港町恋物語

Rachel

8. 突きつけられた過去

翌週からはジレンが決めた通り、彼が作った料理を、3人だけで楽しむ夜を過ごしていた。
クレメールは、クラリスやジレンがそのうち飽きて解散になるだろうと思っていたが、一週二週とそのまま続き、2ヶ月が経とうとしていた。

「へえ、じゃあもうすぐ完成するってわけか、その修道院は。早いな」

ジレンが最後のデザートを並べながら言った。
今日はクラリスの家で夕食だ。時々クレメールの家で行われることもあったが、ほとんど毎週デュクレ家だった。ジレン曰く"衛生的に"良いからである。
クレメールは肩をすくめた。

「もともと建ってた建物の改築だったからな。来週には完成して、すぐ次の仕事だ」

「まあ、もう次の仕事なの。忙しいのね」

クラリスが目を丸くしたのにクレメールは頷いた。

「ランディール親方は腕も良いし、仕事も早いから、結構依頼が多いらしい。次は貴族の屋敷を一から作るらしいから、長くなりそうだ」

「貴族の屋敷! すげえ、そいつは一回見てみてえなあ」

ジレンが感心した声で言った。クレメールは口の端を上げた。

「まだ柱の一本も立ってない荒地だよ。完成は3年以上先だ」

「げっ、そんなに!? 大工ってすぐ歳とっちまいそうだな……」

ジレンがぞっとした表情で言った。その様子にクラリスがくすりと笑う。

「その頃にはジレンも食堂の店主になっているかしらね」

「や、やめてくれよ、クラリス。貯金がまだまだなんだからさ……」

そう言って照れながらジレンは調理場に引っ込んでしまった。
クレメールは彼の後ろ姿を笑みを浮かべながら見送った後に言った。

「クラリスはどうだ、暮らしに不自由はしていないか? 保険金が盗まれたりなんか……」

クラリスは微笑んで首を振った。

「大丈夫よ、クレメールさん。誰にも盗まれてないし、私もお給料をもらっているし、マルセルやアネットも時々顔を見せにくるわ」

確かに父親が亡くなったのは悲しい出来事であったが、彼は生前からほとんど家を空けていたし、贅沢をしているわけではないので、暮らし向きもこれまでと比べて変化はなかった。あるとすれば一つ、この週に一度の夕食会だけだ。

「そうか……」

クレメールは安心したように頷き、デザートの最後の一口を口に入れた。
クラリスが「そうだわ!」と手を合わせた。

「次の大きなお休みは、弟たちも一緒に夕食を食べましょうよ! 私もジレンの手伝いをするけど、アネット達にもあの子のお料理を食べさせてあげたいわ。2人とも寮や宿舎生活だから、クリスマスとか……随分先の話になってしまうけど。でも5人もいたらきっと楽しいわね!」

クラリスが嬉しそうにそう言うのをクレメールは目を細めて「そうだな」と頷いていた。

彼女は外見も心もほんとうに美しい。
時々ふと忘れがちになってしまうが、ここはデュクレ家、元上司の船長の家なのだ。夕食会はもっぱらここで行われているから、クレメールは少し気を使って一番ましな服を着てくるが、ジレンはあのぼろの服のままだった。
普通なら良家の子女は、あんなぼろをまとった人間には近づきたくないと思うのだろう。クレメールは、ジレンが道でそう言われ「近寄らないで!」と罵られているのを何度か見かけたことがある。本人は全く気にした風もなくケロリとしているが、クレメールは自分が言われたわけでもないのに心がズキズキと痛んでいた。
見た目も服装も品のあるクラリスが、そちら側の人間でもおかしくないんだ。
そう思ってクレメールはぼんやりとクラリスを見つめるばかりなので、クラリスは少し頬を赤くして頬に両手を当てた。

「な、なにか顔についているかしら。ごめんなさい、変なこと言ってしまった?」

クレメールは笑みを浮かべて首を振った。

「いや……なんでもない。きっとジレンもその話をきいたら張り切って準備するさ。今から楽しみだ」

クレメールの言葉に、クラリスは嬉しそうに頷いた。
ジレンはその2人の様子を調理場からこっそり眺めてにんまりとした笑みを浮かべていた。









修道院の完成の日、クレメールは親方のランディールや他の大工達と一緒に酒場で祝杯をあげた。

無愛想で慣れないクレメールに、ランディール達は初日から気安く接してくれたので、この2ヶ月でクレメールはしっかり彼らの輪の中に溶け込めていた。

「明日は朝から現場の土壌調べだ。飲みすぎてくれるなよ!」

ランディール親方ががなり声で言うが、彼が一番飲んでいるとクレメールは思った。修道院からの支払いは彼が思っていたよりも多く、嬉しさでいっぱいだった。大工仲間たちに混ざってクレメールも一緒に酒を飲んだ。

「おお、さすが元船乗りは強いな!」

「こいつなんか一杯でつぶれちまうんだぜ」

「お前も二杯までだろう!」

「おいおい、あんまり無理させるな、明日に響くぞー」

がやがやと賑やかな様子に、クレメールは自然と笑みを浮かべていた。船上にいるタフであまり干渉しない乗組員の男達に慣れていたが、こうして陸の彼らと一緒に過ごすのも悪くない。

翌日。ランディール親方の元大工たちは集められて仕事の役割を振られた。何人かの大工は頭を抑えながら現場に赴いていた。クレメールも少し頭が痛かったが、昼には治っていた。
クレメールは木材を揃える役を与えられた。

「そうそう、こうしてこの部分を切るようにするんだ、目の部分に気をつけろ」

指示に従いながら木材を切っていく。ちょうどその時だった。
一等の馬車がゴトゴトと音を立ててやってきた。大工たちは何事かと手を止め、眉をひそめる。
馬車は敷地内の真ん中までやってくると止まった。扉が開いて、場違いなほどに豪華なドレスを着た女性が現れた。ぎらぎらと輝く宝石が目に痛い。そして彼女の後からきっちりした黒服に灰色の髪の男性が出てきた。
その男性が響く声で言った。

「ランディールはいるか」

みんなランディール親方を見た。ランディールは作業を中断させて闖入者達の前まで行った。灰色の髪の男性は眉をピクリとも動かさずにランディールに言った。

「いよいよ、今日から建て始めるのだな」

「へ、へえ。ええと、あんたは……?」

「私はこのルボワール侯爵夫人の弁護士だ」

「あ、ああー、あんたがルボワール侯爵の……!」

と、ランディールはやっとわかったというように頷いた。

「今日から大工が来るときいて、夫人がどうしても見たいというからここまで来た」

弁護士がそう言うと、侯爵夫人はずいと前に出た。少し皺が見えるくらいの中年であったが、美しく、勝気な笑みを浮かべていた。夫人はランディールに言った。

「ここに私の別邸が建つんだね! 嬉しい! ねえ、早く建ててちょうだいね、楽しみにしているんだから」

甲高い声が敷地内に響く。クレメールはどこかで聞いたことがあるような声だなと思った。
ランディールは頭を下げた。

「へえ、今日からなんで、あと三年くらいはかかりますがね。まあこれだけの人数がいれば良い屋敷にしてみせまさあ」

「そう、その三年っていうの、長すぎない? どうにかならないもんかしらねえ」

ランディールは肩をすくめた。

「ま、まあそれだけはどうにもなりませんねえ、建物を一から作るとなると……」

侯爵夫人は不満そうに鼻を鳴らした。

「ふん、仕方ないわね。待つしかなさそうだわ、いいでしょ、とにかく毎日休まず働いてちょうだい。いくらでも金は払うから」

「へえ」

ランディールが頷いた。

「奥様、そろそろ」

弁護士が夫人に言うと、彼女は「わかってるわよ」と頷いた。そうして馬車に乗ろうと身を翻した時ーーと、たまたま振り返った方向に、クレメールがいた。
彼と目が合った彼女は、一瞬動きを止め、みるみるうちに目を見開いた。

「う、そ……、あ、あんた、レイモンじゃないの!」

クレメールの方も驚きに目を丸くさせた。この女……! 
知っている顔だ。小さい時からーーいや、生まれる前から自分は彼女に嫌われていることも知っている。悪い予感がして後ずさった。
夫人はクレメールに軽蔑しきった目を向けた。

「まあまあ、どっかに消えたと思ったらなに? 大工になったってわけ? ふんっ、所詮どこにいたってそのみすぼらしさと卑しさは変わらないわね。ああ、汚らわしい」

クレメールは顔を青くさせたまま何も言わなかった。
しかし、ランディール親方は黙っていなかった。

「お言葉ですがねえ、彼はよく働いてくれますよ。真面目で仕事熱心なんです」

ランディールがそう言ったのに夫人は気を悪くしたようで、ギロリと彼を睨みつけて、見下したようにクレメールに一瞥をくれた。

「何を言っているの、こいつは生まれが卑しいのよ。この男の母親はね、何人も男を騙して物を盗んで、あげくに自分の子供も殺そうとしたのよ。場末の娼婦の落ちた先なんてそんなものだけど、殺されかけて生き長らえたのがそいつ。全く、まだ生きてたなんて。ねえ、私、この男が手をつけた建物なんかごめんだわ。今すぐ契約を破棄して」

クレメールは息をのんだ。同時に暗い谷底に叩きつけられたような衝撃を受けた。
ランディールはあっけに取られ、弁護士は夫人の言葉に眉を寄せた。

「奥様、本気ですか。また新しい大工の組合を見つけるのに時間がかかりますよ」

「いいの、この男がここにいるだけで不快だわ。この大工たちは彼を気に入っているようだし、それなら新しく変えてしまった方がいいでしょ」

ツンと言った侯爵夫人の言葉は、覆されそうにない。ランディールは眉を寄せた。

「そ、そんな、困りまさあ、この契約のためにこちとらいろんな仕事を断ってきたんで。今更なしなんて、そんなひでえ話があるかよ」

ランディールだけではない、この仕事にはほかの大工達の生活もかかっている。しかも3年という長期の作業の計画だ。この契約破棄は、彼らが生活に困るということを意味していた。
しかし、侯爵夫人は頑なだった。

「絶対に嫌。それならあの男だけクビにしてよ。あの卑しい女が産んだ子が建てた家なんて冗談じゃないわ」

弁護士は頭をかいて「仕方ありませんね」と小さなノートをペラペラとめくり始めた。おそらく他の大工候補を探そうしているのだ。
ランディールは途方にくれ、それを見ていた大工たちもざわつき始めた。
クレメールは目を閉じた。終わりだ。
再びを目を開けると、クレメールは敷地内の中央に立つランディールと弁護士、侯爵夫人の方へ歩み寄った。

「契約はこのままにしてください。俺はこの仕事をおります」

「お、おい、何言ってやがる、クレメール」

ランディールは首を振ってとがめようとした。弁護士はホッとしたように言った。

「ああ、よかった、それでしたらありがたいですね。他の方々のことを考えたらその選択が懸命でしょう」

侯爵夫人は近づいてきた彼の方を見ようともしない。
クレメールはランディールの方を向いた。

「親方、俺は大丈夫です。今までありがとうございました」

そう言って頭を下げると、クレメールはその敷地を後にした。


クレメールは行き先も考えず、とぼとぼとただひたすらに歩いた。
どんよりとした曇り空であったが、街の繁華街に着く頃には雨が降り出していた。大粒になってくると、さすがにうっとおしく思い、クレメールは酒場に入った。
昨日の飲んだ酒と同じ銘柄のはずなのに、全く違う味がした。いらいらする時は大抵花街に行ったが、行きたいとは思えなかった。とにかく何時間もずうっと飲んでいた。
やっと酔ってきたかなと思う頃、誰かが肩にぶつかってきた。それがきっかけで、いらいらしていたクレメールは「てめえ、なにすんだ!」と怒鳴り声をあげ、激しい喧嘩になった。立ち上がった時、もうなにがなんだかわからないほど、泥酔していた。ただひたすらにいらいらして、人を殴り、物を投げた。酒場は大変な騒ぎになっていく。
記憶があるのはそこまでだった。



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