ゼロの魔女騎士《ウィッチナイト》

鴨志田千緋色

彼女はなぜ教会にいたのか

 部屋を出るとこの屋敷がいかに風変わりであるかを思い知らされた。廊下に沿って並ぶおびただしい数の扉。空いている壁にはルネサンス期のものと思われる絵画が並んでいる。
 二階の真ん中は吹き抜けており、下の階のホールが見える。吹き抜けを挟んで反対側の廊下も同様の作りになっていて、ホールに向かって左右から階段が伸びている。いかにも豪邸という感じだ。流石魔女の屋敷だけはある。
 そんな感想を心のうちで述べながら愛梨彩を追う。彼女は階段を降りている最中だ。少し早足でいけば間に合う。
 ホールは玄関と思しき場所に繋がっており、そこには金色の長髪が目につく痩せぎすの男が佇んでいた。左手にはシルクハットを胸に抱えるように持ち、右手にはステッキを所持している。いかにも胡散臭い出で立ちだ。魔女への来客は間違いなく彼だろう。


「こんにちは愛梨彩さん。ご無事でなによりです」
「随分な言い様ね。あなたの情報を信じたおかげで死にかけたわ」
「それは存じております。この度は誠に申しわけないことをしました」
「別にいいわ。どの道あの教会は襲撃することになっていたのだから」


 腰の低い男に対して愛梨彩は毒をを含んだ言い方をして、随分と高圧的に振舞っている。どう見ても歳は男の方が上に見える。敬語を使わないあたり、魔女は格が違うと思った。


「おや? そちらの方はスレイヴですか? 魔術師ウィザードには見えませんが」


 ようやく追いつきホールに降りると男が愛梨彩に尋ねた。


「スレイヴ? 」


 聞きなれない単語だ。確かウィザードは魔術式はないが、魔力はある人間だったか。


「まあそんなところ。立ち話もなんだし、どうぞ客間にいらして」
「お言葉に甘えさせていただきます」


 男は玄関口から真っ直ぐ進んでいく。どうやら彼はこの屋敷の客間の場所を知っていたようだ。追うように愛梨彩もついていく。疑問に答えてもらえなかった僕は独りホールに取り残された。


「なんなんだよ、あいつ」


 せっかく愛梨彩と二人きりだったのに水を差された。不満じゃないと言えば嘘になる。多分、今僕は口をすぼめているだろう。


「なにやってるの。あなたも早くきて」


 心配する素振りは一切見せず、相変わらずつっけんどんな言い方だ。別に心配されることを期待したわけじゃないし、拗ねたかったわけでもない。とにかく客間で話を聞こう。





「お茶をお願い。キッチンの場所は——」


 客間に着くなり、愛梨彩が奥の扉を指差しながら命じる。僕は客ではないってことか。なんてやっかむ前に男が「いえ、大丈夫ですよ」と断りを入れた。
 客間には低いテーブルを挟んでソファーが二つ向かい合って並んでいる。男が座ると、反対側の正面に愛梨彩が座る。
 どちらに座ろうか……なんて考えるよりも早く、僕は愛梨彩の隣に座していた。客ではないのだから愛梨彩と同じ主賓側……彼女の隣が道理だろう。


「本題の前に……あなたとは初対面ですし、これかれもつき合いがあることでしょう。自己紹介をさせていただきます。私はハワード・O・ルイスマリーと言います。以後お見知り置きを」


 男はお辞儀はせずにはにかんで見せる。どことなく伊達男な感じがしてきな臭い。しかし、自己紹介してくれた相手には同様に自己紹介するのが礼儀だ。


「太刀川……黎です」


 精一杯ちゃんとした自己紹介をしようとしたつもりだったが、口から漏れた言葉は不躾なものだった。やっぱり心のどこかで気に食わないものがあったのだろう。


「この子が私のスレイヴ。魔術師ウィザードじゃないけど魔術の土壌なら整っている方よ。活躍に期待はできるんじゃないかしら」
「あなたが選ばれたのなら間違いないでしょう。それにしても『太刀川』くんですか——」


 なにやら僕は期待の新星らしい。全く二人ともなにを根拠にそんなことを。ってそう言えば……


「スレイヴって?」


 会話を遮るように言葉を放つ。ずっと放ったらかしにされたんだ。そろそろ答えてもらわないと困る。


「魔女の使い魔——しもべのことよ。大抵の魔女は動物や人間を配下にしているの。あなたは死んだ時に私とスレイヴの契約をしたってこと」


 愛梨彩に言われてハッとする。死の淵に立った時に聞こえた声。あれは愛梨彩との契約だったのだ。


「でもなんで手下なんて作る必要があるのさ? 」


 魔女は魔術を追求する者のはずだ。魔術戦は頻繁には起こらないと愛梨彩自身も言っていた。自分の家系の魔術を研究するだけなら一人でも……ましてや配下なんて必要なのだろうか。


「戦うためよ。基本的に魔女同士はお互いの魔法に関しては不可侵という暗黙のルールがある。だから戦いが起きることは滅多にないけれど、一つだけ戦いを避けられない時があるの」


 避けられなかったから彼女はアインという男と戦った。そして、戦いが起こるということはお互いに譲れない「なにか」が存在するということだ。


「彼女たち魔女は『賢者の石』をめぐって戦っているのです」
「賢者の……石?」


 思いもよらぬ物の登場でハワードの言葉を繰り返してしまう。賢者の石とはゲームでよく出てくる希少アイテムだ。想像通りなら魔女たちに恩恵があるものに違いない。


「私たち錬金術師は魔札スペルカードもとなどの魔術道具を生産することを生業としています。その中でも数百年に一度生まれる魔術道具がありまして、それが賢者の石です。端的に説明してしまえば賢者の石は万能の願望機ですね」
「万能の願望機って……願いをなんでも叶えられるってことか!?」


 いても立ってもいられなくなった僕はテーブルから身を乗り出して、ハワードに詰め寄っていた。ハワードは一瞬たじろいだが、話していた時と同じように嬉々とした表情を見せている。


「ただ賢者の石は願望を叶える魔法を発動させるための魔術式に過ぎないわ。魔術的に言えば所持者が自由に式を書き込める白紙の魔術式ね。使うには普通の魔術式同様魔力を通さなければいけないわ」


 愛梨彩が淡々と補足説明をした。それを聞いて僕は冷静になり、ソファーに座り直す。魔女ではない僕にとっては都合のいい代物というわけではなさそうだ。
 ここまで聞いて気づいたことがあった。あの日、彼女が八神教会にいた理由だ。


「じゃああの日教会にいたのは賢者の石に関係があるのか?」
「その通りよ。私は賢者の石欲しさに教会に侵入した。そこで待ち構えていたのが魔導教会のワーロック——アインとかいう男ね」
「ま、マドウキョウカイの……わ、ワーロック……?」


 また知らない単語が出てきた。頓珍漢過ぎて片言のような喋り方になってしまう。『魔道協会』となんとなく頭の中で漢字に変換できたにもかかわらずだ。


「『魔』女たちを『導』く『教会』のことです。アザレア・フィフスターという魔女が教会組織から派生させて創ったもので、礼拝用の教会を隠れ蓑にしているからそう呼ばれています。八神教会もその一つですね。大多数の魔女が所属しているのが魔導教会という組織です」
「なるほど」


 ハワード曰くどうやら漢字は違ったようだ。
 それしても八神教会が魔導教会だったとは。神秘とは意外とすぐ近くに秘匿されているものなのかもしれない。
 不意に幼馴染の顔が頭を過ぎった。……教会の娘である咲久来。彼女も魔術に関わりのある人間なのだろうか。できれば魔術や魔法とは関係ない世界で笑顔で生きていて欲しいと願うばかりだ。


「今日あなたを呼んだ理由の一つはあの男の素性について聞くためよ。あの男は教会の魔女ね。さしずめ私のような魔導教会に所属していない野良の魔女から賢者の石を守るために派遣されてきたってところかしら?」
「そうですね」


 僕の心配事なんていざ知らず、二人の話は進んでいく。


「ちょっと待って。男なのに……魔女?」


 聞こえた言葉に耳を疑った。男ならば魔法使いなのではないだろうか?


「男でも魔術式を継承すれば魔女です。魔女ウィッチと区別して魔法使いワーロックなんて呼称もありますが、普通の場合魔術式の継承者は女性です。女性の方が魔術式に馴染みやすいですし、継承者である子供を産む母胎にもなれますからね。ですから魔女の世界ではワーロックは異端です」


 僕の疑問にそれだけ答えるとハワードは愛梨彩に向き直る。区別する言葉は一応あるが、魔法の世界は女性主権だから魔女で通す人が多いようだ。


「あの男——アイン・アルペンハイムも異端であるが故に教会という体制側につくしかなかったのでしょう。九条様が聞きたがっている素性についてですが……なんとも言えませんね。彼は男であるにもかかわらず例外的に『合成』の魔術式を継承しました。ワーウルフはこの魔術で犬と人体の骨格を錬成したもののようです。能力に関しても未知数としか言えません。合成できるものに制限はないのではないかと噂されているほどですからね。力になれず申しわけありません」
「そう……。今のままでは打つ手がないわね」
「魔導教会に所属すれば——」


 「いいんじゃないか?」なんて続けて言おうとしたら鋭い目つきで睨まれた。どうやら僕の考えは安直だったみたいだ。


「別に入ったからといって有益な恩恵があるわけじゃないわ。まあ所属してない以上反逆者に変わりないから、教会から命を狙われる可能性はあるけど」
「それ充分問題あるんじゃないですかね……愛梨彩さん」
「魔導教会の基本理念は『魔術の一元管理による秘匿』よ。魔女を囲って管理することで魔術を社会から隠すことが目的なの。逆に言えば管理できないなら殺してなくしてしまえって考え方ね。だから魔導教会による魔女狩りが起きるわけ。まあでも、目立った活動をしていない魔女を倒すほど暇ではないから、街中で魔術を披露でもしない限り殺されはしないわ」


 ふんと鼻を鳴らしてそっぽを向く愛梨彩。
 「いやいや……教会で魔術の撃ち合い思いっきりしてましたよね?」なんてツッコミは野暮か。なんというか以外と大雑把な一面があるんだな。


「本来賢者の石はこの魔導教会に納められるものなのです……魔術道具も魔法と同じく社会から秘匿しなくてはいけませんからね。しかしせっかく作った稀代の魔術道具が使われないのは実にもったいない! だから我々錬金術師協会は魔導教会に所属していない魔女に石の所在をリークしているわけです。今日私が訪れたのも賢者の石に関する情報をお伝えしにきたからです」
「つまり教会側の魔女と野良の魔女による『賢者の石』の奪い合いか」
「そうです。ただ魔導教会に所属してない魔女たちはそれぞれに願望がありますから共闘は難しいですね」


 ようやくことのあらましがわかってきた。どうやらハワードも愛梨彩も教会のことが気に入らないらしい。体制側である魔導教会も正しい機関かと言われれば疑問が残る。そんなハワードの話を聞いてもう一つ疑問が浮かび上がった。


「それって錬金術師にメリットあるの?」


 彼ら錬金術師協会にはなにも得がない。ただ魔導教会に噛みついているだけだ。秘密裏にやってバレなきゃいいのかもしれないが、リスクだけを背負ってリターンがないことに変わりはない。


「錬金術師は偏屈な人間が多いのよ。自分たちの作品に関しては人一倍思い入れが強い。私もよく知ってるわ」
「お恥ずかしいことにその通りです。道具が使われることこそ我々にとっての最高の報酬なのです。あとつけ加えて言うのなら九条様とはもう二〇年以上のつき合いですから」


 愛梨彩に言われると「そういうものなのか」と妙に納得してしまう。それも二〇年も前から知ってるとなると間違いないのだろう。さぞ錬金術師様を信頼しているようで。


「ふーん、親の代から知ってるってわけか」
「いいえ。九条家とのつき合いは愛梨彩様の代からですよ?」


 なにを言っているのだろうか、この男は。見た目が奇天烈なら頭は摩訶不思議ときたか。僕の不機嫌がたちまち消えいったぞ。


「愛梨彩は高校生じゃないか。それなのに二〇年以上も生きてるなんて計算が合うわけ——」


 そこまで言いかけて言葉を飲んだ。愛梨彩が言っていたことを思い出したからだ。


 ——「蓄えられた魔力は体へと作用していくの。成長はせず、体の状態は一定に保たれる」
 ——「魔術式を持った魔女はね、寿命では死ねないの。自身の魔術式を継承者に託すその日まで生き続けなければならないの」


 ふと愛梨彩の方を見やる。彼女は涼しげな表情をして意にも介していないという感じだった。
 この反応……まさか!?


「私、今年で三八よ」
「えええええええええええええええええ!?」


 つまりあれか。僕は三八歳の、二倍以上も人生経験がある女性に憧れていたってことか!?
 いや落ち着け僕。冷静に考えれば頷ける。彼女は同級生の中でも大人びていた。というより実際大人だった。そんな綺麗な大人のお姉さんに憧れない男がこの世にいるだろうか!? いやいない!


「そこまで驚かれるのは心外だわ。これでも魔女の中では若輩者よ」
「いや驚かない方が無理というか……今まで同級生かと思っていたわけだし……なんかそんな相手を若気の至りで助けようとした僕は……馬鹿だったなって」


 大人の余裕がある彼女からしたら僕の様はさぞ滑稽だったことだろう。僕よりも状況がよく見えていて、きっと彼女からしたら僕の譲れなかったプライドは子供の駄々と変わりなかったのだろう。


「それでもかっこよかったわよ? 私の騎士ナイトくん」
「茶化すのはよしてくれ!」


 ソファの上で膝を抱え、そっぽを向いた。そうしないと耐えられそうになかった。彼女の笑顔が眩しくて。
 きっと冷やかしでいたずらな笑みを浮かべているのだろうけど、笑顔に違いなかった。無愛想な彼女が時折見せる微笑みが僕には毒だった。
 でも、笑顔を見せるのが必ずおちょくってる時なのはどうなんだ? ちょっと人間性を疑う。


「そんな魔女の騎士ナイトさんに取引よ。太刀川くん、私のスレイヴとして賢者の石争奪戦に参加してちょうだい」
「え?」


 思わず振り向いて、抱えていた足を手離してしまった。


「驚くことではないでしょう? 今までの話を聞いていれば唐突なことはなにもないはずよ。賢者の石にかけられる願いは一つだけじゃない。スレイヴとその主人の願いくらいなら聞き届けてくれる。だから、私が勝者になった暁にはあなたを人間として生き返らせる。もうスレイヴとしての契約は済んでしまっているけど、この条件で改めて契約の了承をしてくれるかしら?」


 驚くことでないのはわかっている。もう無関係ではいられないから愛梨彩は話をしたんだ。もちろん自分もこの先も戦うつもりで聞いていた。
 でも……いざ参戦してくれと言われると実感がなかった。


 ——咲久来と二人で通学する日々も。
 ——緋色と漫画話に花を咲かせる日々も。
 ——教室で黄昏れている愛梨彩を眺める日々も。


 なに気ない平穏な日常はもう訪れない。
 そう考えるとやはり返答に窮してしまう。——ああ、平穏な毎日はこんなにも素晴らしいものだったのか。


「この先、より激しい争奪戦が必ず起きるわ。それを一人で乗り切るのは不可能。だからあなたの力を貸してちょうだい」


 押し黙っている僕を説得するように愛梨彩が言う。
 なにを躊躇っているのだろうか、僕は。目を瞑り、『僕』の中の『俺』と問答をする。


 ——答えはとっくに出ている。特別になりたくて愛梨彩を庇った。そして、特別な存在になれた。
 今さら普通に戻りたいなんて宣うつもりか? そうするにしてもこの戦いで生き残らなければ戻れないんだぞ。
 それに僕の手はもう血で濡れている。この手は愛梨彩を守るために命を奪った手だ。今さら恐れることがあるか?
 迷うな。恐れるな。振り返るな。今までの自分をかなぐり捨てでもやりたかったことはなんだ?——


 姿勢を戻し、一息深呼吸をする。彼女に返す言葉はもう決まった。目を見開き、愛梨彩を見据える。


「……僕は君を守る、それだけ。それだけだ」
「それがあなたの答えということでいいのかしら?」
「ああ、僕は君を守るためにスレイヴになった。これまでも今もこれからもそれは変わらない」


 それが僕の初心だ。なにも持っていなかった頃から根底にあった気持ちだ。この気持ちだけはブレちゃいけない。この気持ちだけは貫かなきゃいけない。


「そう言ってくれると思ってたわ」
「話がまとまったようですねぇ!」


 今まで黙っていたハワードが妙なテンションで声をあげた。ニマニマと笑みを浮かべており、「なにがそんなに面白い」と問い質したくなる。


「ええ。本題に入るまで長らく待たせたわね。ごめんさない。専門家がいるからつい補足を任せてしまったわ」
「いえ、いいのですよ。争奪戦に参戦する者への説明は賢者の石の監督者としての責務ですし。それも見越して私をお呼びしたのでしょう?」
「流石、見抜かれていたようね。では気を取り直して。話の流れでアインの素性はわかったわ。ほかには?」


 愛梨彩は居住まいを正す。再び張り詰めた空気が両者の間に流れる。


「お伝えすることはほかに二つございます。まず、一つ目。現在の賢者の石の所在についてです」


 賢者の石の在り処。この場所の特定が今後の争奪戦の行方を占うのは素人の僕にもわかる。


「今はどこに保管されているの?」
「秋葉市の魔導教会のどこかとしか把握はしてませんが、八神にもうないのは確実ですね。少なくともまだ学園には運びこまれていないようです」
「どこかって不確かだな」


 ハワードの言葉に脊髄反射でぼやきを入れてしまった。アインの素性もそうだが、期待して聞いていたのに「どこか」と答えられたのではこうもなろう。


「いえ、それだけでも充分よ。秋葉市には何十個も魔導教会があるわけじゃない。八神、高石、泉、城戸と数えるほどしかないから、しらみ潰しでもいけるわ」
「そうなのか……」


 素人が口を突っこむべきではないと痛感する。


「で、あともう一つは?」
「もう一つは……フィーラ・ユグド・オーデンバリが来日するとのことです」
「そう……」
「私からの報告は以上です」


 愛梨彩は一言呟いただけで口を噤んでしまった。
 誰も口を開くことなく、時間だけが過ぎていく。原因は「フィーラ・ユグド・オーデンバリ」という存在だろう。一体何者なのだろうか?
 だが、今だけはわからないことも聞かないことにする。だって、愛梨彩の顔があまりにも悲哀を帯びていたから。

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