのは、それだけでないのだ。あの一族は王国の前にあった国、それの末裔の血が流れている。隣国の王族とも昔は婚姻関係があった家柄だ。確かに平民ではあるが、血筋は王家のよりも歴史がある。あの周辺の地主達が一斉に隣国に味方すれば、王国の要所が危険になるのだ」


「そうですか……それでソフィアとの婚姻関係をもてと」


「王はそれをお望みだ」


 オスカーは何も考えたくなかった。ソフィアとの婚姻に深い因果など持ちたくはない。シンプルでいいのだ。彼女が好きで一緒にいたい。彼女が望む恋愛結婚、オスカーにとっては彼女との結婚が恋愛結婚だと思っていた。自分の力不足で、彼女の信頼を勝ち取ることもできず拒絶された。


「でも平民との結婚を王が許されますか」


「貴族連中のことか。それは問題ない。売り払ったという男爵の地位は王が握っている。王が授けるといえば、またフレデリック様に地位を復権されるということだ」


「爵位を売ろうとしたことはおとがめなしですか」


「秘密裏に処理されるのだろう。それだけ王は今回のことを重くみているのだ」


「断る選択肢はないということか……」


 オスカーは独り言をはき出した。嫌になる。自分のことしか考えない、父親。こうしていると自分がいかに嫌いな父親の血を引いているかがわかる。彼女をこのまま追っても彼女は決して笑顔を向けてはくれないだろう。ましてこんな騒動に巻き込まれるなど、彼女は嫌がる。でもオスカーは父の言葉をはねのけることもできない。貴族だから王に逆らうこともできない。結局、貴族に自由などないのだ。


「承知しました」


「ではわたしは出かける」


「母上に会われないのですか?」


「またヒステリックになられるだけだ。あれもうるさい」


「父上もまったく悪趣味だ。母上の方が美しいでしょうに」


「うるさい、子どもにはわからんことだ」


 オスカーは父と母が言い争いしている光景を嫌と言うほど見てきた。父は母に嫌われていると思っている。母も父に嫌われていると思っている。お互い同じ気持ちなのだ。それを知ったのはつい最近。すれ違った夫婦の不幸はオスカーは知っている。
 父の愛人はどれも商売をしている女性だ。遊びだとわかる人ばかりなのである。そう、父は母を好きだ。母も父を好きなのだ。好きが増しすぎると憎くなる。愛と憎しみは紙一重。父と母の特性をオスカーは強く受継いでいる。まっとうに人を愛することができない人達なのだろう。オスカーに好かれてしまうソフィアがかわいそうになる。


「数日中には準備をしますので」


 そして父が部屋から出て行った。母親になんと説明をすればいいのだろう。考えるだけで心が折れそうになる。ソフィアに会えるのは単純に嬉しい。だけれど、あの人達の思惑を考えると吐き気がする。


「どうにでもなれ……か」


 ソフィアの明るさを思うと、それでも力が出てくる。オスカーはいくつか考えていた計画を実行することに決めた。結果はどうなるかわからない。でもソフィアがいつもひねくれそうになり、横道にそれそうになったとき明るい道を指し示してくれた。だから彼女が喜ぶ道をとればいいのだ。オスカーは机から便せんを取り出した。手紙を書き示し、それをいくつかの場所に出すように指示をした。



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