玉は磨けば瑠璃になる

蒼風

2.粗削りだって限度がある

「酷い」


学校からの帰り道、電車に揺られる利光が久々に発した一言がこれだった。その手には数十枚の原稿らしきものが握られている。らしき物、というのは決して比喩などではない。事実だった。


話は数十分前に戻る。



◇     ◇     ◇



「悩める文学少女、ですか?」
「そうさ。その名前は御影みかげ詩桜音しおね
「御影詩桜音……」


利光は少し考え、


「誰ですか、それ?」
「おい」


突っ込まれた。


「いや、でも、いきなり名前だけ出されても……」
「それ、本気で言ってる?」
「ええ」


美波は難しい顔をして、


「ちょっと待ってな」


机の上にある有象無象から出席簿を引っ張り出し、開いたうえで利光に見せ、


「ほら、このページ、よく見てみ」
「はぁ」


利光は言われた通り、開かれたページを眺める。そこにはクラスの席順と、名前が明記された紙が貼ってあった。恐らく誰かが作って貼ったのだろう。


やがて美波が、


「どう?分かった?」
「えっと……何がでしょうか?」


美波は聞こえるような溜息をつき、


「……自分の席、その周りをよーく見てみ」
「……はあ」


意図が読めない。仕方なく利光は言われた通りに、


「あ」
「分かった?」
「はい」


やっと分かった。何のことはない。悩める文学少女こと御影詩桜音はクラスメイトだったのだ。しかも、


「しかしまあ、よく前の席に座ってる同級生の名前を忘れられるな……」
「失礼な。俺の記憶力を馬鹿にしないでください。元から知らなかっただけですよ」
「なおの事悪いわ!」


そう。何のことは無い。詩桜音の席は教師から見て一番右の後ろから二番目。利光の目の前だったのだ。


美波は半ばあきらめる様に、


「まあいい……要はその御影の原稿を編集してやってほしいと、そういう訳なんだ」
「原稿って……何か書くんですか?」


肯定。


「そうだ。小説を書いてる。一応、文芸部の部長でもあったはずだ」
「文芸部……」


利光は軽く小首を傾げる。美波は苦笑して、


「まあ、そういう反応になるよな」
「そりゃあ、まあ……」


言葉に詰まる。だって、そうだろう。この学校の文芸部に関しての評価は、どう頑張ってもネガティブな物になりがちなのだから。


利光だって全てを把握している訳ではないが、とにかく部員数が少ない、活動をしているのかどうかが分からない。念に一回の部誌もとても見るに堪えない内容。そもそも部室の配置が部室棟の一番端という非常に不遇なポジション……等々。正直な所「あ、まだ存続してたんだ」というのが正直な感想だった。一応、条件を満たさなければ廃部になるはずなのだが。


「ま、まあ、部活の方はいいんだ!御影が卒業するまでは一応存続できるわけだしな。それよりも問題なのは……」


美波はそう言って机の引き出しを開けてゴソゴソと中を漁る。ちなみに、その中も机の上に負けず劣らずぐちゃぐちゃだった。


「あったあった」


やがて美波は、ぐちゃぐちゃの引き出しから、とてもそこに入っていたとは思えないほど綺麗な封筒を発掘し、


「ほい、これ」


利光に差し出す。


「えっと……これは?」
「御影の書いた原稿、そのコピー」
「これが……」


思わず眺める。外からではその内容は分からないが、厚みは分かる。大分枚数が有りそうだ。


利光は原稿のコピーが入った封筒を受け取り、


「で、これがどうしたんですか?」


美波はにやりと笑い、


「百聞は一見に如かず。まずは読んでもらった方が早いかなと思ってね。あ、読んだら一応返してね」
「はあ……分かりました」



◇     ◇     ◇



そんな訳で、利光は現在帰路につきながら渡された原稿を読んでいたのだが、


「酷い」


最初に出てきた感想がこれだった。ちなみに読んだ枚数はせいぜい数枚。それでも確かに分かった。この小説は間違いなくつまらない。それだけは自信を持って言えた。


悪いところを上げればきりがない。と、言うよりも、いいところを上げてから「後全部駄目」といった方がマシなくらいだった。


良いところはいくつかある。


一つは文章がきちんとしている事だ。これだけ破綻した内容の原稿なのにも関わらず、何故か文章力だけは問題が無かった。どころか一般的な高校生のレベルよりも上と言っていい。


また、人物やその他のネーミングは間違っていない。決してとびぬけて優れている、というわけではないが、人に見せても問題が無いレベルだった。


しかし、良いところと言えばそれくらいである。


逆に、悪いところならば幾らでも上げられた。起承転結の基本は当たり前のように守られていない。人間も無茶苦茶だし、伏線は張り方がどうという次元を超えて、回収するつもりがあるのかすら怪しい。それ以外も上げていけばキリがない。いっそここまで酷い小説が存在する事に感心すら覚える。もしかしたらその辺の小学生の方がいい物を書くのではないか。そんな原稿だった。そして、
(これを編集しろと……?)
美波はさらっと言ってのけたが、思っていたよりもずっと無理難題だった。

確かに利光が香菜にアドバイスをしているのも、それを取り入れた結果成功しているのも事実である。


しかし、それは相手がある程度のレベルに達しているから出来る事だ。香菜がプロ野球選手なら詩桜音はリトルリーグどころか、生まれて間もない赤ん坊の様なレベル。流石に名コーチでも赤ん坊に野球は教えられないし、育てられないし、それを試合に出すわけにはいかない。そして、十人いたら十人のコーチが「自分で試合に出たほうがいい結果になる」というはずだ。

詩桜音の書いた小説ははっきり言ってそういうレベルだった。つまりは完全に没にして新しい物を書いたほうがマシという次元。美波はそんなものを編集しろという。しかし、編集如何でどうにかなるものにはどうしても見えなかった。


「参ったな……」


さて、どうしたものか。これが「現状よりもいい作品にする」という依頼なら話は簡単だ。利光が一から作ってしまえばいい。余り書く側に回る機会は無いが、これよりも酷い物になるというのは、まあ無いだろう。


しかし、今回の依頼はあくまで「編集」だ。その言葉の意味するところは状況によって変わってくるだろうが、美波が言いたいのは「詩桜音の書く小説にアドバイスをして、良い物にする」という事だろう。それを踏まえると事は一気に複雑になる。何せアドバイスを加える相手の技量が素人以下なのだから。


「……後で考えよう」


利光はそう呟いて原稿をカバンの中へとしまい込む。いずれ考えなければいけない問題ではある。しかし、その事ばかりを考えていたら、これから考えることが疎かになってしまう。


どっかりと背もたれに寄りかかる。そして、ふと、窓の外を眺める。電車は丁度長い鉄道橋を渡っている所だった。有名な一級河川。その水面を、まだ傾くことのない太陽が照り付けていた。

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