美少女に恐喝されてフットサル部入ったけど、正直もう辞めたい

平山安芸

何一つ、変わっていない



 重い身体を競り上げて、枕もとのスマートフォンを握る。
 夕方の5時を少し回ったくらいか。強まる雨脚のおかげか、時間の感覚をちっとも掴めない。


 昨日、半分だけ食べて残していたコンビニ弁当の残りが、やたら不味そうに見えた。
 低血圧の成せる業か、単純な嫌悪か。
 ともかく「よくこんなもの食えたな」と悪態を付ける程度に意識は回復していたけれど。




 この三日間、学校にすら行っていなかった。いよいよただの不登校である。
 担任から心配の電話が掛かってくることも無い。放任主義もここまで来れば放置の領域だ。


 ぼさぼさの髪の毛を乱暴に掻き毟り、テレビのリモコンに手を伸ばす。
 ニュース番組なんてこの数年、ほとんど見たことがなかった。そもそもテレビを買うか迷ったくらい。


 それでもこうして天気予報を眺めている辺り、あぁ、本当に変わってしまったんだなと、一人で納得している。それをどうとも思わない自分に、殊更に苛付いているが。




(明日、か)




 もう三週間も前になるあの日の記憶が正しければ、サッカー部との試合は明日、土曜日の筈だった。


 午後からは、また雨が降るらしい。
 最も、いつから始まるのかすら把握していなかった。確認する術は、無いわけでもないけど。




 スマートフォンの画面が何度も点灯しては、消滅を繰り返す。
 SNSアプリには100件を超える通知が溜まっていた。
 その一つでさえ、見ることが出来ていない。


 そこに何があるのか、分からないとは言えなかった。
 彼女たちから送られてくるメッセージは、決して悪意に満ちたものなどではない。
 そう分かっているのに、やはり指は動かなくて。


 かといって、アプリをアンインストールするほどの余裕も無くて。
 やり方が分からないと言い聞かせないと、いよいよ発狂してしまいそうだった。




 テレビを消して、なんとなく。何が意志があるわけでもなく、ただなんとなく。
 パーカーと白Tシャツが大半を占めるクローゼットに足を運んだ。


 一番目立たないよう、奥の方に押し込んでおいた、二つのそれ。
 やたら目立つピンクを基調としたものと、一面真っ青のユニフォーム。
 そのいずれにも、10番がプリントされている。


 見たくないなら、持って来なければよかったのに。
 さっさと捨ててしまえばいいのに。
 上京するときに、どういうわけか、最後の最後に引っ張り出して、持って来てしまった。




「同じや、全部」




 あの頃から、俺は何か変わったのだろうか。


 自己中心的で、勝利だけを追い求めて。俺以外の人間をすべて蹴散らして。
 これが自分だと、廣瀬陽翔だと。証明したくて。走り続けるだけの日々。


 変わっちゃいない。何一つ、変わっていない筈なのだ。
 俺はいつまでだって変わらない。俺は、俺のまま。
 ただ、そうである必要が無くなったという、それだけの話で。




 そう、一つだけ。
 変わったことがあるとすれば。それはきっと。




「っ……電話……?」


 その時だった。


 SNSアプリの特徴的な着信音ではない。
 シンプルに、携帯の着信音が鳴り響いて、酷く驚いてしまう。
 俺に普通の番号で掛けてくる奴なんぞ、果たして存在しただろうか。


 今更このタイミングで担任が電話してくるはずもないし、他に心当たりも無い。




 数回のコールを聞き終わって、留守番サービスに切り替わる。
 そこから聞こえてきたのは、あまりに望外で、或いは聞きたかった。


 いや、やっぱり、どうしても聞きたくなかった彼女の声だった。




『……えっと、私です。あ、そう言っても分かんないか。えと、長瀬愛莉。担任から教えて貰いました』


『ま、まぁ、別に!? 聞いてくれなくたって良いんだけどっ! 私も、たまたまじゃんけんに負けて、電話してるだけなんだからっ!』


『…………だから、その……明日、昼の1時から、試合だから。その…………そんだけ』


『別にっ、絶対に来いとか、言わないけどっ! ていうか、むしろ来たところで大きなお世話だけどっ!! 絶対に許さないけどッ!!』


『…………許さないから、来なさいよ。観るだけでも、いいから』


『私たちが、本気だってこと、アンタにも見せたいから。いいっ、分かったっ!? 分かったなら連絡の一つくらい寄越しなさっ』




…………




「……20秒でそこまで捲し立てんなよ。聞き取り辛いわ」




 どうでもいいツッコミがいの一番に出てきてしまったのは。
 きっと、どこか嬉しかったからなのだろう。何せ、三週間。
 三週間もの間、彼女と話していなかったのだ。それが一方的なものだったとしても。


 やはり、逃れられない。
 彼女が。彼女たちが俺に与えたものは、あまりに大きすぎて。




 俺は、アイツらに何が出来るんだ。


 長瀬は言った。自分からボールを取り上げたら、なにも残らないと。
 それは俺も一緒だ。でも、彼女は受け入れられた。部活仲間ではない、ただの友達として。


 俺に、その資格はあるのか?
 少なくとも俺は、彼女らの友達を名乗るだけの、何かを持っているのか。
 或いは、何も持っていなくても。それを許されるだけの人間なのか?




 グルグルと脳内をリフレインして、気付けばまた振り出しに戻る。




 答えはすぐそこにあった。


 それを見ようとしない俺に足りないもの。それは、間違いなく。




「…………ばっかみてえ」




 恐れているのだ。


 誰の手も借りようとしなかった俺が。
 いつだって、一人で生きてきた俺が。


 これ以上、嫌われるのが怖いとか、そんなしょうもない意地を張っていることに。




 とっくの前から気付いていた。
 今の俺が、一番やってはいけないことをしていることも。


 そこに、ただ一つ「勇気」さえあれば、すべてが解決することも。




 スマートフォンの充電が、プツリと切れて、画面が暗くなる。
 真っ暗な画面の先に見えた自分であるはずの顔が、何故か歪んでよく見えなかった。




 あぁ。俺、泣いてるんだ。









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