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しょうらいのゆめ

ぐう

背徳に溺れる



二話

 翌日、僕は待ち合わせの公園で目を覚ました。肌寒い風が体にまとわりつき、身震いしながら起き上がった。ベンチの上で何時間も過ごした体は、何処も彼処も固まっていた。油の切れたブリキの人形のようにぎこちなく動く体が、滑稽に思えた。家にさえ帰れば、こんな所で寝なくて済むのに。

   プライドが邪魔をして、リフ達にも嘘をついて日和さんと待ち合わせをする。謎が多い日和さんだが、昨日はたしかに楽しかった。学校からも、家からも抜け出せたあの開放感と、少しの背徳感。

   僕は今日も日和さんと一緒に居られることを楽しみにしていた。節一つ動かすのが億劫な体を無理やり動かし、近くの水道で頭を洗った。やがて冬になるこの季節の早朝に水浴びをするのは、寒すぎた。ワックスの油を洗い落とし、軽く手ぐしをして再びベンチに座った。東から太陽の顔が微かに見える。今は六時くらいだろうか。

   先程からちらほらランニングやウォーキングをしている人が目にできる。やがて学生や社会人が道に増えてくるだろう。人目から逃れなければならない。とりあえずトイレに逃げて、髪が乾くまでもう一度寝て、起きたら日和さんに言われた通り髪のセットを始めよう。待ち合わせ場所はここだし、移動する選択肢はなかった。それにしても、何も持ち物がないのはいささか不安だった。時間の潰しようがないし、お金が無ければ何も出来ない。日和さんほどの所持金はないが、それでも財布を持ってきさえすれば寒さと空腹を凌げるほどのものは買えるだろう。僕は母が買い物に出掛ける時間を見計らって家に入ろうと計画した。

   トイレに入った時、鼻腔をつくアンモニアの匂いが気になったが、しばらくいたら慣れた。やがて睡魔に襲われ、僕は便座に座り体重を壁に預けると、すぐに眠りについてしまった。

   子供たちの無邪気な声で目が覚める。一時間ほど寝ただろうか。個室から出て伸びをすると、鏡の前で髪をいじってみる。昨日日和さんはどうやってセットしたのだろう。やらないで待って、とぼけるのもいいのだが、時折日和さんが見せる表情が向けられるかもと考えるとそれはできない。下手くそでもなんでも、まずはやってみなきゃ。

   ポケットに入れたワックスを取りだし、僕は昨日日和さんがやったのを思い出してなんとか真似してみた。仕上がりは案の定ぼろぼろで、左手で描いた絵のようになってしまった自分の髪を見てこみ上げる笑いをなんとか堪えた。なんでこうなったのか、全くわからない。手先が不器用なのは、今になって判明したことではない。

   僕はもう一度頭を洗い直して、大人しく日和さんを待つことにした。

「奈央くん?」

「え?あっ日和さん」

男子トイレの入口から日和さんが顔を覗かせていた。私服なうえに昨日よりもはるかにお洒落な化粧と髪型だった。

「いつからいたの?公園中ずいぶん探したんだから」

「ごめん。ここぐらいしか場所がなくて……」

「あーー!!」

突然の日和さんの叫びに、僕は彼女を見たまま目を見張った。

「髪!セットしてないじゃん!」

「あ……いや、これは」

「なんでよ、もー。昨日私言ったよね?」

「ご、ごめん……」

日和さんは足音が聞こえるほど怒った様子で男子トイレの中に入ってきた。そしてワックスの蓋を開けると、僕の手を無理やり掴んだ。日和さんの滑らかな素肌が、強引の中で優しく僕の手を包み込む。

「いい?まずこれくらい指につけるの」

「う、うん」

日和さんの手の感触なんて気にしていられないほど急に髪のセットのレクチャーが始まった。集中して聴かないとまた怒られてしまう、そう考えて僕は邪な考えを捨てた。

「あのさ、その吃りっていうの?やめたら?凄く自分に自信ないように見えちゃうわ。もったいない」

「え?あ、ごめん。癖で……」

「あとその謝るのも!私ずっと奈央くんがあいつらに虐められるの見てきたわ。その時奈央くん何も悪いことしてないのにずっと謝ってた」

「ご、ごめん」

日和さんは鏡越しに僕を見て、深くため息を吐いた。昨日見た冷たい、まるで虐待するために飼われたペットを見つめる眼差しで彼女は僕を見た。トイレ内の空気が酷く重くなったが、それから髪のセットが完成に近づくにつれて日和さんの機嫌の悪さも収束していくようだった。

「はい!できたわ」

「ありがとう。明日からは頑張るね」

僕はそこではたと気が付く。明日も日和さんと会うのだろうか。これだとまるで、僕が誘ったみたいじゃないか。しかし、そんなこと杞憂だったように日和さんは花のように笑う。

「頑張ってね」

「今日家に一瞬帰って、必要なものを持ってこようと思うんだ。だから、半家出みたいな感じだね」

日和さんは首を傾げる。

「奈央くん、家に帰ってないの」

「うん、喧嘩したんだ」

僕はすっかりいらないことまで言ってしまったと口を抑えた。こんなこと日和さんに話したところで、そう思ったが、日和さんは僕の言葉をよく噛んでから吐き出した。

「そっか、奈央くん大変なんだね」

なんとなく気まずくなって、僕は話題転換しようと思った。

「ところで、昨日は結局どこに行ったの」

しまった。つい好奇心に任せて聞いてしまった。その発言が地雷なことくらい僕でもわかる。

   日和さんは再び絶対零度な表情を僕に向けたが、すぐに元通りになった。代わりに、柔らかい笑顔を僕に向けたのだった。

「奈央くんには完敗よ。あなたほどデリカシーのない男って初めてだわ」

「そ、それって褒めてないよね?」
「当たり前でしょ!?ちょっとは人のこと考えなさいよね」

「ご、ごめんなさい」

教室での彼女の印象と全く異なるその顔で戒められると、僕は自然と足がすくんだ。僕を虐めてきたやつと何ら変わらない表情をしていて怖かった。

「どっちにしろ、まだ人が歩いてるしここにいるしかなさそうね。私のはなし、聴きたい?」

何故急に話したくなったのだろうか。日和さんのいう〝はなし〟というのが、何についての話題なのかが疑問だったが、僕は彼女の人間性そのものに興味を持った。

「聴きたい」

そう言ってしまったものの、日和さんは少し沈んだ表情を僕に見せた。日和さんはバリアフリーの手すりにうまく座ると、その滑らかで細い脚をぷらぷらと持ち腐れながら喋り始めた。

「私はお母さんと二人暮しなんだけど、とっても無関心なの。放任主義と言ってもいいわ。別にネグレクトされてきたわけじゃないわ。いつも冷蔵庫に食材はあるし、お小遣いだってくれるし、可愛いネックレスを誕生日プレゼントにくれたこともある。ただ、私の人生は私の人生で、お母さんが口を出したことなんて一度もなかったの」

それは放任主義というか、子供に自由な生き方をさせてるっていうだけじゃないのか?しかし、僕は今口を出すべきではないと頭の中で怒った顔をした日和さんが言う。

「私がいい成績取ろうが、陸上で優勝しようが、お母さんは何も言わないの。達成感が無いんでしょうね。自分が“そうさせた”っていう達成感が。だから、私は試したくなったの。いいことをしてもお母さんは何も言わない。なら悪いことは?ってね。私が悪いことをしてもお母さんが“そうさせた”わけじゃないから、何も言わないんじゃないかって」

不穏な空気が漂い始めた。僕は無意識に唾を飲み込んだ。悪いこと、が日和さんに最も合わない単語だったからだ。

「今まで悪いことは悪だからやってこなかったの。けれどお母さんが認める悪いことだったら、経験しないなんて不公平じゃない?他の人は色々な悪いことで楽しんでるのに、私がそれをできる権利を侵害されるかどうかを試したかったの」

「それで、日和さんはどんな悪いことをしたの」

「まず、勉強と部活をやめたわ。それから学校に行くこともあまりしなくなった。奈央くんはその時から様子がおかしかったんで分からなかったかもしれないけど。だから昨日も途中で学校を抜け出したの。それにお酒と煙草もやってみたわ。煙草はお肌に悪そうだからやめたけど、お酒はなかなかいいわね。それに、昨日奈央くんが興味津々だったお金の出どころ、援交も始めたの」

「え、援交って援助交際…?おじさんからお金をもらうやつ?」

日和さんはラメ入りの爪を弄りながら僕の方を一瞥すらしない。

「おじさんばっかりじゃないわ。女子中学生って意外と若年層にも需要があるのよ。少しご飯をして、お誘いがあればのるだけよ」

「おさそいって、なに?」

僕は好奇心が止まらなかった。いつも教室の隅っこにいたこの子が、裏でどんなことをしているのか、単純に興味があった。

「恋人ごっこ。安心して、性病にはかかりたくないから何もしてないわ」

「それって、日和さんのお母さんは知ってるの」

「さあね。けど何も言ってこないわ。学校から無断欠席の連絡は必ず来ているはずだし、朝方に帰ってきてるのも知ってる。残念だけど、私の試しは私が勝ちみたいだわ」

試しに勝敗があるのかは分からないが、日和さんの表情は本当に悲しそうで、爪を弄るのをやめて脚も真っ直ぐと重力に従った。

   日和さんは、きっと親に振り向いて欲しかったのだろう。何か言われたかった。不安だったに違いない。まだ子供なのに決断を全部させられて、相談する空気も作れない。

   僕は衝撃的な彼女の告白に対して、こんな思考を紡げるほどには冷静だった。驚いたが、何より今は日和さんを守ってあげたかった。私服だと彼女の華奢な感じがとても儚くて、前髪で顔は隠れているけど、きっと悲しそうにしているに違いない。

「日和さんは……」

「ねえ、お願い。日和って呼んで?」

日和さんは僕の手を小動物を触るような手つきで握った。体温が一気に上昇し、その様子はきっと不安げに僕を見つめる日和さんにも見えているだろう。僕は彼女の手を覆い包むようにして握った。

「日和。日和はこのままでいいの?試しはもう終わったんだ。僕と一緒にこんな所にいる場合じゃないよ」

僕に説得力はない。自他ともに認める状況であることは否めない。

   しかし、彼女は今より真っ当に生きるべきだと思った。純粋な、清潔な人であるべきだと思ったのだ。

「奈央くんもそう言うの?やめた方がいいって」

「僕もって、どういう意味」

「援交する人達が皆口を揃えて言うのよ。こんなことやめた方がいい、普通の学生に戻りな。って。あなた達が買ったくせに馬鹿みたい」

「その人たちが言う意味と一緒かどうかは分からないけど、僕は日和の存在がお金で扱われるのは嫌だ」

僕はポケットの中に丁寧に折り畳まれたお札を取り出した。

「返すよ。日和がそんなに大事な体と時間を使って稼いだものだなんて知らなかったからつい受け取ってしまったけど」

「やめて。そうやって大人みたいなこと言わないで」

「どうして?じゃあどう言ってもらいたいの?」

「私が構ってもらいたいだけの子だって認識するのはやめて!」

取り乱して言う日和がとても不憫で、僕も眉を八の字にせざるを得なかった。呼吸を荒らげる彼女は、こうして親に言うこともできず、感情のはけ口をなくしているのだと思った。頭の中の棚を全て引っ掻き回して、日和の敏感な感情に障らないように必死に言葉を選ぶ。

「そんなこと言ってないよ。日和の存在の大事さに気付いてもらいたいだけ」

僕は必死に日和に伝えようとした。日和は不安なはずだった。しかし、それを表に出さないような性格を自分から作り出してしまったのだ。部屋にこもっているより、人と話さないことより、何より、こういう子が辛そうに見えた。周りと仮面を被った状態でしかコミュニケーションを取れない。

   それはあまりにも可哀想で、虚しかった。

「私なんて、大事じゃないわ。結局は誰にも必要とされていないのよ」

そんなことはないと、どうすれば日和はわかってくれるだろうか。いなくていい人なんていない。皆最初は必ず愛されて生まれてきて、その後何があるかわからないけど、世界のどこかで誰かがその人を必要としている。

   現に僕だって、日和がいたから昨日ほとんど嫌なことを考えずに過ごせた。昨日はたくさん笑えた。たくさんの学びを知った。日和と関わったことで、他人を知ることの楽しさを知った。

   少なくとも日和は、僕にとって必要な人だった。けれど、僕に必要とされたって、彼女は嬉しくとも何ともないだろう。自信を持って言えない自分が嫌になった。

   しかし、言うべきだ。誰も日和に言わないのならば、僕しか言う人はいない。これ以上日和が怪しい世界で過ごしていくのを近くで見たくない。

   僕は握ったままの日和の手を自分の胸に持っていった。心臓が躍動する。それは僕と日和の手に確実に伝わっていた。日和は座ったまま僕を見ていた。その表情は、どこか赤らめているように見えた。

「僕は、昨日日和と初めて話して、初めて遊んだ。日和はとてもいい人で、面白い人で、才ある人だと思ったんだ。つまらない僕とあんなに楽しそうに過ごしてくれて、心の底から嬉しかったんだ。だから、僕は日和が好きだよ。愛してるとは違うかもしれないけど、僕には日和が必要だ」

はちきれんばかりに鳴り響く心臓は、言い終わってもその波が引くことは無かった。体が高潮して、日和が次に何を言うか、とても緊張した。

   日和は、僕の手からするりと抜けると、手すりから降りて僕の目の前に立った。少しだけ僕より身長の低い日和は、上目遣いで僕を見た。子犬のようなその愛らしさに、僕は鼻の下が伸びたような気がする。

   そして、僕の体に衝撃が走った。日和が僕の背中に腕を回していた。

「えっ、なっ」

混乱して、僕は身を引くことも抱き返すこともできなかった。しかし、その間にも日和の腕は締め付けるように力が強くなる。

「日和、どうしたの」

抱きしめる代わりに、日和の俯く頭に手を置いた。優しく撫でる。シャツが濡れる感覚がした。

「泣いてるの」

胸のあたりが濡れていた。鼻水をすする音も聞こえる。

   女の子がどういう時に抱きついて泣くかなんて、経験のない僕には全くわからなかった。とにかく、僕はひたすら頭を撫でた。幼い子にするような動作が、今の日和に似つかわしかった。

   すると、日和は微かに言葉を紡ぎ始めた。


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