異世界召喚ゴムパッチン理論 〜自由意志ゼロの二世界往復、異世界で最強でも現世界ではいつも死にそうです
第二十二話(二)「ぼくが発明したわけじゃないんだけど」
「おっ。出口だ!」
出し抜けに、ナホイが驚きを含んだ声を上げた。
外界の太陽の光を期待していたぼくは、彼が前兆もなく闇の中でそう言ったことに少しがっかりする。
七番出口に到着したぼくらを待っていたのは、すでに下りきった夜の帳と、新鮮だが冷えた空気だった。二つの月がさやかに光っているのが、せめてもの救いだ。
「ブンゴン殿。ここは七番出口で間違いないだろうか」
「古地図の位置と比べて八八〇ネリと少々南西寄りですが、誤差の範囲でしょうねぇ。七番出口でいいと思いますねぇ」
「そうか。これで大洞穴の探索に一応の目処がついたな。では引き続き──」
「待った、待った! もう無理だよ!」
満足げに微笑んで、今しがた出てきた坑口を指差しながらグークが言いかけたのをあわてて押しとどめる。
ここまでほぼ休みなしに何時間、何キロ歩いて、何体の魔物と戦ってきたと思っているんだ。
言ってやりたかったが、この男は「朝から日没まで四万四千ネリぐらい歩いて、魔物は全部で三十四体、いや三十五体だったか?」などとケロリとした顔で答えるだろうと容易に想像がつくからイヤになる。
前に彼からバケモノだと評されたが、こいつの体力の方がよっぽどバケモノだ。
「殿下。焦る気持ちは分かりますが、休息や睡眠は大事です。本日はここで宿営し、朝から再開いたしましょう」
「うむむ……捜索が可能なのはハイアート殿がこちらにおられる間だけなので、なるべく継続したいのだが……」
「そのぼくが、一睡もせずには続けられないって言っているんだ。勘弁してくれ」
「いや……しかし猶予が残り十一週間しか……」
腕組みをして、グークがウンウンとうなり始める。ぼくがさらに説得しようとした、その時。
「おーい、ハイアート! 手鎚を忘れちまったんだが、おまえ持ってないかー?」
ナホイの呼ぶ声に振り返ると、彼はブンゴンと共に、テントを広げて支柱を立て始めていた。
「グーク。あいつらも、ぼくの意見に賛成してくれそうだけど?」
「……仕方ないな、貴殿らは先に休んでくれ。俺が夜番に立とう」
グークに向き直り薄ら笑いを浮かべると、彼は不満げに肩をすくめた。
……。
…………。
……………………。
(……交代しようぜ。あんたも寝ないと身体に毒だ)
(お気遣いはありがたいが、不安で眠れそうもない。貴殿は寝ていて構わぬ)
(いや、もう十分寝たぜ。せっかくだから、少し話でもしようや。俺がいなかった間のことも聞きたいしな)
(……そうだな。さて、何から話そうか……)
(えっと……マーカムのことは、残念だったな。あいつ、お坊ちゃんで世の中をナメたような甘ちゃんで、ちょっと腹の立つトコもあったけどよ……もめごとには必ず割って入ってさ、みんなの怒りも愚痴も全部自分で引き受けてさ)
(ああ。何よりも和を重んじる、できた人物であった。あのような正しき者も、戦場は容赦なく命を奪っていく……戦争とは、嫌なものだ)
(仕方ねぇぜ。そこに立つからには、みんな覚悟してることさ。だが、後悔は拭えねぇ……騎士なんてさっさと捨ててくればよかった。俺がいれば、あいつを死なせずに済んだかも……俺があいつの代わりに死んでやれたかもしれねぇ……)
(よせ。自分を責めるべきではない……彼も、いつかは所帯を持ちたいという貴殿の夢が叶ってほしいと願っていた。自分も結婚したいからその気持ちが分かる、とも──)
(結婚したいって……ヘザと、か?)
(だろうな。そして手が届かないから、夢なのだとも。彼はヘザ殿も、ヘザ殿の想い人も好きだったのだから、二人には自分以上に結ばれてほしいと願っていてそう言ったのだろう)
(それで……ハイアートはどうなんだ? あれから進展のひとつもあったのか?)
(……あの男の鈍さにはつける薬がない。ヘザ殿は身分の隔たりがあるからと自分からそれを求めはせぬし、進展など望むべくもない。せめてマーカムの遺志を叶えてやりたくはあるが──理屈では動かないのだ。人の心というものは)
(……やるせないな)
(ああ、誰も報われぬ。ヘザ殿も、マーカムも──)
……………………。
…………。
……。
「ハイアート、朝だぞ。いい天気だぜ──まぁ、洞穴に入りゃ天気も何も関係ねぇけどな」
めくられた天幕の出入口から幾筋もの白い光が差し込んで、薄暗い内部をほの明るく照らした。
ぼくは寝床から上半身を起こしただけの姿勢のまま、半目で外から顔をのぞかせるナホイをボーッと見ている。いつもどおり、すっきりとしない寝覚めだ。
だが、今日は特にすっきりしない。ボンヤリというより、モヤモヤとした何かにとらわれているような気がする。
横になってまどろんでいる間に聞いた誰かの会話が原因に思うのだが……今ひとつ内容を思い出せない。
「なぁ、ナホイ。昨晩──」
「ん?」
「あ、いや。何でもない」
ぼくは首を横に振った。実際の声を聞いたのかどうかすらはっきりとしておらず、ただの夢だったかもしれないのだ。
「変な奴だな。とにかく早く起きてくれよ、天幕が片づけられねぇぜ」
「うん、分かった」
ぼくは四つんばいになって、直射日光のまぶしさにくしゃみを一つしながらテントの外へはい出すと、そのすぐ脇で片手鍋を火にかけているヘザの姿が目についた。彼女の手元を、ブンゴンが興味深く見つめている。
「ヘザ、ブンゴン。おはよう」
「ハイアート様、おはようございます。朝げの支度がもうすぐ整いますので少々お待ちください」
「旦那、この『スープの素』ってのはスゲェですねぇ。石ころみてぇだったものが、湯に入れただけで本当にスープみてぇになっちまったですねぇ」
顔を上げて、こちらに差し向けたブンゴンの瞳がらんらんと輝いている。
向こうの世界でフリーズドライのみそ汁が食卓に上った時にこれを携行食にできないかと思い、あらかじめ製法を調べておいてこっちの世界でスープを元に試作したものを、ヘザに『スープの素』と称して持たせておいたのだ。
これが、水精霊術を使えば割と簡単にできてしまう。
今まで誰もやろうとしなかったのか不思議なぐらいだ。
干し肉など乾燥させた保存食がダーン・ダイマにないというわけではないが、そのまま食うにも固くて食べづらく、水や湯で戻すにも時間がかかる上にそこまで柔らかくなるわけでもない。じっくり煮炊きする余裕があればそこそこ美味しいスープにはなるが……。
「うめぇ! 湯に入れただけなのに、何でしっかり煮込んだような柔らかい肉になっているんですかねぇ」
「本当に、宮廷料理人がこしらえたままの味に戻っています。どう乾燥させたら、このように短時間で完璧に戻るのでしょうか」
スープの味見をしながら、二人は驚嘆を口にする。
「あー、えっと。確か、普通の乾燥だと水分が食物の表面に移動しながら乾くので固くて水が浸み込みにくい組織に変化してしまうけど、凍らせてから水分を抜くと組織がそのままの形で水分のあった部分が細かく小さい穴が空いたように……」
にわか仕込みの知識では、フリーズドライ製品のように理屈をヘザたちの頭に素早く浸透させることはできなかったようだ。まったく理解できないといった風に、ポカンとした表情でぼくを見つめ返している。
「……と、とにかく水精霊術を上手く使えばこういう感じにできるのさ。そんなに難しくないから、マラン中隊の水精霊術師たちに量産させてみようと思う」
「それが可能であるならば、軍の糧食に革命が起こります。このようなものを発明なされるなんて、ハイアート様は天才としか言いようがありません」
いや、ぼくが発明したわけじゃないんだけど。
そう言いたかったがいちいち説明するのが面倒になり、ぼくはただ、苦笑いで応えるにとどめた。
再度第七出口から進入して、今度は第九出口までのルートを検索する。
右手の第一出口からの横道を通過してまもなく、左へと折れる細めの「横糸」が現れた。ここから第九出口へとつながる「縦糸」まで、古地図を見る限りでは今まで通ってきた道のりと同じくらい距離がある。
ここをおそらく丸一日かけて、大小の魔物を退けつつ踏破した。そこから左手へと折れて、さらにたぶん半日ほど前進したと思われる。
おそらくだのたぶんだの、進行にかかった日時に今ひとつ確証が持てないのは、もちろん洞穴の中で昼も夜も分からない状態だからだ。ぼくの左手首にある腕時計が刻む地球時間で、出発から三十二時間ほど経過していることで判断したものでしかない。
そこで、探索隊一行が遭遇したのは──地底湖の、果てなく広がる水面だった。
ランタンの光は対岸まで届かず、その大きさは計り知れない。しかも──
「感知した魔物は、この湖の中だというのか? ハイアート殿」
「たぶんね」
ぼくは肩をすくめた。訊ねたグークも、表情を曇らせる。
「むむ、これは難儀だな……水の中に潜む魔物などと、どう戦えばよいのか……」
「そうだな。じゃあ、ぼくがやろうか。みんなはここに居てくれ」
湖の岸辺に向かって、スタスタと歩みを進める。
「あっ、ハイアート様……油断なさらぬようにしてください」
「分かってる。大丈夫だ」
湖畔に近づいていくと、魔物からも接近してくるのを感じた。やがてそれは水面を割り、さざ波と共に鎌首を持ち上げて姿を表した。
一見すると大蛇のような魔物だが、頭の左右からねじくれた角が伸びていて、ドラゴンのようにも見えた。大きく開いたあぎとに、鋭くとがった曲刀のような牙がのぞいている。赤い瞳がギラギラと輝き、五、六メートル程度の高さから、油断なくぼくを見下ろしていた。
「うひゃあ、おっかねぇ〜〜」
ぼくは薄笑いを浮かべながらおどけるようにつぶやき、ひざまずいて、右手をそっと浅瀬の水面に触れさせる。
水が一瞬で煮立ち、水蒸気が湖上にもうもうと立ち上った。
蛇魔物はボコボコと激しく泡立つ熱湯の中でどんな猛獣とも似つかない奇怪な吠え声を響かせながら悶え、瞬く間にそのシルエットを闇の中に溶かして、消えていった。
「うわっちちぃ! ……ああ、危なかった。うっかり蒸気でヤケドしそうになってしまったよ! ははは……」
ぼくは水面からあわてて避難し、少し離れた所で待機していたグークたちの元へ戻る。
彼らは皆、一様に、無言で立ちつくしていた。
「ん? どうしたみんな、もう湖に魔物はいない。警戒しなくても──」
「ハイアート様。彼らが恐れているのは、魔物ではありませんよ」
ヘザが嘆息混じりに言い、ぼくはわずかに首を傾いだ。
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