黒の宣告

バーニー

黒の宣告

 やあ、初めまして。大丈夫だよ、私も今来たところだから。まあ、座って。すみませーん。アイスコーヒーひとつと、君は何がいい?  じゃあ、アイスコーヒー2つください。

 こういう雰囲気には慣れていないかな? そんなに緊張しなくてもいいよ。今日は私のためにわざわざ喫茶店に来てもらったのだから、私が奢るよ。はは、君は素直だね。じゃあ、追加でショーケーキ2つ。

 私、結構持っているから、お金の心配は要らないよ。それに、最近は浪費したい気分でね。ほら、この匂い素敵でしょ? ブランドの高い香水なんだけど、買っちゃった。私みたいな高校生にも似合う爽やかな香りでね。

 ああ、こんな話をしに来たんじゃないな。本題に移らないと。少し待ってね、心の準備が必要。

よし、大丈夫。




実は私、人の死期が分かるんだ。




 その顔は、信用していない顔だね。大丈夫だよ。私と君は初対面。失うものが何もないから、遠慮なくこの話が出来る。気分を悪くしたら帰ってもいい。『気持ち悪いやつに会った』って言いふらしてもいい。

 ありがとう。聞いてくれるんだね。

 そのままの意味だよ。『私は人の死期が分かる』。人を見ただけで、『この人、そろそろ死ぬな』って分かるんだ。

 
 最初にこのことに気がついたのは、私が幼稚園の頃だった。近所の夏祭りに行った時、私が惹かれたのは金魚すくいの屋台だった。

 鮮やかな金魚の群れがまるでひとつの生き物のようにポイに追われて動いている。直ぐにお母さんにすがってやらせてもらった。

 もちろん、私のポイは直ぐに破れたよ。あの頃の私に金魚を上手にすくう細々としたコツなんて分からないもの。

 泣いたね。泣きわめいて、『もう1回やる』とお願いした。けど、お母さんは首を縦には振らなかった。そんな私を気の毒に思ったのか、屋台のおじさんが3匹の金魚をくれた。

 それが嬉しくて、涙なんか直ぐに引っ込んだよ。他にも輪投げとか綿菓子とかの屋台があったけど、あの日は直ぐに帰って金魚のお家の準備をした。

 百均で買ったプラスチックの金魚鉢にビー玉と水草を入れたら、これが本当に可愛くてね。毎日眺めて毎日世話をした。


 けど、奇妙なことが起きたんだ。

 それから私はハムスターとか亀とかうさぎとか、色々な生き物を飼ってみた。高校生になる頃には皆死んじゃったけどね。そして、皆死ぬ前に甘ったるくてクラクラする、嫌な臭いを出してから逝くんだ。

 もう分かったよね。あの臭いは、死が近い生き物から出るものだと、私は確信した。

 野原に出ていくと、手当り次第生き物を捕まえて臭いを嗅いだ。まだ元気なものは土の匂い。死が近いものからは嫌な臭い。

 すごいと思った。私は生き物の死期がわかる力を持っているのだ。ちょっとした神になった気分だった。

 もちろん、このことは誰にも言わなかった。見かけた生き物の臭いを嗅いで、『そろそろ死ぬな』って、自己満足をしていただけだったよ。

 私は勘違いをしていたんだ。あの死の臭いは、虫や動物といった生類からしか漂わないのだと。


 高校2年の時、自惚れていた私をどん底に突き落とす出来事が起こった。

 私の友達から死の臭いがしたんだ。

 彼女は私が困っているといつも助けてくれて、とにかく優しい子だった。そんな彼女が何故死ななければならないのか。

 ショックのあまり、私は彼女の肩を掴んで『あなた、もうすぐ死ぬ』と言っていた。

 馬鹿なことをしたと思う。

 それから私はハムスターとか亀とかうさぎとか、色々な生き物を飼ってみた。高校生になる頃には皆死んじゃったけどね。そして、皆死ぬ前に甘ったるくてクラクラする、嫌な臭いを出してから逝くんだ。

 もう分かったよね。あの臭いは、死が近い生き物から出るものだと、私は確信した。

 野原に出ていくと、手当り次第生き物を捕まえて臭いを嗅いだ。まだ元気なものは土の匂い。死が近いものからは嫌な臭い。

 すごいと思った。私は生き物の死期がわかる力を持っているのだ。ちょっとした神になった気分だった。

 もちろん、このことは誰にも言わなかった。見かけた生き物の臭いを嗅いで、『そろそろ死ぬな』って、自己満足をしていただけだったよ。

 私は勘違いをしていたんだ。あの死の臭いは、虫や動物といった生類からしか漂わないのだと。


 高校2年の時、自惚れていた私をどん底に突き落とす出来事が起こった。

 私の友達から死の臭いがしたんだ。

 彼女は私が困っているといつも助けてくれて、とにかく優しい子だった。そんな彼女が何故死ななければならないのか。

 ショックのあまり、私は彼女の肩を掴んで『あなた、もうすぐ死ぬ』と言っていた。

 馬鹿なことをしたと思う。

 当然、彼女は眉間にシワを寄せて、『何を言っているの?』と強い口調で言った。『そんなことを言うなんて、最低だよ』って。

それ以来、彼女は私と話してくれなくなった。学校の廊下ですれ違っても、汚いものを見るような目でそそくさと去っていく。

 どうしようもなかった。

 結局、彼女が交通事故で死ぬまで、私は彼女と口を利くことはなかった。

 彼女の遺体を確認することも、葬式に行くこともしなかった。

  私は人の死期がわかる。しかし、それを防ぐことは出来ない。死は虫も小動物も関係なく、平等にやってくるのだと、命の理に打ちのめされた。


 私は家に閉じこもった。不登校だよ。もう、誰にも会いたくない。会ったらその人から死の臭いがしそうで怖かった。まるで私が殺してしまうかのような罪悪感があった。

 布団の中で時が過ぎるのを待った。気がついた時にこの力が無くなっていたらいい。もう二度と大切な人に嫌われたくない。もう二度と大切な人を失いたくない。
 
 本気でそう願った。

 けど、死は私のすぐ近くまで迫っていた。

 ずっと部屋に引きこもる私を慰めにやってきた母からも、死の臭いがしたんだ。

 目の前の世界が一変した。同時に察した。これは力なんかではない。『呪い』なのだと。人が死んでいく様を見せつけられ、どうすることも出来ない無力さを心臓に打ち込まれる拷問なのだと。

 母の死の宣告は、友達なように避けられるものではなかった。

 私を産んで17年間かけて育ててくれた母は、私の目の前で血を吐いて倒れた。私は直ぐに救急車を呼んだ。

 病院に運ばれた母は、直ぐに診察を受け、手術をしたけれど、もう、手遅れだったみたいだ。手術室から出てきた先生に、そっと頭を撫でられて、『お母さん、もうダメみたいだ』と言われた。

 ベッドの上の母は、色々なチューブに繋がれて、心臓が動くだけの人形みたいだった。

 私は母の横に腰をかけ、消毒液の臭いと共に死の臭いを吸い込んだ。

 ああ、この人も死ぬんだ。

 私はぼんやりと母を見続けた。時々やってくる看護師さんに『もう休みなさい』と言われても、反応を返すことなく、母から目を逸らさなかった。
 
 母が心配だった。ということもあるが、私は見てみたかった。この死の臭いのその先を。死にゆく人間のその先を。

 命の火が消える瞬間を。

 病院の消灯時間が過ぎて、部屋が暗くなっても、母のベッドの隣の心電図は母の微弱な心音を刻んでいた。
 
 そんな中、死の臭いはいっそう強まり、部屋の中に充満した。

 私は込み上げる頭痛と吐き気に耐えながら母を見つめた。自分でもこの行為になんの意味があるのか分からなくなっていた。

  このまま臭いだけが強まって、母が事切れるのを待つだけなのか。

 そう思い始めた時のことだ。

 母の身体から、ゆらゆら、ゆらゆらと黒い煙が立ち上り始めた。

 私の身体の中の血液が一瞬で凍りつき、まるで金縛りにあったかのように動けなくなった。身体が先に恐怖を感じ取ったのだ。

 部屋の中は暗闇に近い状態。ものなど見えるはずがない。それなのに、母から立ち上る黒い煙がはっきりと見えるのは、それが部屋の黒よりも黒いからだろう。

 私は瞬きをするのも忘れて、黒い煙を見た。

黒い煙はどんどん湧き上がり、母の身体の上で雲のように集まり、蠢いていた。こんな現象、初めて見た。

 ああ、この黒い煙が、あの甘ったるくてクラクラする臭いの正体なのだろう。容易に想像出来た。母は間もなく死ぬ。

 臭いは初期症状みたいなもので、死ぬ直前になると可視化されるのだ。

 私は部屋の中が明るいと感じるくらいの煙をじっと見た。

 身体中から脂汗が吹き出る。心臓が張り裂けそうなくらい脈を打ち頭の中に響いた。

 生きている。と表現するのが妥当だろうか。この煙は生きている。死の臭いをまき散らして母の命を奪おうとしている。

 『うう』と、気を失っていた母の口からうめき声が漏れた。

 私は渇いた口で母に呼びかけたが、返事はない。暗い中のため、母がどんな状態にあるのかも分からなかった。

『あなたはだあれ?』

 母の声が部屋の中に響く。直ぐに私は自分の名前を告げようとしたが、その質問が自分に向けられていないことに気がついた。

 母は、黒い煙の塊に向かって声を発したのだ。

『お母さん、何が見えているの?』

 私は口調を強めるが、母は私の存在に気づくことなく、まるで赤子をあやすように天井に向かって話しかけた。

『あら、かわいいのね』『そうなの、大変ね』『不思議なものを持っているのね』と。

 私も釣られて上を見る。

 生きた心地がしなかった。

 天井に集まっていた黒い煙は渦を巻きながら蠢き、より一層強い臭気を撒き散らしながら姿を変えていく。そして、人間のような形になった。かろうじて、頭、手足の形が認識出来るだけで、その人型は目も鼻も口も持たない、黒だけの存在だった。

 ああ、これが死神の類なのだろう。

 私はまともに形を成していない死神の姿に引き込まれた。まるで、囚われたように視線を外すことが出来ない。その時間は永遠のように思えた。

 人型は母の上に多い被さると、母の胸元に顔を埋めた。いや、食べていた。母の命を、食んでいた。まるで、肉を貪る獣のように。

 そして、少し顔を上げると、私の方を振り返った。

 あとのことはよく覚えていない。

 気がついた時、部屋は明るくなっていて、黒い煙は消えていた。心電図の警告音が鳴り響き、白衣の先生が混濁した母の眼球をライトで照らしていた。

 母は死んでいた。

それからというもの、街を歩くと100人に1人は死が迫った人とすれ違う。臭いだけの人もいれば、顔が判別出来ないくらい黒い煙に覆われた人もいる。私はそんな人を見る度に、思わず凝視してしまう。

 あの黒い煙はなんだろう。あれに命を取られた人間はどこへ行くのだろう。私のこの力が消える日は来るのだろうか。


 黒よりも黒い。この世のどんな闇でも敵わない漆黒の死神。それは鎌を持った存在でも、骸骨でもない。やつの姿を認識するには、人間の目は乏しすぎる。この世界は明るすぎる。


 つまり、死には抗えないということさ。

 そう思うと、私はいつもやるせない気持ちになるのさ。

 長くなったね。これで私の話はおしまい。信じてくれなくてもいいよ。こっちは聞いてくれただけで嬉しいから。

 さて、私はそろそろ行くよ。ショートケーキがまだ来ていないけど、君が食べておいて。それに、最近は甘いものを食べても『甘い』と感じなくなったんだ。こんな馬鹿舌の私よりも、君に食べて貰った方がケーキも喜ぶ。ほら、お金。お釣りはいらないよ。

 ん?

 君から死の臭いがするかどうかって?

 面白い質問だね。でも、そんなの知らない方がいいんじゃないかな? 自分の死期を知ったら、誰もがショックだと思うよ。

 『死』っていうのは鎖だと思うんだ。人をこの世から引き離し、あの世に引き込むための。だから、それを知ったところで、鎖が絡まるだけで、身体は重く、動けなくなる。

 無理に美しく散ろうとは思わない。

 上出来だよ。ベッドの上で死ねれば、上出来だよ。

 じゃあもう行くね。これから電車に乗って色んな所に行くんだ。言ったでしょ、浪費したい気分って。今まで貯めてきた分をパーっと使って楽しむんだ。

 さよなら!
















 ああ、くそ。とれない。何度洗っても消えない。本当に困ったな。困ったよ。

 君は、幸せに死になよ。


〜完〜

 




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