いつか見た夢

B&B

第97章


 ざわざわと背筋を嫌な感じが抜けていく。いくら意識が他にいっていたとはいえ、まさかこうも簡単に背後をとられるとは、深くといわざるを得なかった。そしてそれを行ったのがどうにも奇妙なことに、とても矮小な人物だったとあればなおのことだった。
「お前は……」
 俺の背後に音もなく現れたのは、矮小というには歪な、成人男性の頭を持ちながら子供と見紛う体躯をした矮人だった。身長は一メートルにも達しておらず、頭身もせいぜい三頭身ちょっとというところだろう。しかしこれがどうしたことか、顔だけはなかなかに美男子といってもいいほどの奴で、目鼻顔立ちが整っている分、余計に歪さが増している。
「やぁ、待っていましたよ、クキ」
「待ってただって? お前は一体何者なんだ」
 すぐにも銃を引き抜けるよう、わずかに身構える。だが目の前の矮人は、そんな俺の行動になど微塵も興味がないといった具合に続けた。
「君はもう知ってるんじゃないかな? 私こそ君が知りたいと思った人間、それさ」
 微笑をたたえたまま意味のよくわからないことを口走る奴に、俺は眉をひそめて鋭くいう。
「俺はお前みたいなちび野郎なんざ知らないね。ここにいるってことは、今回の件に一枚噛んでる奴だってことはよくわかるがね」
「くっくっく……じゃぁヒントだ。これまでに出てきた登場人物を消去法で消していけば、おのずとわかりますよ」
 厭味っぽく笑う矮人の仕草が癪にきながらも、シンガポールに訪れてからの登場人物たちを頭の中で消していく。トニー・イサーク、シュガール・ヤン。こいつらの顔はしっかりと覚えているし、まずこんな矮人などではない。ジョン・マクソンについても同様で、そもそもマクソンは今この場にいるはずがない。となると残るのは……。
「ライアン……そうか、お前がライアン・トーマスなんだな」
「くっ、くくくく。そう、いかにも私がライアン・トーマスさ。驚いたろう、まさか謎の人物で通っているライアン・トーマスがこんな場所にいるだなんて」
「ああ、驚きだね。まさかライアン・トーマスがこんなにちっこい奴だったなんて、驚かない奴のほうがどうかしているというもんさ」
 皮肉いっぱいにそういうと、かすかに奴の整った頬肉が上下に動いた。やはりコンプレックスであるらしい。しかし、日系二世という店主の情報について間違いではなかったらしいが、まさか矮人だなんて思いもしなかった。いや、それにコンプレックスを持っているからこそ、謎に包まれた存在だったのかもしれない。
「くっくっ、そう怒るなよ、挨拶みたいなもんだろう。それで、そんなライアン・トーマスがなんだってこんな屋敷にいるんだ」
「……ふん、まぁいいでしょう。どうしても君という人間に会ってみたくなってね。だというのに君は私の招待に応えることなく、つっぱね、それどころかこちらの貴重な人員を抹殺する始末だ」
「なるほど。あの兵士たちは、お前の差し金だったってわけか」
 やれやれといった風に首を振るライアン・トーマスに、俺はあえてその口車に乗ってやった。どうも、俺の掴んだ事実とは食い違いがあるようだった。
「そう、私が君に差し向けた。いやなに、貴重な人材とはいったが、やられたからといって報復しようなどとは思ってはいない。報復など、野蛮人のやる行為ですからね。むしろ、君という人間のデータも取れた。それだけでも彼の死は無駄ではなかっただろう」
 こいつのいっているのは一味のアジトを襲った際に、俺が背後から近付いてきたところを仕留めた奴のことだろうか。あれだけでどれほどのデータが取れたというのか、なんにしてもこいつの人を見下した言い方は癪に障って仕方ない。
「それで、ライアン・トーマスがなぜ俺に用なんだ」
「ふふ、そう警戒しないでもらいたい。とりあえずここを出て話をしようじゃないか。まだ私は君の敵ではない」
 まだ、ね。要するに、俺に交渉を持ちかけようとしているわけだ。そして回答いかんせんによっては、その場で俺を始末しようという算段なのだ。まぁいい。向こうがその気なら、しばらくのあいだ付き合ってやることにしよう。俺としても聞きたいことはいくらもある。
 ついてきたまえというライアンの言葉に従い、俺はようやく薄ら寒さを感じさせるこの部屋を出た。部屋を抜けると屋敷二階部分の廊下に出る。どことなく武骨さを感じさせる内装は、いかにも英国貴族風といった具合で、こんな小さな島国によくもまぁこんな屋敷を建てられたものだと感心する。
「それにしても、随分と熱心に”彼女”を見ていたようだね」
「彼女だと」
「そう、”彼女”さ。君があの部屋の奥で見つめていた、死体のことだよ。美しいだろう? この世に顕現した女神とは、きっと彼女のようなことをいうんだろう」
「あのつぎはぎの死体が女神だっていうのか、あんた。女神だといっておきながらそいつを切り刻むだなんて、どうかしてるぜ」
「仕方がないな。ああでもしなければ、私たちの前から彼女は消えてしまうからね」
「消える? あの死体がか。それはどういう意味だ」
「まぁ、それは順を追って説明しましょう。君が知りたいのは別に”彼女”のことではないだろう」
 ひょこひょこと歩くライアンに質問を投げかけると、この矮人はなにがおかしいのか妙に甲高い声で、呻くような笑い声をあげながら語りだした。
「まずは私の正体から話すとしようか。本来なら極秘なので、いくら君のことが興味あるとはいえ、簡単に話していいことではないんだけれどね。まぁ、特別サービスと思ってくれればいい。私は高等弁務官ジョン・マクソンの秘書官、というのが一応の肩書になっている」
「なっている?」
「そう。だがそんなものは所詮、単なる肩書にすぎない。君もここまで潜入してきたのだからもう知っているだろう。ジョン・マクソンが突然この国の弁務官として派遣されることになったことをね」
「ああ。前高等弁務官はジョン・マクソンではなく、別の人間を推薦していた。だが、彼が死んだことでそいつが流れてしまい、代理としてマクソンがその職に就いたものの、そのまま今のポストに就いている」
「そうです。しかしジョン・マクソンは、単なるポスト争いに勝ったから高等弁務官に就いたわけではない。私が彼に譲ったんですよ、高等弁務官のポストの座をね」
「譲っただと。つまりあんたは」
「ふふ、そう。本来なら私こそが前高等弁務官に推薦され、高等弁務官になるべきはずだった者なんですよ。しかし私にとって高等弁務官などというポストは、あまり重要なものではなかった。あればそれなりに便利なポストだったのでしょうが、とにかく私にはさほど重要性のあるポストではなかったのですよ。
 しかし、ある時私の進めている研究を行うのに場所が必要となった。そこで以前、私の口利きで弁務官に居座ったジョン・マクソンのことを思い出し、彼の秘書官という形でこのシンガポールにやってきたというわけです」
「なるほどな。高等弁務官には特級の外交特権が認められている以上、多少の融通はきくというわけか」
 俺はてっきりジョン・マクソンがこの男とのポスト争いに勝利したものとばかり思っていたが、実際はそうではなかったらしい。研究者だというライアンの性格を鑑みると、確かにそんなポストなどというのは興味がないのは当然だろう。おそらく、一国の王になれると約束されたところで、この矮人には少しの興味も持てないに違いない。
「その通り。なんせ、彼には私からポストを譲り受けたという恩がある。そんな私からの頼みを断れるはずもないわけだ」
「まさか後任だったというのが、あんたとは思いもしなかったがな」
 ライアンのコンプレックスを刺激してみるつもりで多少の皮肉をこめていったつもりだったのに、この男はそれに気付くことなく語り続ける。
「今いったが、私は元々研究者でね、この秘書官などという肩書も実際にはほとんど意味はない。彼の秘書官という肩書があれば、大抵のことはできるからそれを拝借したに過ぎない。あくまで私はここで研究ができるからやってきたにすぎないわけですから」
「そうか。渡邉政志が取り付けた契約の施設ってのに、あんたが研究長として配属されることになってるんだな」
「ええ、そうですよ。実際のところは、私がそれをジョンにいって進めさせたんですけどね。国を発展させたいと考える者は、その国を愛する者であれば当然。そんな彼たちと素敵なパートナーシップを保つことで、互いの利益を享受しようとしたわけです。ところがだ。どういうわけか、これを良しとしない連中もいるもの事実でね」
 今まで軽快に滑らせていた口が、ここにきてかすかな陰りを帯びた。例の政志たちを襲った一味の連中のことをいっているのだ。ライアンにとっても、まさかあんな形で横槍を入れられるとは思いもしなかったのだろう。
「その連中は国家の担うプロジェクトに、ジョン・マクソンが絡んでいることを知って行動を起こした。ジョン・マクソンは高等弁務官である以上、イギリス本国の利権を最優先とすることが使命だからな。そうだろう」
「ええ、そうでしょう。さすがに驚きましたよ、彼らが下手な行動に出たときはね」
 しかし、ここで疑問が浮かぶ。ここまでライアンの話す内容に嘘はないだろうし、話の筋も通っているとは思う。ジョン・マクソンがこの男の傀儡だったとなれば、国家プロジェクトの裏にある秘密の研究についても知らされなかったとしても不思議はない。
 そしてもちろん、あの連中を気に食わないと思うことも当然だろうが、すでに政志たちが契約を取りつけた後に連中が襲われたのだ。これでは行動を起こしたにしても遅すぎやしないだろうか。なんせ相手は国家プロジェクトなのだから、襲う相手が違うだろう。ジョン・マクソンのことを知っての行動だというなら、もっと直接的な行動をとるはずだ。あるいは、奴を攻撃しようものなら、イギリスとの戦争になりかねないと判断したからなのか、定かではないが。
 そう口にしようとしたところで、ライアンが話を止めて目の前の大扉を開くよう指示を出した。
「客人だ。ここを開けたまえ」
 すると観音式である大扉の向かって右側の扉が、かすかな軋む音を響かせながら開いた。どうやら中から人が開けたようで、黒づくめの服とサングラスをつけた男がその姿を覗かせる。
「どうぞ。私は所用で少しだけ外しますが、すぐに戻ってきます」
 客人だという以上、とりあえずは敵意がないことは間違いない。俺は頷いて部屋の中へと入った。
 大扉の端に、二人の黒づくめの男が立っているこの部屋は、どうもここはライアンの私室兼書斎といった具合の場所らしい。ホールのように天井が丸みを帯びた形になっており、出入り口以外の三方の壁には人の背では手が届かないところにまで、ぎっしりと本が積まれている。本の壁を背に、部屋の中央辺りにえらく立派な机と椅子があり、その前にソファーとテーブルが鎮座していた。
「話の続きは戻ってからにしましょう。それまでは自由にくつろいでもらって結構ですよ。ただし、この部屋の外に出ることだけはお勧めしません。その理由はもう判っているでしょうがね。
 少しのあいだ私たちは外しますがこの二人は外にいるので、何かあるのなら申し出てもらえば対応しますよ」
 そう告げると、ライアンと黒づくめの男たちは部屋から出ていく。念を押すライアンのいうことはごもっともだ。黒づくめの二人の立ち居振る舞いを見れば、単純に素人とは思えない。前後の流れからいって、例のコマンド部隊の一員だろう。一人や二人くらいなら俺にでもなんとかできるだろうが、どれほどの人員が残されているのか知れたものではない以上、無駄なことは避けたほうがいい。
 ライアンたちが出ていくのを横目で確認したあと、俺は早速行動を開始する。もっとも、向こうもこうした行動に出ないなどとも思ってはいないだろうが、元々そのつもりで屋敷に侵入したのだから、やれることはやっておくべきだと判断したのである。
 とはいっても探る場所など、部屋の構造上、机の一ヶ所しかない。俺はふかふかのカーペットの上を机まで移動し、机の引き出しを引きあける。何か重要な資料かなにかないかと、四段ある引き出しを全て開けた。
「ちっ、やはりこんなところにはないか」
 書斎とはいえ、侵入者である俺を客人と称し招き入れるような奴が、まさか真っ先に情報の知れるような資料を置いておくはずもない。せめてパソコンでもあれば別だが、残念ながらそれらしいものすら置いてはいなかった。おそらくライアンの野郎は、はじめからここに通すと決めていたのかもしれない。
 俺はため息をついて、改めて部屋の中をあおぐように眺める。日本のように大地震でもきたら、それこそ雪崩ととなって落ちてきそうな大量の本の壁に、少しばかりの興味を持って歩み寄る。
 そこには奴の興味の対象となる様々なジャンルの本が並べられてある。神話と民族と題された本に、旧約聖書新訳と書かれた本、古代人はなぜ星に魅了されたのか、などといった本なんかもある。考古学や言語学、天文学から地質学、それに経済学といった分野まであり、それらがきちんとジャンル分けされてあるあたりは、さながら個人図書館といった趣きがある。
 俺も変なところで知りたがりの性分のせいか、こうした知的分野というのは好奇心がうずくものだが、そんな中で一際、興味の引く一角があって思わず足を止めた。その棚には遺伝子工学、さらにその下の段には物理工学の類の本が陳列されてあったのだ。
 それらを何冊か手にとって見てみる。遺伝子工学の本に遺伝子の基礎知識から、それらを応用し新しく治療法を作りだそうとする技術の話や、物理工学のほうには、タイムマシンは本当に可能なのかを証明しようとする段落から、宇宙の物理法則を論ずる段落まで、本の内容はちょっと興味がある程度の俺には難しそうだ。こんなときに田神がいれば、噛み砕いてわかりやすく講じてくれそうなものだが。
 それらの本を戻そうとしたとき直した本のすぐ隣に、見知った著者の名があって眼を引き、その本を手にとった。
「チャールズ・メイヤー……まさか、あのメイヤーか」
 まじまじと見るその本の著者名には、確かにチャールズ・メイヤーと書かれてあった。チャールズ・メイヤーとはイギリスの遺伝子工学者で、あの奇妙な血液のサンプルを欲するあまり、マフィアどもすらけしかけた食わせ者だ。サンプルの血液を生成すれば、劇薬である、あのヘヴンズ・エクスタシーを作ることもできる。
 そんなメイヤーだが、研究の材料としてあれを入手しようとしたが結局は学者、殺し屋同士のいざこざに巻き込まれ、命を落したわけだ。だが俺も著名な学者であるメイヤーの本を見たことはなかった。さすがに興味津津といった具合に中身を開いて読んでみる。
「『ある特殊性血液型の由来と発生』、か」
 目次を見ていって思わず目に止まって、そうつぶやいた。そのページを開いてみると、さすがに遺伝子学者でもない俺には難解な言葉の羅列が飛び込んでくる。おまけに英文ともなれば、なおのことだ。それでもいくつかの文章は、ある程度かいつまんで読むことはできそうだ。
 そこにあったのはメイヤーが遺伝子の研究をしていく際に、血液に関する論文とぶちあたったことによって書かれた論文であることが、前書きとしてあった。メイヤーは、よく血液型を簡単に説明するのにABO式の血液型選別法が用いられることがあるが、これはあまりに大雑把過ぎて当てにならないと論じていた。
 単純に考えればそれはそうだが、人間がたった四種類の血液型で人格や性格、内面性や行動が決定されるなど滑稽でしかないことは確かではある。これは所詮、形式ばったもので、実際には遺伝子の与え得る影響も加味しなければ、個々人の内面や性格、行動性は決定できないと書いてあった。
 そこでメイヤーは遺伝というものを研究する人間らしく、別の方法で研究することが適正だとする考えを述べていた。まずはRh因子式と呼ばれる、赤血球中にあるRh因子の抗原を数十種類に分けることで選別する方法、白血球内の抗原を用いて選別するHLA式型など、他数種類の選別方式で血液型は分類されるらしい。
 特に、キメラ型と呼ばれるタイプの血液型があるというのには驚いた。これは、本来一人の人間につき一つしか保有しないはずの血液型が、同時に複数有していることでついた名称らしく、例えばABO式に則っていえば、九〇%がO型に対し残りの一〇%がAB型といった特異なタイプも存在しているというのだ。
 他にも、Rh因子式ではRh null型といった一〇〇万に一人しかいない希少型も存在するという。当然、血液型としては全く違う種類の型になるため、これらの血液型を持つ人間には、たとえABO式で判定された血液型の血液を輸血したとしてもなんの意味もないわけだ。それどころか、血液が反応をおこして中の赤血球などが溶けだす溶血や、血が固まる凝集反応を引き起こしてしまう。
 まだまだ本には興味深い内容が書かれてあるようだが、さすがにこれ以上は俺の英語の理解力では追いつけそうにない。半ば口惜しい気分になりつつも、本を元の位置に戻した。
「血液というのはとても不思議でしょう」
 突然声がして振り向く。ひっそりと開けられた大扉から、例の矮人がひょこひょこと歩きながら部屋に入ってきながら続ける。
「私はね、昔から人間の血というものにとても興味を持っていたんですよ。だってそうでしょう? 猿や他の動物などにも人間でいうところの血液型は存在しますが、人間ほど多様なタイプの血種を持った生物は類をみない。人間というものが自然界において、特別であることがわかる。
 しかしなぜ、人間がこのような何種類もの血液型をもつのか。私はそれがたまらなく不思議に思えてならないのです。別にABO式の血液型のことをいっているわけではないですよ。その本を見るとわかるんですが血液型というのは、実際には四種類とはいわず、何十、もっと細かく選別していくと何万種類にも及ぶ。
 それだけではない。なぜ血は赤いのか。もちろん、赤血球の赤色が血を赤色たるものにしている。だが、なぜ赤でなくてはならなかったのか。別に黄色でも青でも……あるいは緑でもよかったはずなのに、なぜ赤なのかといった疑問すら持ったことがある。そして、人間に血液型というものがあるのなら、色で区別できればそれが一番なんではないのか、などと幼少時に思ったこともありましたね」
「血の色に必然性を考えるなんて、とんだガキだな」
 ひょこひょこと歩くライアンにそう投げつけるようにいうと、この矮人はニヤリと唇を歪めて笑う。美男子といってもいい面をしているだけに、その顔がやけに厭味ったらしい。
「まぁ、そうだったのかもしれません。私にとって血というのは、それほどまでに魅了してやまないものなんです」
「そのためにこんな本を手に入れるほどなんだから、よほどのことなんだろう。だが、その血ってものを研究して、結局はあんたはどうしたいんだ」
 別に研究者にとって、こうした疑問は愚問に近い言葉なのだろうが、とりわけ血液などというものにさほど興味など示せない俺としては、どうにも理解しがたいものだった。
「古来より人間は、血にどんな形であれ特別視していた。とりわけ解りやすくいえば、血族なんかがそれに当てはまるだろう。血を分けた兄弟だとか親だとか、まぁそういったものが連綿と続いていくと成るものが血族だ。所謂、ある家系の直系と呼ばれるものだね。
 ある偉業を成し遂げた人物の血、遺伝子を受け継いだ人間が代々、その時々の中心に添えられるといったことはままあることでしょう。世襲がまさにそれです。そこで私は思ったわけですよ。いくら偉大な人物の血を引いていようと、子孫など所詮は別の人間であるはず。なのにどうしてなのか、とね。
 偉大なのは偉業を成し遂げた人物なのであって、その血を引く人間などではない。彼ら彼女らは、あくまでその血を引いて生まれたに過ぎない。だというのに人は遠く、悠久の頃よりそれを重きにおいてきた。なぜ、どうして血というのものがここまで比重を大きくするのか、私には不思議でならなかった」
 語るにつれ、少しずつ語気を強めていくライアンの口調は、彼らのしてきたことがあまりに下らないものだといっているかのようだった。まぁ、ライアンのいわんとしていることが理解できないわけでもない。確かに、よく二世は能無しだとか、親の七光りなどと呼ばれることが多いわけで、その世襲が功をそうじることはあまりないというのが実情だろう。
 そんなのがトップに立てば、対象が国民であれ、組織の末端員であれ、不幸にしかならないというものだ。あるいは右腕がよほど優秀であれば、また話は変わってくるのかもしれないが。
「けれど同時に私は考えるわけです。その血を引くからこそ、人は偉大な人物の面影を脈絡と受け継がれる血に、それを求めているのかともね。
 人間は、先祖の血を受け継ぎながら様々な血を受け入れてもいく。過去に生きた人間への哀愁を抱きながらも、決してそれだけではいけないとも無意識下に思ってもいるわけだ」
「……血がまた別の血を呼んでいるとでもいいたいような言い草だな」
「ええ、まさしくその通りでしょう。血は多種多様の血液型を作り、拡がりを見せていく。が、それだけでもないように私は思うのです」
「それだけでもない?」
「そうです。これは私の持論ですがね、今もいったように人がかつて存在した人物に哀愁を抱くというのはすなわち、血もまたかつての血に哀愁を抱くとも言い換えることができるとは思いませんか。哀愁を求めるということはつまり、その血と同じものを求めているということにもなる。
 では、その求める血とは何か。もちろん、それは人によって違うかもしれません。人は自身の思想によっても、求めるものも変化しますからね。ですが……」
 ライアンは好奇心をくすぐるように、わざとらしくそこで一端話を区切ってみせる。
「ですが、なんなんだ」
「ですが、その思想そのものすら上回るものがあるとすれば、血はそれを再び世に生み出すためにありとあらゆるパターンを試行錯誤し、新たに、そして偉大なものの再来を、再現を求めているのかもしれない」
「いっている意味がよくわからない」
「要するに、人間の根源となるものと同じものを作れるかどうか、といっているのですよ。あなたは知っていますか。かつて人類が一人であったことを」
「聖書じゃぁ神とやらに創られたアダムから摘出された肋骨からイヴが生まれ、人間は複数になった。そういいたいのか」
 下らないとは思いつつも、問いかけられてつい口走った自分が憎かった。かつて母親が、それなりに熱心だったキリスト教徒だったこともあるかもしれない。
「ふむ、それも間違いではない。しかし、それは唯一神、創造論者による創作だ。ともかく人類とは、最初期にはごく少数しかいなかったとされることが多い。その後、繁殖能力を備えた人類が増やされ、増えていくというのが神話でお馴染みですね。
 一人であれ複数人であれ、極最初期の人類は極端に数が少なかった。時を経ていくにつれ人類は数を増やしてはいくが、同時にその頃の人間の血は薄くなっていく。仕方ないとはいえ、これでは人類は全く別のものになってしまうかもしれない。血が、遺伝子が、そう危惧したと考えてみるとどうでしょう。
 己の仲間を増やそうという本能ともいうべき無意識下にある理を、自ら変えていくかもしれません。極最初期の人類に似た血を造り出し、自らを回帰させようとするために気の遠くなるような試行錯誤を繰り返し、再び一つの、かつていた人類と同じ血になろうとすることが人類が増加する理由とも考えられる」
 さらに目の前にきた矮人が続ける。
「今現在、人類は啓蒙主義の煽りを受けて、愚かにも全ては一直線に歴史が進んできたと考えている。もちろん、ある地点から見ればそれは間違いではないでしょうし、もし人類が創造されたものだとして考えれば、やはり一直線に進んだとしてそれは間違いではないでしょう。
 だがね、始まりはそうだとしても、人類が現在まで幾度となく同じような歴史を繰り返してきているとしたらどうでしょうね」
「あんた、一体なにをいってるんだ」
「くっくっく、何、”矮小”な人間の戯言だと思って聞いてください。
 啓蒙主義とは、口ではうまく説明できない事象全てに、神や霊的な存在を肯定した考えから理性的に、かつ論理的に物事が構成されるということです。こうして初めて、自分たち人間が利口で賢い生き物だと認識するようになったともいい換えることができる考えです。
 長い歴史を全て始めからそうだとするなら、そうかもしれない。しかし、ある地点から区切って見てみれば必ずしもそうとは限らないかもしれない。
 この啓蒙主義というのは実際のところ、ここ五〇〇年、長くみても一〇〇〇年程度の歴史しかない。進化論も同じで、一人の神が全てを創ったとされる時点から見て、全ての物事が一から作られていくという考えから、少しずつ、長い時間をかけながら変化し成長していくという考えだ。これはまさしく、現在の考えの根底にある唯物論だ。
 だが、古代ローマや古代ギリシャの人々は違った。世界は、少なくとも人類が誕生してから彼らの時代まで、文明と人類は幾度となく滅んでは再生するといった、歴史が円環であることを知っていた。現在のように、最後の審判が下されれば全てが終わるわけではない。またゼロに戻り、そこから新たな文明がかつての文明を受け継ぎながら創造され、繰り返されていくと信じていたんですよ。
 実際に、判明しているだけでも九〇〇〇年にはなるという巨石居住跡や水路、祭壇と思しき文明の痕跡も発見されていますからね。有名なところでは、古代エジプト文明の興りは現在よりも、さらに五〇〇〇年以上は古いとされる研究結果もいくつも出されている。これはキリスト教のいう世界が始まったとされる歴史よりも、ずっとずっと前の時代だ。おそらく創世記にあるノアの大洪水も起こったと考えていいでしょう。
 そしてノアの方舟の話に限らず、世界中にある洪水伝説は実際に起きたことだろう。過去に生きた人々が残した記憶が、神話という形で残ったというわけですね。こうして繁栄しては滅び、繁栄しては滅ぶというサイクルの中で人類は、その時代時代に起こった災厄を生き残った人々がそれぞれの地域でアダムとイヴになり、子孫を増やしていったのでしょう。
 しかし、人が極端に少なくなった状態では血の回帰は難しい。だからこそ血は生き残った人類から、自らの回帰を目指すべく人類を新たに生産し、特別な血を持つ人間を生み出そうとしているのではないか……と私は考えるわけです」
 いい終えたライアンの言葉に呆気にとられながらも、聴き入っていた自分に喝をいれる意味も含めて返す。
「面白い考えだな。だがな、俺にはたかだか血液がそんなことを無意識にでも考えているだなんて、とてもじゃぁないが信じられないね。確かに数少ない俺の知識にも、人類が一直線に歴史を歩んできたわけじゃないっていう説があることは知ってるぜ。古代ギリシャの数学者がゼロという概念を生み出すことはできなかったのに、古代エジプトの神官はすでにこのゼロという概念を知っていたっていうのも知ってる。
 だがな、だからといって血が回帰するってのは信じることはできないね。自覚できないのに自分の血に意識があるだなんて、さすがに突飛すぎるというものだ。大体、あんたの理論は血に意識があるってのが前提なわけだが、それを証明する手立てはない」
「くくっ。しかし、私のいっていることを否定することのできる絶対的な理論も存在しない。まぁ、それはひとまず置いておきましょうか。あくまで私個人の考えでしかありませんしね、今のところは」
 こいつの長そうな講釈などうんざりだった俺は、気障きざったらしく厭味っぽいライアンの言葉を半ば遮っていう。
「それで、今の話がどんな風にさっきの死体と繋がるというんだ。あれは単に、お前の猟奇趣味を満たすためのものではないのか」
「おっとそうですね、少しお喋りが過ぎましたか。まぁ、あながち無関係ではないのですがね。
 私がライアン・トーマスであることはいいましたね。前高等弁務官にそのポストを推薦されながらも、それを断った人間が私というのも。そして、君は勘は良さそうだからもうわかっているかもしれないが、ジョン・マクソンを操っているのも私だ。
 これもいいましたが私がこのシンガポールにきたのも、ある研究施設の建造を目的としているからです」
「例の国家プロジェクトとかいうやつのだろう。シンガポールという国の地利を活かして、海上……いや、海底にか? 表向きは真水を供給するための施設だが、実際にはお前たちの馬鹿げた実験のための研究施設だ」
「その通りです。ここにかつて頓挫したプロジェクトを移行させ、後継施設として発展させるのが私の使命というわけですよ。だがしかし、哀しいかな、当然この国にも、そんな我が使命に横槍を入れようとする者がいるのも事実でしてね。そこで私は施設の今後のためにも、きちんと訓練されたプロを雇う必要があると考えた。できうることなら本国からこうした兵士たちを呼べればいうことはなかったのですけれど、さすが私にもそこまでの権限はない。しかし、イギリス連邦加盟国内でならどうでしょうか」
 矮人の語りを聞いた俺は、悦になりながら続きをいわんとするライアンの言葉を遮って続けた。
「つまり、本国では難しいプロジェクトを、加盟国という言葉を変えた植民地で安全にそれを行おうとしたわけだな。お前はそのために昔辞退した高等弁務官のことに目をつけた。そのために色々な裏取引がされたのかもしれないが、ともかくこうしてお前が弁務官の執政官として、事実上の特殊外交特権を手に入れたんだ。
 特殊外交特権を手にしたお前は、早速この権利を使ってジョン・マクソンを操り親英派の政治家や軍人らを取り込んだ。もちろん、その本当の目的はほとんどの人間に知らせることなくな。そして、この事実に気付いた右翼派は、知ってか知らずかお前の意を汲んだ渡邉政志に目をつけた。こいつらをどうにかすれば、建設自体が困難になるに違いない、そう思ったのかもしれん。
 だからお前は、そんな右翼派の実行部隊である武闘派マフィアの一味を一人残らず殲滅することにしたってわけさ。これは右翼派に対する無言の忠告だ。邪魔すれば、次はお前たちだというな。そうだろう」
 早口にまくし立てた俺に、ライアンは何がおかしいのか拍手しながら引くような笑い声をあげる。矮人という特殊な形状のためだろう、その様はなんとも奇怪に見える。
「ええ、ええ、まさにその通りです。現場指揮をとったバドウィンに君以外、一人残らず殲滅するよう命令したのは、君の言う通りこの私ですよ。いえ、残念ながら一人、女狐を取り逃がしてしまいましたがね。まぁ、あれはイレギュラーといえばイレギュラーなので、かまわないでしょう。彼女に世界帝国の一角を相手できるほどの力もないでしょうしね」
 バドウィンというのは、あの夜俺と真紀を襲った連中のリーダーのことだろう。あの男が去り際に口にしたことを思い出し、ライアンに問いかける。
「あの晩、俺を襲った連中がお前の差し金だったってのは、これではっきりした。だがあのバドウィンとかいう男は、女のために自分たちは集ったといっていたぜ。それも、その女が俺に会いたいとも。こいつについてはどういうことなんだ。話を聞く限り、そこが矛盾しているんじゃないか」
「ああ、”彼女”のことですか。彼らが優秀な兵士で、かつ”彼女”に従順であることは間違いないでしょう。たった一人の女のために、よくもまぁ尽くせるものだと、ほとほと感心しますがね私は。
 まぁ、それは置いておくとしましょうか。彼のいうことは半分正解、半分外れといったところでしょうか。実のところ、彼らを私一人で掌握などできるはずがないのも間違いなくてね、そこで私は”彼女”を利用したのです。”彼女”に心酔する彼らを言いくるめるには、やはり”彼女”を使うことが一番有効でしょうからね」
「お前のいう”彼女”ってのは、もしかして、あの部屋の奥にあった薬液漬けになったつぎはぎ死体のことか」
「ええ、もちろん」
 にこやかにそういったライアンは目を細め、ニヤリと唇を歪める。その表情は、にこやかにしているせいか逆にとんでもなく邪悪に見える。まるで、ああすることこそ”あれ”のためには良かったのだといわんばかりだ。聞きたくもないがライアンはもはや自制心などまるでなく、次から次へと口をついて語りだした。
 あの死体は、ある一人の女をモチーフに作られたものだというのだ。ライアンは以前、東欧に滞在中とても不思議な体験をしたという。それはある一人の東洋人らしい女との出会いで、これがどういうわけか、とても惹きつけられずにはいられなかったらしい。
「本当に不思議なひとでした。見る者を惹きつけてやまないというのは、ああいうことをいうのかと身をもって体験したわけです。正直なところ私は、こんなでしょう? だから、それまでは自分のこの身体にコンプレックスを持っていたが、”彼女”を目にした瞬間から、そんなものは私の中から一切が吹き飛んで消えた。
 美しいといえばそれまでですが、本当にこれ以外の言葉が見当たらない。いや、美しいという言葉すら”彼女”を比喩できない。もっとこう……もっと高い次元に”彼女”はいるのだと、本能で理解したのです。おかしいでしょう? 仮にも科学を信望とする人間が本能だとか直感だとか、とても理性や科学とは相容れないものを信じてしまったわけですから。
 だがね、同時に私は思ったわけです。科学とはあくまで今起こっている、あるいは起こりうることを定義するための手段に過ぎないのに、その目的と手段が逆になってしまっていると。私も科学を信望とするのであれば、その直感だとか本能と呼ばれるものを、緻密に研究すべきだと思い至ったのです。
 それに”彼女”と出会ったのは、ほんのわずか……せいぜい十数秒の間でしかない。にも関わらず私は、”彼女”に魅入られてしまった。もし女神がいるのだとしたら、きっと”彼女”のことではないのかと本気で思ってしまうほどに。
 もちろん、それから数日もしたある日に、あれは単なるまやかしだと自分に言い聞かせることで、”彼女”のことを頭から追い払うことにしました。だというのにどういうわけか、私の中で”彼女”の存在はますます大きく、自分を制御できないほどになっていった。もはや、自身の信念を変えてしまうほどに”彼女”の存在は大きくなっていた。
 しかし、たった十数秒の体験で見た”彼女”を、今さら追いかけることなど不可能でした。いや、もちろんやるだけのことはやったつもりです。つてを使って、私が見て覚えている限り”彼女”の特徴をいっては探らせることはしましたよ。それでも”彼女”を見つけることは叶わない。”彼女”への想いは募るばかりで、私はついぞ、見つけることができないというのなら、作ってしまえばいいのではないのかと、結論に至ったわけです」
 俺はその話を薄気味悪い気持ちを抱きながら聞いていた。正直なところ、今日初めて会う男ののろけ話を聞かされて、うっとうしく思わないほうがどうかしているとは思うが、ましてやこの奇妙な人物となればなおのことで、おまけに一目惚れした女のことを想うあまり、つぎはぎの死体を作ってそれを観賞しながら悦になっているのかと考えると、もはやそこには嫌悪すら通りこして異常に思えて仕方ない。そこで沸き起こった感情を振り払うように、質問を変えた。
「それでお前はあんな異常な死体を作り上げたわけだな。それだけでも常軌を逸してると思うがこの際はいいとしよう。だが、あの連中をどうやって説得して言いくるめたんだ。あのつぎはぎ死体はどう見たって、ここ何日かで出来上がったものとは思えない。それなのにあの連中が一人の女のもとに自らの意思で集ったというのなら、その女は今もいるはずだ。なのにお前の話からは、あの死体を利用したという割りに、連中をうまく従えたようにはとても思えない」
「そうでしょう。彼らもまた”彼女”に魅了された人間だということです。”彼女”に魅了された人間はまさに、”彼女”のために付き従う従者、いや奴隷といっても過言ではないかもしれません。彼らもあるときに出会ったのですよ、”彼女”とね。
 こうして”彼女”と知り合いだという私の甘い言葉に簡単に乗ってきたわけですよ、普通であればこんな甘い誘いに乗ることなどないのでしょうけれど、そんなことなど考えうることもできないほどに”彼女”は魅力的ということです」
「つまり、あの連中はあのつぎはぎ死体とは、まだご対面になってないというわけか。ごもっともなことだが、それは本当なのか。連中はあの部屋に通じている秘密階段を使って、この屋敷と外を行き来してるんだろう? なのに、あの死体を見ないというのは少し変だ」
 当然のことを口にすると、矮人はそんなことなどどうとでもなるという風に続けた。
「もちろん、彼らとて”彼女”を見なかったわけではない。それどころか、あの状態を見た瞬間、彼らは私に対して激怒したほどですよ。ですが、彼らも信じているんですよ、”彼女”がまだ生きているということをね」
「生きている?」
 力強く頷いた矮人は、よくぞ聞いてくれたといった具合に得意げにいった。
「そう。今の”彼女”はただの抜け殻。あの死体……と呼ぶには少々憚れますが、まぁいい。あの死体に”彼女”を取り込むことで、”彼女”を顕現させようとしているわけです。……くくっ、そんな顔しないでください。確かに少々奇抜なことをいっているかもしれませんが、私は至って真剣ですよ」
 そう付け足していったライアンの言葉の通り、今の俺は話された内容があまりに突飛すぎて、とてもついていけないというのが表情にそのまま出ていただろう。この野郎は、魂だなんというのを本気で信じているらしい。そんなオカルティックなことを信じる信じないは人の自由だが、それを本気にするあまり、あんな異常な死体を作り上げるという異常さに、とてもこの矮人が通常、人が持ち合わせる倫理感など持ち合わせていないことを目の当たりにして気分が悪かったのだ。
 しかもだ。俺の比ではないほどの本を読み漁り、多くの知性を兼ね備えているはずの人間が、それがゆえにとんでもないことを信じて実行しようとするなど正気の沙汰ではない。こいつは外見が醜いがゆえに内面も歪んだのかと思ったがそうではないらしい。外見のことなど全てが吹き飛んだという言葉の通り、元から歪んだ人間なのだ。
 人は生まれたときから悪人というわけではないという、なんともありがたい言葉があるが俺にはとてもそうとは思えない。そう考える人間の思想にも共感できないわけではないが、人間は環境次第で善にも悪にも染まれるのだ。環境がそうさせるのなら、環境がすでに整った場所であれば生まれた瞬間から、そうなることがもう決定されたも同然ではないか。
 ということは、この矮人はやはりそうなるべくしてなったのだろう。矮人になってしまったのは、こいつのせいではないが元々歪みやすい人間だったということなのだ。運命などということばを簡単に使いたくはないが、それに抗おうとしなかったのは間違いなくこいつの自業自得なのだ。
 第一、魂を取り込もうだなどと戯言を抜かしたがそんなのとてもできるはずがない。仮に本当に魂があるとして、まだ生きているはずであろう人間の魂を、あんなつぎはぎの死体に詰め込もうだなんて一体どうしたらそんな理論に結論に至ったのか、そちらのほうが気になるものではないか。
 人間など自身の考えに当て嵌まる思想、あるいはそれに近い思想があると勝手にそうなのだと思い込んでしまうものだ。それは本当だとしても、この矮人の行った、行おうとする所業はあまりに非人道的ではないのか。殺し屋というどうしようもない職に身を落としている俺ですらそう思うのだから、こいつは本当にどうしようもないところにまで来ているのだと実感する。
 あまりに非現実的なことをいうライアンに俺の態度は露骨だったのか、たたみかけるようにいう。
「まぁ、君が馬鹿げたことだと思うのも無理はありません。実際のところ、この実験はようやく動き出したところなんですから、それを証明するにはまだ時間が必要だ。ですが、すでにこれに近い理論は完成しているんです。私の理論が正しければ、”彼女”を顕現させることは可能でしょう」
「おい、待てよ。あんたのいう実験ってのは、例の……タイムワープに関する実験じゃぁないのか」
 思わぬライアンの言葉を遮った。話の流れから、海上に建設されるという研究施設は、てっきり例のタイムワープに関するものだとばかり思っていたが、こいつは丸きり違うことを口にしたのだ。これに疑問の余地を挟まずにはいられない。
「ええ、そうですよ。君が今までに関わってきたタイムワープの実験も兼ねている。私にとって、その実験はあくまで仕事、契約の都合上にすぎません。私の命題は、あくまで”彼女”についてですからね。
 まぁ、教えておくと、”彼女”の顕現を実行に移すためには、このタイムワープの実験が必要になるからなんですよ。だからこそ私は、シンガポールにまでやってきたのです。とはいっても、私は実験ができるならイギリスであれシンガポールであれ、別に日本であっても構いませんが」
 こいつは驚いた。今まで高等弁務官の秘書官という肩書きで事実上の執政官としてこの国にまできたライアンは、てっきりイギリスの国益のために例のタイムワープ理論を完成させようとしているとばかり思っていた。だというのにこいつは簡単にそれはあくまで都合上仕方ないと言い切ってみせたのだ。
「さて、と。他になにか聞きたいことは」
 呆気にとられた俺に、ライアンは何事もなかったかのように問いかけてくる。それはまるで、とりとめもない世間話の中でふと思いつきで話題を変えるような、そんな気軽さと同質のものだった。こんなことは口が裂けてもいえないが、俺としてもまるで正気の沙汰ではないこいつの与太話に、いつまでも耳を傾けているとこっちがどうにかなってしまうかもしれないので、助かったというのが正直な気持ちだった。それにこんな与太話を聞くためにここに潜入したわけではないのだ。
「大体知りたいことはわかったさ、お前が”中身も含めて”普通じゃぁないってこともな。しかし、まだわからないことはある。女のことだ。バドウィンは俺に女が会いたがっているといってたぜ。これについては」
 確かにこいつの長々とした話を聞いた限りでは、どうも”彼女”と呼ばれる女のことが、ライアンやバドウィンのいう女のことであることは間違いない。しかし、それでもどうにも納得できないのだ。目の前の矮人はたかだか何秒か出会った女のために、つぎはぎ死体を作るという猟奇的な行動に出たようだが、あのバドウィンのいったことは明らかにまだ女がどこかに潜伏しているといっていいニュアンスだった。
 今の説明では、どうにもこの点だけが納得できない。どちらかがうそぶいているのか、あるいは俺を欺くために両方が嘘を並べ立てているかもしれない。まぁ、心情的にはどう考えても、この矮人のほうがどうかしていると見るほうが正解に近いだろう。よって、今のところはバドウィンの方の説を有力候補と見るべきだ。
 それにだ。このライアンはバドウィンを洗脳や何かで従わせているわけではないらしい。バドウィンのほうもその女に心酔していることは間違いないようだが、まだ自身の意思をはっきりと持った理性的な部分があったことは疑い得ない。これだけは確信を持っていい。
「……君はこのことについてわざわざこんなところにまで来たのかもしれないが、それは彼に聞きたまえ。残念ながら私は、彼のいったことについて関知しない」
「おい、そいつはどういう意味だ。あんたはあの男をわけのわからん理由で説き伏せたんだろう。知らないとはどういうことなんだ」
「そのままの意味ですよ。私は確かに、彼らを手の内に納めたが別に全てをおさめたわけではないですし、彼が何を行動しようと関係ありません。あくまで私に害が及びさえしなければね」
 あっけらかんというライアンの言葉に、おそらく嘘はあるまい。それほどまでにこの矮人は言い切ってみせたのだ。つまり、ライアンにも知らないなにかが、どこかにあるということになる。それを知るには、やはりバドウィンとかいうあの男と会う必要がある。
「さて、もうそろそろお開きとしましょうか。私にはやらなければならないことがある。君と話せてうれしかったですよ」
 もう俺に興味などないといった感じでライアンがくるりと背を向け、再びひょこひょこと、しかしどこか軽快に歩き始めた。
「待て。俺にはまだ聞きたいことがある。あんた、海賊についてなにか知らないか」
「海賊?」
 海賊という言葉に反応し、ひょこひょこよ歩く矮人の動きがとまる。頭だけをこちらに向けた矮人の顔は、おそろしく冷めた眼をしていて、それがとても先ほどまで狂気を纏っていた同一人物とは思えないほどだった。
「そのような不逞の輩のことなど私は興味ないし、どうでもよいですよ。知りたいのなら……ふむ、バドウィンに聞くのがもっとも手っ取り早いかもしれませんね。まぁ、それができるのならば、のことですが」
 癪に障る言い方のライアンに俺は、矢継ぎ早に疑問を口にしようとしたものの、さらに気になるようなことを口にしたためそれは叶わなかった。
「君はもうそのようなことを気にする必要はない。君のような強靭な意志と精神力を持った人間こそ、最後のパーツに相応しい。少々粗野なところもあるようですが、まぁいいでしょう」
「勝手に話を進めるんじゃない。俺の質問に――」
「それではごきげんよう、クキ」
 ライアンがそういった瞬間、背後に人の気配を感じて後ろを振り返ると首のあたりにチクリと小さな痛みを感じ、思わず手で押さえた。背後には、どういうわけか黒尽くめの男が一人、こちらに麻酔銃を向けて立っていたのだ。
 いつの間に……そう口にしたかったのに口が動くことはなかった。男がもつ麻酔銃によるものだと判断するにはあまりに遅く、俺は膝から力なく崩れ落ちた。
「ああ、別に毒ではないから安心なさい。それは前にバドウィンが打ったものです。ただし、そのときとは少々濃度は高いですがね」
 ライアンのいうことは間違いなくそうなんだろう。俺の意識はすぐにも闇の底へと落ちていった。これまで麻酔薬で眠らされることは何度もあったが今度ばかりは危険だと、誰かが頭の奥で叫ぶ声がした。




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