変態パラドクス

蒼風

第25話 終止符は突然に

「黎。行こうぜ」
放課後。伊織は何事も無かったかのように話しかけてくる。先ほどの事は黎が深入りされたくない事なのだと判断したらしい。
「そうだな……行こうか」
黎はそう言って立ち上がり、
「あの……」
「うわっ」
「きゃっ」
背後からいきなり声を掛けられて、驚いてしまう。この声は久遠である。
結局の所、彼女はホームルームの後、一限から現れた。今までは無かった光景にクラスメートは皆、多少なりとも驚いたりはしたのだが、交友関係を持たない彼女に事情を聞く物は現れず。昼頃には通常の空気に戻っていた。
そんな彼女。昨日喧嘩別れの様な形で解散し、メールの返信も貰えていない、彼女。どちらも“遥”としての出来事ではあるが、なんとなく顔が合わせづらい。
そんな黎には構いもせずに伊織が、
「どしたの、会長さん」
久遠は戸惑いながら、
「え、ええ。一応メールはしたんだけど、昨日の夜、突然だから、見てない人もいるかもしれないと思って」
「それで声を掛けてくれたって事?」
久遠が頷く気配だけがする。
「それなら、俺が教えなくても大丈夫だった、な?」
伊織はそう言って黎の肩を掴むとくるりと一回転させ、
「こいつ、スマフォ家に忘れてて、メールの事知らなくって。でも、会長さんが声掛けてくれるなら心配しなくて良かったかもなぁ」
あはは、と笑う。黎はやや目線を逸らして、
「えっと、はい。そんな感じです」
「そ、そうなんだ……」
沈黙。その間を嫌ったのか伊織が、
「そーいや、今日って何をするんすか?」
そんな問いに久遠がさらりと、
「文化祭の特別枠についての詳細が決まったから、その事についてよ」
「詳細とな」
肯定。
「ええ。今回の特別枠はちょっと特殊で、生徒にも参加してもらおうっていう趣旨で考えてるの」
「へえ……それも会長さんの伝手で?」
「まあ、一応。と言っても大半は両親の伝手なのだけどね」
「なるほどねぇ……」
伊織が「あれ?」と首を傾げ、
「でも、それだったら別に水曜日でも大丈夫じゃなないの?」
否定。
「本当は、先週の時点で決めておきたかったの。でも、話がなかなかまとまらなくって。漸く昨日の夜まとまったから、そこから資料を作って、メールを出したのよ」
伊織は「はぁ~」と感心し、
「何ていうか、凄いわ。俺だったら絶対水曜日にするね」
そんな伊織の言葉に久遠が軽くお説教をする。しかし、その内容は黎の耳には届いてこない。彼女は昨日の夜まとまったからと言っていた。それから資料を作って、メールをしたとなれば、寝るのは相当遅いはずだ。だから、黎のメールにも気が付かなかったのではないか。そんな気がしてくる。
やがて伊織への文句も尽きたのか、
「ふぅ……取り敢えず行きましょうか」
久遠が一つ息をついて、くるりと振り返、
「おーい!久遠はいるかね?」
ると、視線の先には見覚えのある顔が居た。
「琴……音?どしたの?」
琴音である。今まで見たことは無かったが、どうやらこの学院の生徒らしい。制服が一緒だ。ただ、胸のリボンの色は黎達とは異なる。あの色は三年生の物、だったかな?
「よっ……と」
琴音はひょいひょいと、教室のドアから黎達の所までたどり着き、
「だって、久遠がいつになっても来ないんだもん。暇だから着ちゃった」
「もー……」
その光景を見て、黎は心の中で胸をなでおろす。良かった。二人は仲直り出来たのだ。彼女の話を聞く限り、昨日は資料を作ったりする為に忙しかったらしい。だから、メールも返せなかったのだ。きっとそうだだ。
黎は、勝手に納得し、顔を上げる。ふと、その視線が琴音とあう。彼女とは何度か“遥”として会っている。しかし、“黎”として会うのは始めてである。挨拶をしたほうがいいのだろうか。そんな事を考えていると琴音がずずずいっと黎に近寄ってまじまじと見つめて、
「あれ、遥じゃん。何でこんなところに居るの?」
「……え」
瞬間。時が止まる。ちょっと待て。今、琴音は黎の事を何と呼んだ?
「なーんだ、遥も同じ学校だったんだ。それなら早く言ってくれればいいのに~」
二回目。今度こそ聞き間違いでは有り得ない。彼女は、琴音は、確かに“遥”と呼んだ。男性の恰好をして、制服を着ている“黎”に向かって。一体これはどういう事だ。
久遠も、伊織も、突然の事に反応できずにいる。当たり前だ。二人は“遥”という名前がどういう意味を持つかを知っている。
取り敢えず事実確認をしなければ、そう思い、
「……どうして、“遥”と?」
琴音は全くためらいもせず、
「え、だって遥だよね?」
その表情には全く曇りが無い。むしろ「何でそんな事を聞くのか」という雰囲気。ある程度……いや、かなりの確信があると見える。
ここで、琴音を嘘つき呼ばわりする事は出来る。何せ“黎”と“遥”は見た目が違いすぎる。琴音の突拍子もない嘘という事にすれば何とかこの場は切り抜けられるかもしれない。
しかし、その後はどうだろうか。一度芽吹いた疑惑の種は決して元には戻らない。そもそもの名前が“星守黎”と“月守遥”である。加えて、二人の背格好は全く同じだ。別人だと、女性だと思って見ていれば気にならなかった部分にも、疑いのフィルターが掛かる事で気が付くだろう。
だから、
「……どうして、そう、思うんですか?」
これが精一杯。認めない。しかし、疑問は解消する。ギリギリのライン。
「どうしてって言われてもなぁ……」
琴音は初めて困った顔をして、
「カラコンとか、ウィッグってさ。パッと見の印象は変わるじゃない?でも、なんていうのかなぁ……こう、本質?みたいな所は変わらないじゃん。顔つきとか。その辺……かな?」
そんな事を言ってのける。つまり彼女はウィッグを付けていようが、カラコンで瞳の色を誤魔化そうが、見抜ける、ということだ。
「そんな事が、可能なんですか?」
「可能なんじゃないかなぁ……実際こうやって分かったし」
そこまで言って「あ」と思い付き、
「そっか、あれだ」
「あれ……とは?」
「えっとね……アタシさ、昔、近所の可愛い子に自分の服とか着せて遊んでたんだよね。んで、男の子にも着せるってなった時に、ウィッグとかもかぶせてたから……そのせい、かも」
そこまで言われて黎は日曜日の記憶が蘇る。あの時、琴音は変装をしていた。サングラスを掛けて、ウィッグを付けて。
静寂。気が付けば既にクラスメートは皆、教室を去っていた。
「えっと……星守……くん」
そんな中、絞り出すような声がする。今まで視界から外れていた、それでもそこに居て、ずっと話を聞いていた。雨ノ森久遠、その人の声だった。
「は、はい」
黎は恐る恐る声のする方を向き、
(……っ!)
その表情は“黎”にも、“遥”にも、見せたことのない物だ。触れれば壊れてしまいそうな、今すぐにでも決壊しそうな、そんな表情。久遠は溢れ出る感情を押しとどめるように、語り掛ける。
「あなたは……“星守黎”は、“月守遥”なの?」
そんな事は無い。そうであってほしくない。否定してほしい。そんな願望を込めた、問いかけ。本当は黎だって否定したい。久遠に現実を突きつけるような事はしたくない。しかし、ここまで来てそれは出来ない。その嘘は、彼女をもっと傷つけるだけだ。だから、
「…………そう、です。僕は、いえ“私”は“月守遥”です」
事実を告げる。
「そう……なんだね……」
諦観とも悲嘆とも取れる表情。その瞳の端には光る物が、
「ちょっ……ひーちゃん!?」
瞬間。久遠の姿が視界から消える。
「えっ……」
黎の彷徨う視線が止まった先には琴音に抱きかかえられる久遠の姿があった。
「ひーちゃん!?」
琴音はすかさず久遠の額に右手を当て、
「……凄い熱……ああ、もう……何でこんな状態で学校来ちゃうかなこの子……」
左手でガリガリと頭を掻いて、
「そこの金髪!」
突然話を振られた伊織はびくっとなり、
「お、俺の事っすか!?」
「アンタ以外に誰がいんの!ちょっとひとっ走りして、担任探してきて。見つけたら、この子が倒れた事伝えて、保健室に誘導する事、いいね!」
「な、何で俺がそんな」
琴音は反論を遮り、
「いいね!」
伊織はその勢いに押され、
「は、はい!」
教室から走り去る。琴音はそれを見届けもせずに、
「遥!」
そう呼んだ。“黎”ではなく。黎はそんな事実に驚き一瞬反応が遅れる。
「え……あ、は、はい!」
「遥は先に保健室に言って、久遠の事伝えといて!ベッドとか開けて貰わないといけないかもだから!」
「わ、わかりました!」
黎も、琴音の迫力に押され、了承し、教室を、
「遥!」
出ようとしたところで呼び止められる。
「はい!」
「……ゴメンな」
その表情は、苦みを帯びていた。

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