隻眼の現人神《隻眼のリビングゴッド》

有江えりあ

共通の願い

眠っていた意識の中、ティナの耳に届いた女の最期の言葉は悲しげに紡がれた別れの言葉だった。


アルラ……行か、ないで……。
私を……1人に、しないで……。


迫り来る巨石を見つめるティナの脳裏には、彼女と初めて出会った時の記憶が、鮮明に浮かびあがる。
____________


ー2年前 バリーライフ邸ー


ティナは暗闇の中、1着のドレスを抱えて震えていた。
外から聞こえる銃声が、彼女の精神を狂わせ、不安を煽り続ける。
彼女には、クローゼットの中に大事に仕舞われていた、母の形見の純黒のドレスが唯一の救いだった。


母が守っていてくれる。母が側にいてくれている。
ティナは自分にそう言い聞かせる事で平静を保っていた。


しばらくすると、銃声が止み、ドアが開け放たれた音と共にクローゼットの隙間から光が差し込む。


ヴィンセント!! よかった……無事だったのね!!


ティナは安堵し、クローゼットのドアを力一杯に開く。
だが、目の前に現れたのはヴィンセントではなく、人相の悪い顔にニヤニヤと気味の悪い笑みを浮かべた男達の姿だった。


「かぁっ! 殺すにゃ惜しい美人だなぁ!! 時間がありゃじっくりと楽しませてもらいたかったんだが……仕方ねえ、せめて良い声で鳴いてくれや」


「まーた兄貴の悪い癖が始まったよ…… 嬢ちゃん、ほんと運がねぇなあ」


兄貴と呼ばれた大柄の顔中傷だらけの男は、恐怖から涙を流し、尻餅をついたティナの肩に銃口を突きつけ、引き金を引く。


乾いた銃声と共に血飛沫が上がり、絶叫するティナを見て舌舐めずりをした男は、続けて反対側に銃口を突きつけた。


「い゛だあ゛ああ゛ぁぃ!!嫌ぁぁあ!!助けてぇえヴィンセントぉおお!!」


ティナは必死に手足を動かして抵抗すると、大男は軽く舌打ちをし、背後に控えた弟分達に声をかける。


「おい! こいつを抑えてろ!!」


へーい、と軽い返事を返し、弟分達はティナの両手足を押さえつけると、大男は彼女に再び銃口を突きつける。


両足首、両膝、右胸、両肘、全てに一発一発鉛玉を撃ち込まれ、ティナの心は完全に死に絶え、もはや叫びを上げることすら辞めてしまった。


「チッ、壊れちまったか。 じゃあこいつで終わらせてやるよ」


ティナは脳天に押し付けられた銃口を、光を失った瞳で見つめ、引き金が引かれるのを待った。


大男は、心底つまらなさそうに引き金を引くと、銃声と同時に、ティナは気を失った。


__________


目を覚ましたティナは、薄暗く、埃にまみれた石造りの部屋に居た。
周りに家具や飾りもなく、木製の扉が右側の壁に一つと、ポツンと真ん中に置かれた、岩石を削り出して作ったであろう無骨な長椅子が更に寂しさを掻き立てる。


死んじゃった…… みんなも、来てるのかな。


ティナは、先に来ているであろう家族達を探すべく、扉に向かって歩き出す。


「……その先には何もないわ。 あるのは埃と汚泥だけ」


背後から聞こえた女性の声に、ティナは足を止めて振り返る。
ティナの目の前には、どこから現れたのか、母の形見のドレスを身に纏い、腰まで伸ばした夜空を照らす月光のような淡い光を放つ薄い黄金色に輝く髪をなびかせた、自分より少し大人びた女性が腕を組んで立っていた。


「ママ……!?」


眼前の女性は、幼い頃亡くなった母と瓜二つだった。
深い海のような青い瞳も、どこか儚げで消えてしまいそうな線の細さも。
ティナは思わず女性に向かって飛び込み、抱きつくと、女性は困った顔で口を開く。


「母、というのは間違ってはないのだけれど、多分人違いね……」


「……ごめん…な、さい」


ティナはシュンとした顔でおずおずと後ろに下がると、女は優しく微笑み、口を開いた。


「いえ、私の方こそごめんなさい。 私が貴女を生みださなければこんなに辛い目に何度も合わせる事もなかったのに……」
目に涙を溜め、右手で優しくティナの頰を撫でた。
暖かく、どこか優しさの篭ったその手に、ティナはそっと手を重ねて、自分と同じ深い青色の瞳を真っ直ぐに見つめると口を開く。


「……ううん、辛いこと、も沢山……あった、けど。 私は……幸せ、一杯だったよ? ……あり、がとう」


ぎこちない笑顔を無理矢理に作ってそう言ったティナを、女はおもむろに抱きしめて涙を零す。
ポカポカとまるで陽だまりのような女の体温に、ティナは懐かしさを感じ、心地よさから目を細めた。


「……ねぇ、ティナ。 貴女にとってどれだけの苦難があるかはわからない。 ただ、もしそれでもご両親と暮らしたいと望むのであれば、私の願いを聞いてくれないかしら」


女は、彼女を抱きしめたまま呟くと、ティナは驚いた様に目を見開き、返事を返す。


「……お願い、って。 何を、すればいいの……?」


「この世界はね。 死んだ人間達が辿り着く場所なの。 
だから貴女のご両親もこの世界に居ると思うわ。 でも、この世界の人間達には自由がないの。 
檻から出ることもままならず、永遠に孤独に幽閉される……だから、貴女のいた世界と、この世界を入れ替える。
そうすれば貴女はまた、ご両親と幸せに暮らせるわ」


ティナの肩に埋めた顔を持ち上げ、女はティナの瞳を見つめて真剣な顔で答える。


「……私に、できるかな。 ……どうすれば、いいの……?」


「まず始めに、貴女に再び命を与えるわ。
そして、貴女の世界と、この世界を繋げる門を開ける。
門を開けるには、沢山の命を奪わなければならないし、何よりも再び貴女は生き返る事で今までの様な苦しみを味合わなければならないかもしれない。
だから、貴女が嫌なのであれば、無理にとは言わないわ」


ティナはふと、自分が殺された時のこと、そして、父や使用人達、ヴィンセントの命が奪われ、血塗れになった屋敷の中で下卑た笑みを浮かべる男達の姿が脳裏に浮かんだ。


この世界は狂っている。


なぜ、子供達の為に国を変えようとしていた優しい両親が、何の罪もない使用人達やヴィンセントが死ななければならなかったのか。


なぜ、この世界はこのような非道な悪人達のみが生き残り、道を正そうと奔走していた善人達が虐げられるのか。


……私も悪人になればいい。
自分の欲のために、命を奪えばいい。
ただ……


「……一人は、嫌。 ……生き返ったら、また一人……」


ティナは、今までの人生で孤独を味わった事がなかった。
故に、短時間でも孤独に震えた、あのクローゼットでの時間は、ティナの心に恐怖を植え付けるには十分な時間だった。


ティナは取り乱して、瞳から洪水のように止めどない清水を流し、イヤイヤと顔を左右に振りながら、女の胸に顔を押し付けた。


女はティナの頭を、長い指を生やした白魚のような手で優しく撫でると、言い聞かせるように優しく口を開く。


「大丈夫、貴女を一人にはしないわ。 私も、貴女と一緒に行く。 私は何処にも行かないわ。 ずっと貴女と一緒よ、ティナ 」


「……なんで、そこまで……してくれ、るの……?」


顔を上げ、上目遣いで問いかけるティナに、女は、宙を遠い目で見つめて哀しげに、言葉を紡ぐ。


「私が初めて恋をして、それに応えてくれて私を初めて愛してくれた人……そんな大事な人を、私はこの世界に置き去りにしてしまったの。  
だから、貴女の望みは私の望みでもあるし、もし貴女の中に私を置いてくれるのであれば、彼と言葉を交わす事もできる。 
だから、ごめんなさい。
貴女を一人にしないためと言いつつも、それは自分のためなのよ」


「ふふふ…… なら、一緒に……叶え、よう?」


女の答えにティナは心の底からの笑みを浮かべて、回した腕に力を込めてギュッと身体を押し付ける。


「……本当にいいの? 私は貴女を利用しようとしてるのよ?」


「うん…… 悪い、人なら……そんなこと、話さない……でしょ?  ……その、代わり……ずっと、一緒に…居てね?」


即答したティナに、目を丸くして尋ねた女に、ティナは屈託のない笑顔で返すと、女も釣られて柔らかい笑みを浮かべてティナを抱きしめた。


「ありがとう…… 冥府の女主人、エレシュキガルが愛しい我が子、ティナ・バリーライフに全てを与えます……」


「……エレ、キチュガル……? 貴女、の……名前?」


噛み噛みで復唱された自らの名に、エレシュキガルは可笑しそうに笑うと、口を開いた。


「アルラトゥでいいわ。 ここに住む子達にはそう呼ばれてるから」


2人は、眩いばかりの光に包まれると、ティナは意識を失った。

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