一つの世界で起こる、万の人々が紡ぐ数多くの物語。書物に残された文字は、忘れられた歴史の記録を残す。

秀典

15 赤い蟹

 蟹は体を横にして、器用に木の間を抜けて追いかけて来ている。
 僕達が逃げられているのは、森の木を使って真っ直ぐ走らせない様にしているからだ。
 それがなければ直ぐ追い付かれているだろう。 


「うおおおおお、こんなの居るなんて聞いて無いぞ!」


「アツシ、森はキメラが集まり易いから気を付けろ。他にも何かいたら如何にもならないぞ!」


「おいいいいい、今更言うんじゃねぇよ! まさかワザと黙ってたんじゃないだろうな!」


「チガウ、チガウヨ」


「もう良いよ! とにかく今は…………」


「「逃げるぞおおおおおおおおおお!」」


「イバスさん、支援します!」


 エリメスさんの矢が放たれるが、硬い甲羅にはじき返され、全く効果がない。
 だからと言って、接近戦なんて、今の状態では死にに行く様なものだろう。


「アクア・スライサーッ!」


 そして彼女が得意だと言っていた水の魔法、水の生物だけあって、サッパリ効いていない。
 女性二人による支援攻撃も全く効いてはいない様だった。


 唯一ダメージを与えられたアツシの剣も、蟹に近づかなければ意味がない。
 僕が使っている剣では、あんな強固な殻を斬る事は出来ないだろう。
 エリメスさん達との距離はまだ遠いし、戦えるのがアツシ一人では、四人が集まってもあまり意味がない。


「二人は先に逃げてください。僕達も何とか逃げますから、じゃあまた後で!」


「イバスさん、待ってください。私も行きます!」


「お姉ちゃんは安静にしなきゃ駄目でしょ! 二人の邪魔になる前に早く逃げましょう!」


 アスメライさんが説得してくれている。
 このまま二人の居る場所に行くのは不味いだろう。
 別の場所へと方向転換しなければ。


「アツシ、このまま二人を巻き込めないし、他の場所から森を抜けるぞ!」


「な、何か当てはあるのかよ! ちゃんと道は分かるんだろうな!」


「そんなものがある分けないだろ! こっちだ、行くぞ! うをッ、危な!」


 何時の間にか正面に待ち受けていた蟹の爪が横に振られた。
 直ぐに急停止すると、首が吹っ飛ぶ様な一撃が、目の前を通って行く。
 僕達は別方向へと方向転換し、何が居るかも分からない森の中を進んで行った。


「やっぱり四人で戦った方が良かったんじゃないか?! このままじゃ体力が持たないぜ!」


「じゃあアツシが戦ってくれ。僕の剣じゃ傷もつかないぞ! ほら頑張れ、その間に僕は逃げるからさ!」


「あんなのに一人で勝てるかよ。俺に死ねって言うのか!」


 やはり戦うしかないのか。
 …………だが如何する、使える武器は一本だけだ。
 あんなのと正面切って戦う技量は僕にはない。
 何か作戦を考えなければ。


「アツシ、此処からは別々に逃げる事にしようか」


「どっちかが犠牲になれって? そんな手しかないのか畜生! …………分かったよ、そうしてやらあ! そっちへ行っても恨むなよ!」


「まだ話は終わってない。いいか、よく聞けよ…………」


 そして僕はアツシと別れ、赤い蟹は僕を追って来ている。
 僕は戦う為に蟹の前に立ち、剣を構えると、蟹はその場で止まり、大きく鋏を振り上げて威嚇をしている。
 だが僕は蟹へと歩みを進める。


タッ、タッ、タッ、タッ、タッタッタッタッタッタタタタタタタタ


「おぅりゃああああああああああああ!」


 僕が挟まれていた爪は、下部分が斬り落とされ、鋭い刃物の様になっていた。
 その腕ともう一方の鋏が出鱈目に振り回され、近づく事が出来ないでいる。
 だが僕にとって、そんな事はどうでも良い事だった。
 もう後は信じるだけで良い。
 アツシの勇気を!


「ハァ、ハァ、ハァ、クソッ、まさかビビってるのか。おいアツシ、聞いてるんだろ! 早くしろ!」


 あれから何分経った?
 一分か、二分か、敵が横にしか移動できない事だけが救いだが、此方の手にはダメージを与えられる武器はない。
 僕はアツシが来るのを待っているが、もうそろそろヤバイ。
 早くしてくれないと身が持たない。
 …………それとも、まさか逃げた?
 脳裏に浮かんだそんな予感が冷たい汗を流させた。 


 ビビッて逃げたのなら、此処で待ってても仕方がないけど。
 …………やっぱり逃げた方が良いだろうか?
 逃げるのなら体力が有る内が良いが…………いや、信じよう。
 そろそろ来てくれるはずだ!


「待たせたなイバス! うおおおおおおおおおおおおおお!」


 ザシュ! ザシュ!


 蟹の背後、死角から迫って来たアツシが、足の一本を切り落とし、剣を反してもう一本を両断した。
 直ぐに蟹は横へと逃げるが、足をなくしたために、巨大な体を引きずりだした。


「もう一回やれば勝てるぜ。このまま倒してやろうぜイバス!」 


「じゃあ俺は逃げるから、後は一人で倒してくれ。大丈夫、あれなら一人でも勝てる! じゃあ頑張ってくれ!」


「待てこら、置いて行くな! 分かった、俺も逃げるよ!」


 僕達は蟹から逃げ出した。
 蟹は追って来たが、片側の足が半分無くなり、体を引きずる事でかなりスピードが落ちている。
 蟹の姿が少しずつ遠ざかり、僕達は森を抜け出す事が出来た。


「まだ追って来るとは思わないけど、念の為馬の所に急ごう」


「それは良いけど、何で逃げたんだよ。あのままやってたら勝てたんだぜ? 手柄が増えれば評価も上がるじゃないかよ」


「あんまり評価が上がると、次はもっと危険な所に行かされるぞ? そんな事やってれば何時か死ぬことになる。それで生き残れるのは一握りの勇者だけだって」


 あのままやれば確かに勝てそうだった。
 それで勝ったなら間違いなく評価が上がり、この討伐の次は、更なる凶暴なキメラと戦わされる事だろう。
 そして僕達は永久に戦わされる事になる。


 うん、兵士として正しい在り方だ。
 でもそんなものは僕は望んでない。
 僕の望みは、多少の危険と、そこそこの給料、あとは適当にダラダラと過ごす事が出来れば幸せなんだ。
 永久に戦いの日々なんてごめんだった。


 それから僕達は馬が居る場所へ到着すると、其処には一頭の馬しか居なかった。
 きっとエリメスさん達が乗って帰ったのだろう。
 あ~そうだ、剣を渡しに行かないと駄目だな。
 明日部屋に持って行ってあげようか。


 僕達は馬に乗り、王国へと戻ってマルケシウスへと報告し、それから家に帰って、ベッドに倒れこみ、爆睡した。






 そして次の日、アツシと二人で報酬の剣を渡しに行ったのだが、二人はまだ帰ってないと聞いたのだった。



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