いつか見た夢

B&B

第104章


 少し先をいっていた黒のリムジンはようやく停止し、中より眼鏡をかけた人物とそれを護衛のためだろう、がたいのいい黒スーツの白人が一人出てきて後部座席のドアを開けた。眼鏡の人物は、若い頃は金髪だったのが窺えるものの白髪交じりで、おまけになかなかの後退ぶりのため、どこから生え際なのかわからないほど薄ら寒い頭部に、眼鏡の奥に光る瞳は細く、まるで何かに取り憑かれて疑い深そうにしているのが印象的だ。
 この人物こそランディ・ブランドンだった。遠藤の話によれば、現在はアメリカのフェルミ国立加速研究所の副所長というポストに一二年前からついており、なんのためなのか、外交のためにやってきたアメリカの使節団の一メンバーとして来日してきた変り種だ。俺はというと、つい一時間ほど前から遠藤の案内で訪れた接待のための料理店から出てきたところから、ずっと尾行してきたことになる。
 外交官のメンバーとして来日しているというのだから、てっきり大使館のほうにでもいくとばかり踏んでいたが尾行してみるや、意外なことにアメリカが誇る一流のホテルのほうに車を回してきたのだ。もし大使館だと思い込んでいたら、とんだ間抜けになるところであったため、尾行してみるものだと胸を撫で下ろした。
 しかし、表向きは外交上関係者として来日しているはずなのだから、ブランドンにしたって大使館に宿泊するはずだ。なのにどういうわけかブランドンはそこから外れ、こんなホテルにやってきている。これはどういうことなのか。もちろん、あの国の人間、それも外交関係者というくらいだから国粋主義者であることは容易に想像がつくので、そんな人間が自国の展開している高級ホテルに宿泊というのは決しておかしくはないが、なぜあの男一人だけが別行動をしているのか。これは放ってはおけない。
 これまでの経験から、こういう事態があったときには、必ずといっていいほど何かあるものだ。そもそも、外交メンバーという重要な立ち位置にいるはずの人間に、トップからなんの命令も下っていないとはそれこそおかしい話だろう。ましてやアメリカの税金で稼動している施設の所員となれば、国に利益があるというならシークレットに何か命令が下ったとしてもなんの不思議もない。
 つまり、これはアメリカにとっては非常に大きな利益を生む、あるいは外交を通じての牽制を意味しているといっていいだろう。まさか、仮に国立研究所の所員が日本好きだとして、気まぐれにこの機を逃すまいと便乗して来日したとも思えない。そんなのはそれこそ個人的な所用で済む話なのだから。
 となれば、野郎は何か別の目的があってここにきた、そう考えるのが自然だ。先ほど商社の男と交わした話は、きっとこの後に会うであろう人物との間で交わされる会話のために必要な商談であった、そういうことだろう。ブランドンの立場が立場なだけに、研究になんらかの影響を与えるようなものだということもある程度は予想がつくが、なんせ世界を股にかけた超大国の考えることだから、一体何を腹に飼っているか知れたものではない。
 大柄の黒スーツに導かれ、ブランドンが階段を昇りホテルの中へと消えた。もちろん黒スーツのほうもだ。乗っていたタクシーを少しいった角を曲がり、次の曲がり角手前で止め乗り捨てた。ブランドン乗っていたリムジンも地下の駐車場へと降りていったのは確認済みなので、中の連中が俺に気付いた様子はない。おそらくこのまま正面から乗り込んでもなんの問題はなさそうだ。
 俺は今きた道を戻ってホテルへ向かうと、階段をあがって遊び帰りのホテル客を装って正面玄関をくぐる。先ほど池に足を突っ込んだために生乾きの感覚が不快なうえ、不審に思われないか心配にもなったがそんなことは適当にいい包めばいい。
 そう考えていたところ、やはりというか、不審に思ってのことなのか単にサービスとしてなのか深夜業務に就いていたホテルマンが近くにやってくる。俺は半ば気付かない振りをして男をやり過ごそうとするが、向こうから話しかけてきた。
「お客様、いかがされましたでしょうか」
「ああ、実は羽目を外しすぎてしまって、靴ごとズボンを濡らしてしまったんだ」
「そうでございましたか。もしよろしければ、お客様のお部屋にご案内いたしますよ。この程度でしたらクリーニング後、翌朝にはお渡しできるサービスもございます」
「そうか……一応連れが着いているはずなので、良ければ彼に連絡してほしい」
「お連れ様でございますか」
 さすがに連れがきているとなると、いい加減俺への不審感はなくなっているに違いない。俺はホテルマンの受け答えの返しとして頷いた。
「一緒に戻ってきたんだが、おれ……いや、私はせっかくの東京での遊びの記念と思ってタクシーで帰ってきたんだ。多分、連れはリムジンで一足早く戻ってきているはずだよ。名前は、ブランドン……ランディ・ブランドンというんだが。黒いスーツの男を従えた男だ」
 落ち着き払った口調でそう告げると、目の前の男はすぐに特徴の人物を思い出したようで、納得したといわんばかりに一度大きく頷いた。
「ああ、あの方でしたら、ほんの一、二分ほど前にお戻りになられました」
「そうか、それは良かった。私は彼に誘われてやってきたので、部屋を知らない。どこかに泊まってるのは間違いないんだが」
 よくもまぁ口からでまかせが出てくるものだと自分自身、内心苦笑しながら告げると、男はブランドンが泊まったらしい部屋の番号を愛想よく告げた。そこまではどのエレベーターで行けばいいだとか、エレベーターを降りたあとはそこを左に曲がれといった事細かな情報を教えてくれ、最後に丁寧にお辞儀をして俺の前から立ち去ろうとするところを声をかける。
「ああ、すまないが友人が後で部屋にいくと電話しておいてくれないか。濡れてしまったので替えのズボンを用意しておいてほしいと」
 かしこまってお辞儀で返すホテルマンに軽く首を縦に振り、俺は教えられた通りに、すぐさま指し示されたエレベーターへといきボタンを押した。さすがにこの時間帯はあまり利用する人間もいないため、待ち構えていたかのようにドアが開かれて、すぐさまエレベーターに乗り込むと上昇ボタンを押す。さすがは高級ホテルといったもので、エレベーター特有の浮遊感をあまり感じさせることなく静かに昇りはじめ、あっという間に指定された階まで到達しドアが開かれる。
 エレベーターを降りると、左の通路を真っ直ぐいったところに人が入っていく気配があり、俺はすぐにそちらのほうを振り向き眺めた。一瞬ではあっても、入っていった連中の後姿が例の黒スーツのものであることを目視した俺は、足音を消しながら歩き、部屋の位置と周囲に何か小細工がされていないかなどをチェックすると、部屋を後にする。簡単に入ることはできないと踏んだ俺は中へ潜り込む算段を立てるため、一旦部屋を離れることにしたのだ。
 俺はグランドフロアのすぐ上の階までエレベーターで降りると、非常用階段を使って地下にまで降りた。地下三階と示されたドアをくぐり中へと入るとそこは通路が広がっていて、その通路を適当に進んで洗濯室と書かれたプレートをかけている扉のドアノブに手をかけて忍び込んだ。おそらく中には、先ほどのホテルマンのいっていたクリーニングサービスのための人員がいることが予想されたが、別の用があるためか外していた。
 クリーニングサービスがある以上、ホテルマンのスーツもここでクリーニングされているに違いないと読んだ俺は、ここで自分に合ったスーツを拝借しブランドンの部屋に乗り込むつもりだった。そのためには多少の変装が必要になるが仕方ないだろう。ルパン三世のような変装の達人ではないが、ほんのちょっと連中を欺ける程度の変装くらいは心得ているつもりだ。
 客室用のベッドシーツやテーブルクロス、他にもランチョンマットやなんかが、それぞれきちんと区画ごとに仕分けされており、その一番端に従業員用のスーツがクリーニングされている区画を見つけた。すでに何着かがクリーニングされた後であることは一目瞭然で、その中から適当に一番大きそうなサイズのものを手に取り、それらを素早く身につける。なんとも着ぐるしい恰好ではあるが、まぁなんとかなるだろう。
 服を着替えた俺はクリーニングルームを後にし、その際、手近にある洗濯仕立てのズボンを一枚手に取るのを忘れない。さらに整備室の倉庫を見つけるとそこに入り、中から適当に使えそうなものを見つけて床に散りばめ、合わせて見つけた工具を取った。
 手で握りこむと少しばかしはみ出るくらいの大きさの黒い箱にを二つに分け、その中に導線や、まだ使える乾電池なんかをうまくつなぎ合わせていき、それらに繋ぐ形で箱に二カ所穴をあけ、そこに二本の端子を埋め込む。再び二つに分けた箱の片割れをはめ込むと、お手製の簡易スタンガンの出来上がりだ。
 こうして持ってきた洗濯物の下にスタンガンを隠すと、髪型も優男風に見えるよう手ぐしで変え、来た道を戻って再びブランドンが泊まっている部屋のある二〇階にまでやってきた。部屋までのあいだ、誰一人として出会うことがなかったのは運がいい。出会ったところでどうというわけでもないのかもしれないが、何があるかわからないことを考えれば極力、人の目に晒されることはないほうがいいに決まっている。
 再び部屋の前にやってきたところで軽く深呼吸し、表情筋を体操代わりに何度か動かしてほぐして表情を作ると、やや控えめにドアをノックした。やや間があって内側にドアが開かれると、例の黒スーツの男が顔を覗かせる。その表情はほとんど無表情そのものといってもいいが、かすかに怪訝にし勘ぐるような視線を帯びていた。しかし、それもすぐになくなる。
「誰だ」
「ルームサービスでございます」
「ルームサービスだと? そんなものを頼んだ覚えなどないが」
「いえ、しかし、お洗濯物をお持ちしたのですけれど……」
「……少し待て」
 これでは埒が明かないと判断した男は、そういってドアを閉め中へと戻っていく。俺はその隙に洗濯物の下にしのばせておいた小道具をいつでも使えるように用意した。中ではどんなやり取りがなされているのか、想像するのは容易だというものだ。だからこそ、いつでもそれに対応できるようにしておくのがベターだろう。
 すると中から誰かドアに向かってくる気配を感じ、再び人畜無害な表情を作ってドアが開かれるのを待った。
「それをよこせ」
「はい。こちらになります」
 ややぶっきら棒に開かれたドアから再び顔を覗かせた黒スーツの男に、洗濯されたズボンを差し出そうとしたところ、しのばせておいた小道具であるスタンガンを差し伸ばされた男の腕に素早く押し当てる。
「ぎゃっ」
 まさか突然スタンガンなど食らわされるとは思いもしなかったのだろう、男は通電のショックに短い悲鳴をあげながら体を硬直させてその場に蹲る。その様子を視界の脇に収めながら、俺は内側に開かれたドアを強引に押し広げ中へと押し入った。スタンガンは、見た目以上にとんでもなく強い電流を相手に流したらしい。
「き、貴様……何者だ」
 蹲り、ぴくぴくと痙攣を起こしているにも関わらずそんな口を利ける男も、見上げた精神の持ち主だ。ドアを静かに閉め終えた俺は思い切り男の腹を蹴り飛ばし、ぐうの音も言わさぬうちに沈めた。銃社会のアメリカにおいて、ほとんど近接用でしか使うことのできないスタンガンは実践的でないという理由で、あまりそれを想定しないことが多い。もちろん、あくまで想定なのでその人物の持つ危機感や動体視力に伴う身体能力の高さにあっては、想定していなくとも対処されてしまう可能性もあるが今回はうまくいった。
「どうした、何事だ」
 部屋の奥から低い歳いった感のする声が投げかけられる。もちろん声の主はブランドンだろう。あまり事情を察している様子のない声だが、そうでありながらかすかな危機感を抱いている、そんな感じの声だ。俺はその声を気にすることなく、その場に倒れている男の腕を持ってきたズボンを縄代わりに、後ろ手に縛って大きめのハンカチでもって猿轡にした。
 さすがに何も返事がないことを訝しんだ男が、奥からこちらにやってくるのを迎え撃つような形で、俺は足早に部屋の奥へと進んだ。
「な、何者だ」
「いったろう、ルームサービスさ」
「ルームサービスだと――ぐっ」
 頭の禿げ上がったブランドンが驚いているところを、有無を言わさずに羽交い絞めにして拘束する。間接を極められて、ブランドンは痛みに顔を歪ませる。
「悪いなブランドン。あんたにはいくつか質問したいことがあるんだ」
「わ、私が答えることなど何もないぞ、重要なことはジョンソンに聞いてくれ」
「ジョンソン……例の外交官だな。奴には奴なりの外交目的があって来日したんだろうがな、俺はそんなのに興味はないのさ。俺の興味はあんただ、ブランドン。いくら国立研究所の副所長という立場に就いてようが、一研究者に過ぎないあんたがなぜ政治家どもの使節団にくっついてきたんだ。もちろん、あんたの研究に必要なことがあっての来日なんだろう。違うか。
 さぁ、吐けよ。なんだって日本の商社マンと会う必要があったんだ。あんたの研究にどうしたって日本の商社を通す必要がある」
 きつく口調を変えていった俺の言葉に驚き、ブランドンは羽交い絞めにしているこちらのほうを振り向こうとしたが、それを許さず極めている間接を強くねじってやる。すると苦痛に呻き声をもらし、何度も頷いて、やめてくれと懇願する。
「い、いう、いうからそれ以上はやめてくれ……私は研究に必要なものを手に入れるために日本の商社を訪れる必要があったんだ」
「それはわかってる。必要なものっていうのは」
「そ、それは……ぐぅ、わ、わかった……いうから、もう少し緩めてくれ。……じ、実験している装置に必要な、加速冷却装置だ」
「加速冷却装置? なんだそれは」
「か、確率冷却法という技術に基づいて作られた装置のことだ。私が行っている実験は、物質の最小単位である粒子の加速と衝突、ならびに運動量の計測だ。これは規模が巨大になればなるほど計測数値のブレが大きくなるために、そのブレや運動量を計測するのにどうしてもこの冷却法を使った装置が不可欠なのだ……。
 だ、だが、残念ながら私たちが造り上げた装置の規模に対して、現存の冷却装置では対応できなかった。どうしても、運動量の数値にブレが出てしまった」
「そこで日本の商社を通じてその装置を輸入しようとしたってわけか。だが、アメリカにならそれらに対応できるほどの装置を作ってる連中くらいいるんじゃぁないのか。なんだってわざわざ日本を通す必要がある?」
「もちろん、いないわけじゃない。しかし、そうはいかないんだ。粒子加速研究は今や世界でも最先端にして、想像を絶するほど大規模でそれらを扱う機器の市場は非常に大きいのだ。対して装置は決して多くを作れるほどの安定した供給ができないのだ。
 これら装置の開発は、一般の企業を通じてそれぞれの部品製造を委託したり注文生産という形が主で、そうして出来上がった各部品をそれぞれの研究所などが独自に組み立てることで完成される。しかし、今回はそんなわけにはいかなかった」
 そうはいかなかったというブランドンの言葉に、焦燥感が含まれているように感じられた。普通は独自が組み立てて完成するものを、すでに既製品を使ってでもすぐに納品させようとは、よほど急ぎのものらしい。俺は極めた間接に力を加えて、続きを促した。
「ぐっ……どういうわけかは知らないが数週間ほど前に突然、私のオフィスに知人が訪ねてきた。そこで私が行っている研究について、あれこれと質問を投げかけてきた。はじめは単なる好奇心からの質問かと思っていたがそうではなかったらしい。どうやら彼は、私にその研究データを見せるよう言い遣ってきたようなのだ。
 当然ながら、これはまだ研究段階なので断ったが、すると彼は突然強弁になり、なかば脅しかけるように見せることができないのなら、資金を打ち切るとまで言い出したのだ、我が研究所が税金で賄われて運営されていることを槍玉にあげて。
 か、彼は政府の高官でかつては長年、国税庁に勤めていた男でもある。それも、副長官というポストに就いていたから、金の動きについては、それこそ資金の打ち切り程度の工作をすることくらいは簡単だったかもしれない」
 ブランドンによると、その男が今回はどういうわけか、資金打ち切りを後ろ盾にこの外交団のメンバーの一人として来日する算段を立てたという。国税庁の副長官というポストに就き、現在は政府高官という人物だから、外務省の人間にもコネクションがあったっておかしくはない。それを使って、新たにメンバーの都合くらいはつけられるというものだろう。
 また、そうした経歴から、よほどの野心家であることも窺える。しかし、そんな人間であるなら、少し調べれば国立の研究所に流れている金など簡単に調べもつくはずで、さらにもう少し調べればそこで何が行われているかも判るようなものだが、それを脅すなんて引っかかる。おまけに、男が欲しがっているというのが暗に、この研究者の研究成果だということならばなおのことだ。
「それからすぐに秘密回線を通じて、私のパソコンにメールが届いた。内容は」
「今回の外交員の一員として日本に赴き、そこで商社を通じて商品を手に入れることを告げられてたってことだな」
「そ、そうだ。だがそれだけじゃない。彼は、日本である人物と接触するようにも命じてきた」
「ある人物? 誰なんだ、それは」
「私も詳しくは知らされていないんだ。ただその人物は、日本の政財界の黒幕の一人であるという人物の側近だという話は聞いたことがある。私が知っているのはそれだけだ」
 そう説明する間、ブランドンは二度も部屋の奥に視線を泳がせたのを怪しく思った俺は、羽交い絞めにしたまま、そちらの方に歩くよう押し歩かせる。
「どうやら奥に、その人物と会うときに必要なものがあるようだな」
「そ、そんなものはない。私はただ……」
「ただ、なんだ。今までほとんど部屋の奥に視線をやらなかった奴が、ここで突然視線を泳がせるのは明らかに不自然というものだぜ」
 否定するブランドンを挑発するような含みをもった薄ら笑いを浮かべ、俺はなかば引き摺る形になってブランドンを部屋の奥にまで連れてきた。
「さぁ、あんたが気にしていたのは何かな」
 片手で間接を極めたまま、大きめの楕円形をしたテーブルに広げられている資料に目をやった。ガラス製かと思われた透明なテーブルはおそらくクリスタルだろう。表面はぴかぴかに磨かれ、支える脚は正確に四方を陣取って上のクリスタルの台を支えている。
 そんなテーブルの上に無造作に広げられた資料には目にくれず、ブランドンはそのテーブルの前のソファーに目をやる。そこには光沢を持った灰色のブリーフケースが置かれてあり、俺は器用に片手でそのブリーフケースを手繰り寄せて、ケースをこじ開ける。中には、ブランドンの仕事に必要らしい資料の紙が何十枚とあり、唯一その中に綺麗に纏められたファイルが隠されるように挟まれてあり、それを見つけると、ソファーにブランドンを押さえ込み、その上に膝をついて更なるプレッシャーをかけた。
「あんたの表情が変わったぜ。どうやらこいつのようだな」
「や、やめろ、それは」
 呻くように制止する声を遮って、俺はファイルを開いた。中には当然、横書きの英語で書かれた書類が束になっている。それら一枚一枚の内容におおよその見当をつけながら、ざっと読み飛ばしていく。そして、それはファイルの中腹あたりに差し掛かったところで、ようやく見つけることができた。
 そこには、今しがたブランドンが話したメールの内容が研究者らしく、この男なりに説明されてあったのだ。内容を読み取ると、どうやらブランドンはなぜ突然こんなことになったのか、それを独自に調べたようで、今回の背後事情を事細かに整理されてあった。
「なるほど、あんたも考えてみりゃぁ被害者に近い立場だ。自分なりに背後関係を調べるというのは当然だな」
 なぜこうなったのかを調べたレポートは、そこにはアメリカ政府が何かとんでもないことを企てをしている可能性を示唆した内容だった。
「さて、説明してもらおうか。あんたの研究の果てに、アメリカさんは何をやらかそうってんだ」
「そ、それは半ば推測で書かれたものだ。なんの当てにもならんよ」
「当てがあろうとなかろうと、それをレポートしてるんだろ。だったらそいつを評価する人間が必要というもんだろう、博士」
 皮肉めいていう俺に、ブランドンが顔をしかめる。研究者というのは、いくらレポートとはいえ推測で書かれたものを人に見られることを極端に嫌う傾向にある。きちんと精査されたものでなければ、そんなものはなんの当てにもならなければ、最悪、研究者としての性質を疑われかねないためだ。
 だからこそ、俺はこのメールの内容を調べたというブランドンのレポートが気になった。もちろん、加速冷却装置というものが一体どういうものなのか、今ひとつ理解できていない俺ではあるが、それが近かれ遠かれ例のタイムワープの実験を本気で行っている連中たちと似通った実験をしている人物を取り巻く状況が、何か俺にヒントをもたらしてくれるはずだという直感がある。
「……そこにあるのはあくまで私の憶測でしかないので、決して他言はしないでほしい」
 呻く、かすれた声でブランドンが小さくそういった。俺は顎をしゃくり、無視とも同意ともとれる仕草をして見せ話すよう促した。なにをいっても無駄だと諦めたのか、ブランドンはため息混じりに続ける。
「ことの発端は先ほど告げた通りだよ。どうしてそうなったのか気になった私は、軍職に就いている友人たちを訪ねてみたところ、どうも任務の性質上口にすることはできないが今軍の中で流れている、ある噂について教えてくれたんだ。
 それは、今から四ヶ月ほど前のことだ。国が、混乱し政情不安に陥っている国への経済支援を目的とした、数億ドルもの資金提供がされたという話だった。もちろん、これは私たちが支払っている税金だ。この話はそれより以前にも議会でなされていたことは知っていたので、驚くことはなかった。が、どうやら軍に所属している友人がいうには、経済支援というのはあくまで建前で、実際にはその国に不穏な動きがあるらしく、そのために兵士たちが秘密裏に兵が送り込まれたという。
 けれど作戦は失敗に終わり、今度は何十何百という兵士たちが捕虜になってしまったというのだ。このために、政府は経済支援を建前にして兵士たちの救出作戦を実行することにした、という噂だよ」
 兵士たちの救出だって? そんなのは初耳だった。俺がバドウィンから聞いたのは、その国に存在しているらしい魔女と呼ばれる人物の討伐のためだという話だったが、違うというのか。
「その噂を聞いた私は、もしかしたらと思い、それに関わったらしい人物を全員、片っ端に調べ上げた。するとどうだ、例の私を訪ねてきた男の名も浮上してきたんだ」
 つまりその男は自身の立場とコネクションを大いに使い、資金から正規軍からCIAから全てを操ったということになる。操ったというのは少々語弊があるかもしれないが、少なくともそれらを動員し能動的に動かすだけのポジションにいる人間と繋がっていることは間違いない。そして、それがまた例の魔女討伐話に繋がるとなると、やはりブランドンは俺にとって有益な情報をもたらす重要な人物になる。
 もっとも、俺の聞いた話とブランドンが聞いた話とでは少々食い違いがあるが、相手は各国と情報戦を繰り広げるCIAが絡んでいるのだ。軍内部の噂など、その事実をそれらしく歪曲させたものである可能性も十分にある。しかも、送り込んだCIAのエージェントもろとも死んで全滅となれば、連中が事実を隠すために動いたとしてもなんの不思議もない。そのために使われた何億ドルもの資金が水の泡になってしまったかもしれないのだ。
 しかし、連中のことだから、決して資金の損失隠しだけが目的ではないだろうし、そもそも資金の損失隠し程度のことが目的であるなら、わざわざCIAのエージェントが中心となって編隊される必要すらないのだ。第一、金などは市場が活発化している今現在の状況を鑑みて、失った金よりも市場から生み出される金のほうが、さらに膨大になる可能性のほうが大きいと踏んだからこその”経済支援”だったはずに違いないのだ。
「あんたの仕事場を訪れたという人物の名は」
「ガ、ガルーキンだ。アレクセイ・ガルーキンという名の男だ」
 アレクセイ・ガルーキン……名前から判断するに、ロシア系移民の出かもしれない。アメリカの国税庁でナンバー2というポストにまで立った人物だから、おそらくそう見て間違いないだろう。俺はガルーキンの名を頭に刻み込み、再び話を続けさせた。
「それでその話と、あんたの来日目的がどう繋がるんだ」
「残念ながら……これは私も詳しい背後関係を掴めなかったので、詳細はわからない。あくまで推測でしかないが……たぶん、今世界のいたる地域で起こっている紛争が絡んでいる、らしい」
 らしい、というのはまさしく言葉の通りだろう。むしろ、よくぞ一人でそこまで調べることができたものだと感心する。
「というのも、四ヶ月ほど前にあった経済支援という名目で送られたはずの資金なんだが、これがどうも本当にその国に支払われた形跡があったんだ。これは友人のいっていた噂とは食い違いがある。これは間違いなく事実だ。そこで私はなぜ事実と噂がこんなにまで食い違うのか調べてみることにした。するとどうだ。そこでは毎日のように紛争が起きていたどころか、そこにどういうわけか我がアメリカ軍の兵士も参加しているではないか。
 私は経済支援といいながら、その地域になぜ軍を送ったのか理解できなかった。おまけに政府は軍の派遣など、ただの一度たりとも発表してはいないんだ。経済支援といって確かに資金を送金しておきながら、なぜかそこで起こっている紛争にアメリカ軍が参加している……この事実に困惑したよ。
 さらに不可解なことに、そこにはアメリカ軍だけではない。フランス軍やイギリス軍の兵士の姿を見たという目撃情報もある。これはさながら国連常任理事三国同盟軍だ。もちろん、これらの国も軍を正規に動員したという発表はない。それで私はこれらの国が、今世界中で起きている紛争地域に絡んでいるのではないのかと調べてみた。すると……」
「アメリカ、フランス、イギリスは秘密裏に軍を動員していた、そういうことだな」
「あ、ああ。そうした流れを受けて、今回の旅団が結成されたことがわかった。どうやらロシア、さらには中国が、世界で起きている紛争地域に姿を見せている三国軍に対し、世界への挑発行為だと非難し始めていることが大きな要因らしい。中国はこれに刺激され、水面下で自らと強い繋がりを持ち、事実上の宗主国と属国の関係にある北朝鮮へ働きかけたという情報もあったからだ。
 しかしだ。これらが間違いない事実だとしても、そこに私が外交旅団のメンバーの一人として選出されるということについては、解けない謎だった。しかもメールにあった内容は、日本で商社を通じて例の装置の購入と、その後に指示された、ある人物と会うことだというからどうにも腑に落ちない」
「つまり、あんたはその男がなかば脅しかけるように今回の来日するよういわれた、その裏にある真実は知らないってことか」
「そうだ。さっきもいいたろう、私は何も知らないんだ。た、ただ……」
 そうブランドンが言いかけたときだった。ドアのほうでかすかな物音が響いて俺は、はっとそちらのほうへ顔を上げた。と同時に、視界に入った光景を瞬時に理解してブランドンをその場に放るようにして、ソファーの陰へと身を投げる。
 身を投げたその後方に灼熱の熱さを持った弾丸が二発三発と飛んでいき、ソファーに転がされたままのブランドンは流れ弾を受けたのか、苦痛の呻き声をあげる。
「そこまでにしてもらおうか」
 隠れたソファーの向こうから、低く野太い声が鋭く響く。
「まさか、姑息な手段で強引に入ってくるとは思わなかったよ。念のため戻ってきて正解だったな」
 声とその内容から判断するに、どうやら入り口で感電させた男とは別の男らしい。なんということだ。ブランドンに付き添っていたボディガードはてっきり一人だとばかり思っていたのに、実際にはもう一人いたというのだ。それも、所用で場を離れていたという、互いになんともいえない誤算だったというわけだ。
「さっさとそこから出てきたらどうだ。どう考えても今その場からの逃げ道はないのだ、大人しく拘束させてもらおう」
 俺は舌打ちしながらも、男に従って両手を上げながらソファーの裏からゆっくりと立ち上がった。野郎の言う通り、自分の持つ直感と瞬時に見分ける動体視力のおかげで弾を避けることはできたものの、どう考えても逃げ道はなかったのだ。逃げるにしたってソファーから離れてさらに奥の部屋に行くまで、なんの遮蔽物もない中をプロの放つ弾丸に背を向けていられるほど逃げ足に自信もない。
「大人しく出てきたな。それでいい。お前にはまだ死んでもらっては困るのでな、今は黙って拘束させてもらう」
「……」
 立ち上がった俺に銃口を少しも外さず、入り口でぶちのめした男が紅潮させた顔のまま近付いてくる。目の前の男同様にその手には銃が握られ、銃口がこちらに向けられている。俺は近付く男よりも、目の前にいて微動だにしない男のほうを注視していた。一分の隙もない男は、先ほどの男とは違い、全身から一流のプロフェッショナルの雰囲気を漂わせているのだ。
 おそらく、近付く男を再びぶちのめすことはできても、この男は簡単に出し抜くことはそうはできそうにない。きっとこの野郎ならば、俺が目の前にやってきた男を再び床に沈めその手に持つ銃を奪って銃口を向けるまでに、少なくとも三回は俺に弾丸をぶち込むくらいのことは十分に可能であるに違いない。
「このジャップ、嘗めた真似しやがって」
 近付いてきた男は耳元で暑苦しい暴言を吐きながら、俺の手を後ろ手に拘束する。しかし、そんな男のどこか隙のある言動や行動をもう一方の男と比較したとき、俺の中に一つの閃きが浮かんだ。
「そうか、お前はCIAだな。そしてこっちは軍人、そんなところか」
「ほう、やっと口を利いたかと思えば……。なぜそう思う」
「あんたの身のこなし、一分の隙の無さ。明らかにこっちとは違うからさ。それに、おたくの眼……残忍な殺し屋の眼だ」
 そうなのだ。瞬きすらほとんどしない、まるでガラス玉を思わせるような冷たい瞳は、これまで出会ってきた何人もの殺し屋のそれと同じものなのだ。喋る言葉にしたってそうだ。ほんの三年かそこらだったとはいえ、ロンドンにいた俺にしてみれば喋る英語も明らかにロンドン訛りとは違う。
 おまけにこいつの持っている銃はコルト・ガバメントだ。アメリカにおいても最もポピュラーなその拳銃を持つなんて、よほど国粋主義者と見ていい。このことから、この銃を現場に持ち込んでいるこいつが現場工作員であることは明白だ。
「お前の名前と所属は」
 男は抑揚のない淡々とした口調で、こちらの答えに応じることなく問いかける。ここは徹底した黙秘でいくしかない。俺は問いかけられても、じっと相手の眼を見つめるだけで口をつぐんだ。
 しかしまずいことになった。まさかCIAの現場工作員と出くわすなんて思わなかった。もちろん、ボディガードとして外交団の中にそうした連中が紛れ込んでいたとしてもなんら不思議はないのだが、だとしてもまさか、ブランドンのボディガードをしているなんて考えもしなかったのだ。
(だが考えようによっては……)
 もしかすると、これはとんでもなくチャンスかもしれない。CIAの現場工作員がこうして目の前にいて、その野郎が俺のにらんだブランドンをガードしているということは即ち、それだけ強力なヒントが隠されているといっても過言ではないのだ。そうでなければ、たかだか一科学者の身を守りについてくるはずがない。
「……それよりいいのか、あんたのガード対象はあんたの銃撃によって瀕死になってるぜ」
 ソファーの上では、俺を狙撃しようとして放たれた弾丸によって巻き添えを食らい、瀕死の重傷を負ったブランドンが今にも死んでしまいそうな激しく短い呼吸を繰り返している。どうやら、急所に近い場所に被弾してしまったようだった。白いシャツに赤黒い血が拡がってしまって、今なおもその拡がりは留まることはなく、床のカーペットにも幾つもの雫が垂れている。
「賊に余計なことを喋るような対象など守る価値はない。それよりも、お前の名前と所属は」
 虫の息になりつつあるブランドンに一瞬たりとも一瞥しない男は、本気でそう思っているに違いない。ガラス玉みたいな眼は一向にこちらから外されることがない。
「さっさと答えるんだ」
 俺を拘束した野郎が喚きながらソファーの背もたれに押し付ける。呻き声も漏らさず、視線もCIA野郎に向けたまま口を割らずにいる俺に、さすがの野郎も思うところがあったらしい、ゆっくりと近付くと、グリップの底を思い切り顔にぶつけてきた。
「ぐっ」
「もう一度いう。お前の名前と所属は」
「さぁ、知らないね。俺にそんなものはない――がっ」
 再び野郎はグリップの底でもって殴りつける。今ので鼻の奥にも衝撃があり、鼻血が吹き出てくる。そのため呼吸が難しくなり、つぐんでいた口を開けて呼吸を繰り返した。それを狙っていたのか、野郎は銃口を口の中に突っ込む。
「もう一度だ。名前と所属は」
 口に突っ込んだ状態で野郎は撃鉄を引き、いつでも引き金を引けるようにする。それが感触が口の中から伝わり、さすがの俺でも恐怖を感じて、背筋を嫌なものが突き抜けていく。
「名前と所属を言え。これが最後だ」
 口に銃口を突っ込ませたまま静かに引き金に指をやる仕草からは、もはや本当に問いに答えさせようとしているのかすらわからない。舌が銃口を舐め、突っ込まれた口からは唾液が流れてソファーの上に悶えているブランドンに垂れていく。
「はっ、はっ、はっ」
 こうしている間にも、息絶え絶えのブランドンの顔色はだんだんと土気色になってきており、額や頬、鼻や口元といわず、おそらく全身から大量の汗を流している。その表情からはあ、明らかに生気というのが失われつつある。今まで何度も見てきているその表情。もうブランドンには助かる道はない。だからこそどうしても聞いておきたいことがあった俺は、口に突っ込まれた銃に口内が傷つくのも構わずに強引に抜き、唾液を飛び散らせながら叫んだ。
「ブランドン、お前が会おうとした人物の名前をいうんだっ」
「はっ、はっ……」
 俺のまさかの行動にCIA野郎も、驚きの表情を見せつつブランドンの言葉を待つように様子を見守る。ぶるぶると唇を震わせながら、ブランドンは必死に何かを呟こうとしている。俺はそれを聞き逃しまいと耳を少しでもブランドンに近づけるが、それはもう一人の野郎に止められた。
「はっ、はっ、はっ……く、く……き……」
「……くき?」
 まだ最後に何かを告げようとしたブランドンの額に、野郎は容赦なく弾丸をぶち込み、血飛沫が飛んで顔にかかった。ブランドンは脳みそに弾丸をぶち込まれ、あっけなく絶命した。
「余計なことを喋る人間に用はない」
「貴様」
 もう絶命するのは誰の目にも明らかだったというのに、遺言すら告げさせない徹底ぶりだ。俺は眉をひそめて野郎のほうを見上げ睨む。
「守秘義務を貫き通せない人間に、なんの価値があるというのだ。お前が何者かは知らんが、私がCIAだとわかるのならば、これも必然だとわかるだろう?」
 そうとまでいわれれば返す言葉もない。俺が仮にこいつらの立場だとして、こういう選択肢がないとはいえないのだ。しかし最期にブランドンが口にした『くき』というのは一体……。まさか、九鬼とでもいうのか。いや、人間の名を聞いてわざわざ人間以外の名を口にすることなどあるだろうか。となれば口にした『くき』というのが九鬼となるのは必然的だ。
 こうなってくると、ますます連中に俺の名を告げるわけにはいかなくなる。『くき』が誰を指しているのかは不明だが、無用心にその名を口にして、余分な誤解を招きたくない。俺が『くき』だと知れば、今ブランドンが口にした人物との関係性を調べるために尋問をかけてくるに違いないのだ。なにより、俺自身がその『くき』というのが誰のことなのか一番気がかりなのだ。
 CIAの現場工作員ともなれば『くき』が誰かといわれて、それがわからないほど馬鹿ではない。今現在、世界の混乱の渦中に突如として投げかけられら『九鬼』という人物の名を知らないはずがなく、ブランドンのいった『くき』と俺が同一人物である可能性を疑うかもしれない。そうすれば、折角バドウィンたちが危険を承知の上でシンガポールから脱出させて日本にまで送り届けた意味がなくなってしまう。こんなところでむざむざCIAに捕えられるわけにはいかないのだ。
 とはいえ、今現状を打破できるほどの策があるわけでも、思いつくわけでもないのも事実だ。それでも例えそうであろうと、こんな下っ端野郎に殺されるのもごめんだった。
 どうすれば……一体どうすればいい。完全に事切れたブランドンを見つめていた野郎は、再びこちらに視線を戻して銃を突きつけようとする。大してない頭を必死にフル回転させ、少しでも長引かせることを考える。
「待つんだ。疑問があるぜ。余計なことを喋るなら始末するって理論はわからなくもないが、つまりそいつは、あんたは始めからブランドンを片付けるために同行していたってことだろう。あるいは、そうなることも想定して、監視していたのか」
「……だとすればどうだというのかな」
「簡単な話さ。俺がブランドンに会う人物だったからかもしれないとしたら、あんたはどうする」
「そんな嘘は通用しない」
「嘘じゃない。知りたがっていたから教えてやろう。俺の名は九鬼さ」
 この状況でこいつがどこまで通用するかはわからない。しかし、もうこれしか思い浮かばなかった。野郎が俺の名を聞いて、ここまで一度たりとも動かすことのなかった眉とまぶたをピクリと上下させたのを見逃さない。きっと野郎の中では、俺のいったのが十中八九は嘘なのだろうが、もしかしたらと考えているのだろう。
「おい、こいつがいってるのは嘘に決まってる。さっさと片付けよう」
 俺を押さえつける片割れが唾を飛ばしてわめく。が、さすがにCIAというところか、野郎は冷静で慎重だった。CIAの情報力だから、俺の素性を調べることなど容易いだろう。その上で、野郎は静かに向けていた銃口をさげた。
「おいっ! こいつはただ助かりたい一心で嘘を並べたに決まってるぜ」
「うるさいぞ。こいつはこのまま連れていく」
「本気でいってるのか」
「もちろんだとも。大使館に戻れば、自白剤など一式揃っているし、どの道素性を調べる必要はある」
 それを聞いて、思わず安堵した。さすがにプロというもので、無駄な殺生は控えるという分別はつけているようだ。もっとも、あくまで先延ばしにすぎないので、大使館に着くまでの話ではあるが。それでもここは一安心というところだろう。今すぐ殺されないだけマシなのだ。逃げるチャンスはきっとあるはずだ。
「ちっ……それより、こっちはどうするんだ」
「チームを呼び寄せてなんとかさせよう。外部には圧力をかける」
 簡潔にやり取りをすませると、連中は俺を引き立てて部屋を出るべくドアのところまでやってくる。CIA野郎はその間に、携帯を手にチームの仲間に短く状況を説明してすぐに通話を終えた。
「おら、出るんだ」
 ドアを開ける直前に背中を突き押され、よろめいたところCIAがドアを開け俺を先行させようとする。しかし、その次の瞬間だった。開けられたドアの脇から、俺の横を一筋の黒いものが通り抜けると同時に、耳元の裏でバシュッと銃声が響く。
「っ!?」
 耳元でした銃声に、俺の鼓膜は耳鳴りが起こり思わず顔をしかめて、その場に蹲りそうになる。突然のことに背後にいるCIA野郎が一旦はしまった銃を取り出そうとしているのが視界に映る。が、それも虚しく野郎の額にぽっこりと小さな穴が開き、そのまま力なく倒れこんだ。
 あまりのことに呻き声一つあげずにいた俺を、誰かが支えた。
「大丈夫」
「お、お前は」
「行動しようっていうときにホテルにいないから捜したわ」
 後ろ手に拘束された腕のロープを切りながら、目の前に現れた女が無表情のままにそういった。表情から察するに、その言葉もなんの感情を持っていないようにも思われたが、どことなく責めるような呆れるような、そんな印象も感じられる。
「早く。もういくわ」
「あ、ああ」
 俺は情けなくもそう頷くだけで、すぐに背を向けて足早に移動し始めた女の後をすぐに追い始める。長い黒髪をポニーテルにし靡かせるその女は、意外なことに妹である沙弥佳であった。



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