婚約破棄したら、人畜無害の(元)婚約者がいろいろ面倒くさい

森の木

20.出会いと別れ、新たな暮らし 5



「オスカー様?」


 しばらく時間が過ぎた。オスカーがあまりにも静かに窓の外を眺めているので、ソフィアは同じく店の雰囲気を楽しんでいた。だが時間は有限だ。ソフィアだって家に帰ってやらないといけないことがある。意を決しオスカーに話しかけた。


「ん?」


 心あらずといった感じのオスカーははっと我に返ったようだ。


「わたし、そろそろ帰らないと」


「ソフィア……」


 すっとオスカーの手が伸びてきた。手首をつかまれてしまう。だが掴むオスカーの手は力がこもっていなかった。ソフィアが振り払おうと思えば簡単にほどけるだろう。だがソフィアは無理矢理離れようと思わなかった。オスカーの表情が幼く見えて、今にも泣き出しそうで頼りなさそうだったからだ。


「本当に、行ってしまうのだな」


「ええ……、家族で決めたことですもの」


「ソフィアはどうなんだ?」


「わたし……」


 オスカーに問われて初めて気がついた。お祖父様のところへ行く選択肢しかソフィアにはない。王都に残る理由もない。ただソフィア自身が決めたかどうかはわからないことだった。自分には決定権はなかった。


「もしソフィアは、俺が貴族ではなくて……こうやって出会ってなかったら好きになってくれたか?」


「……え」


「こうやって何気ないデートをして、お菓子を食べて。たわいもない会話をして。家のしきたりだとか、親のことは関係ない。だったら、俺との結婚を考えてくれたか?」


 ソフィアは想定していない言葉に思考が止まった。だってオスカーと出会ったのは、貴族だったから。貴族だったから婚約をした。貴族だから婚約破棄を望んだ。それが全部なかったら?ということなんて考えたことがない。


「わからない……」


「そうか……わかった」


「それじゃ」


「支払いは済ませてあるから」


「悪いわ」


「いいんだ、今日くらいこれくらいのことさせてくれ」


 ソフィアは素直にオスカーの好意を受け取ることにした。最後くらい可愛げのある姿を見せてもいいかもしれない。最後くらい甘えてしまってもいいかもしれない。ソフィアは小さく頭を下げて、その場を離れていった。


 店の外にでると天気は暗くなっていた。くもり空だ。さきほどまであんなに綺麗な空だったのに。まだ肌寒さを感じる風が頬を撫でた。ソフィアが結っていた髪がさらさらと揺れるのを感じた。振り向きたくなるような気持ちを抑えて、店を背に歩いて行くソフィア。オスカーと話すと胸が押されるような気分になる。


 なんとも言えない感情。
 恋とか綺麗な感情ではない。相手を求めるような熱もない。ただ過ぎ去った時間が戻らない寂しさと、何かを失うような喪失感を感じる。慣れ親しんだ王都から離れるからかもしれない。
 ソフィアはこの別れで少しおとなになった気がした。もしかしたら、オスカーは初恋の人だったかもしれない。この苦しさは甘酸っぱくも感じた。そんな初恋だったかもしれない人と本当の別れ。そして今までのすべてを置いて旅立つ覚悟。幼いころからのいろんなものを置いていく。その中にオスカーを好きだった幼い自分、そして期待していた自分、失望していった自分。いろんな自分がいたと思った。
 新しい生活をはじめれば、それも全部忘れられる。そう思って、力強く歩みをすすめていった。



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