異世界召喚ゴムパッチン理論 〜自由意志ゼロの二世界往復、異世界で最強でも現世界ではいつも死にそうです
第四話(一)「ヘザとの出逢いだった」
週末の昼下がり。
ぼくは押入れを開けて、いくつかの衣装ケースを引っぱり出していた。衣替えをするから部屋に入れろという母親に、自分でやるからと断ってきたのだ。
母はもちろん、誰にも自室の押入れを開けさせられない理由が、ケースを出した拍子にごろりと転がり出てきた。
剣だ。
硬い革製の鞘に長さ四十センチメートルほどの刃を収めたそれは、柄頭にハヤブサの意匠が刻まれている。ぼくがダーン・ダイマから帰ってきた時に、腰に下げていたものだ。
ぼくは魔術師だったから、戦いに剣を使うことはない。それでも、この重い鋼鉄でできた得物を常に身につけていた理由があった。
それは──
初めて訪れたゲイバムの王城の第一印象は、一言で言い表せば、美しかった。
白亜の城壁、蒼天をつんざく数々の尖塔。周囲にうがたれた堀は底が見えない。
城門に架け渡された跳ね橋の傍らに建つ見張り塔に歩み寄り、ぼくはその塔の足元に立つ、全身に鎧をまとい槍を携えた兵士に向けて封筒を掲げて見せた。十二年という年月を経て表面に擦れや黒ずみが見られるものの、この日のために大事に大事に保管してきたものだった。
「これは元ゲイバム王国軍近衛魔術師長、オド・ゴンズロロより預かった、国王陛下宛の書簡である。これを陛下にご高覧賜り、シラカー・ハイアートが参ったとお言伝願いたい」
衛士は最初いぶかしげに封筒をあちこちの角度からじろじろと眺めていたが、封ろうの刻印に気づくと、彼は目をぱちぱちさせた後に、跳ね橋の向こう側へと駆けて行った。
ほどなくして立派な城門から駆け出してきた人物に、ぼくは笑顔を浮かべた。
「ハイアート様、お待ちしておりましたぞ! いえ、『六行の大魔術師』様とお呼びした方がよろしいですかな」
「そんな呼び方はやめてよ、アーエン師匠。元気そうで何よりだね」
十二年ぶりの再会を喜び、ぼくはゲイバム王国の元近衛兵士長、アーエン・ドーブと力強く握手を交わした。アーエン師匠は少し身体が小さくなったように見えたものの、その立ち居ふるまいはかくしゃくとしていて、かつてのオド老師とほぼ同年代となったはずなのに老いをまったく感じさせない。
「まぁ、それだけが取り柄ですから。しかし、いよいよ使命を果たされる時が来たのですな……さあ、早く城内へお越しください。国王陛下がお待ちかねです」
謁見室に通されたぼくは、交差した両手を胸に当ててひざまずいた。
王座には、王というには優しげな眼差しの老人が鎮座し、その傍らには凛とした顔立ちの妙齢の貴婦人が、さして緊張した風もなく穏やかに微笑んでいた。
「ゲイバム国王陛下。このたびはお目通り叶いまして、光栄至極に……」
「面を上げよ。堅苦しいあいさつを、朕は好まぬ」
ぎょっとして見上げたぼくを、王は柔らかな表情を絶やさず見つめていた。
「──シラカー・ハイアート殿、彼方よりの来訪者にして『無垢なるもの』、また『六行の大魔術師』の二つ名を冠する英雄よ……」
王は外見とは裏腹な、威厳のある語り口調で、澱みなく言った。
「エリンズの大盗賊団を壊滅せしめ、また抗争の絶えなかった森林族を和解させるなど、貴殿の諸国での功績は枚挙に暇がなく、その高名は遠く我が国にも聞き及んでいる──オドの予知どおり貴殿こそ、この世を救う者であると確信せざるを得まい」
「もったいないお言葉でございます、陛下──」
「謙遜することはありませんよ、救世主様。あなた様が頼りなのです──『魔界』の侵攻に立ち向かうためには」
王妃の言葉に、ぼくは眉根を寄せた。
ダーン・ダイマの中央部にある『魔界』が全世界に向けて侵攻を始め、おびだたしい数の難民が滅ぼされた数々の都市から流れてきたのを目の当たりにして、ぼくはついにゲイバム王国へ向かう時が来たと確信したのだ。
「ハイアート殿。貴殿は予知された『動乱』が、このたびの魔界の侵攻のことと見るか」
王の静かな問いに、ぼくはうなずいた。
「魔界は無秩序にその版図を広げており、まるで魔族以外の人間をすべて滅ぼすかの勢いです。このままではゲイバムはおろか、ダーン・ダイマ全土にその侵攻の手が及ぶことになりましょう」
「では救世主様、このかん難辛苦に、いかにして立ち向かうべきでしょうか。長年諸国を渡り歩き、世界をつぶさに見て回ったあなたなら、それが分かりましょう」
王妃が不安げに訊ねると、ぼくは精一杯、自信あり気にふるまった。
「謹んで申し上げます。この世界の国々は、点在する都市が独立してそれぞれに国家を形成しており、経済交流はあるものの、軍事はそれぞれの都市の防衛のためのものしか持ちません。それは当然のことですが、そのために国々が抵抗する力を持てず、一つ一つをしらみつぶしに蹂躙されているのが現状です」
王たちは、静かに聞き入っている。ぼくは言葉を続けた。
「なので必要なのは、軍事的にも都市同士が支え合うことです。できる限り多くの都市・国家・地域から兵力や資金を互いに提供し、国の垣根を越えた強大な軍隊を創るのです」
「なんと……!」
王が驚嘆を上げる。今まで概念の外にあったと言わんばかりの表情だった。
「しかしてその軍、いかに統制すべきか。複数の国家により編成された軍の統帥権を、どの国が持ったとしても快く思わぬ者がいるであろう」
「協力関係にある国家同士で議会を設け、軍の運用を会議にて決めるのです。議長国はこのゲイバム王国を想定していますが、あくまで議会の進行を執り行うだけで、軍は参加国の総意又は多数の合意をもって動かすこととするのです」
王は腕組みして、ううむとうなった。それから程なくしてうんとうなずき、決意したように言い放った。
「あい分かった。朕が発起人となり、諸国と軍事連盟を結ぶことに尽力しよう。まずは、各国に使節を遣わすことから始めなければならぬが……使節には最も名高く、数多の国から恩義を持たれ敬われる者が適任ではないかね」
王がこちらをちらりと見た。王妃もちらりと見た。
「陛下……もしや、それは……」
「しかし、それには身元の方をきちんとしてもらわぬとな。元々そのつもりだったのだが、良い口実ができた」
王が席から立ち上がり、背筋を張って、堂々とした立ち居ふるまいで、ぼくの元へと一歩進み出た。
「これよりシラカー・ハイアートをゲイバム王国騎士に叙任する。ヘザよ! 剣を持ってくるのだ」
謁見室の脇の扉がわずかに軋んで開き、若い女性が姿を現した。
赤茶色の巻き毛が背中まで伸び、黒の外衣によく映えていた。その顔立ちは眼鏡に隠されていたが、それを含めて気高さと愛らしさを兼ね備えた美を感じたのを憶えている──
これが、この先の数年もの間ぼくと共にあり、全幅の信頼を寄せる相棒である、ヘザとの出逢いだった。
ヘザは胸の前に突っ張った両腕の先を、艶やかな紅の絹物で包んでいた。その上品な布地の上には、四十センチメートル程の幅広の刃を持った剣が、うやうやしく鎮座していた。彼女が王の傍にひざまずくと、王は剣に視点を落とし、それから驚いたようにヘザを見た。
「ヘザ、朕は長剣を用意するようにと言っておいたはずだが」
「は。そのとおりにご尊命いただきましたが、先ほど私の独断で取り替えました」
「ふむ。わけを訊こうか」
「かの御仁が見えられた時、失礼ながら、長剣を扱うにはお身体が小さいかとお見受けしました。儀礼の品とはいえ、御身につけるものであれば、いざという時に扱えぬものではお困りになると考えました。陛下、勝手をいたしましたこと、誠に申し訳ありません」
図星だった。
ぼくはアーエン師匠に剣技も多少教わっていたが、刃の長い剣はすぐにへとへとになってしまい、まともに振り回せなかった。あの剣の長さは彼女の見立て通り、ぼくに最も適したものだ。
ぼくは彼女が何がしかの処罰を受けないよう、王に嘆願を述べるつもりだった。だが。
「然り、然り! ヘザよ、そなたが正しい。朕はかの者が英雄と聞き及んだが故に、偉丈夫であるとすっかり勘違いしておったのだ。そなたの思慮深さ、そして即座に対応できる判断力を、朕は高く買っておるぞ」
「は。私ごときにはもったいないお言葉にございます、陛下」
杞憂だった。しかしこのやり取りや、口元を隠してくすくすと笑う王妃を見るにつけ、ヘザが的確にフォローして王が褒めるという一連の流れが割と「よくあること」だったに違いない。ぼくは笑いを噛み殺して、王の前に片膝をついてかがみ込んだ。
「シラカー・ハイアートよ。そなたを王国の騎士に任命し、朕より剣を遣わす。受け取られよ」
王はヘザの手から剣を取ると、それを柄の方を向けてぼくの眼前に差し出した。柄頭の部分にハヤブサを意匠にした王家の紋章が刻まれており、ぼくはそこに額でそっと触れてから、剣を手の中に収めた。
「ありがたく賜りました。騎士の名に恥じぬふるまいを心がけます」
「うむ。これにて叙任式は終わりだ。ハイアート殿、早速明日からゲイバムの使節として各国へ赴き、交渉ごとに当たってほしい。その任務の補助役として、ヘザを伴わせよう」
ぼくは思わず「えっ」と声を漏らして、赤毛の女性を見やった。ヘザはぼくを前にして、両手を胸の前で交差させてひざまずいた。
「ヘザは近衛軍精霊術師隊の副隊長を務めており、護衛として申し分ない上に、国々の政情にも明るい。また見てのとおり、とても器量がよい。これほどそなたの旅の供に適した者は、他におるまい」
「は、はぁ……」
ぼくはもう一度、ヘザをちらと見た。ひざまずいた姿勢から微動だにしていない。
初めて逢ってまだ二分しか経っていないこの人と共に旅をしろ、だなんて──あまりに気まずくて、せっかくの申し出を全力でお断りしたい気持ちだったが、もはやそんな空気ではなかった。
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