発展途上の異世界に、銃を持って行ったら ~改訂版~
14話
「うわぁ……これはまた、立派なお屋敷ですねぇ」
「こ、ここに住むのでありますか?」
感心したようなストレアの言葉と、怯えたようなアルマの言葉に、イツキは目の前の建物を見上げた。
……小さめの屋敷だ。
人のいる気配は無いが、庭の草木は綺麗に整えられている。誰かが手入れをしているのだろう。
「……まさか、屋敷を貰えるとはな……」
『ゾディアック』の『乙女座』を撃退したお礼として、グローリアスが使っていない屋敷を譲ってくれた。
……というのは、建前だろう。
『娘が……シャルが、誰かに恋をしたのは初めてなのだ』
王宮を出る前──グローリアスがイツキを呼び止め、客室で二人で話をした事を思い返す。
『……そうですか』
『先ほども言ったが、私はシャルの意思をできるだけ尊重したい。シャルが恋した相手がイツキ君なら、私は安心してシャルを任せられる』
『俺がそんな大層な人間に見えますか?』
『魔眼を持っているシャルを見ても、イツキ君は態度を変えなかった……それ所か、魔眼をカッコいいとまで言ってくれたのだ。魔眼を持つ者にとって、その言葉がどれだけ嬉しいか……魔眼を持つ娘の父親が、その言葉にどれだけ救われたのか──いずれキミも、わかる時が来る』
そう言ってグローリアスは──
『んなっ……?! ちょっ、頭上げてください! ちょっと!』
頭を下げたグローリアスの姿に、イツキは思わず大声を上げた。
『だから……頼む。シャルを……私の娘を、キミの隣に置いてやってくれないか』
『あっ、ぐ……! ああもうわかりましたよ! だから頭上げてください!』
一国の王に頭を下げられるなんて、イツキの心臓が持たない。
『……ありがとう。本当にキミには、感謝してばかりだ』
その時のグローリアスの表情は──国王の表情ではなく、一人の父親の表情だった。
あれだけ懇願された上、相手は国王だ。断るわけにもいかない。
「イツキさん、早く行きましょうっ!」
こちらに手招きをする少女の声に、イツキは思わず苦笑を漏らした。
余程イツキと一緒にいられるのが嬉しいのだろう。先ほどまでの国王の娘の姿はどこにもなく、年相応の少女の姿があった。
「……なあシャル」
「はいっ、何ですか?」
「全く関係ない話だが、お前って求婚された事とかないのか?」
王女様で、結婚のできる年齢なのだ。なら、何度か求婚されていてもおかしくはない。
そんなイツキの質問に──シャルロットは、ほんの一瞬だけ表情を暗くした。
「──いませんでしたよ」
だがすぐに表情を戻し、花のように微笑むシャルロット。
──嘘だな。
表情もそうだが、返答にも若干の間があった。
おそらく、シャルロットに今まで求婚した者たちは──全員、シャルロットの魔眼を見て怯えたのだろう。
今更ながら残酷な質問をした事に気づき、誤魔化すようにイツキはシャルロットの頭を撫でた。
「んっ……? いきなりどうしました?」
「いや、何となくな」
「もしかして……聞いてはいけない事を聞いてしまった、とか思ってます?」
「あーいや……まあ、そんな感じだ」
バツの悪そうなイツキの表情を見て、シャルロットが口元に手を当ててクスクスと小さく笑った。
「何してるんですぅ? 鍵を持ってるのはあなたなんですから、早く来てくださいぃ」
「……ああ、今行く」
玄関の扉の前に立っていたストレアの言葉に、イツキはポケットから屋敷の鍵を取り出した。
──この屋敷に暮らすのは、イツキとシャルロットに加え、イツキの奴隷であるアルマに、ストレアだ。
ストレアの居場所は、どこにも存在しない。『ゾディアック』によって国を滅ぼされ、家族も仲間も失っている。
そんなストレアに、シャルロットが一緒に暮らさないか? と声を掛けたのだ。
てっきり断ると思われたその誘いを、ストレアはすんなりと飲み、この屋敷で共に暮らす事が決定した。
「おっ……開いたな」
簡単に鍵が回り、ゆっくりと玄関扉を開く。
「へぇ……随分と綺麗にしてありますねぇ?」
「お父様が定期的に使用人を送って、掃除や手入れをさせていたそうですよ」
「さすが王族……」
スケールの違う話に苦笑し、イツキは背負っていた荷物を床に下ろした。
「とりあえず、ここからは別行動な。それぞれ気に入った個室を探して、そこを自室にするぞ」
「……それじゃ、ボクは一足先に行かせてもらいますよぉ」
ひらひらと手を振り、ストレアがその場を後にする。
……掃除や手入れはしていても、ベッドや食器等の生活用品は整っていないだろう。
全員が落ち着いた頃合いを見て、買い出しに行く必要がありそうだ。
床に置いた荷物を担ぎ上げ──この場に残っている二人の少女に声を掛けた。
「お前らも、好きにしていいぞ?」
「はい!」
「りょ、了解でありますっ」
……とりあえず、二階を見てみるか。
億劫そうに二階への階段を上り──その後を付いてくる気配に、イツキは足を止めた。
「……なんで付いてくる?」
後ろを振り返り、ピッタリと付いてくる二人に問い掛ける。
片方はオドオドとしながら、片方はコテンと首を傾げながら、さも当然のように答えた。
「い、イツキ様に何が起きても良いよう、自分はイツキ様の隣の部屋に、と思って……」
「え? 私、イツキさんと同じ部屋じゃないんですか?」
奴隷という立場を強く意識しているアルマと、相変わらず考えがぶっ飛んでいるシャルロットの言葉に、イツキは呆れたようなため息を吐いた。
「……アルマ……もっと自由でいいぞ? 俺もまだまだ子どもだが、お前はもっと子どもなんだ。もっとワガママを言え」
「は、はっ!」
「お前に関しては何を言ってんだ? とっとと自分の部屋を探せ」
「むぅ……」
言いながら、イツキは近くにあった個室の中に入った。
……ふむ。適当に入ってみたが、ここの部屋で良さそうだ。
「……やっぱり、生活用品は置いてないよな」
隅々まで清掃が行き届いているが……物は何一つ置かれていない。
……今日と明日は、買い出しで潰れそうだ。
───────────────────
──パサッと、床に服が落ちる。
一矢纏わぬ姿となった少女が、自身の体を見下ろした。
……凸凹の少ない体だ。まあ、もう見慣れているが。
そんな事を思いながら、少女は──ストレアは、優しく左腕に右手を添えた。
──血のように赤い紋様。
ストレアの左腕には、入れ墨のような模様があった。
「……………」
この模様は、実際には模様ではない。
一見は模様にしか見えないが──本当は、文字なのだ。
しかも、この文字はストレアにしか読めない。
故に、他の人が見ても、これを模様としか認知できないのだ。
「……『憤怒の罪人』……」
──『憤怒の罪人』。ストレアの左腕には、そんな言葉が刻まれている。
この文字が発現したのは、『鬼国』が滅ぼされた日だった。
ストレアには、【鬼神の加護】という能力が宿っている。
この能力は少し特殊で、親から子へと引き継がれていく能力だ。
ストレアもまた、父親からこの能力を継いだ。
そして、ある日──ストレアたちの国は、あの忌々しい『ゾディアック』によって滅ぼされた。
「ほんと、なんでボクなんかが生き残ってるんですかねぇ……」
【鬼神の加護】を有する『鬼族』は、英雄として扱われる。
故にストレアは生き残らされた。
今のストレアではまだ勝てない。だから強くなって、仇を討ってくれ。【鬼神の加護】を完全に使いこなせるようになって──そう父親に言われた事を思い出す。
そして──ストレアは逃げた。
大量の汗を流しながら──瞳からは、その何倍もの涙を流して。
強くなった英雄が、自分たちを殺した『ゾディアック』を討ってくれる──そう信じた『鬼族』の願いを胸に。
「……みんな、バカですよねぇ」
逃げたところで追い付かれて殺される事はわかっていた。戦ったところで勝てない事もわかっていた。
ならば、次の英雄に全てを託そう──全くどうして、自分の命よりも他人の命を救おうとする奴らばかりだったのか。
一言、言ってくれれば良かった。なんでお前なんかのために戦わなくちゃいけないんだ、と。
唾を吐き、罵倒してくれれば良かった。お前が強くなったところで勝てるわけがない、と。
その場から逃げて、糾弾してくれれば良かった。好きに戦って勝手に死ね、と。
そっちの方が、ストレアの気は楽だった。
一人でもそんな者がいれば、ストレアは戦場に戻り、戦って死ねたのだから。今みたいに、期待と希望を独りで背負う必要がなかったのだから。
だが──そんな者は、誰一人としていなかった。
「……もっと、強くならないとぉ……」
今のストレアでは、『ゾディアック』には勝てない。そんな事は、充分すぎるほどに理解している。
しかし──たまたま国を滅ぼした『乙女座』を見かけてしまった。こちらに気づかず、『鬼国』のみならず『人国』にまで攻撃を仕掛けようとしていた。
──見て見ぬフリは、できなかった。
理性が言った。
──まだだ。まだ復讐の時じゃない。己の力を磨き、伝承の勇者を待つべきだ、と。
だが……本能も感情も、声を揃えて言った。
──うるさい、知った事か。今ここで殺す、と。
我ながら、バカだと思う。
しかし──憤怒に呑まれた思考は、目の前の敵を殺す事しか考えられなくなっていた。
「……噂だと、伝承の勇者を名乗る男が『ゾディアック』に殺されたって言ってますけどねぇ……」
伝承通りならば、勇者は『ゾディアック』を討つのだろう。
肝心の勇者と思われる人物は、『ゾディアック』との戦闘で命を落としたそうだが。
「まぁ、ボクには関係ありませんけどねぇ」
『鬼国』を滅ぼした三人の『ゾディアック』──『乙女座』に『牡牛座』、それに『山羊座』。
この三人は、ストレアが自分の手で殺さなければ──死んだ『鬼族』に、顔向けができない。
憤怒と憎悪が膨れ上がり、暴力的な衝動に駆られるストレア──と、控えめなノックが室内に響いた。
「──ストレア殿。イツキ様が生活用品を買いに行くので出て来い、と呼んでいるであります」
「……あぁ……少し待っててくださいぃ。用意ができたら行きますよぉ」
素早く服を着て、ストレアが部屋を出た。
アルマと共に玄関に向かい──その途中で、ふとストレアがアルマに尋ねる。
「あなた、随分とあの『人類族』の事を信頼してるんですねぇ?」
「はっ、当然であります。イツキ様は自分の恩人であり、主人なのでありますから」
即答。
真面目すぎる『地霊族』の答えに、ストレアは思わずため息を吐いた。
「……どうも怪しいんですよねぇ、あの『人類族』ぅ……なんだか、何かを隠しているように見えますぅ。そんな怪しい奴を、信頼できるんですかぁ?」
「信頼できるであります。確かにどこか冷たそうに見えたり、話し方もあんな感じなので、ストレア殿の不信感もわからなくはないでありますが……絶対に、信頼できるであります」
盲目的な信頼に、ストレアは再びため息を漏らす。
「──そんなに俺は信頼できそうにない人間か?」
いつの間に玄関に着いていたのか、話を聞いていた少年が、玄関扉に寄り掛かって不機嫌そうに目を細めた。
「あっはぁ。信頼して欲しいのなら、まずはあなたがボクの事を信頼する所から始めないとですねぇ」
「その言葉、そっくりそのままお前に返してやる」
特に話を続ける気は無いのか、イツキがクルリを身を返して外に出ようと──して、二階への階段から駆けてきた少女が、その背中に勢い良く飛び付いた。
まさかいきなり衝撃を受けるとは思ってなかったのだろう。受け身も取れずに、イツキは顔面から壁に突っ込んだ。
「おぶふっ?!」
「イツキさん、やっぱり私を置いて行くつもりでしたね?! 絶対に付いて行きますから!」
怒ったような少女の声に、だが返事をせず、イツキは激痛のあまりその場に頽れる。
「うッ、ぐぉぉぉぉ……?!」
「い、イツキ様?! 大丈夫でありますか?!」
「だ、大丈夫大丈夫……」
「あ、あれ? イツキさん? ど、どうしました……?」
「壁に顔面から突っ込んだんだよ……! つか見てただろうが……!」
涙目のイツキが、ボタボタと鼻血を垂らし──右手を、鼻に当てた。
「“優しき光よ。傷付く者の身体を癒し、安らぎを与えよ”──『ライト・ヒール』」
──ふわっと、柔らかな淡い光がイツキの顔を包み込む。
すると──鼻からの出血が止まり、イツキが立ち上がった。
「……一応、魔法書に目を通しておいて良かった……」
ぐしぐしと鼻血を拭い取り、イツキはホッと息を溢した。
──これが魔法の力……イツキの中に宿る『回復魔法』の力か。
特に薬を使うわけでもなく、ただ詠唱するだけで傷や怪我が治るとは……なんとも便利な力である。
そんな事を思いながら、イツキはシャルロットと向かい合った。
怪我をさせた事に罪悪感を感じているのだろう。シャルロットの顔が暗い。
「……あのな、シャル。お前を連れて買い物に行ったら、国中が大騒ぎになるだろ。もしかしたら犯罪者に拐われて、殺されたりする可能性だってある。わかるな? 危ない目に遭いたくないなら、ここで待っててくれ」
「で、でしたら! 服を着替えて顔を隠します! それだったら、国民にも私だって事がわからないです!」
「お前………………はぁ。勝手にしろ」
「はい! では着替えてきますね!」
バタバタと慌ただしい足音を立てながら、シャルロットが自室へと引き返して行く。
面倒くさそうにため息を吐き、イツキが玄関の扉を開けた。
「……アルマ、全力でシャルを守れ。シャルを狙ってそうな奴がいたら、すぐに報告しろ」
「はっ! 了解であります!」
シャルロットが着替え終わるのを待ち──四人は、買い出しへと向かった。
「こ、ここに住むのでありますか?」
感心したようなストレアの言葉と、怯えたようなアルマの言葉に、イツキは目の前の建物を見上げた。
……小さめの屋敷だ。
人のいる気配は無いが、庭の草木は綺麗に整えられている。誰かが手入れをしているのだろう。
「……まさか、屋敷を貰えるとはな……」
『ゾディアック』の『乙女座』を撃退したお礼として、グローリアスが使っていない屋敷を譲ってくれた。
……というのは、建前だろう。
『娘が……シャルが、誰かに恋をしたのは初めてなのだ』
王宮を出る前──グローリアスがイツキを呼び止め、客室で二人で話をした事を思い返す。
『……そうですか』
『先ほども言ったが、私はシャルの意思をできるだけ尊重したい。シャルが恋した相手がイツキ君なら、私は安心してシャルを任せられる』
『俺がそんな大層な人間に見えますか?』
『魔眼を持っているシャルを見ても、イツキ君は態度を変えなかった……それ所か、魔眼をカッコいいとまで言ってくれたのだ。魔眼を持つ者にとって、その言葉がどれだけ嬉しいか……魔眼を持つ娘の父親が、その言葉にどれだけ救われたのか──いずれキミも、わかる時が来る』
そう言ってグローリアスは──
『んなっ……?! ちょっ、頭上げてください! ちょっと!』
頭を下げたグローリアスの姿に、イツキは思わず大声を上げた。
『だから……頼む。シャルを……私の娘を、キミの隣に置いてやってくれないか』
『あっ、ぐ……! ああもうわかりましたよ! だから頭上げてください!』
一国の王に頭を下げられるなんて、イツキの心臓が持たない。
『……ありがとう。本当にキミには、感謝してばかりだ』
その時のグローリアスの表情は──国王の表情ではなく、一人の父親の表情だった。
あれだけ懇願された上、相手は国王だ。断るわけにもいかない。
「イツキさん、早く行きましょうっ!」
こちらに手招きをする少女の声に、イツキは思わず苦笑を漏らした。
余程イツキと一緒にいられるのが嬉しいのだろう。先ほどまでの国王の娘の姿はどこにもなく、年相応の少女の姿があった。
「……なあシャル」
「はいっ、何ですか?」
「全く関係ない話だが、お前って求婚された事とかないのか?」
王女様で、結婚のできる年齢なのだ。なら、何度か求婚されていてもおかしくはない。
そんなイツキの質問に──シャルロットは、ほんの一瞬だけ表情を暗くした。
「──いませんでしたよ」
だがすぐに表情を戻し、花のように微笑むシャルロット。
──嘘だな。
表情もそうだが、返答にも若干の間があった。
おそらく、シャルロットに今まで求婚した者たちは──全員、シャルロットの魔眼を見て怯えたのだろう。
今更ながら残酷な質問をした事に気づき、誤魔化すようにイツキはシャルロットの頭を撫でた。
「んっ……? いきなりどうしました?」
「いや、何となくな」
「もしかして……聞いてはいけない事を聞いてしまった、とか思ってます?」
「あーいや……まあ、そんな感じだ」
バツの悪そうなイツキの表情を見て、シャルロットが口元に手を当ててクスクスと小さく笑った。
「何してるんですぅ? 鍵を持ってるのはあなたなんですから、早く来てくださいぃ」
「……ああ、今行く」
玄関の扉の前に立っていたストレアの言葉に、イツキはポケットから屋敷の鍵を取り出した。
──この屋敷に暮らすのは、イツキとシャルロットに加え、イツキの奴隷であるアルマに、ストレアだ。
ストレアの居場所は、どこにも存在しない。『ゾディアック』によって国を滅ぼされ、家族も仲間も失っている。
そんなストレアに、シャルロットが一緒に暮らさないか? と声を掛けたのだ。
てっきり断ると思われたその誘いを、ストレアはすんなりと飲み、この屋敷で共に暮らす事が決定した。
「おっ……開いたな」
簡単に鍵が回り、ゆっくりと玄関扉を開く。
「へぇ……随分と綺麗にしてありますねぇ?」
「お父様が定期的に使用人を送って、掃除や手入れをさせていたそうですよ」
「さすが王族……」
スケールの違う話に苦笑し、イツキは背負っていた荷物を床に下ろした。
「とりあえず、ここからは別行動な。それぞれ気に入った個室を探して、そこを自室にするぞ」
「……それじゃ、ボクは一足先に行かせてもらいますよぉ」
ひらひらと手を振り、ストレアがその場を後にする。
……掃除や手入れはしていても、ベッドや食器等の生活用品は整っていないだろう。
全員が落ち着いた頃合いを見て、買い出しに行く必要がありそうだ。
床に置いた荷物を担ぎ上げ──この場に残っている二人の少女に声を掛けた。
「お前らも、好きにしていいぞ?」
「はい!」
「りょ、了解でありますっ」
……とりあえず、二階を見てみるか。
億劫そうに二階への階段を上り──その後を付いてくる気配に、イツキは足を止めた。
「……なんで付いてくる?」
後ろを振り返り、ピッタリと付いてくる二人に問い掛ける。
片方はオドオドとしながら、片方はコテンと首を傾げながら、さも当然のように答えた。
「い、イツキ様に何が起きても良いよう、自分はイツキ様の隣の部屋に、と思って……」
「え? 私、イツキさんと同じ部屋じゃないんですか?」
奴隷という立場を強く意識しているアルマと、相変わらず考えがぶっ飛んでいるシャルロットの言葉に、イツキは呆れたようなため息を吐いた。
「……アルマ……もっと自由でいいぞ? 俺もまだまだ子どもだが、お前はもっと子どもなんだ。もっとワガママを言え」
「は、はっ!」
「お前に関しては何を言ってんだ? とっとと自分の部屋を探せ」
「むぅ……」
言いながら、イツキは近くにあった個室の中に入った。
……ふむ。適当に入ってみたが、ここの部屋で良さそうだ。
「……やっぱり、生活用品は置いてないよな」
隅々まで清掃が行き届いているが……物は何一つ置かれていない。
……今日と明日は、買い出しで潰れそうだ。
───────────────────
──パサッと、床に服が落ちる。
一矢纏わぬ姿となった少女が、自身の体を見下ろした。
……凸凹の少ない体だ。まあ、もう見慣れているが。
そんな事を思いながら、少女は──ストレアは、優しく左腕に右手を添えた。
──血のように赤い紋様。
ストレアの左腕には、入れ墨のような模様があった。
「……………」
この模様は、実際には模様ではない。
一見は模様にしか見えないが──本当は、文字なのだ。
しかも、この文字はストレアにしか読めない。
故に、他の人が見ても、これを模様としか認知できないのだ。
「……『憤怒の罪人』……」
──『憤怒の罪人』。ストレアの左腕には、そんな言葉が刻まれている。
この文字が発現したのは、『鬼国』が滅ぼされた日だった。
ストレアには、【鬼神の加護】という能力が宿っている。
この能力は少し特殊で、親から子へと引き継がれていく能力だ。
ストレアもまた、父親からこの能力を継いだ。
そして、ある日──ストレアたちの国は、あの忌々しい『ゾディアック』によって滅ぼされた。
「ほんと、なんでボクなんかが生き残ってるんですかねぇ……」
【鬼神の加護】を有する『鬼族』は、英雄として扱われる。
故にストレアは生き残らされた。
今のストレアではまだ勝てない。だから強くなって、仇を討ってくれ。【鬼神の加護】を完全に使いこなせるようになって──そう父親に言われた事を思い出す。
そして──ストレアは逃げた。
大量の汗を流しながら──瞳からは、その何倍もの涙を流して。
強くなった英雄が、自分たちを殺した『ゾディアック』を討ってくれる──そう信じた『鬼族』の願いを胸に。
「……みんな、バカですよねぇ」
逃げたところで追い付かれて殺される事はわかっていた。戦ったところで勝てない事もわかっていた。
ならば、次の英雄に全てを託そう──全くどうして、自分の命よりも他人の命を救おうとする奴らばかりだったのか。
一言、言ってくれれば良かった。なんでお前なんかのために戦わなくちゃいけないんだ、と。
唾を吐き、罵倒してくれれば良かった。お前が強くなったところで勝てるわけがない、と。
その場から逃げて、糾弾してくれれば良かった。好きに戦って勝手に死ね、と。
そっちの方が、ストレアの気は楽だった。
一人でもそんな者がいれば、ストレアは戦場に戻り、戦って死ねたのだから。今みたいに、期待と希望を独りで背負う必要がなかったのだから。
だが──そんな者は、誰一人としていなかった。
「……もっと、強くならないとぉ……」
今のストレアでは、『ゾディアック』には勝てない。そんな事は、充分すぎるほどに理解している。
しかし──たまたま国を滅ぼした『乙女座』を見かけてしまった。こちらに気づかず、『鬼国』のみならず『人国』にまで攻撃を仕掛けようとしていた。
──見て見ぬフリは、できなかった。
理性が言った。
──まだだ。まだ復讐の時じゃない。己の力を磨き、伝承の勇者を待つべきだ、と。
だが……本能も感情も、声を揃えて言った。
──うるさい、知った事か。今ここで殺す、と。
我ながら、バカだと思う。
しかし──憤怒に呑まれた思考は、目の前の敵を殺す事しか考えられなくなっていた。
「……噂だと、伝承の勇者を名乗る男が『ゾディアック』に殺されたって言ってますけどねぇ……」
伝承通りならば、勇者は『ゾディアック』を討つのだろう。
肝心の勇者と思われる人物は、『ゾディアック』との戦闘で命を落としたそうだが。
「まぁ、ボクには関係ありませんけどねぇ」
『鬼国』を滅ぼした三人の『ゾディアック』──『乙女座』に『牡牛座』、それに『山羊座』。
この三人は、ストレアが自分の手で殺さなければ──死んだ『鬼族』に、顔向けができない。
憤怒と憎悪が膨れ上がり、暴力的な衝動に駆られるストレア──と、控えめなノックが室内に響いた。
「──ストレア殿。イツキ様が生活用品を買いに行くので出て来い、と呼んでいるであります」
「……あぁ……少し待っててくださいぃ。用意ができたら行きますよぉ」
素早く服を着て、ストレアが部屋を出た。
アルマと共に玄関に向かい──その途中で、ふとストレアがアルマに尋ねる。
「あなた、随分とあの『人類族』の事を信頼してるんですねぇ?」
「はっ、当然であります。イツキ様は自分の恩人であり、主人なのでありますから」
即答。
真面目すぎる『地霊族』の答えに、ストレアは思わずため息を吐いた。
「……どうも怪しいんですよねぇ、あの『人類族』ぅ……なんだか、何かを隠しているように見えますぅ。そんな怪しい奴を、信頼できるんですかぁ?」
「信頼できるであります。確かにどこか冷たそうに見えたり、話し方もあんな感じなので、ストレア殿の不信感もわからなくはないでありますが……絶対に、信頼できるであります」
盲目的な信頼に、ストレアは再びため息を漏らす。
「──そんなに俺は信頼できそうにない人間か?」
いつの間に玄関に着いていたのか、話を聞いていた少年が、玄関扉に寄り掛かって不機嫌そうに目を細めた。
「あっはぁ。信頼して欲しいのなら、まずはあなたがボクの事を信頼する所から始めないとですねぇ」
「その言葉、そっくりそのままお前に返してやる」
特に話を続ける気は無いのか、イツキがクルリを身を返して外に出ようと──して、二階への階段から駆けてきた少女が、その背中に勢い良く飛び付いた。
まさかいきなり衝撃を受けるとは思ってなかったのだろう。受け身も取れずに、イツキは顔面から壁に突っ込んだ。
「おぶふっ?!」
「イツキさん、やっぱり私を置いて行くつもりでしたね?! 絶対に付いて行きますから!」
怒ったような少女の声に、だが返事をせず、イツキは激痛のあまりその場に頽れる。
「うッ、ぐぉぉぉぉ……?!」
「い、イツキ様?! 大丈夫でありますか?!」
「だ、大丈夫大丈夫……」
「あ、あれ? イツキさん? ど、どうしました……?」
「壁に顔面から突っ込んだんだよ……! つか見てただろうが……!」
涙目のイツキが、ボタボタと鼻血を垂らし──右手を、鼻に当てた。
「“優しき光よ。傷付く者の身体を癒し、安らぎを与えよ”──『ライト・ヒール』」
──ふわっと、柔らかな淡い光がイツキの顔を包み込む。
すると──鼻からの出血が止まり、イツキが立ち上がった。
「……一応、魔法書に目を通しておいて良かった……」
ぐしぐしと鼻血を拭い取り、イツキはホッと息を溢した。
──これが魔法の力……イツキの中に宿る『回復魔法』の力か。
特に薬を使うわけでもなく、ただ詠唱するだけで傷や怪我が治るとは……なんとも便利な力である。
そんな事を思いながら、イツキはシャルロットと向かい合った。
怪我をさせた事に罪悪感を感じているのだろう。シャルロットの顔が暗い。
「……あのな、シャル。お前を連れて買い物に行ったら、国中が大騒ぎになるだろ。もしかしたら犯罪者に拐われて、殺されたりする可能性だってある。わかるな? 危ない目に遭いたくないなら、ここで待っててくれ」
「で、でしたら! 服を着替えて顔を隠します! それだったら、国民にも私だって事がわからないです!」
「お前………………はぁ。勝手にしろ」
「はい! では着替えてきますね!」
バタバタと慌ただしい足音を立てながら、シャルロットが自室へと引き返して行く。
面倒くさそうにため息を吐き、イツキが玄関の扉を開けた。
「……アルマ、全力でシャルを守れ。シャルを狙ってそうな奴がいたら、すぐに報告しろ」
「はっ! 了解であります!」
シャルロットが着替え終わるのを待ち──四人は、買い出しへと向かった。
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