異世界召喚ゴムパッチン理論 〜自由意志ゼロの二世界往復、異世界で最強でも現世界ではいつも死にそうです
第二十話(三)「撃ってみろ!」
激痛に悶えながらも、ぼくは剣の先を奴の顔面に向ける。
すると、魔物はあっさりと足から口を離して、舞台の中央辺りまで大きく跳び退いた。
散々痛い思いをしたので、慎重になっているのだろう──距離を空けた後も、魔物はじりじりと注意深くにじり寄ってくる。
左足の傷は、かなり深刻だ。
見る間に赤いしたたりが広がり、痛みを通り越して膝から下の感覚が麻痺していた。
今襲いかかられたら、百パーセント殺られる。
ぼくは足を引きずりながら、舞台袖の奥へと、這うようにして退いた。
しかし、残った右足もがくがくと震え、上手く踏ん張りが利かない。
ふらりとよろけて、ぼくは反射的にそこに立っていたものに、手をかけて寄りかかった。
これは……!
ばっと背後を振り返る。
犬魔物は攻撃を合図するかのように、高く吠え声を上げ、どっと突進してきた。
ぼくは、体を預けているそれの──スタンドに据えられたスポットライトの、レバーを一気に引き下げた。
「ギャオオォ────ン!」
唐突に強烈な光線を浴びた魔物は、狂おしく悲鳴を轟かせた。
ひっくり返って、六本の足をじたばたとさせて悶えている。
「どうだ、参ったか……これが現代テクノロジーの『光精霊術』だ……!」
ぼくは脂汗をたらした顔に笑みを作り、右足でトントンと詰め寄りながら、小剣に魔力をまとわせる。
ばったりと倒れ込みながら、銀の輝きを放つ刃を魔物に向けて浴びせかけた。
胴体の急所を狙ったはずが、少し外れて奴の後ろ足の付け根に命中し、それを斬り落としただけに終わる。
絶命させるには至らない攻撃だったが、これで十分だ。
斬り離した足は濃密な魔素の塊に変わり、ぼくは袖の術式に魔力を注いでそれを引き寄せた。
「おおぉ……来た来たァ────!」
魔素が手の中に集まり、あふれんばかりに力がみなぎる。ぼくは犬魔物にトドメをさすべく、痛みに耐えてすっくと立ち上がった。
最期の悪あがきか、奴は再三、口の奥から魔力を吐き出そうとする。
「また魔力弾か……撃ってみろ!」
ぼくは術式を描き、魔力弾が放たれると同時に発動させた。
光の矢が目に見えぬ魔術の障壁に触れ、キンと甲高く鳴り響いて、飛んできた方向へまっすぐに跳ね返される──
ドンと激しい炸裂音がして、銀色の光芒が舞台の床上で爆発した。
一瞬で閃光が消えた後には、直径二メートルほどの大穴と、霧状になって漂う魔素だけが残された。
──ああ。今回もまた、死ぬかと思った。
ぼくはぺたりと尻もちをついて、ほっとため息をつく。
それから手を振りかざして魔素をかき集め、足に治癒魔術を施した。
いつものかゆみを我慢しながら立ち上がり、二、三度飛び跳ねてみる。
麻痺もなく、ちゃんと動かせるのを確認して、ぼくはもう一度安堵した。
さて、この格好のまま外に出るわけにもいかない。スポーツバッグはこの下の倉庫に置いてきたままだ。
ぼくは、舞台のぽっかり空いた大穴から倉庫へと飛び降りた。
バッグに外衣・仮面・小剣の変身三点セットを無造作に詰め込んで、舞台脇の扉から出る。
そこからこそこそと動き、外につながる鉄扉から様子をうかがった。
辺りには驚くほど人の気配がしない。この隙に校舎の方まで脱出して、何食わぬ顔をしていれば無関係を装えるだろうか?
足音を殺しながら、身をかがめて外に出た。
人気を避けるために、特別棟の方へと向かう。が──
「白河君!」
不意に校舎の出入口から人影が躍り出て、ぼくの前にざっと立ちはだかった。
ぎょっと驚くぼくの目の端に、揺れるポニーテイルの先端がちらつく。
「朝倉先輩……!」
ぼくはあえぐような声を上げて、彼女の名を呼んだ。
先輩は怒っているのか悲しんでいるのか、複雑な感情がないまぜになったような表情で、ぼくに真剣なまなざしを向けている。
「探したぞ、一体どこに逃げていたんだ。それとも──今の今まで、体育館にいたのか」
「そ、それは……」
「……あのおかしな生き物は、どうなった?」
答えにくい問いを、次々と投げつけられる。
ぼくは彼女のまっすぐな視線を、うつむき加減にして避けた。
「それについては……もう、心配ありません」
「……君が、やったのか」
九分九厘確信していて、あえて訊いたのだろうが、ぼくはただ沈黙を返した。
「──まぁ、その辺はどうでもいいんだ。君が無事でいたなら……生徒は皆、校庭に集められて点呼を取っている。君もできるだけ早く来てくれ──その、スポーツバッグを隠してきてからな」
先輩はそれだけ言い残して、さっときびすを返すと、教室棟の方へ走り去っていった。
あの人には、きっといつか、すべてを明かさなければならない時が来る。
ぼくは、彼女が姿を現した時と同様に揺れているポニーテイルを目で追いながら、そう予感した。
先の体育倉庫の火災に続き、学校は再び警察のご厄介となったため、全校生徒は強制的に帰宅させられた。
当然、文化祭は中止。
この日を楽しみにしていた生徒も数多くいただろうに、ぼくのせいで台なしになってしまった。
……そう。魔素中毒も、魔物も。
この世界にほとんど存在しなかった魔素が、急に増えて吹きだまるようになったので、たびたび発生するようになったわけで。
それはおそらく、ぼくを召喚するために、ダーン・ダイマからこの世界に向けて大量の魔力が注がれているからなのだ。
つまり──すべては、ぼくの責任だ。
「──ごめんな」
「へ? 何が?」
ぼそりとつぶやくと、ぼくの右隣に並んで歩いていたハム子が、不思議そうに首を傾いだ。
「え? ああ……劇を観に行けなくて」
「……そんなの、別にいいのだ。どうせ劇は途中でできなくなっちゃったし……途中にしたって、せめて舞踏会のシーンまではやりたかったのだ。ドレスを着て舞台に出たかったのだ」
劇はもちろんだが、そのドレスも、魔物との戦いの中でダメにしてしまった。本当に申し訳ない。
「……って、ハヤ君にグチってもしょうがないね。実際そこまで残念には思っていないのだ、ドレスは本番前の試着で着られたし──その時の写真も撮ってあるのだ。見たい?」
とは訊くが、こう言う時はむしろハム子の方が見せたいと思っている時だ。
そんなに見たいわけではないが、見るだけでハム子の気が済むのなら安いものだ。
「ああ。じゃあ、それだけでも見ておこうかな──うわっ」
返事を最後まで待たず、ハム子はスマートフォンの画面を、鼻の先がくっつきそうなほどにぼくの眼前へと突きつけてきた。
「バカ、近すぎだ。それじゃ見えないだろ」
「あやや、ごめん。……これくらい?」
三〇センチぐらい間を離した。
黄色くつやつやした生地にたっぷりのひだを作ったあのドレスを着けて、スカートの裾を両手でつまむようにして絡げた格好のハム子が映っている。
「……綺麗、だ」
ご機嫌取りのために、何かしらのお世辞を言おうと思っていた。
しかし画像を見た途端、なぜか何も考えられなくなって、思いもよらない言葉がぼくの口からこぼれていた。
「でしょー? これ、ハヤ君にも送ってあげる!」
ハム子は興奮気味に言って、スマートフォンをあわただしく操作し始める。
「えっ。いや、そこまでしなくても──」
言いかけたが、以前の反省から尻ではなく胸のポケットに入れていた、ぼくのスマートフォンがブーっと鳴って振動した。
「早っ。もう送ったのか」
「へ? まだ送れてないよ?」
ぼくはいぶかしい顔をしながら、それを取り出して画面を見る。
下関からの、ETのビデオ通話の着信だった。
「下関君から?」
脇からちらりとのぞき込んできたハム子が訊いてきて、ぼくはうなずいた。
一旦歩道の端に寄って、着信ボタンに触れる。
画面が、下関の笑顔に切り替わった。
「よう、白河……あれ、小牧さんも一緒か。邪魔して悪かったな」
「別に邪魔じゃないよ。で、何の用だ」
「俺が文化祭委員の友だちに代わって、体育館イベントのビデオ撮影をしていた話はしたよな?」
悪い予感に、心臓が小さく躍った。
「ああ、そ、そうだったな……」
「例の『怪物』が出て、俺もすぐ避難したんだが、その時ビデオカメラを録画にしたまま置いていったから、俺らが体育館を出た後の出来事が全部録画されているはずなんだ」
背中に、冷たい汗がじわじわ流れるのを感じた。
映っていたらヤバいものがあるかもしれない、という焦燥感が襲ってくる。
「だから、警察にそのビデオの提供を求められてDVDにコピーして渡したそうなんだが、そのついでにもう一枚コピーを作って、約束どおり俺にくれたんだ。明日は振替休日だから、一緒に観ないか?」
「観る。観る観る観る」
「うほっ、白河にしちゃえらい食いつきのよさだな。じゃあ明日の十時、呉武駅前の『カラオケの超人』前で待ち合わせな。俺も今日は観ないで明日の楽しみにとっとくから」
「分かった。じゃ、また明日」
通話を切り、ぼくはふーっと長い吐息を静かに漏らした。
まずは、ビデオを確認することからだ。
もし、警察に素性を知られたりしたら、一体どうなることか──
「ハヤ君──私も一緒に観に行っていいよね?」
はっと、ぼくは背後から画面をのぞいていたハム子に向き直る。ビデオの話が衝撃的で、彼女の存在をさっぱり忘れていた。
「いや、でも、ハム子は部活とか──」
「体育館がまだ立入禁止になっているから、明日の部活は中止になってるのだ」
「えっと、しかし、下関がいいって言わないと……いや、ハム子が来るって言って、あいつが断るわけがないか」
「決まりなのだ」
にっこりと笑うハム子に、ぼくは苦い顔で、再び深くため息をついた。
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