隻眼の現人神《隻眼のリビングゴッド》

有江えりあ

To irreplaceable you

彼女がエレシュキガルと出会ってから2年。
不安定なティナの心を支え続け、苦楽を共にしたエレシュキガルはティナにとって母であり、姉であり、掛け替えのない家族だった。


ティナは再び、孤独に戻ることに恐怖していた。
故に、また一人に戻るくらいならと、眼前に迫る巨石を躱さずに死ぬ事を選んだ。


……アルラ、せめて……今まで……ありがとう、大好きだよ……って、伝えた……かった、な


ティナは静かに涙を流し、目を閉じた。


「やれやれ、まさかここまでやらかすたぁ、流石の俺も想定外だったねぇ」


猛スピードで巨龍の側面へと走り抜ける、戦鎚を持った黒服の男は、女の目の前に躍り出ると、戦鎚を巨石目掛けて力一杯打ち付ける。


破砕音と共に、巨石は砕け散ると、ティナは顔にぶつかる小さな破片に目を開ける。


「……ヴィン、セント……?」


「すまねぇな、姉さん。 おじさんは兄さんの代打ってやつだ。 兄さんの代わりにバッチリ姉さんの事、守らせて貰うぜぇ!!」


いつものヴィンセントとは印象の違う目の前の男を不思議そうに見つめるティナに、男は首だけ振り返り、歯を見せて笑うと、草原に倒れ込んでいるハトホルに向かって叫ぶ。


「久々だねぇ、ハトホルの姉御!! 一つ聞きてェんだが、このデケェのはウチのカミさんで間違えねぇんだな!?」


「姉御……? 貴方は……まさか、ネルガルなのですか!?  今なお、冥界を統べているはずの貴方が何故ここに居るのです!!?」


「細けぇ話は後にしてくれや!! 先に質問答えてくんねぇか!?」


クセのある口調に、双頭の獅子をあしらった戦鎚。ハトホルの知る限りでは、この特徴を持つ神は、エレシュキガルが自らの命を捨ててでも救おうとしている伴侶である、彼女と共に冥界を統べる戦神、ネルガル以外に存在しなかった。


彼女は、咆哮を上げながら振り下ろされた前足を、必死に戦鎚で受け止めてティナを庇う彼に向かって返事を返す。


「…… 貴方の言う通りその邪龍はエレシュキガルの魂を核としています。 私達は、彼女を止めることができませんでした……。本当にごめんなさい……」


隼人と共に肩を支え合いながら立ち上がったハトホルは、心の底から申し訳なさそうな顔を浮かべて涙を流す。


「……嬢ちゃんに息があるってこたぁ、あの馬鹿は、核を身体に残した上で思念だけを分離したってことか…… 不安定すぎる…… リミットは10分、てところかねぇ」


苦虫を噛み潰したような表情で、戦鎚に力を込めて巨龍の足を払いのけた。


巨龍は大きな地響きと甲高い鳴き声と共に倒れこむと、山の木々は鈍い音を無数に立てながらへし折れる。


「おい! 赤髪のあんちゃん! あんたが握ってんの、グラムと見たねぇ!! 時間がねぇんだ、チィとばっかし手を貸してくれねぇかい!?」


ネルガルは戦鎚を構え、隼人に向かって叫ぶと、隼人は頷いて剣を構える。


倒れ込んでいるティアマトに2人は駆け出すが、ネルガルが纏う黒いスーツを掴む何者かによって阻まれる。


「……行かせてくれ、嬢ちゃん。 兄さんの身体は必ず生きて返すからよ」


振り向きざまに放ったネルガルの言葉に、彼の裾を握ったまま、ティナはフルフルと顔を横に振り、口を開く。


「あなた、は……アルラの、大事な……人?」


「……あいつはどうだかわかんねぇが、少なくともあの馬鹿は…… 俺にとって、この命なんかじゃ変えられねぇくれぇ大事なおんなだ」


少し照れくさそうにはにかむネルガルの顔を見て、ティナは懐から、小さな長方形の紙箱と、とても上手いとは言えない英字の刻印が施されたジッポライターを取り出し、手渡した。


「……アルラ、ね。 ずっと……言ってた。 あの人、に…… 会えたら、これを……渡すんだって。 あの人……恥ずかし、がり屋だから…… 受け取って、くれるかしら?……って」


ネルガルは、戦鎚を地面に突き立て、箱を開ける。
中には、長い間ずっと持っていたのか、湿気てしまっている葉巻が入っていた。
ネルガルは葉巻をくわえ、火をつけ、懐にしまうと顔を伏せ、戦鎚を再び握る。


「嬢ちゃんが迷惑じゃねぇなら、その……頼みがあるんだが、いいかい?」


ティナは静かに頷く。


「俺は、今からあいつの中からエレの奴を引きづり出す。 そうなると、あいつがこの世に居続けるにゃぁ、器がいるんだ。 ……嬢ちゃんは、あの馬鹿をまた受け入れてくれるかい?」


ネルガルの言葉に、ティナは満面の笑みを浮かべてブンブンと頭を縦に降る。


「……ありがとな、嬢ちゃん!」


ネルガルは一心不乱に駆け出し、立ち上がろうとするティアマトの腹部に斬撃を加える隼人に加勢しに行く。


……俺のせいであいつは封印されたんだ。
あいつに拒絶されるのが怖かった。あいつに恨まれていると思うと酷く辛かった。
だから、ナムタルの名を借りて、正体を明かさずにあいつの側にいることを選んだ。


……馬鹿なのは俺の方だったみたいだな。


彼に渡されたジッポライターにぎこちなく刻まれた18文字のアルファベット。
その文字を見た時に、彼女が自分に対して抱いている感情は、自分の考えていた物とは正反対だったと思い知らされた。


To irreplaかけがけceable のない you貴方へ
か、全く、照れ臭いたらありゃしねえよ。


ネルガルは、飛び上がり、ティアマトの前足に大きく振りかぶり打ち付けると、悲痛な叫びが辺りに木霊した。

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