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しょうらいのゆめ

ぐう

奇跡の偶発


一話

   ある日のことだった。放課後、校舎の裏に呼び出された僕は、まるで日の目を見るのを恐れるもぐらのように影から指定された場所を見ていた。彼らはまだ来ていないようで、静寂な空間が僕の緊張を促進させた。
   バッグを握る手の中でじわっと湿ったものが滲み出たのを感じた。炎天下の中、グラウンドで野球部が心地よい音を響かせているのが遠く聞こえる。丁度日陰になっている校舎の裏は人通りがなく、草木が生い茂っていた。いつか夢見た世界があの奥にあるなど、今では考えられない。なんて、能天気な幻想だったのだろう。
   本当にその世界があるのなら、僕は身を潜ませたい。そして特別な魔法かなんかで不老不死にしてもらう。そして僕のことを知っている人が全員死んだら人間世界に戻ってきてやる。
   それほどまでに、一旦帳消しにしない限り、僕の人生は元通りにならないと感じていた。
   なかなか現れない彼らに、もしかしたらあいつらは今日は忘れているのかもしれない、と緊張感に負けた脳が錯覚し始める。惨めな考えが余計に僕を陥れる。そんなわけはないのに、現実逃避のわずかな希望だけが僕の味方だった。

「よお、早いな」

「あ…」

背後から声を掛けられ、僕は上から釣り上げられたかのように肩が上がった。今日は何をされるのだろう。
   恐怖で振り向けない僕の耳に、カランと何かがコンクリートの上を這う音が聞こえた。反射的に振り返り、手汗が染み込んだバッグを地面に落とした。重力に逆らえなくなった足がかくんと折れて憔悴した魚のように震えた。
   そんな僕を笑って、彼らは徐に肩にそれを担ぎ上げる。

「これか?さっき借りてきたんだよ」

「それ…だって、危ない、よ」

「あ?」

奥で挑発するように素振りをしている。ヒュオンっと風を切る音が静寂に響いた。

「野球部は皆持ってるだろ。何が危ないって言うんだ」

歯をヤニで黄色くさせたリーダーの男が校舎にこつこつと当ててから、まるで予告ホームランをするように僕の眉間に向けてバットを向けた。地面についた指に蟻が這っていたが、それを振り払う気にさえなれなかった。
   逃げなきゃ。骨が抜け落ちてしまったかのような足に力を入れて立ち上がろうとした。

「どこ行くんだよ」

「だ、だって君たちはそれで僕を殴ろうって言うんだろう」

「そんなこと一言も言ってないだろ。いいから、そっちに立てよ」

顎で指されたのは、先ほど遠く見つめていた茂みだった。固まる僕を彼は冷たくバットの先で無理やり押した。
   植物の青臭い匂いが今は邪魔だった。藁にもすがる思いで僕は茂みに隠れる。僕の頬に冷や汗が伝ったらしかった。ついさっきまで僕らがいた場所の奥には、蟻の巣があった。蟻の通り道を邪魔していたのか。
   ごめんよ、蟻さん。ごめんと言えば、父さん母さん、医療費がかかってしまうかもしれない。そうなったら本当にごめんなさい。最悪、過去の念願だった死を迎えるかもしれない。そうなったら本当にごめんなさい。
   視界に入る背後には、絶壁とも言える崖がある。丘の上に建てられているこの学校の生徒は同様の気高いプライドを持て、と言うのが校訓だ。いつもなら聞き流していた校長の言葉でさえ今は腹が立った。義務で通っているだけで、社会性のかけらも無い輩が入学出来るこの学校のどこにプライドを持てばいいのだろうか。
   肩越しに背後を見る。顎から伝った汗は着地することを知らずに視界から消えた。落ちたら、死ぬだろう。しかしここにいても無事では済まないことは明白だった。

「お前草なんかに頼ってるのか」

「わっ」

耳の横にバットが振り下ろされた。間一髪で左に避けたが、目の前には既に振りかぶった男が待ち構えていた。思春期のホルモンバランスに負けた肌はでこぼことしていて煙草を止めればマシになるのに、と他人事のように思った。躊躇なく振り下ろされたバットは僕の左肩に直撃した。樞が枠組みから外れたような違和感が僕を襲った。もう少し右だったら、今頃頭が割れていたことだろう。

「おい、クリーンヒットさせんなよ」

「まだ大丈夫でしょ。ノーダメだ」

ひょこひょこと逃げ惑う僕を見て彼らはサーカスを見る観客のように笑った。左腕の感覚は無くなり、ぴくりとも動かせなくなった。
   それから腹や背中など、服で隠れる部分ばかりを狙われた。人通りの無いこの場所で叫んだとしてもそれは海の中で叫ぶのと同意義。恐怖で思考回路が途絶えた僕は、ただ彼らが喜ぶように逃げ惑うことしか出来なかった。
   息が切れ、足が上がらなくなる。小さい石ころにつまずき、地に這いつくばる。彼らはバットを振った。僕の体力はとっくに無くなっていたが、彼らは無我夢中でバットを振り続けた。
   もう僕の言葉は何も聞こえていないようだった。もはや立つことすらも出来ず、僕は最初のように崖を背にして尻をついた。四人は僕を囲み、何やら小さな声で話し合っている。今走れば逃げられるかもしれない、そう思うのに体はそれに応えてくれはしなかった。止まない鈍痛が体の中で踊る鉄のようにして体を熱くした。同時に目頭も熱くなり、視界を歪めたが何とか堪えた。理不尽な苦痛に顔を歪め、湿った土を爪に血が滲むほど引っ掻く。それでも足りず、血が滴るほど唇を噛み締めた。やがて話し合いが終わると、リーダーの男が依然バットを持ったまま一歩前に出た。

「満場一致だ。お前もそうだよな」

「なにが」

「ドラマに憧れることがあるだろう。気絶させる台本が今出来上がった」

「じ、じょうだんでしょ」

「冗談だと思うか」

「だれかに、みつかったら」

「見つかるな」

そんな、理不尽な。言うが早いが、彼は今日一番の大きい振りをした。恐怖が背中を駆け上がり、僕は悲鳴をあげている体に鞭を打って茂みの中に逃げた。

「おい!」

蜘蛛の巣やら変な昆虫やらが顔面に衝突してきたが、なりふり構わず走った。あ、でも待って。

「落ちるぞ!」

茂みを掻き分けた先には久しぶりに見た青い空が広がっていた。ビルが点々とする街並みが絶景に思えた。
   父さん母さん、ごめんなさい。先立つ不幸をお許しください。手紙でも残したかったな。
   靴は地面を捉えること無く空虚を泳いだ。背後からの声は、犬の遠吠えに聞こえた。途端、過去の記憶がまざまざと脳内を駆け巡る。毎日幸せに通学路を歩いていた日々や閃きから生まれた綺麗な物語のこと。母さんが作るシチューが一番美味しいと言って、母さんがそれから一週間ずっとシチューを作り続けたこと。父さんが僕の物語をこっそり読んでポストに匿名で感想の手紙を書いてくれていたこと。
   全部幸せで楽しかった頃の記憶だ。走馬灯ってもしかして、これ?だとしたら、三途の川も見られるのかな。神様、もしいるなら、次は幸せになれる人として生を与えてください。今まで信じていたのかもわからない神に頼ったのはこれが最初で最後になると思った。
   視界が真っ白になる。最後に見た景色は、茂みの奥から差し伸べられたバットだった。



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