自殺願望、即ち勇者!
プロローグ
こんな言葉がある。
『死ぬのは一時の苦。生きるのは一生の苦』
まさにその通りだ。生きる事なんてただの苦行でしか無い。だったら、死んで楽になった方がよっぽどマシだと思う。
「はぁ……」
この世界は残酷だ。弱者に手を差し伸べられることなんて無い。結局は弱肉強食。強い者が幸せになり、弱い者が不幸になる。
俺は昔から、その弱者側だった。小学校に入学して早々イジメの対象になり、先生にだって突き放された。親に相談しても、関わりたくないのか無視をされ、中学高校もイジメの対象になって殴られ蹴られを繰り返されるそんな日々。
大人になった今でも、所謂ブラック企業と呼ばれる場所に入ってしまい、上司にネチネチと言われ、同僚には笑われ、給料も安い。残業はいつも俺の仕事だ。ふざけるなってな。こうなったのも、あの先生が俺を騙したせいだ。親までもグルになりやがって。
だから俺は決心した。こんな人生に悔いなんてない。だったら死んでしまえばいい。
「……寒いな」
真冬な為気温が低いのもあるが、俺がビルの屋上に居るのも原因の一つだろう。夜風が強く、気を抜いたらすぐ吹き飛ばされてしまいそうだ。
「怖くなんて無い。飛び降りるだけだ。こんな最低な人生を終わらせるだけだ」
不安を掻き消すため呪文の様に唱え、俺はフェンスを乗り越えて縁に立つ。
もしも神様が居るのなら、一つくらい俺の願いを叶えてくれてもいいはずだ。
でも、そんなことはあり得ない。そも、神様なんていたら、俺はこんなに落ちぶれたりはしなかった。笑顔が素敵な男にだってなれていたかもしれない。
「もしも生まれ変われるならば──」
俺は、最高の人生ってやつを味わってみたかった。
俺はフェンスから手を離し、身体を前に傾ける。すると、まるで俺が自殺するのを歓迎するかの様に風が吹き、俺の体は自然と宙に放り出された。
恐怖なんて無い。ただ冷たい風が俺の頬に当たり、気持ち悪い浮遊感がひたすら俺を攻撃してくる。
思い出とも言えない昔の出来事が頭に過るが、後悔なんてするわけも無い。むしろ今から死ねるんだと、楽になれるんだと考えると清々しい気もした。
運命的な出会いなんて無かったし、それこそいつも孤独だった。俺に手を差し伸べくれる人なんて誰一人として居なかった。みんな見て見ぬふりをして、赤の他人だから、無関係だからと言い訳をして助けてくれなかった。
別に恨んでるわけじゃない。俺だってその立場だったらそうしてるだろう。でも、少しは希望を見せて欲しかった。
……それにしても、結構長いな。そんなに高いビルから飛び降りた覚えは無いんだが。
不審に思った俺は恐る恐る目を開ける。そして、今の状況に目を見開く事しかできなかった。
「え、ちょ……嘘だろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ──!?」
俺は下へと落下する。だが、その下はコンクリートでは無い。いや、そもそも俺が飛んでいるのは遥か上空で、見た事もない世界が下に広がっていた。
宇宙まで繋がってるんじゃないかと言うほど巨大な木に、ビルが乱立していないキレイな平原。いつのまにか夜から朝へと一転しており、眩しい太陽が俺の眼に飛び込んできて、俺は目を細める。
一瞬、これは夢かと思った。だが、さっきまで確実に俺はビルから飛び降りていた。かじかんだ手や、寒さの名残が頬に残っているのがその証拠だ。
一瞬焦ったが、ここはすでに死後の世界なのかもしれない。見る限り地獄なんかでは無さそうだ。
でも……俺はずっと眠りについていたい。人間として生きるのはもう疲れた。まぁどうせこの高さだとどう足掻いても俺は死ぬ。死んでからまた死ぬのは少し引っ掛かるものがあるが、結局死ねるのならそれで良い。
俺は再び目を瞑り、重力に身を任せて落下していく。やがて少しの衝撃と共に、俺はその意識をようやく手放した。
▽
「はっ──!」
俺は目を覚ます。
飛び込んで来たのは豪華な天井。どうやら、照明も窓も何もかもが豪華な部屋で目が覚めたらしい。
「こんなに豪華だと空気でさえも豪華に感じてしまうのは何でだ……」
「目が覚めましたか?」
「のわっ!? 誰だッ!?」
突然俺の視界に女性の顔が入って来たため飛び跳ねると、俺は豪華なベッドの上で正座する。
俺の視線の先にはメイド姿の女性。その長い黒髪をしたメイドさんは腰を折り曲げる。
「初めまして勇者様。無事に目を覚ましたようで何よりでございます」
「ゆう……ん? 何だそれは? というかここは? なんで俺は生きてるんだ?」
「一気に質問しないで下さい気持ち悪い。全てお答え致します」
「ん……? 前半なんか毒づいて無かったか?」
「気のせいでございますクソ野郎──おっと口が滑ってしまいました」
「今完全にクソ野郎って言ったよな? 言ったよな!?」
「黙りやがれください」
「もう隠す気ないだろっ!」
俺はため息を付くと、メイドの人は冗談ですと言って無感情なその瞳で俺の事を見てきた。
「不本意ながらも、私は貴方の専属メイドになりました、ニーヤと申します」
「不本意ってのが少し引っ掛かるけど……まぁいい。俺の専属メイドって、何で俺なんかに?」
「貴方が勇者だからですよ」
きっぱりと言われた言葉に、俺は少し固まる。
「えっと……ゆうしゃって何? 新しい汽車か何か?」
「貴方の頭には脳ではなくて別の何かが詰められているのですか? 馬鹿ですか?」
「あの……もう一度確認するけど、俺の専属メイド……なんだよな?」
「えぇ、不本意ながら。不本意ながらですよ」
「二回も言わなくても聞こえてるわ!!」
「あ、そうですか? 聞こえていないと思いました。マヌケな顔をしていたので」
「そんなに俺って間抜け顔か!?」
今度はメイドの人──名前はニーヤだったか──が「仕方ないですね」とため息を付いた。
いかにも説明が面倒だと言う感じだ。
「勇者というのは、世界を救う運命を担った特殊な職業で御座います。そんな事も知らないなんて、小学生からやり直したらどうですか?」
「お前はいちいち毒づかないと喋られないのか?」
「大丈夫です。これは貴方だけですので」
「大丈夫要素ゼロだよなそれ」
もう一度俺はため息を付くと、自分の手を何回か握ったり開いたりと繰り返してみる。
「どうしたのですか?」
それを不思議に感じたんだろう。ニーヤはそう俺に問いかけてきた。
「いや、別に」
俺はそうやって誤魔化すと、ベッドから降りて立ち上がって近くにあった豪華なドアへと向かう。
「何処に行かれるのですか?」
「──あぁ丁度良かった。ここの屋上に行くにはどうすればいい?」
「屋上? 何故そこに行きたいのですか?」
「ちょっと用が有ってね」
そう言ったら、案外素直に案内してくれた。そして気付いたのは、この家は相当広いらしく、まるでおとぎ話について出てくる城を思わせるくらいの広さがあるという事くらいだ。俺を拾ってくれた人は相当なお金持ちなんだろう。
そして今、俺は屋上へと辿り着いていた。そこで更に気づいたが、ここはお城だった。びっくりだ。
「ありがとう」
俺は礼を言うと、ニーヤは不審そうな顔をする。
「こんな場所で何をするのですか? そろそろ答えてください」
「死ぬんだよ」
俺はきっぱりと言ってみせる。
ニーヤはその言葉を聞いて目を見開いた。
なかなか高い。そして風もある。景色は最高だ。天気も良い。
「絶好の自殺日和だ」
俺は前へと飛ぶ。
ニーヤは俺の事を止めようとしていたそうだが、そんな事は俺にとって知らなかった。
とにかく楽になりたい。その一心で俺は飛び降りた。
この真下にある地面は庭の様だが、何十メートルもある場所から飛び降りるのだ。流石に死ねる筈だ。
「今度こそしっかりと死ねます様に」
▽
だが、どうやら神は俺の事が嫌いらしい。
「抜きますよ」
ズボッという効果音が似合う程綺麗に抜き出された俺は服に付着した土を払って、口に入った土を吐き出す。
「まさか飛び降りるとは思いませんでしたよ。馬鹿ですか? 勇者である貴方がそれ程の事で死ぬわけ無いじゃないですか」
「先にそれを言ってくれよ……」
「聞かなかったのは誰ですか?」
「……はい俺です」
飛び降りたのは良かったが、下が土なのもあって俺は見事に突き刺さったのだ。それはもう綺麗に垂直に。森林の奥にひっそりと立つ聖剣の如く立派に。
飛び降りで死ねなかった俺は窒息死を期待したが、どうやら勇者って言う奴になったせいで窒息もせず息が普通に出来てしまった。
「はぁ……」
世界は残酷だ。
だいたい勇者って何だ。汽車じゃないのかよ。何で死ねないんだ。何が駄目なんだ。
「死にたいんですか?」
すると突然、ニーヤがそんな事を言ってきた。
どう答えるか迷ったが、俺は素直に答える事にした。
「まぁ、うん。そうだな。死にたい」
「そうでふか……ならわらしが手伝いふぁひょう。しごとも減りまふし」
「ありがとう……それで何食ってんの?」
「何って……タコですが?」
「緊張感のかけらもないな……」
とまあそう言う事で、ニーヤが俺の自殺を手伝ってくれる事になったらしい。
まぁこれは、なんやかんやで自殺願望を持った俺が何故か勇者になり、自殺をする為にニーヤと共に旅をするだけの、ただそれだけの話だ。
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