異世界召喚ゴムパッチン理論 〜自由意志ゼロの二世界往復、異世界で最強でも現世界ではいつも死にそうです
第五話(二)「法的に問題ないんだっけ?」
しまった、外で待ち伏せていたのか。
立ち上がりながら体を反転させる。煙草の匂いが鼻をくすぐった。
引き戸の隙間からぬっと身体を差し入れて、くわえ煙草の不良Aがこちらをねめつけながら、ニヤニヤと下卑た笑いを浮かべていた。
その後ろから不良Bともう二人……不良CとDが、同様に煙草をくゆらせながらついてくる。
逃げ道を塞がれた──意外と、悪知恵が働く奴らじゃないか。
「おまえたち、百歩譲って、ぼくに意趣返しをするのは構わない。でも、その前にあの子を──」
大きく振りかぶった拳が、僕の顔面を真っ直ぐ狙ってきた。
ぼくは両腕を盾にして受け止めるが、勢いに押されてさらに奥へと吹っ飛ばされ、激しく尻もちをつく。
「うっせーなぁ。てめぇをブチのめした後で、女は何もしねぇで放してやるよ。安心してボコられろや」
紳士的なお申し出はありがたいが、おとなしくボコられてやる気はない。
しかし、素手ではとてもかなわないな。何か武器さえあれば……。
前方の不良Aに警戒を切らさずに、徐々に立ち上がりながら、チラチラと周囲を見回す。
右手側の棚に、春の体育祭の時に使った、紅白の応援旗が巻きついたアルミ製の旗竿があった。長さは一五〇センチぐらいか。長さ、強度共におあつらえ向きだ。
ぼくの側頭部に、不良Aのげんこつが飛んできた。
右に大きく身体を投げ出してかわし、転がりながら棚に取り付いて、手近な白組用の方の旗竿をつかんだ。
即座に、それを槍のようにして構える。
体育祭では紅組だったが、今日は一日限定で白組だ。フレーフレー、白組っ。
「ハッ、そんなもん振り回しても──」
不良Aは躊躇なく、距離を詰めて殴りかかろうとする。
「振り回す」なんて、そんな隙だらけの攻撃をするわけがない。
その踏み出した足の、ひざを狙って旗竿を真っ直ぐに繰り出した。
ゴッと鈍い音がして、最高の手応えが手に伝わる。
槍の穂先がついてたなら、ひざから下がなくなっているはずだったが、とても幸運なことに穂先がついていなかったので、不良Aは繁殖期のウシガエルみたいな喘ぎ声を上げて、脚を抱えて床に転がっただけで済んだ。
「ンの野郎……!」
不良B、不良Cが、寝転がっているAを飛び越えてきた。
捕まえようと考えているのか、両腕を広げながら襲ってくる。
ぼくは左に上体を振って、横からBのガラ空きの腋の下を狙った。
不良Bは、毛細血管いっぱい詰まってる腋を攻撃されて、身悶えて倒れた。乳首ドリルはしない。
すぐさま、旗竿の先を不良Cに向けて構え直す。
その先を、Cは右手で鷲づかみにしてきた。
「へへっ、捕まえた……ぞおおぉっ?」
旗竿を左に、ぐるりと回転させる。
相手の右手が外側にひねられて、握力が緩んだ。
旗竿を素早く引いてその手を振りほどき、さてどこを貫こうかと考えたその時、ぼくは今更ながらとても重要なことに気づいた。
相手は、鎧を着ていない。
普通に正中線上の急所を狙ってもいいのだ。
なので、ぼくは普通に、彼の腹部、みぞおち辺りを目がけて小突いた。
不良Cはあっさりと、全身をくの字にして沈み込んだ。
これで、残るはただ一人。
……あれ?
不良Dの姿が、体育倉庫の中から消えている。
どこかに隠れたのか?
ぼくは不意打ちをおそれ、じりじりと後退しながら、慎重に、周辺の体育用具の陰などに注意を払う……。
いた。
見つけたことは見つけたのだが、それは引き戸の開いた隙間から見える、猛然と遠ざかっていく背姿だった。
退却のタイミングを見誤らない状況判断は評価するが、君らの間に友情はないのか。
あまりの逃げ足の速さに呆気に取られていると、その隙に、他の不良たちもいつの間にか身を起こして、外に出ようとしている。
「あっ、待てっ……」
ぼくは追いかけようとするも、最後に扉を抜けた不良Cに、後ろ手に引き戸を勢いよく閉められてしまった。
扉に取りついて、取っ手を引っ張る。
開かない?
戸が閉まった拍子に、掛け金がはまってしまったのだろう。扉の向こう側でカチャカチャと金属音がするだけで、いくら揺さぶっても開くことはなかった。
もう仕返ししたいとも思わないぐらいに、不良どもをこらしめてやりたかったが……それより優先すべきことがある。
ぼくは倉庫の奥に戻り、そこにす巻きにされて転がっているハム子の口を塞ぐテープをゆっくりと剥がした。
「うえぇ……ハヤ君~~~~」
鼻をぐすぐす言わせて、ハム子はか細く声を上げた。
「すまない、ぼくが浅はかだった。文句はあとでたっぷり聞くから、少しおとなしくしていてくれ」
絡み合うネットを、着実にほぐしていく。
練習着の半袖シャツから出ている二の腕に残った網目の跡が、より一層、ぼくをちくちくと苛んだ。
「よし、もういいぞ。ハム──」
ようやくすべてほどき終わって、何かしら声をかけようとしたぼくの言葉は、不意に首根っこをぎゅっと締めつけられて止まった。
怒りのあまり、ぼくを絞め殺しにきたのかと思った。
でも、たぶん、違う。
これは、きっと、おそらく……抱きつかれているのだ。
ぼくの首にはハム子の両腕がしっかりと巻きつき、右の頬は、彼女のふわふわの髪が触るのを感じる。
そして、ぼくの胸に。
彼女の、身体のどこか一部分にあると思われる、柔らかくてボリュームのある肉が、押し当てられている。
どの部分かは、考えないようにした。
思えば、ぼくの青春と言われる人生の季節は、人里離れた山間の小屋で、隠者のように魔術の修業に明け暮れていたのだ。
だから、この頭の芯が痺れるような感覚も、さっきから自分の心臓の音がやけにうるさく感じるのも、きっと不可抗力だ。
認めたくはないが、子供の頃からずっと近所づき合いがあって、ほぼ家族の一員としか思えないような幼なじみ相手に──うっかり興奮してしまっている、という事実も、きっと不可抗力なのだ。
あれ、幼なじみって、法的に問題ないんだっけ?
いや待て待て。幼なじみは家族じゃない。
思考が混乱している。ぼくは──
「ありがとう……ごめんね……ハヤ君……」
耳元でハム子の鼻声が聞こえたその時、一瞬でぼくの頭が冷えた。
何てバカなことを考えていたんだ。
小学生の頃、遊園地で、ハム子をお化け屋敷に引っ張って入った時のことをふっと思い出した。ハム子はずっと半べそで、鼻をすすりながら、ぼくの背中にしがみついていた。
それと同じだ。彼女がこんなにも怖がっている時に、ヨコシマな気持ちになっている自分が情けない。
ぼくはのどの奥に詰まっていた息をゆっくりと吐き出すと、ハム子の背中をポンと叩いた。
「ぼくは、責任を取りにきただけだ。君が謝るようなことじゃない……さあ、少し落ち着いてくれないか。そうくっつかれては鬱陶しくてかなわん」
言われて、彼女はおずおずと、ぼくの首元から腕を離した。
内心はかなり動揺していたが、普段のぼくと変わらないように見えたからだろうか。ハム子はまだ涙目だったが、口元には笑みを浮かべている。
さて、これからどうしよう。
扉は金具が引っかかって開かない。
そして、ハム子と二人きりの室内。
改めて客観的に見ると、何だかラブコメディ漫画の定番シチュエーションみたいな状況だが、時代は移り変わってしまった。
携帯電話というアイテムが一般化することによって、もはや危機的状況でも何でもなくなってしまったのだ。
そこで、どうにかコレを封印してクライシスを演出したい漫画家は、往々にしてバッテリー切れなどで携帯電話を使えなくさせたりするわけだが……。
しかし実際のところ、「気がついたらいつの間にか携帯電話のバッテリーが切れてた」なんて経験をしたことがあるだろうか?
ぼくは思う。携帯電話のバッテリー残量以上に、普段から気にかけまくっていて、切れかかってくるとハラハラドキドキしてしまうものが、日常生活に存在するのかと。
そしてあえて言おう! 携帯電話のバッテリー切れなどという展開は、小説や漫画におけるご都合主義の極みであると!
ぼくはそんな小説や漫画の登場人物ではないので、当たり前に把握している。最後に自分のスマートフォンを見た時には、八五パーセントのバッテリー残量があり、スリープ状態にしたままの十数分で消耗してしまうはずがないことを。
仮に携帯電話を持っていなかったとしても、時間が来れば下関が助けに来る手はずを先に整えてあるのだから何の問題もないが、ぼくのスマートフォンはちゃんと制服の尻ポケットに入っている。
ん、尻ポケット?
ぼくはさっき、不良Aに殴りかかられた時、激しく尻もちを──
おそるおそる、尻のポケットに指先を入れる。
やってしまった。
通常、横から見て一八〇度のスマートフォンが、広角一四〇度ぐらいになっている。
電源は、まったく反応がない。
仮に電源が入ったとしても、画面全体に細かなヒビが入っていて真っ白け。何が映っているのかわからないし、タップしても反応するかすら疑問だ。
共に三十年近く、ダーン・ダイマでの冒険をも乗り越えてきた相棒を、こんなことで失ってしまうとは……まぁ、ちょっと挙動もおかしかったし、いい加減買い替えるべきだなーとは思っていたけど。
それにしても、色々ほざいた割には、あっさりがっつりラブコメディ漫画の定番シチュエーションとやらにハマった形になってしまった。
それも、その相手がハム子というのは……妙な罪悪感しかしない。
とりあえず、現状をハム子に説明しよう。
先に下関が助けに来る予定だと言っておけば、ハム子も安心だし、ぼくも別の意味で安心できそうな気がする。
「いいか、ハム子。倉庫の扉だが、掛け金が引っかかったみたいで、内側から開かなくなっている」
「うん……」
「しかも、先ほどの乱闘でぼくのスマホが壊れてしまった」
「うん……」
「しかし、一時限目が終わったらここに助けに来るよう、事前に下関に伝えてあるから、待っていれば大丈夫だ」
「うん…………」
何だろう、さっきからハム子の反応が変だ。
目をとろんとさせていて、ぼくの言葉が頭に届いていないように見える。
「どうした、ハム子? 具合が悪いのか」
「うん……なん……か……眠……い……」
ハム子はついに、ぼくの肩に頭を預けてしまった。
眠っている?
いや、これはもはや「昏睡」だ。
何かおかしいと思うと同時に、感じる……かすかな焦げ臭さ。
さっき不良たちが吸っていた煙草の残り香か?
違う。違うが、よくよく思い返すと、あいつらが逃げ出した時には、煙草はくわえていなかった。
その煙草は、一体どこへ行ったのか。
嫌な想像と共に周囲を眺め回して、そしてぼくが見たものは、静かに、そして着実に、プレハブ建の内壁をなめていく、炎の紅さだった。
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