ゼロの魔女騎士《ウィッチナイト》
逆巻く波の尾剣
「それじゃあ早速実戦といきましょうか」
愛梨彩は地下室の隠し扉を開くのと同じように石の壁を手で押した。押した石とは別の石が盛り上がると、中から冷気が溢れ出す。一体彼女はなにで実戦をしようとしているのだろうか。
「是は進行の理に逆らう秘術なり。是は死者を生者に還す邪術なり」
疑問に思うのも束の間、愛梨彩が中の黒い蓋を取り外し、詠唱を始める。この詠唱聞き覚えがある気がする。
「洗練されし我が九条の魔術式よ。彼の者へ魔力の循環を。我が身体から魔力の通い道を。一を零に戻す魔術をもって、薄暮を黎明に戻さん。我――九条愛梨彩の名をもって命ずる。汝、我が僕になりて敵を討つ兵となれ!」
そうだ、この呪文……深淵の中で聞いた契約の文言だ。だとしたら次に彼女が口にするワードは——
「復元魔法――『魔女に隷属せし死霊騎士』」
詠唱が終わると同時に黒い影が僕目掛けて突撃してくる。すんでのところで躱し、振り返る。
そこにいたのは大型の犬だった。犬種はおそらくシベリアンハスキー。僕を睨みつける瞳は左右で色の違うオッドアイだった。
「また犬か……軽くトラウマなんだけど」
「彼はナイジェル。あなたと同じレイスよ。でも、ナイジェルの方が先輩だから甘く見てると痛い目見るわよ」
僕の軽口をあっさりと流す愛梨彩。というか先輩なのかこの犬! そりゃ新人いびりに精が出るわけだ!
「言われなくたって甘く見ないさ! 犬には散々痛い目遭わされてるっての!」
ナイジェルと呼ばれた犬は地を這うような唸り声で威嚇する。次の攻撃がいつくるかわからない。咄嗟に身構えると、呼応するように魔札が目の前に展開された。
「説明するわ。まずはカードの使い方よ。カードは基本的に自動展開、自動補充よ。あらかじめスタートアップに使うカードを設定すると、それが展開されるわ。今回は私があらかじめ設定したものだから剣が二枚、投擲が二枚、盾が一枚って設定されているわね。まずは一枚選んで発動しなさい。魔札は流した魔力に比例して強くなるけど、まずは最低限の魔力量でいいわ」
前方に展開されたカードを見ると、愛梨彩の言った通りのものが並んでいた。そのうち一枚はカレト・バスタードだ。ならまずは記念すべき最初のカードで応戦だ!
「こい! 『折れない意思の剣』!」
掴み、瞬時に手から最小限の魔力を流す。カードは剣へと変化し、自然と自分の意識も変革した気がした。それを『俺』は両手で構え、戦闘態勢に入る。
「消費されたカードはさっきも言った通り自動補充よ。補充方法は人によるわね。同じものを補充する人もいれば状況に応じて補充する場合もある。見ればわかると思うけど、今回は同じ種類のカードを補充するように設定されてるわ。性能は違うけどスタートアップの時と選べる戦術が変わらないのが長所でもあり、短所でもあるわ」
補充されたカードはロングソード。バスタードと似たような両手剣で、次の発動も同じような戦術を選ぶことができそうだ。
と、ここで疑問が一つ。
「なんでカードは五枚しか展開できないんだ?」
「展開枚数に限度はないけれど五枚くらいを展開するのがセオリーなのよ。これは展開し過ぎてカードを破壊されないようにするためね。ケースからいちいちドローするのはロスがあるから、あらかじめ持ち札を決めておくって意味合いもあるわ。慣れると五枚程度で戦況に対応できるようになるし、欲しいカードは適宜ドローもできるから、使い馴染んだ魔法を放つための布陣とでも考えておけばいいわ」
「なるほど、了解!」
「基本説明はこれくらいで充分ね。それじゃナイジェル、こてんぱんにしてやりなさい」
主人の言葉が通じているのか、ナイジェルは応えるように遠吠えを一つする。石の床を踏み蹴り、再度突撃を試みる魔犬はさながら黒い弾丸だ。
「直線的な軌道なら!」
飛んでくるポイントに剣を置き、剣脊によるガードを試みる。——しかし、勢いを乗せた魔犬の爪の威力は強く、壁近くまで吹き飛ばされてしまう!
「こいつ……やっぱただの犬じゃないな。こなくそ!」
追撃に来たナイジェルを斬り払うが掠りもしない。
「防御をする時は躊躇わずに盾を使いなさい。なんのために魔札を展開してると思ってるの」
「わかってるよ!」
さらに追い討ちをかけるようにナイジェルは再度突進を図る。俺は言われた通り、左手でカードを盾に変換。迫り来る魔犬に備える。
ナイジェルの勢いを乗せた爪の攻撃は盾で弾いた!
「これならどうだ!」
弾かれ、宙で体勢を崩すナイジェルに剣を突き出す。だが、これでも捉えられない! 魔犬は刹那、宙で体を翻して俺の狙った位置に落下してこなかったのだ。
着地したナイジェルは未だに俺を睨みつけている。それは敵視というより認めているような目つきに見えた。突進という攻撃手段を見切ったことに対して「なかなかできる」と言わんばかりの顔つきだ。言葉は通じないが、切っ尖を交わした相手だからか自然とそう感じた。
ナイジェルが再び低く構え、後ろ足に力を入れている。「まだくるか!?」と突進を読むが、次の瞬間には魔犬がいなくなっている。
不意に背面から衝撃が襲う!
「後ろから!?」
フェイントして素早く後ろに回りこまれたようだ!
一撃一撃は重くないが、素早さで負けている。なんとかして相手の動きを止めなければ、翻弄されるままだ。
体勢を立て直し、左右の手でカードを取る。両方ともナイフのカードだ。それを前方へと投擲する。
「当たらないか!」
魔犬はしなやかな跳躍でナイフを避け、再度回りこもうとしている。ナイフは突進の妨害にはなったものの決定打には至らない。やはりあの素早さが厄介だ。
「魔札は使い切りよ。無駄撃ちはしないように」
「こっちだって無駄撃ちしたくてやってるわけじゃないって! クソッ! あの犬どうやったら止まるんだよ!?」
「それを考えるのが訓練よ」
同じようにナイフを投げてやり過ごしながら愛梨彩と会話をするが、解決の糸口が見つからない。次第に投擲用のカードが補充されなくなり、手札は剣が二枚、投擲が一枚、盾が一枚となっていた。
「最後にドローされたカードはなんだ!?」と思い、一番右端のカードを見やる。描かれた柄はなく、真っさらな白。白紙のカードだ。
「ブランク!? なんでこんな時に!?」
驚きを隠せなかった。さっきデッキを確認した時に存在したのは覚えている。だが、愛梨彩の話では使ったカードと同じ種類のカードが補充されるということだった。投擲魔法が尽きたからか? 他にも武器魔法はあったはずなのに。
「ケースはあなたの意思に反応してカードを補充することもあるわ。だからブランクを選んだのはあなたの意思」
「俺は使えないカードなんて望んでないぞ!」
尽きた投擲魔法の代わりに盾を構えて、ナイジェルの突進を流していく。しかし、全部は躱せない。爪はローブを切り裂き、露出した肌に爪痕が刻まれていく。
「使えない? 本当にそうかしら。あなたの深層意識はなにを思っていたのかしら。デッキを確認したあなたが、なんでほかの武器ではなくブランクを導き出したのかしら?」
「なんでってそりゃ……」
——デッキにはこの状況を打破するカードがないから。
脳をつん裂くように閃光が走る。自分の直感を後から理解した。このデッキには相手を封じるカードが存在しないのだ。
「つまり……この場で創れってことかよ」
盾は次第に欠け、破片がこぼれていく。躊躇っている暇はない。このまま手をこまねいていれば盾は壊れる。
「あなたには想像力がある。それを形にしなさい」
「そんな抽象的なことでいいのか」と悪態をつけたくなるが、今はそれどころじゃない。意を決して白紙のカードを手に取る。
「現実的じゃない武器でも魔法でなら具現化できる……イメージするのは尾のようにしなやかにうねる剣! こい!」
さっきまで白かったカードに絵柄が刻印される。描かれた絵は逆巻く波のようにしなった蛇腹剣! 愛梨彩に倣って命名するのなら——
「『逆巻く波の尾剣』!」
カードが剣に変わるとすかさず放るように剣を振るう。ナイジェルは跳躍で左に回避しようとするが、もう遅い。これは剣として使ったわけでも投擲として使ったわけでもないのだから。
剣先が注力した魔力によって際限なく伸びていく。
「言葉の通じないお前には初見の武器まで看破できないだろう!」
手首を魔犬の避けた方向へとスナップする。鞭のように伸びた剣はナイジェルの足に絡みつき、完全に動きを封殺した。
手繰り寄せるように剣を短くする。ナイジェルは脱出を試るが、魔力で編んだしなやかな剣は簡単には砕けない。抵抗むなしく、徐々に徐々に俺との距離が近づいていく。
「チェックメイトだ」
反対の手で召喚した剣をナイジェルの喉元に突きつける。それと同時に「そこまで」と戦闘終了を告げる愛梨彩の声が石室に鳴りはためいた。
「ふぃー。もう無理だぁ」
『僕』は剣を収める。疲れ、痛んだ体を休ませるように尻餅をついた。痛覚が鈍化しているとはいえ、遠慮なく刻まれた体はそれなりに痛みを伴っている。
ナイジェルは僕と対照的だった。主人の次の命を待つかのようにピンと背筋を張って座っている。
「お手」
なんとなくナイジェルに手を差し出した。お互いに切っ先を交えた間柄となった今ならわかり合えるんじゃないかと思った。緋色が好きそうな、いわゆる青春バトル漫画のワンシーンってやつだ。
だが期待は見事に裏切られ、思いきりがぶりと噛みつかれてしまう。
「ですよねー」
軽口を叩きつつ、手を離す。噛まれた痛みがじわりと広がり、同調するように鈍化していた全身の痛みもどっと押し寄せてくる。たまらず僕はその場で仰向けに寝転がった。
こんなにくたびれて、こんなに痛い思いをする。魔術師って大変だと思った。でも、きっと愛梨彩はそれを歯牙にもかけないのだろう。
一体、なにが彼女を突き動かしているのだろうか。
「お疲れ様。初めてにしてはまずまずの結果ね。反省会は後でするとして……どうしたの? 黙って私を見つめて」
「ねぇ、愛梨彩が賢者の石にかける願いってなに?」
考えもなしにそんな言葉がついて出た。見上げると、愛梨彩は目を伏せている。
気になってはいたがずっと聞けなかったこと。本来は契約の時に聞くべきだったこと。
それを聞かずにいたのは彼女が賢者の石を悪用しないと直感したからだ。彼女が悪い魔女なら僕をスレイヴにすることはなかった。利用するために蘇らせたとしても待遇はいい方だと思う。
「——普通になりたい」
注意して聞いていなかったら聞き逃してしまうほどか細い声で彼女が呟いた。それは紛れもなく彼女の内心の吐露だった。
——特別になりたい僕と普通になりたい彼女。正反対な僕たち。
「なんでもないわ。忘れて」
言わなかったことにしたいようだが、しっかり聞いてしまった。聞かなかったことにしたくないと思った。彼女の言葉を聞いて安堵した自分がいたから。
彼女は絶対賢者の石を悪用しない。信じた通りの人間だったのだと改めて思うと破顔せずにはいられなかった。
「そのニマニマとした顔……気持ち悪いのだけど……喋らないのが余計に気持ち悪い」
「僕からしたらずっと仏頂面の方がどうかと思うけど?」
「減らず口ね。いいわ、その厚顔さに免じて特訓は中断しましょう」
時刻はちょうど七時になる頃。まるで狙ったようなタイミングだ。多分、僕が魔女に対して臆面なく口答えしたのは関係ないのだろう。
「いいね。朝飯?」
「そうとも言います」
「いや、絶対そうでしょ」
「いくわよ、ナイジェル」
先に出ていく愛梨彩とナイジェルを追うために起き上がる。
——悪い魔女ではない。
それだけわかれば今の僕には充分だ。だから、今日得た力は正しいことのために使おう。彼女のためにできる最善の手伝いをしよう。そう思うとこれから先、いくらでも痛い思いに耐えられる気がする。
獲得した力を噛みしめるように開いた手の平をぎゅっと握る。これからもっともっと彼女のために強くなるとここに誓おう。
愛梨彩は地下室の隠し扉を開くのと同じように石の壁を手で押した。押した石とは別の石が盛り上がると、中から冷気が溢れ出す。一体彼女はなにで実戦をしようとしているのだろうか。
「是は進行の理に逆らう秘術なり。是は死者を生者に還す邪術なり」
疑問に思うのも束の間、愛梨彩が中の黒い蓋を取り外し、詠唱を始める。この詠唱聞き覚えがある気がする。
「洗練されし我が九条の魔術式よ。彼の者へ魔力の循環を。我が身体から魔力の通い道を。一を零に戻す魔術をもって、薄暮を黎明に戻さん。我――九条愛梨彩の名をもって命ずる。汝、我が僕になりて敵を討つ兵となれ!」
そうだ、この呪文……深淵の中で聞いた契約の文言だ。だとしたら次に彼女が口にするワードは——
「復元魔法――『魔女に隷属せし死霊騎士』」
詠唱が終わると同時に黒い影が僕目掛けて突撃してくる。すんでのところで躱し、振り返る。
そこにいたのは大型の犬だった。犬種はおそらくシベリアンハスキー。僕を睨みつける瞳は左右で色の違うオッドアイだった。
「また犬か……軽くトラウマなんだけど」
「彼はナイジェル。あなたと同じレイスよ。でも、ナイジェルの方が先輩だから甘く見てると痛い目見るわよ」
僕の軽口をあっさりと流す愛梨彩。というか先輩なのかこの犬! そりゃ新人いびりに精が出るわけだ!
「言われなくたって甘く見ないさ! 犬には散々痛い目遭わされてるっての!」
ナイジェルと呼ばれた犬は地を這うような唸り声で威嚇する。次の攻撃がいつくるかわからない。咄嗟に身構えると、呼応するように魔札が目の前に展開された。
「説明するわ。まずはカードの使い方よ。カードは基本的に自動展開、自動補充よ。あらかじめスタートアップに使うカードを設定すると、それが展開されるわ。今回は私があらかじめ設定したものだから剣が二枚、投擲が二枚、盾が一枚って設定されているわね。まずは一枚選んで発動しなさい。魔札は流した魔力に比例して強くなるけど、まずは最低限の魔力量でいいわ」
前方に展開されたカードを見ると、愛梨彩の言った通りのものが並んでいた。そのうち一枚はカレト・バスタードだ。ならまずは記念すべき最初のカードで応戦だ!
「こい! 『折れない意思の剣』!」
掴み、瞬時に手から最小限の魔力を流す。カードは剣へと変化し、自然と自分の意識も変革した気がした。それを『俺』は両手で構え、戦闘態勢に入る。
「消費されたカードはさっきも言った通り自動補充よ。補充方法は人によるわね。同じものを補充する人もいれば状況に応じて補充する場合もある。見ればわかると思うけど、今回は同じ種類のカードを補充するように設定されてるわ。性能は違うけどスタートアップの時と選べる戦術が変わらないのが長所でもあり、短所でもあるわ」
補充されたカードはロングソード。バスタードと似たような両手剣で、次の発動も同じような戦術を選ぶことができそうだ。
と、ここで疑問が一つ。
「なんでカードは五枚しか展開できないんだ?」
「展開枚数に限度はないけれど五枚くらいを展開するのがセオリーなのよ。これは展開し過ぎてカードを破壊されないようにするためね。ケースからいちいちドローするのはロスがあるから、あらかじめ持ち札を決めておくって意味合いもあるわ。慣れると五枚程度で戦況に対応できるようになるし、欲しいカードは適宜ドローもできるから、使い馴染んだ魔法を放つための布陣とでも考えておけばいいわ」
「なるほど、了解!」
「基本説明はこれくらいで充分ね。それじゃナイジェル、こてんぱんにしてやりなさい」
主人の言葉が通じているのか、ナイジェルは応えるように遠吠えを一つする。石の床を踏み蹴り、再度突撃を試みる魔犬はさながら黒い弾丸だ。
「直線的な軌道なら!」
飛んでくるポイントに剣を置き、剣脊によるガードを試みる。——しかし、勢いを乗せた魔犬の爪の威力は強く、壁近くまで吹き飛ばされてしまう!
「こいつ……やっぱただの犬じゃないな。こなくそ!」
追撃に来たナイジェルを斬り払うが掠りもしない。
「防御をする時は躊躇わずに盾を使いなさい。なんのために魔札を展開してると思ってるの」
「わかってるよ!」
さらに追い討ちをかけるようにナイジェルは再度突進を図る。俺は言われた通り、左手でカードを盾に変換。迫り来る魔犬に備える。
ナイジェルの勢いを乗せた爪の攻撃は盾で弾いた!
「これならどうだ!」
弾かれ、宙で体勢を崩すナイジェルに剣を突き出す。だが、これでも捉えられない! 魔犬は刹那、宙で体を翻して俺の狙った位置に落下してこなかったのだ。
着地したナイジェルは未だに俺を睨みつけている。それは敵視というより認めているような目つきに見えた。突進という攻撃手段を見切ったことに対して「なかなかできる」と言わんばかりの顔つきだ。言葉は通じないが、切っ尖を交わした相手だからか自然とそう感じた。
ナイジェルが再び低く構え、後ろ足に力を入れている。「まだくるか!?」と突進を読むが、次の瞬間には魔犬がいなくなっている。
不意に背面から衝撃が襲う!
「後ろから!?」
フェイントして素早く後ろに回りこまれたようだ!
一撃一撃は重くないが、素早さで負けている。なんとかして相手の動きを止めなければ、翻弄されるままだ。
体勢を立て直し、左右の手でカードを取る。両方ともナイフのカードだ。それを前方へと投擲する。
「当たらないか!」
魔犬はしなやかな跳躍でナイフを避け、再度回りこもうとしている。ナイフは突進の妨害にはなったものの決定打には至らない。やはりあの素早さが厄介だ。
「魔札は使い切りよ。無駄撃ちはしないように」
「こっちだって無駄撃ちしたくてやってるわけじゃないって! クソッ! あの犬どうやったら止まるんだよ!?」
「それを考えるのが訓練よ」
同じようにナイフを投げてやり過ごしながら愛梨彩と会話をするが、解決の糸口が見つからない。次第に投擲用のカードが補充されなくなり、手札は剣が二枚、投擲が一枚、盾が一枚となっていた。
「最後にドローされたカードはなんだ!?」と思い、一番右端のカードを見やる。描かれた柄はなく、真っさらな白。白紙のカードだ。
「ブランク!? なんでこんな時に!?」
驚きを隠せなかった。さっきデッキを確認した時に存在したのは覚えている。だが、愛梨彩の話では使ったカードと同じ種類のカードが補充されるということだった。投擲魔法が尽きたからか? 他にも武器魔法はあったはずなのに。
「ケースはあなたの意思に反応してカードを補充することもあるわ。だからブランクを選んだのはあなたの意思」
「俺は使えないカードなんて望んでないぞ!」
尽きた投擲魔法の代わりに盾を構えて、ナイジェルの突進を流していく。しかし、全部は躱せない。爪はローブを切り裂き、露出した肌に爪痕が刻まれていく。
「使えない? 本当にそうかしら。あなたの深層意識はなにを思っていたのかしら。デッキを確認したあなたが、なんでほかの武器ではなくブランクを導き出したのかしら?」
「なんでってそりゃ……」
——デッキにはこの状況を打破するカードがないから。
脳をつん裂くように閃光が走る。自分の直感を後から理解した。このデッキには相手を封じるカードが存在しないのだ。
「つまり……この場で創れってことかよ」
盾は次第に欠け、破片がこぼれていく。躊躇っている暇はない。このまま手をこまねいていれば盾は壊れる。
「あなたには想像力がある。それを形にしなさい」
「そんな抽象的なことでいいのか」と悪態をつけたくなるが、今はそれどころじゃない。意を決して白紙のカードを手に取る。
「現実的じゃない武器でも魔法でなら具現化できる……イメージするのは尾のようにしなやかにうねる剣! こい!」
さっきまで白かったカードに絵柄が刻印される。描かれた絵は逆巻く波のようにしなった蛇腹剣! 愛梨彩に倣って命名するのなら——
「『逆巻く波の尾剣』!」
カードが剣に変わるとすかさず放るように剣を振るう。ナイジェルは跳躍で左に回避しようとするが、もう遅い。これは剣として使ったわけでも投擲として使ったわけでもないのだから。
剣先が注力した魔力によって際限なく伸びていく。
「言葉の通じないお前には初見の武器まで看破できないだろう!」
手首を魔犬の避けた方向へとスナップする。鞭のように伸びた剣はナイジェルの足に絡みつき、完全に動きを封殺した。
手繰り寄せるように剣を短くする。ナイジェルは脱出を試るが、魔力で編んだしなやかな剣は簡単には砕けない。抵抗むなしく、徐々に徐々に俺との距離が近づいていく。
「チェックメイトだ」
反対の手で召喚した剣をナイジェルの喉元に突きつける。それと同時に「そこまで」と戦闘終了を告げる愛梨彩の声が石室に鳴りはためいた。
「ふぃー。もう無理だぁ」
『僕』は剣を収める。疲れ、痛んだ体を休ませるように尻餅をついた。痛覚が鈍化しているとはいえ、遠慮なく刻まれた体はそれなりに痛みを伴っている。
ナイジェルは僕と対照的だった。主人の次の命を待つかのようにピンと背筋を張って座っている。
「お手」
なんとなくナイジェルに手を差し出した。お互いに切っ先を交えた間柄となった今ならわかり合えるんじゃないかと思った。緋色が好きそうな、いわゆる青春バトル漫画のワンシーンってやつだ。
だが期待は見事に裏切られ、思いきりがぶりと噛みつかれてしまう。
「ですよねー」
軽口を叩きつつ、手を離す。噛まれた痛みがじわりと広がり、同調するように鈍化していた全身の痛みもどっと押し寄せてくる。たまらず僕はその場で仰向けに寝転がった。
こんなにくたびれて、こんなに痛い思いをする。魔術師って大変だと思った。でも、きっと愛梨彩はそれを歯牙にもかけないのだろう。
一体、なにが彼女を突き動かしているのだろうか。
「お疲れ様。初めてにしてはまずまずの結果ね。反省会は後でするとして……どうしたの? 黙って私を見つめて」
「ねぇ、愛梨彩が賢者の石にかける願いってなに?」
考えもなしにそんな言葉がついて出た。見上げると、愛梨彩は目を伏せている。
気になってはいたがずっと聞けなかったこと。本来は契約の時に聞くべきだったこと。
それを聞かずにいたのは彼女が賢者の石を悪用しないと直感したからだ。彼女が悪い魔女なら僕をスレイヴにすることはなかった。利用するために蘇らせたとしても待遇はいい方だと思う。
「——普通になりたい」
注意して聞いていなかったら聞き逃してしまうほどか細い声で彼女が呟いた。それは紛れもなく彼女の内心の吐露だった。
——特別になりたい僕と普通になりたい彼女。正反対な僕たち。
「なんでもないわ。忘れて」
言わなかったことにしたいようだが、しっかり聞いてしまった。聞かなかったことにしたくないと思った。彼女の言葉を聞いて安堵した自分がいたから。
彼女は絶対賢者の石を悪用しない。信じた通りの人間だったのだと改めて思うと破顔せずにはいられなかった。
「そのニマニマとした顔……気持ち悪いのだけど……喋らないのが余計に気持ち悪い」
「僕からしたらずっと仏頂面の方がどうかと思うけど?」
「減らず口ね。いいわ、その厚顔さに免じて特訓は中断しましょう」
時刻はちょうど七時になる頃。まるで狙ったようなタイミングだ。多分、僕が魔女に対して臆面なく口答えしたのは関係ないのだろう。
「いいね。朝飯?」
「そうとも言います」
「いや、絶対そうでしょ」
「いくわよ、ナイジェル」
先に出ていく愛梨彩とナイジェルを追うために起き上がる。
——悪い魔女ではない。
それだけわかれば今の僕には充分だ。だから、今日得た力は正しいことのために使おう。彼女のためにできる最善の手伝いをしよう。そう思うとこれから先、いくらでも痛い思いに耐えられる気がする。
獲得した力を噛みしめるように開いた手の平をぎゅっと握る。これからもっともっと彼女のために強くなるとここに誓おう。
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