ゼロの魔女騎士《ウィッチナイト》

鴨志田千緋色

平穏で平凡な日々




 ――特別な人間でありたい。


 それは童心冷めやらぬ一◯代前半の多感な時期に誰しもが患う感情。
 自分が特別な人間ではないと気づいたのは高校に入学してすぐのことだった。中二という病は去りゆき、自分が平々凡々と日々の生活を送っていると嫌でも理解させられた。それくらい特別感がゼロなないのだ。


「おはようございまーす! 黎お兄ちゃん起きてますか?」


 下の階から快活な声が鳴り響いてくる。僕を起こすのはいつも彼女の声だった。
 眠気眼を擦り、メガネをかける。いつも通りのなにげない日常のスタートサインだ。
 朝食を軽く取り、急いで身支度を済ませる。時刻は八時を少し過ぎた頃。登校時刻としてはちょうどいい時間だ。
 玄関のドアを開けると門の前でブレザー姿の少女が佇んでいた。ハーフアップにまとめた淡い茶色の髪が日に反射して明るく見える。


「ごめん。待った?」
「いつものことだから平気だよ。謝るくらいなら普段から早起きしてよね、お兄ちゃん」


 彼女――八神咲久来やがみさくらがやんわりと頬を膨らませながら答えた。
 心底怒っているわけではなさそうだが、皮肉られると再び「ごめん」としか言えなくなってしまう。


「お兄ちゃんはいつもそうなんだから、しっかりしてよね。私は高一になって、お兄ちゃんはもう高二だよ? こ・う・に!」


 咲久来は大股歩きで先をいってしまう。高校にいくまで余裕はあるが、のんびりしていられるわけではない。


「確かに……もう高二だもんね」


 僕は独りごちてから前を歩く咲久来の後を追った。
 咲久来は僕の家の隣にある八神教会の娘であった。隣と言っても教会は敷地が広く、真横にあるわけではない。あくまで教会の一番近くにある家がうちという意味で『隣』だ。
 彼女とは幼い頃から家族単位での交流があり、世に言う幼馴染という存在だった。だが歳がほんの少し離れていたせいか、幼馴染という感覚はない。どちらかと言えば世話焼きの妹という感じだ。
 幼馴染という感覚がないのは咲久来も同様で、彼女は僕のことを「お兄ちゃん」と呼ぶ。血の繋がりはもちろんないが、どうやら僕はだらしない兄という立ち位置らしい。彼女は年下だけど頭が上がらない人物である。


「まあ、お兄ちゃんがうちの教会の婿養子にくるって言うならいくらでも世話してあげるけどね」
「嫁にくるんじゃないのかよ」
「婿です! 譲りません!」
「婿ならもっとマシな男を迎えなさい」


 冗談半分で言う彼女に冷静なツッコミを入れる。
 咲久来はなにかにつけて僕を婿養子にしようとする。本人曰く「後継者問題ってことだよ」だそうだ。どこまで本気にしていいのかわからないけど。
 こんなやりとりをするのも日常茶飯事で、今さら咲久来の言動でドギマギすることもない。いつもと同じ平穏な会話だ。
 通学路を歩いている途中、不意に黒いセーラー服を纏った女性と目が合った……気がした。


「九条愛梨彩……」


 彼女を目にした咲久来の声のトーンが低くなる。普段の明るい声音からは想像もできない、まるで目の敵を見つけたかのような声だった。
 九条さんはなにごともなかったかのように黙って通学路を歩いていく。こちらには二度と目もくれず、黒く長い髪がわずかに揺れ動くだけだった。
 僕は九条さんを遠くから呆然と眺めていた。
 彼女は端正な美貌とは裏腹に誰も近づけさせないオーラがある。誰とも触れ合わず、誰とも関わらない。孤高でミステリアスな雰囲気。
 その姿から学校の連中は彼女のことを「魔女」と形容していた。自分たちとは隔離されたものを示すようなあだ名だが、言い得て妙だとも思った。


「ちょっと!お兄ちゃん!」
「え、あ、なに?」咲久来の声で我に帰る。彼女の方に向き直ると上目遣いで睨まれていた。睨むだけで口は開こうとしない。「と、とりあえず学校いこうか!!」
 咲久来から逃げるように足を進める。言われることはおおよそ予想できる。


 ――「九条愛梨彩に関わらないで」


 どうしてそこまで避けたがるのか……僕には理解できない。あのミステリアスなオーラを放つ彼女に近づくなと言われてしまったら、俄然興味が湧いてしまうではないか。男の子とは本来そういう生き物である。
 ただ、こうやって咲久来に睨んでもらえるのは平穏無事な日常の証拠である。危険なことや怪しいことから遠ざかり、安穏と過ごす。
 素晴らしい人生ではないか――





 学校に着き、咲久来と別れた。僕は一人、二階の教室へと足を運ぶ。
 教室の扉を開け、中央を目指す。僕の席は教室のちょうど真ん中に位置するため、居心地はあまりよくない。窓際の席の方がよかった。


 ふと視線を移す。窓際の一番後ろの席には通学路で遭遇した「魔女」――九条愛梨彩が座していた。


 彼女は普段から儚い表情で外の景色を眺めている。今みたいな始業前も休み時間も授業中もだ。同じ風景を見ているはずなのに彼女の瞳には違う世界が写っているかのような、見えないものが見えているかのような……そんな憂いを帯びた表情をしていた。
 自分とは異なる存在はひどく蠱惑的で自然と僕は目で追ってしまう。


「オッス! 黎! 今日も仲良くカノジョと登校か?」


 その言葉が聞こえたと同時に僕の視界が揺らいだ。九条さんはたちまち視界の外へと消えいってしまう。
 振り向くと僕の肩を抱くようにのしかかる勝代緋色かつしろひいろがいた。はにかんだ笑顔を見せる彼は底抜けに明るく、スキンシップが激しい友人だった。
 緋色とは中学からの仲で、同じテニス部に所属している。だから彼は咲久来と僕の関係をよく知っている。つまりイジってきているわけだ。


「カノジョじゃないって知ってるだろ」
「そうだよなぁ。お前のお気に入りは九条だもんなぁー」
「な、なに言ってるんだ! 本人いるんだぞ!!」


 友人の軽い口を手で塞ぐ。もごもごとまだなにか言っているようだが黙るまで徹底的に押さえる。彼とのつき合いは長い方だが、すぐに口外する癖は常々どうかと思っていた。
 ほどなくして彼がギブアップを告げるように僕の机を手で叩いた。もう大声で言いふらす気配はない。
 口から手を除ける。緋色はぜえぜえと仰々しく息を整えている。呼吸が落ち着いた様子を見せると今度は周りを見渡し、すかさず耳打ちをしてきた。


「まあ、セーラー服可愛いもんな。俺めっちゃわかルイ一四世」
 緋色はサムズアップとドヤ顔でつまらないギャグを言い放つ。
「あのなぁ」


 呆れて見せるが、緋色の言うことも一理あった。セーラー服は目を惹く理由の一つなのだ。
 僕らの通う私立成石学園は自由な校風で有名だ。男子はブレザーと制服が決まっているが、女子に制服の決まりはない。いわゆる「なんちゃって制服」が主流なのだ。
 しかし、その中でも九条さんは異質な「セーラー服」を着こなしている。「うちの学校でセーラー服の後ろ姿を見つけたら、それは九条愛梨彩だ」と判断できるレベルで異質なのだ。この異様さも彼女が「魔女」と言われる一因だった。


「二◯年前まではセーラー服が指定の制服だったって噂だよな。いっそ今も女子全員セーラー服にしてくれりゃいいのに」
「九条さんだけが着ているから際立っているんだよ。全員じゃ価値下がるよ?」
「それもそうだな」


 緋色がそう言うと、タイミングを見計らったかのようにホームルームのチャイムが鳴った。彼は手を振って「またな」と言うと廊下側の席へと帰った。
 担任の先生はまだこない。しばし、一人で物想いに耽る時間となる。九条さんは相変わらず外を見つめていた。
 さっきのように彼女のことを話題にしても振り向くことはない。周りのクラスメイトも特になにか言ってくるわけでもない。九条愛梨彩はこのクラスで隔絶されて手の届かない、見て崇めるだけの偶像のような存在なのだ。
 誰も関わらない。誰も触れられない。でも確かにここにいて、彼女について話題にできる……そんなクラス共通の語り草のような存在が九条愛梨彩だった。





「黎、帰ろうぜ」


 緋色のなんの気ない言葉を聞いて実感する。今日も一日が無事に終了した。僕は「うん」と返し、スクールバックを手に持った。


「明日英語で小テストだったっけか? はぁ、帰って勉強しないとかなぁ」


 昇降口へと続く階段を降りながら緋色がため息を漏らす。踊り場で足を止めた彼は階段の窓からおもむろに外を眺めていた。


「今日が部活の日なら勉強後回しの言いわけがつくのに」とでも考えているのだろうか。あいにく今日は咲久来が所属する女子テニス部がコートを使う日だ。
「確かそうだね。マンガ読んでる暇ないね」


 緋色を待たずに僕は先に降りていく。
 今日は彼が愛読している週刊誌の発売日だったはずだ。勉強よりマンガを優先しそうだと思い、少々皮肉を口にしてみた。


「お、そうじゃん! 今日発売日じゃん! 帰りにコンビニ寄って……よし、勉強は後回しに決定! 黎、コンビニつき合えよ!」
「やっぱりそうなるのか……」


 意気揚々となった緋色は階段を一気に飛び降り、再び僕と並んで歩く。しまった。僕の発言が仇になったか。


「なあなあ聞いてくれよ! 最近『スカーレット・ハート』ってマンガがさ――」


 と並んで歩くなりすぐに一人でマンガ談義を始めてしまう。こうなった緋色を止める手段はない。聞くしかないのだ。
 緋色はマンガが大好きだが、いわゆるオタクとはほど遠い人間だった。好きなマンガは少年誌のものがほとんどで、アニメにはさほど興味を示さない。
 対する僕は根っからのオタクだ。アニメは大好きだし、今でも特撮を観るくらいだ。ロボットとヒーローに憧れるいつまでも童心が捨てられない男の子というわけだ。もちろん少年誌だって読む。
 僕たちの仲がいいのは主にマンガの話で意気投合したからだ。そもそも勝代緋色とはテニスとマンガという共通点がなければ友達になっていなかったであろう。
 彼は容姿も整っており、赤毛の短髪は人に爽やかな印象を与える。運動全般が得意でテニス部のエース。加えて底抜けに明るく人懐っこい性格でクラスの人気者だ。
 対する僕はメガネでオタク。運動神経は並よりほんの少し上くらいで、髪も長くて暗い印象を与えるだろう。
 彼より優っているものがあるとしたら頭脳と唯一得意な運動であるランニングくらいじゃないだろうか。それも緋色より優れているというだけで、この学校には僕より上がごまんといる。
 よく彼に「お前は主人公っぽくていいよな。運動できて体育では引っ張りだこだし、女子からも人気だし」と愚痴ることがある。対する緋色の回答はこうだ。


——「いやいやマンガの主人公はもっとすごいし、強いだろ? 俺はまだまだだよ」


 向上心の塊のような返答をする。やはりできるオトコは違うのだ。
 と緋色のマンガ談義につき合いながら物思いに耽っているうちに駅前のコンビニに到着した。成石学園は目と鼻の先に最寄り駅があるため、電車通学の生徒に優しい立地となっている。


「んじゃ俺ちょっくら買ってくるわ」
「わかった。外で待ってる」


 そう言うと緋色はコンビニの中に姿を消した。
 五月の風は吹き通ると涼しく感じる。することがない僕はスマホでSNSを開いた。タイムラインに流れていく友達や学校の人たちのなにげない日常たち。急上昇ワードの「都内の刑務所から囚人脱獄」というニュースは対岸の火事のように思えた。けれど人を殺した残虐な囚人に憤る自分も心の隅にいた。


「また今日も一日なにもできずに終わるな」


 自然と言葉が漏れた。無意識だった。一体なにが「できず」に終わったというのか。
 毎日が今日のように穏やかに過ぎていく。変化があるとしたら部活があるかないか程度の差だ。満足と言えば満足している。
 でも、こう、なにか物足りない。言うなれば「僕の人生はこんなもんじゃない」という感じだ。
 「家族がいて、幼馴染がいて、友人にも恵まれた。これ以上なにを望むのか?」と問われたら返す言葉が見つからない。それでも、なぜか心の奥底から聞こえてくるのだ。


 ――お前はこんなところで燻っていていいのか。


「中二病おつ」


 自分をあざ笑う以外、冷静になれる方法はなさそうだ。
 自分は平凡な人間で、この世を救うヒーローのような特別な力もなければ、悪の魔王のように世界征服の野望もないのだ。いっそのことファンタジーの世界に転生してみたらどうか? と考えるけど現実はそんな上手くいくわけない。
 平凡な僕の平凡な物語に主人公補正はゼロない。特別度ゼロ、ゼロからっぽの自分。それでもゼロの物語は進んでいくわけで、結局自分を嘲り笑うことで自覚するしかないのだ。
 自分に言い聞かせようとすると、ふと彼女の姿が脳裏を過った。


 九条愛梨彩――僕の生活の中で唯一の異質。


 彼女のような異質なものと関わればなにか変化が生まれるのだろうか。この退屈な僕の世界に革命を起こすようななにかが。


「おっまたせ! これで読書がはかどるわー」


 相変わらずの軽口を叩きながら緋色がコンビニから出てきた。奔放な彼の姿を見ると自分の悩みがアホらしく感じる。


「マンガは読書とは言わないだろ」
「じゃあ読マン?」
「なにそれ」


 お互いにふっと笑って再び歩みを進めた。「こういう取りとめもない会話も悪くないな」と噛み締めながら。





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