ゼロの魔女騎士《ウィッチナイト》

鴨志田千緋色

魔力コントロール

 地下室……なんて聞こえのいい部屋はそこになかった。一面に広がっていたのは石の壁、壁、壁。つまりは空洞だ。


「魔女の地下室って研究スペースみたいな感じじゃないんですかね、愛梨彩さん?」
「ええ。見ての通り研究スペースよ」


 おかしい。魔女には日本語が通じないのだろうか。いやさっきまで普通に会話してたし、通じるはずだ。
 そこは研究スペースというにはあまりに大きな空洞だった。螺旋状の階段を降りてここにたどり着いたことを考えると、屋敷の地下のスペース全てがこの部屋なのだろう。
 空気は冷ややかで、どこかから冷気を放っているように思える。タイル状に張り巡らされた石の床は所々抉られた跡がある。研究室というより地下闘技場なんて言葉の方がしっくりくる。


「最初は初歩的なことから始めるわ。魔力を使うことからやっていきましょう」


 なにもない闘技場の隅で彼女が言った。
 なんとなくだが、初歩的なことからではなくいきなり実践するタイプだとみなしていたから驚いた。


「魔力ならアインと戦った時に使ってるけど?」
「あんなの使ったうちに入らないわよ。私が言っている『使う』は魔力コントロールのことよ。毎回毎回魔力全部出し切っているのではスレイヴとして使い物にならないから」


 僕の主張を一蹴して、愛梨彩が鼻で笑った。
 彼女の言う通りだ。魔力を放出することはできたとしても、放出のペース配分はできていない。第一、それができていれば教会での戦いは撤退せずに済んだのだ。


「まずは簡単なことからってことか……」
「そうね。魔女なら子供の頃に習得している簡単なことよ」


 彼女はニヒルな笑みを浮かべている。僕は固唾を呑んで次の言葉を待つ。まだ一緒に過ごした日は浅いが、この表情は間違いなく……なにか企んでいる顔だ!


「あなたには魔力がない。体に流れているのは私からの借り物。つまり私があなたに魔力を渡さなければあなたはただの屍に戻るってことね」
「え……?」
「今、あなたへの魔力パスを切りました。残る魔力で半日生き抜いてみなさい。それまで地下室の扉は堅く閉ざしておくから」


 ……絶句。言葉が出ないとはこういうことか。
 「初歩的なことってなんだ! 簡単なことってなんだ! 命かかってるじゃないか!」と心の中では反論しているものの、僕に決定権がないことを知っているからか言葉は出ない。


 やらなきゃ死ぬ。ただそれだけ。


 でもなにより……これは僕が望んだことだ。やってやらなきゃ意味がない。動く死体として現世に止まっている意味が!


「異存はないみたいね。まあ、その目を見ればだいたいわかるわ。そんなやる気に満ちた太刀川くんにアドバイスをしてから去るとしましょうか」
「アドバイス!? 魔力を抑えるコツとかか!?」
「寝ても魔力の消費は抑えられないわよ。無意識で魔力が操れると思わないことね。それじゃ」


 ……石段を登る音がコツコツと虚しく響く。


「なんだよそのアドバイス!!」


 階段に向かって叫んでも帰ってくる言の葉はない。
 期待した僕がバカだった。結局のところアドバイスらしいアドバイスはなにもなく、死地という逆境の中、自力で探せというなんともスパルタな教育だった。


「いったいどうしろって言うんだよ……」


 無機質な部屋の中、振り子時計が壁に据えつけられているのが目についた。時刻は早朝五時半。タイムリミットは一七時半だ。
 どうすればいいのかわからずその場に座りこむ。無駄に動いてエネルギーを浪費するわけにもいかなかった。


 まずは考えろ。考えろ僕。この訓練の意図はなにか?
 魔力回復のすべを見出すことか? 
 愛梨彩とのパスを開く方法を見つけることか?
 いや、もしやここから抜け出すのが訓練なんじゃ? 


 ……。


「ダメだ、わかんない」


 時計は午前七時を差し示している。閉じこめられてから一時間半が経った。窓のない石の地下室には朝日は差しこまず、あいも変わらず殺風景で仄暗いままだ。
 あれから自分なりに色々と試行錯誤してみた。
 魔力を湧き出すために踏ん張ってみたが、体が力むだけでなにも出てこない。脱出するために壁を殴ってみたが、壁が少し欠けるだけ。有効的な解決策は見つからない。
 それどころか訓練の意図すらはっきりしない。もしかしたら意図を深読みし過ぎているのか。シンプルに魔力のコントロールする訓練なのだと割り切ってみる。


「仮にコントロールする訓練だとして……どうやってコントロールすればいいんだ?」


 魔力を使った時のことを思い出す。狼男を倒した時のことだ。
 あの時は遮二無二全身の魔力を放出することだけ考えた。コントロールらしいことはなに一つしていない。


「でも魔力を意識することはできたのか」


 ならばまずはコントロールすることを意識してみる。愛梨彩も「無意識で魔力が操れると思わないことね」と言っていた。漠然と「セーブしろ。セーブしろ」と念じる。


 効果は……思わぬ形で出た。


 セーブし過ぎると意識が飛びそうになるのだ。多分このままやったら心臓が止まる。
 魔力というものを漠然と意識するあまり、必要最低限を把握できていないようだ。今の僕にはゼロか百の二択しかないらしい。帯ている魔力をコントロールできず、魔力切れを起こして死ぬか。生体活動を止め、魔力を帯びたただの屍になるか。——という二択。最適解は一の魔力を流して九九を貯蓄することなのだろう。


 …………。


 さらに三時間が経過した。具体的な対策もなく、いたずらに時間ばかりが過ぎていき、自分の知らないうちに魔力は消費されていく。魔力が減ったからか息苦しさを感じるようになってきた。寝ても意味ないことは百も承知だが、横たわることしかできなかった。
 大前提として僕には魔力がない。自分から魔力を生み出すことはできないのだ。生み出すどころか体を動かすために消費している。プラスされる分もなければプールもない。
 ここにきて愛梨彩からアドバイスをもらえなかったのが悔やまれる。アドバイスとして言ってきたのは寝ても意味がないということだった。
 言われるまで人間が活動するためのエネルギーなら無意識で抑えられると思っていた。でも睡眠という無意識状態では魔力の消費を抑えられなかった。


「なんだよ……『寝ても魔力の消費は抑えられないわよ』って……確かに安直な選択肢を選ばないで済んだけどさ。あっ……」


 息絶え絶えの状態で吐露してみると、初めて気づくかことがあった。


 ——愛梨彩は僕が眠った理由に気づいていた。


「つまり……あれか? 愛梨彩が無駄に魔力を消費しないように、僕が寝てたことに気づいていたって……わけか? 僕から彼女への思いやりは筒抜けだったわけか?」


 心臓の奥底から急激に血が沸き立ってくる。息苦しさなど感じていなかったかのように。
 恥ずかしさのあまり死にたくなってきた! 相手にバレバレの気遣いほど恥ずかしいものはない! 心臓へ魔力がだだ流れで死にそうだ! いやいっそ殺してくれ!魔女に気遣いなんてするんじゃなかった!


「あああああああああああ!!」


 勢いよく飛び起き、やる瀬無い気持ちを精一杯こめて壁を殴り続ける。痛みはなく、殴るたびに壁からは一センチにも満たない破片が静かに落ちていく。
 ふと我に帰った。


 ——壁が欠け、石の破片がこぼれ落ちた。


 生前の僕はそこまで力強かっただろうか? 石の壁って人が殴って欠けるものだろうか?
 ここから出られるか試すために石壁を殴った時もそうだ。拳で石の壁を砕くことはできなかったが、今と同じように破片が落ち、傷つけることはできた。
 試しにもう一度別の場所を殴ってみる。痛みはない。


 やはり——壁が欠けた。


 つまり殴った壁が脆くなっていたわけじゃない。だとしたら……


「僕の腕に必要以上の魔力が流れている?」


——「急に魔力を浴びたから体の変質だけでなく性格の変質が起きてるのね」


 僕が起きた時に言った愛梨彩の言葉。もしそれが正しいなら魔力によって腕力のステータスを上げている状態だという仮説が成り立つ。
 あの時は無我夢中で気づかなかったが、愛梨彩と契約した直後の体は別人のように軽かった。加えて身体能力も向上しているようだった。極めつけが縮地したかのようにジャンプしたこと。これが身体能力の向上と言わずなんと言うか。


「そうとわかれば腕に余分な魔力がいかなようにすればいい……どこにどれくらいの魔力を使っているか把握し、それぞれの部位に必要最低限の魔力を流せば……」


 そう考えると先ほどコントロールに失敗したのも頷ける。
 僕は自分のどこにどれくらいの量の魔力があるのか把握していない。つまり具体的な『意識』ができていない。そんな状態で「セーブする」ことを考えれば全体を意識して、全ての魔力をカットしてしまうことになるだろう。
 残り時間が半分に迫っている。このままコントロールできなければタイムアップより先にお陀仏してしまう。


「やらなきゃ死ぬ……なら研究スペースらしく実験を始めようじゃないか」


 苦しい状況を嘆く心に鞭を打ち、先ほどと同じように壁を殴って腕力がどれだけ上がっているか判断する。ここで特に注目したいのは左右の差異だ。右で殴った後、近くの壁を左で殴ってみる。
 結果、右手で殴った壁の方が軽く抉れているのがわかった。やはり利き腕の方がより強くなっている。いざという時徒手空拳を使えるように無意識に強化しているのだろうか。
 次に脚力だ。壁を一蹴してみる。
 壁をみると抉れるどころかかけらすら落ちなかった。キックはパンチに比べて威力が弱いことが明白だった。


「脚は強化されていないのか?」


 以前の戦いの時は強化されている実感があった。あの縮地した感覚。今の自分にはできないのだろうか? そう思い、軽く跳躍してみる。
 果たしてジャンプ力は凄まじいことになっていた。
 床から天井まで五メートル弱あるが、余裕で天井に手が届く。キック力ではなくジャンプ力に魔力を配分しているということらしい。
 試しに立ち幅跳びの要領で前方へと跳んでみる。助走なしでも目分量で成人男性三人分——四メートルちょっとは跳んでいる。走りながら跳躍すればアインと戦った時のように一〇メートル近くまで跳べるだろう。
 他にも視覚や聴覚の強化がされているように思えた。メガネがいらないのも視覚強化の恩恵だろう。
 逆に触覚は鈍くなっているような気がした。痛みを感じにくい。魔力の影響というより死体だからだろうか。


「とりあえず主なスペックは把握した。あとは……」


 あとは意識して余剰分をカットして蓄える。今のところ腕力強化とジャンプ力強化は無用の長物だ。暗がりでなにも見えなくなるのは不便なので視覚強化は残しておく。
 魔刃剣を使った時のように体の中の魔力の流れをイメージする。直立している自分の体を正面から俯瞰するイメージだ。
 すると体の部位が光っているように感じた。右腕は赤く、左腕は黄色、足はオレンジというように。まるでどれだけそこに魔力を流しているのか可視化したようだ。


「右腕部セーブ……」


 その言葉を受けて右腕の輝きが淡くなっていく。


「左腕部セーブ……両脚部セーブ……」


 同じ要領で他の部位からも魔力の余剰を排していく。イメージの中の僕は白いオーラを纏い、心臓部のみ燃えたぎるように真紅に染まっている。


「掴んだ……!!」


 息苦しさはたちまち消えた。体の感覚も生前に近いようで、ジャンプしても人並みにしか跳べなかった。
 僕はついに——魔力コントロールを身につけたのだ!!

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