それはまるでChanson

作者 ピヨピヨ

memento パン屋と薬少年

雨が降った街。

突然の大雨で、せわしなく行き交う大人たちは、霧だつ石造りの地面を蹴ってそれぞれ家路につく。

その先には暖かい家庭がある。
その先には安全な我が家がある。
少なくとも、雨降るこの場所よりマシなところに行く。
だから、この寒さの先にある痛みも、飢えによる苦痛も彼らは知らない。

ましてや、クスリがなきゃ生きていけないような、薄汚い少年のことなど、誰が気にかけてくれるだろう。

そう…彼は一人だった。
行き交う大人たちを見ながら、白い息を吐く。手元にはクスリの入った小袋を握りしめて、雨でビショビショになりながら立ち尽くす。

少年は空腹だった。
死にそうなぐらいの空腹で立っているのもやっとだ。
路地の壁に縋るように跪いた少年は、虚ろな目で俯く。

ここで死んでしまうのだ、
いっそのこと楽になってしまおう。
あぁ、神様、哀れな罪人にどうかご慈悲を。

そう祈って目を閉じようとした、その時。

不意に体が浮いた。
初めは天使に拾われたのだろうと思って、目を瞑っていたが。
何者かの背中に担がれ揺られていると気づくには、少し時間がかかった。

……?

雨がかからないようにしてくれているのか、少年は何者かの厚手の街頭を被せられている。
それに何者かの肩から、いい匂いがした。
美味しそうな、香ばしい匂いが。

……………暖かい……

うつらうつらしていると、いつのまにか寝てしまったらしい。

気がつくと、少年はベットに寝かされていた。






「…おはよう、少年。」
「………?」

目が覚めると目の前には知らない白髭の男がいた、まるで木の彫刻みたいにシワが深い老人だ。
少年は戸惑いながらも起き上がる、すると老人は暖かいスープを持っているのが目に入った。少年は奪うようにそれをひったくり熱いのも気にせず飲み干す。

「おい火傷しちまうぞって…あーあーこんなに零しやがって、たくよぉ。」
「あーうゥ!」
「あぁ分かったから取らねえよ、全部お前のだ。」
「アぁ…!」
「変な声だなぁ、喋れないのか?それともなんかの障害か?妙なの拾ってきちまったな。」

少年はスープのついた指や口を舐めながらあたりを見渡す、自分のいる場所は2階らしい庶民的な作りの天井の低い部屋だった。
少年は上手く言葉が話せない。
脳に障害があるのだ、発音が上手くできない、加えて月に何回かクスリを飲まないと頭痛がしてしまう。
なんとかジェスチャーでその旨を伝えた。

「なんとなく察しはついた、親もいねぇんだな、そりゃいい…たまたま息子が欲しかったところだ。」
「ムむ…すぅ…こ?」
「もう何も心配しなくていい、これからは俺が親代わりになってやる、だからテキパキ働けよ?うちはパン屋なんだからよ。」
「ウウ…ぅ…おれ、もう死な…ナイィ?」

少年はガラガラする声でつっかえながら尋ねる。一度死の淵に立たされた彼は、死に怯えていた。
そんな少年に対して老人は吹き出すように笑った。

「んなわけねぇだろ?!お前は神にでもなったつもりかぁ?人間なんかいつか死ぬに決まってんだろ。」
「うぅ……コワ、ィ。」
「怖がっても仕方ないだろうが、俺だって息子一人死んでんだよ、俺もいつかは死ぬ、お前も死ぬんだ…だが、それが大事なわけじゃねぇ。
大事なのはいつか死ぬことを忘れねぇことだよ。」

ポカンとする少年の頭をぐりぐりと老人は撫でると、少年の髪は(元よりボサボサだったが)派手に散らかる。
なんだか頭がフラフラした。

「お前名前はなんだ?」
「うぃ…あむ…むぅ」
「ウィアム?」
「ウぃぃ…あむゥ!」
「うい〜あむ?」
「なぁぁ!ちがァう…!」
「めんどくせえから、ウィアムでいいか。」
「よく…ねぇ!!うぃいアムだ!!」

ぼかぼかと少年は老人に抗議するが、老人はニヤニヤしながら痛くも痒くもないと言う様子でデコピンで相殺する。
少年は額を抑えながら、老人を睨みつけるが老人の笑った顔を見ているとなんだか力が抜けた。
老人の名前はジールと言った。





「ウィアム!てめぇまた店番サボりやがったな?」
「ゲッ…!なんでバレたんだよォ。」
「バレるわ!ウィアムこっち来い、罰として店の掃除だ馬鹿野郎!」
「だからー俺の名前はウィリアムだってさァ!聞いてんのォ?」
「知るか、お前はウィアムだ。」

おっさんは逃げ出そうとする俺のシャツ襟を引っ掴んでズルズルと店奥に引きづり込む、全くまた店の掃除かよ…冗談じゃないぜ。
毎日毎日こんなんじゃ女とも遊べねぇし、まぁパンは好きだけどさぁ、食べれなきゃ嫌なんだよなぁ…

「ジール、俺もうつかれタ。」
「くだらねぇこと抜かしてねぇで、さっさとやれ。」
「俺、夜中に仕事あるんだヨぉ、昼はネてぇの。」
「夜の仕事?妙なのじゃねぇだろうな?」
「んなわけあるかヨォ、真っ当で真っ白でキレーな仕事だよ、バァカァ。」

舌を出してジールに告げると、ジールは目を丸くした。
なんだよ…俺が仕事できるのが信じられねえって顔じゃんか。
ジールは馬鹿だ。
それからいくつか質問された、どこで働いてんだ?とか何をするんだ?とか。

「歌を歌う?そりゃ傑作だな!!」
「バカにすんじゃネェよ、殴ルぞ?」

意外と人気なんだ、ジールが馬鹿にしたこの歪んだ声にだって使い道がある。
それに俺だってもう18になる、クスリを買う金ぐらいは自分で稼ぎたい。

「オメェが歌ねぇ…どこのパブで歌ってんだよ?聞きに行ってもいいか?」
「かまわねェけど、変な真似すんなヨ?」
「馬鹿にすんな……ってそれよりお前そろそろクスリが切れるだろ、これで買ってこい。」

そう言ってジールは銀貨を投げてよこす、町外れにあるロイターのクスリを買うための金だ、アレがないと俺はひでぇ頭痛になる。
俺はクスリを買うふりをして店を出る、そしてその金を裏路地の子供にくれてやった。

俺なんかに使うより、こいつらにやる方が良い、生きるために必要なんだからな。





「は?なんで今日入金じゃねェンダ?今日だロ?」
「ごめんね〜ちょっと立て込んでて来週は倍にするから。」
「いや、俺困るんだけド、すげェ困るんだけど?」

パブで給料を受け取ろうとしたが、まさかの支払い拒否。まじかよ。
自分の金で買うつもりだったクスリが買えねぇのは一大事だ。

「まじかよォ……はぁ…」

仕方なく最後のクスリを飲み干しながら、俺は途方に暮れた。金がなくては買えない、これではいくらロイターでも売ってはくれないだろう。
もう一度ジールに貰うのはなんだかおかしいし、そんなことはしたくない。
今すぐ金が手に入る方法……はないことにはない、幼い頃はそれでなんとか食い繋いでいた。

「バイシュンしかねぇのかなァ…ハァ。」

今もやれと言われれば出来ないわけじゃないし、生きるためならばやらねばならなかったことだ。
だが、それはしたくなかった、ジールがいるからだ。

次の入金日まで数週間耐えればいい。
それだけの話だ。





と思ったが、いざやってくるとひどい頭痛に頭を抱える。それに最悪なことにジールがそこに居合わせてしまった。
当然金について聞かれたが、笑って誤魔化すとジールは雨の中銀貨を片手に家を飛び出していく。
戻ってくる頃には、奴はずぶ濡れのまま俺を抱き上げてベッドに寝かせられた。
クスリも無理矢理飲まされ、随分調子は良くなった。

あーあ、ほんと最悪。
かっこ悪いったらないね。

「ウィリアム、無理すんなよ、本当に…やめてくれ。」
「大げさダなぁ…ちょっとねりぁナオるって。」
「そう言って死んだんだ、もう二度とこんな思いさせんじゃねぇ。」

ジールのシワだらけの両手が俺の顔を撫でる。何十年もパン生地を揉み続けた手からは小麦粉の柔い匂いがした。

あぁ、本当…そんな手で触んじゃねぇよ。
俺が何してきたか知らねぇくせにさ、俺すげえ汚ねぇのに。

性病だっていくつ持ってるかわかんねえんだぞ?いつ死ぬかだって分からないんだ。
それなのに、そんな俺に優しくしやがって、馬鹿だよなぁこいつ。

「ウィリアム、死ぬなよ、俺より先に死ぬなよ。」

そう泣きそうな声で言って無駄にでかい腕に抱かれる、パンのいい匂いがした、あぁいい匂いだ。
お腹すいて死にそうだったあの時を思い出す、あの時食ったスープ本当美味かったよなぁ。
本当に美味かったよなぁ…
また食いてえなぁ…

「人はいつか死ぬンダろ?ジール。」

俺はジールの無駄にでかい背中に手を回す、小刻みに震える背中を優しくさする。

「死んだらサァ、どうなんのか知ってるンダヨ、俺さ。」
「どうなるんだよ。」
「死んだらさぁ…肉は土になって、骨は風に流されて、魂は水に還るンダってさ、だから俺ハ、死んだらカラダがバラバラになって、色んなところに溶けテ、どろどろになってセカイの一部になるんだト。」
「……よくわかんねぇよ、それの何がいいんだよ、結局いねぇも同じじゃねぇか。」
「ジールは馬鹿だ。」

カカカッと俺はジールを嘲笑ってみせる。
大の大人が情けない、俺はそんなお前が本当好きだぜ、ジール。

「つまりはいつも一緒だってことダヨ、バァカ。」

俺は最愛の家族に甘えた猫のように擦り寄る、より一層パンの香ばしい匂いがして心地よい。
幸せの匂いだ、俺にとって最高の匂い。
白い髭がこそばゆい。

そうだ、いつか俺は死ぬ、お前もいつか死ぬ。
だが大事なのはそこじゃないだろ?
いつか死ぬこと、死を忘れないこと。
それが一番大切なことだ。

死を想え

そして今を生きろ

体を売ったっていい、クスリを売ったっていい

生きてりゃ勝ちだ、無敵だろ?

汚くったって俺が最後まで投げ出さずに生きたってだけで褒めてくれよ。

くだらない人生を送った俺に拍手をしてくれ、浴びるほど酒をぶっかけてくれよ

あぁ、神様。




哀れな罪人にどうかご慈悲を





そして上手いパンを用意していてくれ。





memento

発音 
メメント

言語
英語

意味
形見 思い出の品
またラテン語でmemento moriは「いつか死ぬことを忘れるな、死を想え」という意味を持つ

コメント

コメントを書く

「童話」の人気作品

書籍化作品