メンタリスト

むらもんた

川瀬 省吾 最終章

 ーー1週間後ーー
 8月15日。遂に決行の日がやってきた。今日でこの裏世界ともおさらばだ。
 仕事を終え、ボロアパートに帰り茜の「おかえり」という言葉に対し「ただいま」と答える。
 ただそれだけで、幸せな日々に戻れる。そんな事を思いながら、茜にメールを送った。
【今日で依頼の来てた大きな仕事が終わります。早めに帰るから今日は一緒に晩御飯を食べよう! 光にもパパ帰るよって伝えておいてね】


 するとすぐに俺の携帯が鳴った。
【お仕事お疲れ様。忙しかったみたいだね! 早く会えるの楽しみにしてるよ。光も楽しみって胎動で返事してまーす】


 茜からのメールの内容を見てにやけてしまう。
 頬を一度パンと叩き、気持ちを引き締め直した。「今回の依頼だけは絶対に失敗できない」呟きながら自分自身に、そう強く言い聞かせた。




 いつものように拘束している男性に動画を見せ始めた。
 男性はかなり衰弱していて、開いた口からはよだれが垂れている。
 タイミングを見て、動画の音量を上げた。
 すると、ビクンと男性が体を痙攣させ下を向いた。数秒待つと男性が顔を上げたのでHMDを外し話しかける。


「おはようございます。いきなりですが、今日佐藤幸治を殺してください。彼のスケジュールならこちらで入手しました。あなたの手で沢山の人を救ってください。でなければまた沢山の人達が命を奪われる事になります。失敗は許されません。どうかお願いします」と頭を下げた。


「おはよう。分かったよ。僕が今日みんなの命を守ってみせる。安心していいよ、おじさん」


 そう言った男性の顔は、先程とは全く違い、その表情には覇気があり艶々していた。
 狙い通りもう1人の人格に移り変わっている。


 男性の手足の拘束を外し、殺害を決行する場所と時間の説明をした。
 小学生くらいの人格の彼には少し難しい内容だったので、簡潔に説明をし、待ち伏せする場所の地図を渡した。


「それではお願いします」と言うと
「行ってきます」と笑顔で答えた。




 男性がマンションを出発すると、俺は依頼主である田中篤に電話をかけた。


「もしもし、川瀬ですがたった今、予定通り男性が殺害に向かいました。何があってもいいよう一応尾行します。また何かあったら連絡します」


「もしもし、分かりました。いよいよですねぇ。成功を祈っていますよ」


 受話器の向こうからはニヤついているのが分かるような声が聞こえてきた。邪魔者が消えるのが相当待ち遠しいのだろう。




 男性は予定通り佐藤幸治を待ち伏せする場所に到着した。
 俺は近くの喫茶店でその姿を監視している。


 そして佐藤幸治が現れる時間が刻一刻こくいっこくと迫ってきた。


 早まる鼓動。
 手から滲み出る汗。
 緊張でまばたきすら忘れていた。


 そして遂にその時は訪れる。


 動きやすいジャージ姿で1人現れた佐藤幸治。情報通りプライベートの時は意図的にSPを外している。


 背後からおもむろに近づく男性。
 次の瞬間。
 『バタッ』と佐藤幸治が倒れた。腹部からは真っ赤な血が流れ、あっという間にジャージは赤に染まった。
 男性は倒れた佐藤幸治を繰り返しナイフで刺す。暴れる力も残っていない無抵抗の佐藤幸治を。
 それを見て佐藤幸治が死ぬことを確信し、喫茶店を後にした。


 最寄りの駅付近まで来て田中篤に最後の連絡をした。
「もしもし、川瀬ですけど、予定通り殺害は完了しました。直ぐにニュースでも流れると思います。それで確認してください」


「ふっふっふ。川瀬さん、本当にご苦労様でした。あなたに依頼して良かったですよ。佐藤幸治の死が確認出来次第、今回の報酬を支払わせて頂きます。多額になりますので口座に振り込ませてもらいますね」


 薄気味悪い笑い声で話すこの男が心底嫌いだったが、そんな事今はもうどうでもいい。
 とにかく早く茜に会いたかった。


 急いでボロアパートに向かい玄関の目の前まで辿り着いた。
 ハァハァと息を整えながら周りを見渡すと、いつの間にか辺りは青色の空からオレンジ色の空に移り変わろうとしていた。
 この空と一緒で、この扉を開ければ俺もさっきまでの裏の世界から、幸せな日々に移り変われる。
 そんな事を考えてドアノブを回す……




 だが鍵がかかっていて扉は開かなかった。
 その瞬間全身に悪寒が走った。
 こういう時の予感は決まって的中してしまう。


 急いで鍵を開け部屋に入る。
 当然「おかえり」と言う茜の姿もない。
 慌ててテレビをつけると
「たった今速報が入りました。現東京都知事の佐藤幸治氏が今日の夕方、男性に刺され亡くなられました。
 また、近くにいた女性も巻き込まれた模様で佐伯茜さん28歳が意識不明の重体で都内の病院に搬送されたそうです」




「……えっ? 嘘だろ? 今日の朝メールしたし、あんな所に茜がいるわけないだろ……」


 俺は持っていたテレビのリモコンを落とし、膝をついた。
 あまりに突然の事過ぎて頭の理解が追いつかない。
 数秒間固まって動けなくなっていたが、ふと我に返った。茜の携帯に電話すれば何か分かるはず。


「頼むでてくれ」


 そう呟いて電話をかけた。
 初めて神様というものに真剣にお願いをした。今までしてきた事は全て俺が罰を受けますからどうか茜だけは……


『プルルルル、プルルルル、プルルルル、ガチャ』


「もしもし、こちら佐伯茜さんの携帯電話なのですが、ご本人様は事件に巻き込まれまして只今電話にでることができません。私は〇〇署の酒井といいますが、あなた佐伯茜さんとはどういった関係でしょうか?」


 電話にでたのは警察だった。
 本当に茜は事件に巻き込まれたんだ。


「えっと、川瀬省吾と申します。佐伯茜の婚約者です。どちらの病院に搬送されたか教えて頂けますか?」


「そうですか……本当にお気の毒です。佐伯さんは〇〇病院に搬送されています。只今も処置が続いていますので会えるかは分かりませんが、事情を説明しておきますので来て頂いて構いません」


「わかりました。すぐ伺います」


 電話を切り、すぐ病院に向かった。
 帰宅ラッシュと重なって病院に到着するまでに1時間もかかってしまった。


 受付の人に事情を説明し、案内してもらう。案内されたのは先程電話で話した酒井という警察官の前だった。


「医者の方も懸命に処置を続けたのですが……お悔み申し上げます」と頭を下げてきた。


「はっ? お悔み申し上げますって……ちょっと待ってくださいよ!」


 強めの口調で警察に詰め寄る。


「たったさっき佐伯茜さんはお亡くなりになられました。お腹の赤ちゃんも助かりませんでした……」と警察官が下を向きながら言った。


 ふざけんな……
 ふざけんな。
 ふざけんな!
 茜が死んだなんて絶対認めない!


「こちらです。どうぞ」


 案内された先には2つベットがあり、どちらも白いシーツで顔まで覆われていた。
 妊娠8ヶ月を過ぎていたので帝王切開で赤ちゃんだけでも助からないか試みたらしいが、出血が多過ぎて処置ができなかったと医者が説明してきた。


「通報してきた方の話によりますと、偶然近くを通りかかった佐伯さんが、他の方をかばって刺されたそうです……とても勇敢な行動だったと思います」と警察官も涙を流しながら経緯を説明してくれた。




 シーツをめくり顔を確認する。間違いなく茜だ。
 そして小さなシーツもめくり光の顔を確認した。


「茜……光……うっ、うっ」


 血の気が引いて青白くなった茜。
 あんなに楽しみにしていたのに、この細い腕は結局光を抱く事はなかった。
 もう何も話すことも出来ず、笑ってもくれない。何度呼びかけても……


 小さな小さな光。鼻や耳なんて茜そっくりじゃないか。
 見ているとただ寝ているだけではないかと錯覚してしまう。
 ただこの小さな体は俺がいくら触れても動く事はなかったし、泣くこともなかった……




 2人の亡骸を見てこれが現実なんだと実感する。何度も何度も何度も何度も夢であってほしいと目を瞑り願ったが、目を開けると2人の亡骸がある。やはり現実だった。


 体中の水分が無くなるまで涙が出た。人生でこんなに泣いた事はないし、これから先もないだろう。
 全身に力が入らず、何も考えられない。
 ただ1つ確かなのは俺が茜と光を殺し、2人の未来を奪ったという事だ。
 俺が誘導する時に、関係ない人を巻き込むなと強く指示していればこんな事にはならなかったのかもしれない。
 この最悪のシナリオを完成させてしまったのは、メンタリストとしての俺の未熟さだった。




 気が付くとボロアパートに帰ってきていた。
 2人を抱き締めたところまでは覚えているが、どうやって帰ってきたか全く覚えていなかった。
 そして気を失うように眠りについた。






 朝、目を覚ますと何が現実なのか分からなかった。昨日の出来事は夢だったんじゃないか。いや夢であってほしい。
 再び神様にお願いをした。どうか夢でありますようにと。


 泣き過ぎて腫れ上がった目をこすりながら、渇ききった体を潤す為、冷蔵庫の前に足を運ぶ。
 すると冷蔵庫に貼ってある光の日めくりカレンダーが目に入った。
 1日分めくられていないカレンダーを見て、茜と光が死んだ事が現実なんだと実感させられた。
 カレンダーを1枚ずつめくってみると、少しずつお腹の中で大きくなっていく姿が描かれている。そして産まれた後の姿も……


 泣いている姿。
 笑っている姿。
 おっぱいを飲んでいる姿。
 お風呂に入っている姿。


 本当に色々な姿が描かれていて、俺がオムツを替えている絵なんかもあった。


 そして最後の1枚をめくると
【Happy Birthday 光(生まれる予定)
 私と省ちゃんの所に生まれてきてくれてありがとう。パパとママは光にずっと会いたかったんだよ。光って名前のようにこれから沢山のものを照らして、自分自身も輝いて幸せになってね。家族3人幸せに暮らそうね。未来は明るいぞー。省ちゃん、光、愛してる】
 と書いてあり、俺、茜、光、3人で笑っているイラストが描いてあった。




「茜……光こんな顔じゃなかったぞ。茜に似て本当に可愛い顔して寝てたよ……」


 枯れたはずの涙がまた溢れ出す。


「あぁー!!! くそくそくそぉー」


 泣き叫び、頭を床に何度も叩きつけた。


 どこかで聞いたことがある。何か大きな罪を犯した時、その罰は自分ではなく1番大切な人が受ける事になると……
 神様というやつは本当に残酷だ。


 外で鳴いている蝉の声が、都合良く俺の声をかき消してくれている。
 そのおかげで何も気にせず泣き続ける事が出来た。




 泣いて泣いて泣き止んだ時、死のうと思った。
 茜と光のいない世界で生きる意味など無く、あの世があるのだとしたら早く会いたい。
 そんな事を考えながら隣のマンションの屋上に来ていた。
 5階くらいしかなかったが、自殺するには十分の高さがあった。
 ここから飛び降りれば死ねるだろう。
 迷う事なく飛び降りた。
 これで茜と光のところにいける。
 そう思うと自然と笑顔になっていた……








 目を開けると目の前には光を抱いている茜の姿があった。
「あの世って本当にあるんだな。会いに来たよ」と茜に話しかける。


「省ちゃん。まだこっちに来るのは早いよ。生きて私たちの夢を叶えて。そして色々なものを見せて! こっちに来るのはその後でも遅くないから」と優しく微笑んでいる。


「茜と光のいない世界で生きる意味なんてない! 夢とか前向きになんて生きていけないよ」


「だったら生きる意味を与えてあげる。私やっぱり、どうしても省ちゃんとバーを開きたかったなぁ。2人で色々なお客さんにお酒を出して話を聞いたり。死んだ今でも叶えたい夢なの。
 バーを開いて、私にその景色を見せて! ねっ? それに前も言ったけど、下ばっかり見てても石ころくらいしか落ちてないよ! 若いんだから前を向かなきゃ! 生きて……省ちゃん」


 そう言った茜の顔は、まるで太陽のように全てを照らしてくれるような笑顔だった。
 それは偶然出会った、あの日に見せてくれた笑顔と全く同じだった。








 ふと目を覚ますと全てがボヤけて見えた。そして女性の声が聞こえる。
「川瀬さん! 気が付きましたか? 自分の事分かる?」


「えっ?」


 さっきまで茜と話していた気がするんだけど……


「えっと川瀬さんねぇ、マンションから飛び降りたのよ! 運良く木とかにぶつかって、命に別状はなかったのだけど全身打撲と数カ所骨折しているわ」


 なんとなく何が起きているか分かった。
 俺は自殺し損ねた。そして気を失っている間、茜と話している夢を見ていたという事か。


「なんとなく思い出しました。俺……死ねなかったんですね……あの、すみません。目がボヤけてよく見えないんですけど」


「良かった思い出せて。目の事はまた先生に診てもらいましょうか。とりあえず今日からしっかり食べて回復するのよ」


 ボヤけて、どんな顔をしているかわからなかったが、声からするときっと笑顔でガッツポーズなんかしながら言っているのではないか。そんな気がした。




 数日後、医者に目を診てもらった。
 診断内容を聞かされたが、素人では理解するのが難しい言葉ばかりだった。
 簡単に説明すると、今回の件がトラウマになっていて、強いストレスを抱えた。
 そしてメンタリストとして活動出来ないように、体が無意識のうちに目を動揺させてピントを合わせないようにしているそうだ。愛する人達を自分のせいで死なせてしまったのだから当然の結果だ。


 眼球の動揺を抑える対処法としてサングラスを渡された。
 サングラスをかけると、眼球の動揺は治まり視界がハッキリ見えた。
 ただそれと引き換えに俺の世界から色は消えた……




 治療を一通り終えると、警察から連絡がきた。
 茜の件で1点だけ不可解な点があるらしい。事件が起きる1時間前に茜の携帯に5回も着信があったそうだ。その5回目の着信の時、茜は電話にでたみたいで、その後茜は事件に巻き込まれた。
 普通に考えたらあの場に茜が居合わせたのも少し不可解だった。ピンポイントにあの時間あの場所に居合わせる。そんな偶然本当にあるのか?
 その着信番号に心当たりがないか警察に聞かれたが、どこかで見た記憶のある番号だった。


 俺は茜の事件の真相を掴む為、そして茜との約束を果たす為、動き出した。






 ーー現在ーー


「ふぅ。何年経ってもこの痛みは消えないなぁ……」


 思いにふけながらワインを一気に飲み干す。


「だけどよぉ、今年は夢叶っただろ? バーテンダーの格好して店内見れてよ! 描いてくれた拓海に感謝しなきゃだな」


 そうバーテンダーの服を着て笑っている茜の絵に話しかけた。


 そしておもむろにラジオの電源を入れ、飲み干したグラスを洗い始めた。


 するとラジオから
「速報が入りました。今日未明、現東京都知事の田中篤容疑者が逮捕されました。田中篤容疑者は宗教団体【笑顔の民】の前トップであり、その地位を利用して詐欺行為を働き、多額のお金を騙し取った疑いがある模様です。
 また、10年前の前東京都知事である佐藤幸治氏の殺害にも関与していた疑いがあり、両方面での取り調べが今後行われる予定となっております」というキャスターの声が聞こえた。


「教祖さん。神様はそんな優しくないよ……」


 そう独り言を呟き、仕込みの準備を始めた。






 ーーカランカランーー
 開店時間になると、20代前半の若い男女が入ってきた。
「いらっしゃい。お好きな席にどうぞ」


 俺のその言葉を聞いて、若い男女がカウンター席に腰を下ろす。
 そしてすぐメニューを見て、オススメのカクテルを注文してきた。


「ねぇねぇ。今からさぁ、ちょっとしたゲームをするから、もし俺がそのゲームで勝てたら今日は1日俺に付き合ってよ」と男性が紙コップを見せる。


「紙コップ? 何するかによるわぁ」と女性は気だるそうに答えた。


「今から君に好きな紙コップにコイン入れてもらって、それを当てるってゲーム。どう? おもしろそうでしょ?」


「何それ! 超面白そうなんだけどぉ。やるやるー!」


 気だるそうな表情は一瞬で消し飛び、目を輝かせながら興味を示している。


「じゃあゲームを始めようか」


 その言葉を合図にゲームが始まった……






 END











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