いつか見た夢

B&B

第38章

 戻って来たエリナとともに、俺は再び上を目指して進んでいた。
 途中、武装した奴らを二人でカバーしあいながらの行軍だ。たまに出てくる奴らだが、俺はどうも不思議な感覚を覚えていた。というのも、連中は確かに武装はしているものの、どこか素人臭さがあるのだ。
 そこで俺は、通りすぎ様に今しがたぶち倒した奴を簡単に調べてみたのだ。すると、この妙な違和感が分かった。驚くべきことに連中は、正規に訓練された者ではなく研究員だったのだ。
「通りでおかしいと思ったぜ」
 もちろん、武装していることから考えて、ある程度の訓練を受けてはいるのだろう。
 だがそうであったにしても、必ずしもプロフェッショナルになれるわけではない。この連中が訓練を受けたと言っても、所詮は付け焼き刃程度だろう。皆マニュアル通りで、プロらしい意志のあるような動きはない。
 それに装備もサブマシンガンとアサルトライフルでは、精度も威力も違う。
 連中の正体が分かったことで、俺はどうしようもなく嬉しさが込み上げてきた。だって、そうではないか。皆殺しにする絶対的な口実ができたのだから。
 だがそれと同時に、もしかしたら倒してきた奴の中に、坂上なる人物がいたかもしれないと思うと、少しばかしの後悔もある。
「行こう」
 それをエリナに悟られぬよう立ち上がり、また上階に向かって歩を進めた。

 ようやくエントランスへ続くエレベーターの前まで来た。するとそこで、思わぬ人物達と遭遇したのだ。田神と松下だった。それと白髪混じりで、白衣を着た男とその部下と思われる研究員達も一緒だ。
 ちょうどエレベーターから降りてきたところを鉢合わせしたのようで、一瞬、両者とも何があったのか分からないようだったが俺は、素早くライフルからワルサーに持ち替えて、容赦なく引き金を引いた。
 その時俺は、先頭を行く白髪混じりの男は殺さない方がいいと直感した。なぜかは分からないが、とにかく、そう直感したのだ。
 俺の素早い対応に連中は、一人も銃を抜くことなく廊下に薙ぎ倒されていく。
 最後の一人となった白髪まじりの男は、必死になって銃を持とうとするがそれを背後から田神が押さえる。
 俺は足早にそんな田神達のところに歩み寄った。
「奇遇だな。予定じゃぁ俺達が上に上がるところだったんだが」
「き、君、これはどういうことなんだ!? ま、松下君っ」
「黙れ。俺は今気が立ってる。俺の気分次第でいつでも引き金を引けるんだ」
 俺は白髪混じりの男に銃口を向けながら脅した。
「つまりはこういうことですよ、主任殿」
「さぁ、降りてきたところ悪いが、上に行こう。後三十分ほどでここは吹き飛ぶぜ」
 そう言うとまた男が何かわめき立てたが、その顔に銃で叩きつけてやると、すぐに押し黙った。
 それを見て、田神と二人で男を引きずってエレベーターに乗せた。エリナと松下も一緒だ。当然、エレベーターに乗る前に、エントランスにも爆弾を仕掛けておくのを忘れない。
「さぁ、あんたに喋ってもらおうか。どうやらここの責任者でもあるようだからな」
 エレベーターが上に上がり始めても、男は黙ったままだ。
 きっと少しでも先伸ばしにして、なんとかやり過ごそうということなんだろう。この手のタイプは、意外と小狡い奴が多い。
「だんまりか」
 俺はワルサーを構え、男の二の腕に一発撃ちこむ。
「ぎゃあっ!?」
「今回はこれだけに留めてやったが、次はこうもいかないぜ」
「ひっ、ひっ、ひっ」
 男は恐怖と痛みのあまり、断続的に悲鳴のような痛みを堪えるような、そんな声をもらしている。
 ふん、自業自得だ。今はまだ殺されなかっただけありがたいと思うんだな。
「まずは、あんたの名前から聞かせてもらおうか」
 再び銃口を男に向けると、男は血で濡れた白衣の上から傷口を押さえながら、小さく口にした。
「さ、坂上……」
 本当に消え入る小さい声だったが、間違いなくそう言った。どうやら俺は最近にしては珍しく、当たりを引いていたらしい。

 一階にまであがってきた俺達は、誰も使っていない部屋に坂上を座らせ尋問を開始した。「さて坂上さんよ。俺は、どうしてもあんたに聞かなきゃならないことがある。あんた、九鬼沙弥佳という名前を知っているはずだな。まず、沙弥佳がどこに行ったのか喋ってもらう」
「く、九鬼沙弥佳だと? EVEの……ことか」
 沙弥佳がそんな呼称で呼ばれることに、内心苛々とさせられるが今はそんなことで時間をとるわけにもいかない。
「そうだ。五年前、ここから脱走したそうじゃぁないか。本当に行方を知らないのか」
 銃をちらつかせながら坂上に問い掛ける。
「あ、ああ……彼女は今までの最高の研究成果だ……いや、だった。もちろん脱走後、必死の捜索にも関わらず見つけられなかった。
 ……ど、どこに行ったかは本当に分からないんだ」
「なるほど、では次の質問だ。彼女に投与したという薬だ。あれはなんなんだ」
「あれは……」
 坂上の喉がゴクリと動く。
「あれは、遺伝子に強く作用するものだ……もう何年も昔、前身となったプロジェクトの、実験の被験者から取られた受精卵をサンプルにしたんだ……。その遺伝子を元に開発されたのが、NEAB‐2と呼ばれる新薬だ」
 そう言って男は顔を伏せる。俺は銃口をもってして、坂上の頭を上げさせる。続きを促しているのだ。
「うっ……NEAB‐2は、そのサンプリングされた者と同種の者にしか作用しないもので、それで私たちは」
「子供を使って実験したというわけか」
「そ、そうだ……だが、理論は間違っていないはずなんだ。だから……」
「御託はいい。続けな」
「うう……分かったから銃を下ろしてくれ」
 呻くように懇願する坂上に、俺はなおも銃口を押し付ける。
「うぅ……何十何百というパターンが考えられたが、その結果、健康な体を持った人間でなければ駄目だということになった。
 そこで伊達聡一郎という男に頼んで、連れて来てもらったのが九鬼沙弥佳という少女だ……彼女はサンプルを取った人間と同じで、日本人ということもあったんだ……。
 ……そのために、彼女には徹底した訓練をほどこした。死の危険を察知するよう訓練され、より活動的になった遺伝子にならば、NEAB‐2の効果も発揮できるかもしれなかったからだ……」
 そうか……それで、訓練なんかさせたのか。きっと適正検査というのも、遺伝子の適正検査といった方がいいのかもしれない。
「それが功を奏したのか、元々適正があったからなのか今となっては唯一の成功例なので分からないが、投与された後も副作用が全く見られなかった……」
「NEAB‐2の副作用ってのは、一体なんなんだ」
「くっ……あれが引き起こしたのは、遺伝子の異常で……き、奇形に変化してしまうことだったんだ」
「奇形……」
 俺とエリナは思わず顔を見合わせた。きっと、さっき地下で見たあの奇形の怪物達は、NEAB‐2の投与によるものだったのだ。
「続けるんだ」
 そんな危険なものを妹に与えたというのか、この男は。そのためについ言葉に怒気がこもり、押し付ける銃口にも力が入る。
「ぐうっ……それでも、EVEも完璧ではなかった……投与から三週間ほどした時、体に変調をきたしたからだ……。
 そこで我々は、NEAB‐2を再度投与した。それが治まったんだ……以来EVEには三週間に一度、あれを投与することになったんだ。それを段階的に上げていき、その都度、彼女からは体毛や皮膚といったものをサンプリングしていった……。
 そしてそれが、次の新しい段階へのステップになろうとした時に、EVEは脱走した……」
「それで危険な状態だと書き残していたんだな。だとしたらあの地下にいた奇形の怪物は、その成れの果てというわけか」
 再び銃を額に押し付けながら問う。
「うっ……ち、違う。あれは」
 坂上がそれを否定し、何か言おうとしたが、それは田神に遮られた。
「九鬼、もういいだろう。今はこれ以上、ここで尋問するわけにもいかないだろう。もう時間がない」
 坂上は何か大切なことを言おうとしたように思われるが、田神の言う通りだ。
 気付けば、爆破の時間まで後十分を切っているというところだった。
「仕方がないが、まぁいい。坂上、あんたにはまだまだ喋ってもらわないといけないことが山ほどある。大人しく着いてきてもらうぜ。
 ま、嫌でも連れて行くがな」
 田神がロープを取り出し、坂上の手を縛っていく。伊達の時にも思ったが、随分と手慣れているようだ。
「さぁ立ちな」
 二人で坂上を立たせ、部屋を出る。
 ここは地上の一階部分だが、施設自体が山の上に建っているため窓からは、遠くに街の明かりが小さいながらも見渡すことができる。
 つい二十分か三十分ほど前まで、窓があっても外の景色が見えないという、どこか居心地の悪い息苦しさを感じていただけに、まさに娑婆に出たという気分で気持ちがいい。
 研究員兼兵隊だった連中も、あっけなかったが片付けてやったし、沙弥佳の安否が分かったわけではないが少なくとも、まだ死んだと決まったわけでもない。薬による効果が心配ではあるがそれを作り、知る人物をこうして確保することもできたのだ。成果は上々と言っていい。
 田神もそれに関するデータらしきものを回収しているようだし、後はアジトに戻ったら吐かせればいい。残りは、この忌ま忌ましい研究所を破壊してやるだけだ。
 俺達が足早に車に戻った時だった。
 後方より、身の毛もよだつような咆哮が聞こえてきたのだ。
 その声に俺は後ろを振り返る。
「まさか……」
「……まだ死んでなかったっていうの?」
「いや、確かに……頭がぐちゃぐちゃになったはずだ」
「どうしたんだ、二人とも」
 エリナとのやり取りを聞いた田神が、怪訝な調子で聞いてくる。
「……くっくっくっ。そうか、まだ生きていたか、ゴメルよ。おまえがそう簡単に死ぬはずがないものな」
 突然笑い出した坂上に、俺は黙るよう殴りつけたが、こいつはますますその笑いを大きくしていく。
「とにかく車に乗るんだっ」
 坂上を荷台に放り込み、俺達も素早く車に乗り込む。
「出すんだ」
 言うが早いか、田神は即座にアクセルを踏んでハマーを急発進させる。
 後三分足らずで最初に仕掛けた爆弾が爆破するはずだが、俺は待てなかった。
 処刑場フロアで倒したはずのあの怪物が、上の施設にまでやってきていたのだ。
「皆、耳を塞ぐんだ」
 次の瞬間、俺は起爆スイッチを押した。
 上と地下に仕掛けた爆弾が一斉に爆発する。
 轟音を立て、爆破による衝撃で建物が破壊される。その一発の火力は、ロケットランチャーなど比較にならない。
 本来ならゲートをくぐった時に爆破させる予定だった。そのために爆風がハマーを巻き込み、ハンドルがとられた。
 車はそのまま木に衝突してなぎ倒し、向きを変えて横転する。
 中の俺達もその衝撃に耐えられず、横転に合わせて身体をあちこちぶつける。中にいながら、金属が地面のアスファルトに擦れる嫌な音がしている。
 横転してしまったままで、ハマーはその動きを止める。
 頭をぶつけたためだろう、鋭い外からの痛みと頭の中を揺さぶられたような鈍痛が同時に襲ってくる。
「うっ……」
 目が回る。頭が下になっているから、その時に打ったのかもしれない。
 俺はゆっくりと目を開け、状況を確認する。ぬるりと額から血が流れてきていた。
 手足も動かせるようなので、頚椎などに損傷はないようだ。
「お、おい、大丈夫か」
 俺は直前に庇った松下に言ったつもりだったが、言い得て、田神達がそれに反応した。
「あ、ああ……こっちは大丈夫だ……」
「私も……」
「……君も大丈夫か?」
「ああ……なんとかな。おい松下、大丈夫か」
「ええ……私もなんとか……」
 少し目を回しているが、ここからは目立った外傷もなさそうだ。俺がクッションになったのだから、当然と言えば当然だが。
「そうか……。だったらどいてくれないか、このままじゃぁ外に出られない」
 松下を横にどかせ、俺はそのまま足を使ってドアを蹴り開ける。重力がかかっているため、いつも以上にドアが重い。
 方向転換し、シートにうまいこと足をかけ、俺は外に出た。
 車の横っ面に乗りながら、松下に手を差し延べる。田神達もうまく外へ脱出できたようだ。
 辺りを見回すと、粉のように散ってしまったコンクリートや土埃が巻き上げられて砂埃が舞っている。おまけに、所々に火の粉も飛んでいるのが見えた。
 火がどこかで燃えているようで、パチパチと何かを燃やしている音も聞こえる。さながら、爆撃を受けたような有様だ。
 俺は車から下りて、荷台に放り込んだ坂上を出すべく荷台のドアを開けた。
「出るんだ」
 この男もやはりどこか体をぶつけたのか、痛みに苦悶の表情を見せている。だが俺は、そんなことお構いなしに男の体を掴み、外に投げ出した。坂上は辛そうに呻きながら地面に倒れる。
 まだ爆心地となった辺りは靄になっていて、どうなっているのかよく見えない。
「奴は……奴は死んだだろうか」
 そう呟いてはみたが、それに誰も言い返すことはなかった。
「さっき一瞬しか見えなかったが……あれは一体なんだったんだ? 巨大なゴリラか何かのように見えたが……」
 俺はゆっくりと、ただただ首を振るだけだった。当然だが、俺にだって奴のことを知っているわけではない。仕事の成り行きで、偶然出会ったに過ぎないのだ。
「……俺にもよく分からないさ。分からないが決して、あれが自然に生まれたものでないことだけは間違いないことだ。それと、その男の実験によって生み出されたということ以外は、全く謎さ。……今のでくたばってくれれば良いんだがな」
 確かに、ロケットランチャーで死ななかったのには驚いたが今度は大丈夫のような気がする。
 何せ、数千トンものコンクリートや鉄骨の下敷きになったのだ。これで死んでいないはずがない。俺はそう決め、肩をすくめた。
 しかし、そんな俺とは裏腹に、坂上がひどく高い人の神経を逆なでするような笑い声をあげた。
「……くっくっくっく。くたばる? 奴がか。くっくくくくくあはははははははは、奴は、ゴメルはこれくらいのことでは死なんよ」
「どういうことだ」
 ますます大きくなっていく高笑いをする坂上に、俺は喚いた。
「くきききききき、その通りの意味さ。奴が、ゴメルがそう簡単に死ぬわけがないのだよぉ。
 確かに、確かに奴以外の下の奇形生物は死んだかもしれん。だが、ゴメルは違う。ゴメルは特別だ」
 大しておかしくもないはずなのに、何がおかしいのか坂上はマッドサイエンティストよろしく、奇怪な声で嬉々として語っている。
「いいか。よぉく聞け、愚か者ども。ゴメルはな、あのEVEに続く最高傑作なのだ。奴にはEVEの細胞から取られて作られた、新しい遺伝子を組み込むことで生み出された新型。言うならこの世で唯一無二の、最強生命体なのだ。これしきのことで死ぬものかっ。
 もはや奴にはこんな研究所という檻など不要。この世に解き放たれた奴を、もう誰も止めることはでき――」
 誰も止めることはできない。坂上がそう言いかけて突然地面にぶち倒れた。
「!?」
 松下を庇いながら、地面に伏せる。
 気付かなかったが門の方から、一台のジープがこっちに向かってきていたのだ。
「なんだっ」
 わけが分からない俺は叫んだ。
「俺にも分からない。とにかく荷台にある武器を」
「そうしようっ」
 横目で見ると、坂上がもう息をしていないのが一目瞭然だ。
 頭を後頭部から向かって額を撃ち抜かれたからだ。額には、赤ん坊の握り拳程度の大きさの穴がぽっかりと開き、そこから血と脳漿のうしょうが流れ出ている。周辺にはそれが飛び散っていて、俺の足元にまで飛んできていた。
 一気に車まで詰め寄り武器を手にすると、その脇をジープが止まった。 ジープには三人が乗っている。運転手とその助手席に一人、後ろにもう一人だ。
 三人とも黒いマスクと黒い服に統一されていて、明らかにその世界の住人であることがうかがえる。助手席の奴は席に立っていることから、坂上を撃ったのはこいつだろう。
 遠目には分からなかったが近くで見ると、思った以上に小柄な体躯をしている。女かもしれない。
 くそ。それにしても、なんなんだ一体。こいつらは何者なんだ。
「あーあ、派手にやっちゃったねぇ」
 ジープを運転している奴がいった。マスクをしているが声の感じから男で、二十代くらいだろうか。
「行くぞ」
「了解」
 後ろに乗っている男が運転手の男に言い、ジープを降りた。続いて二人が車から降りる。
「情報が本当なら、まだギリギリで間に合うはずだ。急ぐぞ」
 そう言って、運転手の男ともう一人に言う。
 二人に比べ小柄な体躯をした奴が、ほんの少しの間だけ俺に視線を向けてきた。
 いや、その目元も防弾用のバイザーをしているため、本当に俺に視線を向けているのかは分からない。バイザーは分厚いため、真正面から見ないと本当に目を向けているのか分かりにくいのだ。おまけに、辺りはすでに夜になろうとしている。だが、なんとなくだがそんな感じがしたのだ。
「……もしかして」
 エリナが呟く。知り合いなのだろうか。
「待ってっ」
 彼女は武器を担ぎ、爆発で吹き飛んだ施設のあった所に向かう彼等に叫んだ。その制止にリーダーらしい男が、振り向く。
「……おまえは、エリナ、か? 生きていたのか」
「そうだっ。これは一体どういうことなんだよ」
「それはこっちの台詞だ。あのTビルの作戦以来どうしていたのだ」
 そう言い、男が俺達を一瞥し軽く頷く。
「まあいい。おまえが生きているというのは、ある程度は予想はしていたからな。
 だが、おまえのことは後回しだ。今は作戦中なんでな」
「何をする気だ」
 突然の乱入者に、今度は俺が叫んだ。エリナと知り合いのようだが、こっちは訳が分からないのだ。
「単純だ。負の遺産を完全に消滅させるだけだ」
「負の遺産?」
「そうだ。さあ、もういいだろう。我々の邪魔をしないでもらおう」
 それだけ言って男は研究所跡に向かう。
 邪魔をするなだと? けっ、抜かせ。もう研究所は破壊し尽くされたのだ。遺産も何もない。
 だが連中はそんな俺の思惑とは裏腹に、まだ埃や何やらが舞っている爆心地に向かって、ライフルを構えながら慎重に歩を進めている。
「九鬼」
 連中の行動を眺めていた俺に、田神が近くまで寄ってきた。
「後は彼等に任せて、俺達も逃げる準備をしよう」
「逃げる?」
「ああ、何だか分からないが、とてつもなく嫌な予感がしてならない。なるべく早いうちに逃げた方が良い気がする」
「……やはり、あの怪物……ゴメルとかいうのが生きてると思ってるか?」
「なんとも言えないが、絶対に死んでいないとは言い切れない。
 それにこれほどまでの爆発があったんだ。いくら半径数キロに民家がなくとも、多分住民達も気付くだろう」
「……確かにそれもそうだ。奴らに任せて退散した方がいいかもな。それに……」
 チラリと口惜しむように、坂上の死体に目をやった。一番の情報源になるはずであった奴が死んだ以上、俺にとってはまたも、手探りの状態になってしまったのだ。
「そんな顔をしなくても良い。まだ手がかりがないわけじゃないさ」
「そうかな。奴が一番何かを知っている奴だったんだぜ? そいつがくたばったんなら……」
「いや、そうでもない。エリナと彼等三人は顔見知りのようだからな」
 田神がエリナと乱入者三人を交互に見て、ニヤリとした。
「……そうか。あの三人が研究所の何らかの情報を知ってここに来たなら、知り合いであるエリナのルートからそれを探ることもできる、あんたはそう言いたいんだな?」
「そうだ。それに、君が持ち出してきたデータ、そいつも中を見てみないと分からないんだ。まだ、終わったわけじゃない」
 田神が俺の肩に手をやりながら言う。全くその通りだ。また時間はロスするかもしれないが、まだ全てが閉ざされたわけではない。
「ったく、俺としたことが少々気が動転していたようだぜ」
「その調子だ、九鬼。さぁ、そうと決まれば今すぐにもここから離脱しよう」
「ああ」
 頷いて、まだ倒れている松下に手を差し延べた時だ。
 爆破して瓦礫の山となった研究所跡から、唸り声が響いたのだ。
 俺達がそれに振り向くと同時に、瓦礫の下からゴメルとかいう、あの怪物が姿を現した。
 同時に先程の三人も、奴に向かってライフルを連射する。
「があ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛」
 自分の上に嵩張っていた瓦礫を掴み、俺達に向かって投げてきた。
「避けろっ!」
 再び、咄嗟に松下を庇いながら脇に飛び込む。
 直後、横転したハマーにそれがぶつかり、鈍くも甲高い音がして砕けた。
 なんとか避けることはできたようで、怪物の方を見る。
 奴は全身に傷を負って所々血を流してはいるが、まるでダメージを受けた様子がない。
 それどころか、どこか嬉々としているようにすら見える。
「……あの火力と何千トンの瓦礫ですら、あの程度か」
 田神がぽつりと言う。
 同感だった。坂上の言った通り、奴の生命力は並大抵のものではない。
 それだけではなかった。最初瓦礫から現れた時は錯覚かとも思ったが、そうではない。
「で、でかく、なっている……?」
 そう、奴は先程よりも一回りも二回りも巨大になっているのだ。
 顔も同じで地下で見た時と比べ、その奇怪具合が更に進んでいる。
 もう目がどこにあって、鼻がどこにあるのか判別しようがない程なのだ。それどころか、元々目のあった場所に新たに口ができ、異様なまでに長い舌が出て唾液を垂らしている。
 顎か首の辺りに広がっていた大きな口は、下唇から下が縦に裂けているが、そこから歯が両脇から生えている。言うならば、T字の口ができているような状態なのだ。
 まともにあの怪物を見たのは初めてである田神や松下は、信じられないというような顔をしている。
 松下に至っては、現実離れしすぎな光景を前に、可笑しくもないはずなのに笑っている。
 田神も驚きはしたようだが、直ぐさま現実に戻ったような顔になった。さすが俺が認めた男だ。
 さすがにそんな怪物……いや、もはや完全に化け物というべき奴を前に、ジープの三人も驚きを隠しきれていないのが分かる。
 そうだろう。まだ今よりはマシだった地下の最初の状態ですら、信じられるようなものではなかったのだ。
 俺を含め、この場を完全に支配した化け物を前に、最初に動き出したのは以外にもあの小柄な体躯の奴だった。
 それもとんでもなく速いスピードだ。
「あいつはっ!」
 そいつは咆哮をあげる化け物の横へ回り、ライフルを連射した。
 その音で残りの二人も即座に反応し、ライフルを連射しだした。
 三方からの攻撃で、さすがの化け物も咆哮をやめ、その身を防ごうとしている。
 あのアサルトライフルの弾であれば、あの化け物にも多少めくらましにはなるようだ。だがそれでもあの化け物を殺すことはできないだろう。
 俺はそんな光景を前にしながら、視線の先にあの小柄な体躯の奴をとらえていた。あの俊敏な動き……間違いない。奴は、あの廃工場で出会ったあの女に違いない。ということは、三人は例のコミュニティの……。
 少なくとも敵ではないことが分かったが、そうだとしても油断はできない。もしかしたら、奴らの言う作戦の中に俺を始末する、というのも含まれているかもしれない。
 思えば、ドクターとか呼ばれている奴の医院をこっそりと抜けてきて以来なのだ。とは言え、奴らがあの化け物を倒せたら、という条件があるが。
「良し。今のうちに」
 車の方を振り向くと、頑丈が売りであるハマーがすでに走ることができなくなっていることに気がついた。
 化け物が投げた瓦礫は確かに砕けていたが、太い針金がそのガソリンタンクに深く突き刺さっていたのだ。
「なんてこった」
 くそ、まさかあの時の変な音がただ砕けるだけでなく、タンクに突き刺さった音だったとは。
「九鬼。あれを頂こう」
 田神が親指でジープを指し、俺もそれに賛同した。
 だが俺達が乗り込もうとしても、エリナは動こうとはせず、じっとあの化け物と三人の方を見ている。
「エリナ」
 田神が叫ぶ。しかし、それでもなお彼女は動こうとはしない。
「……私、行く」
 短く答えた彼女は持っているライフルを肩にかけ、化け物の方へと走っていく。
「エリナッ」
 田神もライフルを持ってエリナの後を追いかける。
 田神としては早くここを離れたいのだろうが、あの女がここから離れないというなら、ここを離れることはないだろう。
 当然ながら俺も早くあの化け物から離れたいところだが、田神を放っておくわけにもいかない。強く舌打ちし、乗りかけたジープのボンネットを両手で叩き付け、ハマーの方へ走る。
「あんたも手伝ってくれ」
 ハマーの中から武器を取り出すため、松下を呼び付ける。松下はようやく現実に戻ってきたのか、慌てるように走ってきた。
「俺が武器を取り出すから、あんたはそれの脇に置いてくれ」
 タンクから漏れているガソリンを顎で示しながら言う。松下は、ただ頷くしかできない。
 俺がハマーに戻ったのも、仕方なくあの連中を手助けしないといけなくなったからだ。
 確か、ロケットランチャーがもう一梃あったはずなので、そいつを使うとしよう。その直撃を受けて死ななかったような化け物相手に、同じ手が効くかという疑問はあるが、やってみるしかないだろう。
 それに直撃とは言っても、あの頑丈な表面にはあまり意味がなかったのだろう。奴はただ気を失っていただけなのだ。
 それでも、あの馬鹿でかい口の中であればどうだ。決して勝算がないわけでもない。
「良し、仕方ないが俺もいってくるぜ。あんたはなるべくここから離れるなよ。間違っても俺達の方へは来るな」
「え、ええ。あなたも気をつけてね……」
「ああ。もし俺達がやられるようなことがあれば、あんたはあのジープですぐに逃げろ」 それだけ告げ、俺もあの化け物に向かって行った。



 俺が皆のところに駆け付けた時には、すでに戦局は変わっていた。
 ゴメルとかいう化け物は、全身に数え切れない程の目玉をつけていたのだ。しかもだ。その目玉が、ギョロギョロと動いている。なんとも悍ましい光景だ。
 さらにライフルの一斉掃射によってできた傷口がやはりもこもこと蠢いている。また目玉ができるのだ。
 あまり見たくないが、できた目玉にぶち当たった弾のせいで、そこにもまた新しい目玉ができている。
 昔、俺がガキの時分に本で見た、全身目玉だらけの妖怪・百目玉を彷彿とさせる。
「野郎……ますます大きくなってやがる」
 そんな化け物を前に、ジープの運転手の奴が悪態をついた。少しのあいだ目を離している内に、こいつはまた大きくなっているのだ。
 そんな悪態を意識したのか、化け物は突進をかけるようにその運転手の方へと向かっていく。
「ヒィッ!?」
 それに一瞬早く気付いたリーダーの男と田神は、後ろに飛びのく。
 逃げようとしたが、化け物の大きな腕に運転手が捕まる。
「う、うわぁ! た、助けて」
「くっ!」
 助けようとエリナがライフルを掃射するも、無駄だった。
「うわああああああっ、嫌だ嫌だ! だ、誰か助けてくれー! ひっ、ぎゃああああああ」
「うっ……」
 思わず口を押さえそうになる。俺の位置からでは、T字の口が男を丸呑みにしようとしている様がよく見えるためだ。
 そして丸呑みにした瞬間、その口が咀嚼し始めたのだ。
 大口の間からは大量の鮮血が溢れ、漏れていく血が本当に喰われているのだと認識させられる。
「ぎいっ! うぎゃあああっ」
 その断末魔の悲鳴が唐突に止む。
 小柄な体躯をした奴が、運転手だった男の喉元を撃ったのだ。生きたまま喰われてしまうよりは、はるかにマシ、そう判断したんだろう。俺とて、あんな死に方など絶対にごめんだ。
 咀嚼し終えると、全身の目玉をありとあらゆる方向へギョロつかせ、T字に裂けている口を歪ませるようにニヤつかせた。
 実際にそうであったかは分からないが、ニヤつかせたように見えたのだ。
 そんな奴が一点に視線を集めたのは俺だった。化け物がその巨体を前進させながら俺の方へ迫ってくる。
「よりによって俺かっ。田神、俺が引き付けるからこいつで奴の口の中を狙うんだっ」
 素早くロケットランチャーを田神に渡し、ライフルを構える。
「九鬼、気をつけろっ」
「ああ! あんたこそしっかりと頼むぜ」
 それを合図に、ライフルをフルオートにして連射する。
 だが、そんなものは一時凌ぎにしかならない。奴は目を潰されようとも、なおも俺に歩みを止めない。
「早く口を開けっ。皆、奴の頭を狙うんだっ」
 頭に集中砲火を浴びれば、口を開くはず。そう睨んだ俺は皆に指示を出したが、そうなると、今度はその歩みが速くなった。
 これでは、奴の頭を狙ってもあまり意味がないような気がしてきた。考えてみれば奴の頭には、すでに頭の持つ機能そのものが欠如しているようにも思えるのだ。
 だとしたら一か八か、最後の手段に出るしかない。
「田神、口の中をしっかりと狙ってくれよ」
「九鬼っ」
 他の三人に援護されながら、化け物に向かって特攻をかけた。
 さぁ、俺を捕まえてみろ。だが、その時がおまえの最期だ。
 唸り声をあげながら、奴は俺を捕まえようとする。
 間近で見るとその大きさは異常なまでに肥大していて、背丈はすでに五メートルどころか六メートルはゆうに超えているだろう。
 おまけに近くに来て分かったが、腐った卵と生ゴミが合わさったような異臭を放っている。
「さぁ、どうした。物を投げたり突進をかけることしかできないのかっ」
 奴の足元で大声で叫びながら挑発する。
 この化け物に人語を理解できるほどの脳みそがあるかは知らないが、挑発されていると言うことだけは理解できたらしい。
「ぐる゛ぁ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛」
 挑発されたのが頭にきたのか、化け物は唸り声から絶叫へと変わったような声をあげた。
 今だ!
 心の中で念じたのが通じたのか、次の瞬間化け物の口が火を噴いた。田神がロケット弾をぶち込んだのだ。
 奴の口から大量の血や焼けた肉片が飛び散るが、それでもなお、化け物は倒れない。
「田神、もう一発だっ」
 ロケット弾が放たれた音の直後に俺は飛びのき、再び化け物の口の中でそれが炸裂した。
 今度は完璧に頭部がその衝撃で裂け、T字の口から上がめちゃくちゃになったのだ。
 それにともない、周辺には奴の焦げ付いた肉片が飛び散る。
 今の今まで唸り声を出していた化け物が沈黙する。ついに奴を倒すことができたのだ。それを象徴するように、膝が地に付き、巨大な何かが潰れるような音をさせながら倒れた。
 その一番近くにいた俺は、奴の血や肉片を浴びながらも、それをじっと見ていた。 これでもう大丈夫だろう。そう思うと緊張の糸が切れ、一気に虚脱感が全身を覆った。
「……終わったのか、今度こそ」
 辺りに静寂が降りている中、呟いた。これでまだ生きていたら、坂上の言う通り間違いなく世界最強の生命体だろう。
 だが、その最強生命体もやはり、近代兵器には敵わなかったのだ。
 俺はその場に、どさりと座り込んだ。
 今と地下との二回に渡って化け物と対峙したが、どんなことも過ぎてしまえばどうということはない。そうは分かっていても、感慨に耽ってしまう。それほどまでに、この化け物は俺にとっては規格外の存在だったのだ。
 ジャリ、という音を立てながら田神が側に寄ってきた。
「やったな」
「ああ。ようやくさ」
「さぁ、のんびりはしていられない。今すぐここから逃げなければ」
 そうだった。今から逃げなくてはいけない。しかし、そうは分かってはいても体がうまく動いてくれない。いや、動かせはするが、どこか自分の身体ではないような感覚がするのだ。
「すまん、手を貸してくれないか」
「ああ、構わない」
 田神に引き立てられ、俺達は車のところへ向かおうとした。その視線の先に、リーダーの男とエリナが何か言い合っている。きっとTビルの一件以来何をしていたかなどのことだろう。
 時折、こちらに指を差し向けたりしていることから、そうらしいということが分かった。もしかすると移動の足がなくなった俺達に、頼み込んでくれているのかもしれない。
 まぁいい。個人的には、今何も考えたくないところだ。後は全て成り行きに任せよう。そんなことを思っていると、また一人俺に近づいて来た。あの小柄な奴だ。
「……よう、また会ったな。あんた、あの廃工場の時の女だろう?」
 女と思われるそいつは、無言で俺を見つめている。いや、見つめているかもしれないというのが正しいだろう。バイザーごしで、目だけよく見えないのだ。
「……」
 何か言いかけようとしたのか、たじろぐような動作を見せたそいつは、結局何も言わず、俺から離れていった。
「知り合いか?」
「……ああ、ちょいとな。ほら、前に言ったろう。あのコミュニティの奴さ。そして、エリナのお仲間でもあるわけだな」
「なるほど」
 安堵感で俺は気付かなかったが、あの廃工場での女がこちらに突然ライフルを向けた。
「! やはり俺を始末するためかっ」
「どけえっ!」
 今まで一言も喋らなかったそいつが叫んだ。
「!?」
 田神と同時に後ろを振り向くと、なんとあの化け物が立ち上がり始めていたのだ。例の女が俺達の方に向かってライフルの引金を引く。
 一瞬早くそれに気付いた俺達は伏せ、同時に仰向けになりながらライフルを連射した。
「どういうことなんだっ、死んだんじゃなかったのかっ」
「どうやら、違ったようだ」
「くそっ、あれは本当に生き物なのかっ」
 エリナとリーダーの男が援護しながら俺と田神の二人を抱き寄せて立ち上がらせる。
 カチン
 そんな音がして、銃の発射が止まる。
「ちっ、弾切れかっ。あんた予備のマガジンないか」
 リーダーの男が予備のマガジンを渡し、それを素早く装弾する。
「まずいぜ、こっちにはもうロケットランチャーなんてもうないぜ。あんた達の方はどうだっ」
 リーダーの男に叫ぶ。
「ジープに一梃あるっ」
「ならそいつを持ってくるんだっ」
 男が頷きながら後退していく。
 だが仮に持ってきたにしても、本当に効果があるのかは分からない。奴は口の中からずたずたにされたにも関わらず、こうしてまた動き出しているのだ。
「田神。あんたの言う通り、確かに悪い予感ってのが当たったようだな」
「できれば外れてほしかったがな」
 無駄口を叩きながらも、これからどうすればいいのか、本気で考えた。
 俺としては、さっきの案以上の良い案が浮かんでこない。こういう時は田神が適任だが、その田神も良い案は浮かんでないようだ。
「どうする。ロケットランチャーで死なないとなると、もう俺達にできそうなことはないぜっ」
「……君は地下でも奴と出会ったんだったな」
「ああっ。エリナがロケットランチャーで吹っ飛ばしたんだが、結果はご覧の通りだっ」
「その時はどうやった? 頭を狙ったのかっ」
「そうだが、体内ではなく表面だけが焼けたに過ぎなかったらしいっ」
「そうか。なら、奴の体内から破壊してやればどうだろう」
「そいつは今しがた無駄だってことが分かったろうっ」
 ライフルを連射しながら、叫び合う。
 奴は復活はしたものの、まだ完全に回復したわけではなく、動きも鈍い。
「いいや、さっきのは単純に口の中だけだった。それに、脳を完全に破壊したわけでもない」
「脳だって? どういうことだっ」
「あらゆる生命の再生能力というのは、脳からの電気信号だ。科学的には赤血球の働きだといわれて皆勘違いしているようだが、それらは本来、無意識に脳が送る電気信号があるから行われているんだ」
「つまり、脳みそさえ完全に破壊できたら、奴もくたばるといえことかっ」
「そのはずだ。坂上は、あくまであの化け物のことを生命体だと言っていた。だったら、脳を破壊すればいいはずだ」
「なるほど、確かに今までは脳みそを吹き飛ばしたわけじゃぁなかった。次は脳を破壊すればいいわけだ」
「ただし、問題が一つ。奴の脳がどこにあるかだ」
「頭じゃぁないのかっ」
「いや、見てみろ。頭部はめちゃくちゃになっているのに動いている。俺が思うに、奴の脳はもはや頭にはないような気がしてならない」
「だとすると、胴体……か」
「おそらく」
 もし本当にそうだとしたら、それはそれで問題がある。ロケットランチャーでは、その脳みそを破壊できそうにないということだ。となると……。
「……炸裂弾を飲ますしかない、か」
「多分それが一番可能性が高いだろう」
 やれやれ、結局はそれをやるしかないのか……。
 俺は舌打ちし、ライフルを撃ち続ける。
「よし、こいつで今度こそ最期だ」
 いつの間にか戻ってきたリーダーの男が、ロケットランチャーを構える。
「待て、そいつだけじゃぁ意味が」
 制止の言葉をいいきる前に、ボシュッという音とともにロケット弾が飛んで行き、化け物に当たって炸裂する。
 だが、先ほどよりも効果が薄い。
 よく見れば奴は、その体表面にさらに厚いプロテクターを身に纏っているかのように、分厚くなっているのだ。
 さっきから撃っているライフルも、今の奴にはあまり効いていない。むしろ、所々で完全に弾き返している。
「……どんどん成長してるんだ」
 そう、またも躯全体が脈動し、さらに躯が発達しようとしているのだ。
「九鬼、俺が行く。援護してくれ」
「待ちな。俺に考えがある」
 俺はポケットから手榴弾を出して見せた。
「今の今まで気付かなかったが、こいつがあったのを忘れていた。俺がなんとかしてみる。念のため、あんたも二発持っとくんだ。俺が何かあった後のためにもなっ」
「九鬼っ」
 早口でまくし立てながら田神の制止を無視し、奴に向かって走りだした。するとその横を、あの女がついてきたのだ。
「あんた……ちっ、どうなっても知らんぜ」
 とにかく、まだ完全に復活していない今のうちに破壊しなければならない。このアイディアで駄目なら、もう手だてがない。本当に最後なのだ。
「ぐがあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛」
 化け物の咆哮とともに、奴の手が女に伸びる。
「あっ」
 そんな女らしい悲鳴をあげて、奴に女が捕まった。
「くっ」
 俺はライフルで奴の口の中を撃つ。
 すると奴は、かすかに呻くような唸り声を出した。至近距離からであれば、わずかながらライフルも効果があったようだ。
「がる゛ぁ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛」
 化け物は握った女を俺に向かって投げ付ける。
「ぐっ!」
 幸か不幸か、女の体は俺に直撃し、その勢いのまま俺まで真後ろに吹っ飛ばされた。
 女を受け止めたままのため、ドシンと地面に背中を打ち付ける。
「かはっ」
 肺から空気が漏れ、うまく呼吸ができない。おまけに女が俺にのしかかっているのだ。
「くっ、か、」
 落ち着け、冷静になるんだ。今まで何度もあったことじゃないか……そう自分に言い聞かせながら呼吸を整える。
「お、おい、大丈夫か」
「げほっげほっ、あ、ああ、なんとか……うっ」
 初めてまともに女の声を聞いた俺は、綺麗な声だな、なんて一瞬思ったが今は、そんなことに浸っているわけにもいかない。
「どこか打ったか」
 いや、もしかしたらそうではなく体の中かもしれない。
 あの化け物の巨大な手に胴体を掴まれたのだ。骨が軋んで、ヒビが入っていないとも言い切れない。
「とにかくどいてくれ。奴がこっちに来るっ」
「……」
 そう言って、なんとか女を抱き起こした。
 その時、女からマスクが落ちた。女の長く黒い髪が重力によってバサリと落ち、どこかで嗅いだことのある香りがした。
 女はやはり体が痛むようで、顔を伏せて手に膝をついている。
「あんたはここにいろ。俺がなんとかする」
 その間にも化け物は俺達に迫ってきていた。
 先ほど与えたダメージも大分回復してしまっている。それと同時に、その姿はさらに奇形へと変化し始めているのだ。
 あの腐ったような異臭も、先ほどよりも強くなっているような気がする。
「うっ!?」
 腕が伸びている……? 化け物のただでさえおかしかった腕の長さが、ありえないほど長くなっていた。
 T字の口からは、ダラダラと唾液が流れ出ているし、なんというか理性というのを全く感じさせなくなっているのだ。
 地下で出会った時はまだそこに理性のようなものも感じたが、今はそのような印象を全く受けない。
「正真正銘、化け物になっちまったってわけか……」
 化け物はその長大になった腕を振り回し、俺達を捕まえようとした。
「どけっ! ぐあ!!」
 俺は膝に手をついている女を突き飛ばし、ライフルを構えたが遅かった。
 リーチが変わってしまっていて、距離感がうまくつかめない。俺は奴に捕まえられてしまった。
「ぐっ、げほっ、ぐああぁぁ」
 ミシミシと、全身の骨が軋んでいる音が聞こえる。
 ライフルが同時に手の中に握られているため、ライフルの角が筋肉に突き刺さるような痛みもあった。
 こいつは軽くつかんでいるつもりなのかもしれないがこっちは肺や心臓、他の内臓が潰されそうだ。
 この化け物は、俺を舐めるように全身の目玉を俺に向けている。その一つ一つが細めているのは、俺を嘲笑しているかのようだ。
(まずい、このままじゃぁ……)
 こいつはほんの少しだが、握る手に力を込めた。だが俺には、それだけで想像もつかないような激痛だ。
 ついにボキボキともメキメキともつかない鈍い音を立てて、肋骨が折れた。
「ぐはぁっ!?」
 口からは大量の血が吐き出され、まともに息をするのも辛い。顔が高熱がでたかのように熱く、視界がなぜか赤く見える。
 圧迫されすぎたために、顔の毛細血管が切れ始めたのだ。
(だ、駄目だ……もう……)
 意識が遠退きかける。いっそのこと、このまま意識が遠退いたら、楽かもしれない。そんなことすら考えた。
「九鬼ぃっ!」
 遠くで誰かが、俺を呼んでいるような気がする。
 駄目だ……もう誰かも分からない。俺はここで死ぬのか……。それも仕方ないかもしれない。こんな化け物相手にたかが人間一人、どうこうできるようなものではない。
 意識がブラックアウトし始める。ここで意識を失えば確実に俺は死ぬだろう。そうは思っても、もう指一つ動くような気がしない。
(お兄ちゃん!)
 あ……? なんだって……? 今、誰かが……沙弥佳の声がしたような気がした。それとも、これが走馬灯というやつだろうか。
(お兄ちゃん、死んじゃ駄目っ!)
 沙弥佳なのか……おまえはまだどこかで生きているのか……。最期にもう一度だけおまえに逢いたかった……。
(目を醒まして、お兄ちゃん!)
 ああ……分かった……今起きるよ……今……。

 どこかで獣の遠吠えのような、低く唸るような、そんな鳴き声が聞こえた。
 獣……? こんな場所に化け物以外にそんな獣がいるのだろうか。そう思った時、その答が解けた。
 俺だった。獣の声と思ったのは、俺の絶叫する声だったのだ。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛」
 そうだ。こんな所でまだ死ねない。死ねるわけがない。
 まだ終わっていないのだ。俺は沙弥佳に見つけだすために今まで生きてきたんだ。こんな場所で死んでたまるか!
 俺は、がむしゃらに手の中から逃れようとするが、やはりどうかできるようなものではなかった。奴が今度こそ、その腕を異臭の放つ口に持っていこうとする。俺を喰う気なのだ。
(やめろっ、やめるんだっ)
 せっかくの手榴弾も、先ほど女と吹き飛ばされた時に落としてしまったらしく、なくなってしまっていた。
 絶体絶命だ。
 奴がまた俺に力を加えて圧迫する。今度は新たに折れた肋骨が、肺に突き刺さったのか、折れる音ともにグシャリという音もした。
 口からはなおも吐血が続いている。
(お兄ちゃんっ!)
 俺はなぜかとても近くにその声を聞いたような気がした。
 それとともに、手に何かが当たった。
 左手だけが奴の手からは逃れていたため、その左手に何かを持たされたのだ。
 俺はその感覚に、そいつが手榴弾であることをぼんやりと理解した。
 もう力尽きかけているが、懸命にそれを口に持っていく。その動作だけで、吐血が激しくなる。
 もう俺には、こいつの安全ピンを抜くことで精一杯だろう。
 ピンを犬歯に引っかけ、震えながらほんのわずかに腕に力を入れて、そのまま腕を下ろした。同時に、ピンがかすかな金属音を出しながら抜ける。
(こいつが……最後の一手だぜ、バケモン……)
 強烈な異臭が鼻をつく。
 眼下には大きな口をさらに大きく開けて、俺を飲み込もうとしている。
 だらりと力抜けた手の中から、楕円をした金属球が落ちていった。
 一拍おいて、突然俺は化け物の手の中から解放された。瓦礫の上に投げ出され、全身を強くうった。しかし、あまり痛みを感じない。
 解放されたのは、きっと俺を飲み込もうとしたのに、変な物を飲み込んだからだろう。
 直後、何かけたたましく怪鳥か何かが呻くような鳴き声が一瞬した後に、ボンという音が聞こえた。
 うっすらと開いた目に、それがなんであったのか見ることができた。
 化け物の大きなT字の口より上が、見事になくなっていて、あんなに頑丈だった横っ腹も破裂していた。
 胸のプロテクターのような部分はそのままだが、右腕もなくなっている。
 ここからは見えないが、背中は完全に吹き飛んでいるかもしれない。
「ざ、ざまぁみろ……」
 血を吐きながらそれだけいうと、俺は徐々に意識が遠退き始めた。もしあれでも駄目なら、もう諦めるしかない。
 意識が徐々に遠くなっていく俺は、もしかしたら、もう二度目が覚めることはないかもしれない。全身がとてつもなく熱く、身体の中では血管が破れて、身体の中に流れ出しているのがなぜか分かる。
(せめて、もう一度だけ……一目でいい。あいつに……沙弥佳に……)
 その願いが俺にげんかくを見せたのか、意識が失くなる直前、俺は望んでやまない妹の顔を見た。それも、あの廃工場で出会った女にその面影を見たのだ。
 なんでここにいるのか。なんでそんな黒い服を着ているのか。
 流れるような黒い髪。人目を引き付けてやまない美貌。その顔はあの日からただの一日だって忘れたことがない、沙弥佳の顔。明らかに沙弥佳だとわかるのに、それはやけに大人びた印象を受けた。
 いや、それよりも……なんで……なんで、おまえがそんな恰好をして俺の目の前にいるんだ。
 おまえは沙弥佳なのか。本当に俺の妹の沙弥佳なのか……。それとも、ただの夢かなにかなのか……。
 もう動かすことのできない手を、その女に向かって差し延べようとする。
「……さ、沙……弥…………」
 妹の顔をした女を前に、俺の意識はブラックアウトしていった――――。






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