いつか見た夢

B&B

第106章


 これから起こるであろうことに、自然と呼吸が鎮まっていきつつあったところを乗っているバンが停止した。バンの中には今回の作戦のために俺とバドウィン、それに先ほどもバンを運転していた運転手兼ナビゲーターの男に、沙弥佳という編成でアジトから車で一〇分足らずという、摩天楼の連なりにほど近い一角にまでやってきていた。
「さあ、着いたぜ。こいつをつけてくれ」
 運転手兼ナビゲーターの男――アレン・チャンがそういって渡してきたのは、お馴染みのイヤーモニターだ。父親が中国人で母親がフランス人というハーフで、やはりモンゴロイドとのハーフということもあり、どこか不思議な顔立ちをしている。スラリとした体躯のアレンは、境遇こそあれだが、それこそどこかのタレント事務所やなんかに所属していれば、モデルなんぞをやっていてもおかしくはない容姿だ。
「シンガポール軍が開発した特別製だ。こいつがあれば、例え何キロ先に離れていようとも全くノイズなく通信できるぜ。こいつは音声で、こっちとあんたとの通信のオン、オフができる。しかも言葉の途中で間違って通信が遮断されないよう、単語だけで可能だ。それだけじゃない。こいつには所謂、無線ランを通しての通信が可能だ。つまり、オンラインになっていれば装着者の位置情報やなんかすぐなんだ」
「こんなに小さいのに大したもんだ。これなら日本の技術にも負けてないんじゃないか」
 俺は感心しながら手渡されたイヤーモニターを耳につけ、予め用意しておいた武器を確認するとすかさずバンを降りて、件の建物へと足を向けた。足早に歩き出したところで、アレンが自慢げに語っていた機能を早速試してみることにする。一瞬、なんといえば迷ったが、アレンの説明ならば要するにオンラインにするか、それだけなのだから別になんでもいいだろう。
音声接続サウンドコネクト
 すると、すぐに取り付けた左耳からクリアなアレンの音声が聞こえてくる。
「早速起動させたな。あんたがそいつをオンラインにすれば、こっちのパソコンで位置情報と発信先が表示されるようになる」
音声遮断サウンドキャンセル
 アレンの言葉を遮るように、ネットワークの接続をオフにする言葉を口にすると、途端にアレンの言葉が一切聞こえなくなり、小さく頷いた。
接続コネクト
 今度はより短く言葉を口にしただけだったが、装置は先ほどと全く同じように起動してアレンとの会話を可能にする。
『おいおい、人が話してる途中に切らないでくれよ』
「気にするな、簡単なテストだろう。だが、これなら確かに使い勝手は良さそうだ。わざわざ手を使わないと通信できない従来のものだと、緊急時に困ったことにもなるからな」
『そうだろう。おまけにこいつは特殊なサーバーを使ったネットワークを介してるから、そうそう解析される心配もない。難点は、これを理解できる奴がほとんどいないということくらいだ』
 こんなやり取りをしているうちに、目的のビルのすぐ横にまでやってきていた。
「着いたぜ」
『ああ、確認してる。すぐに警備員が出てくるかもしれないが、今見える東通用口が手薄だ。カード式のセキュリティロックがかかってるが、中からは簡単に開くことができる仕組みで、外に向かってドアが開く仕様らしいからさらに有利だ』
 ビルまで壁沿いに二度、道を曲がってきたのでバンは当然見えない。つまり、バンからもこちらの周囲の状況は見渡せるはずがないのに、アレンは的確にビルの構造を言い当てた。向こうがどのようにこっちの状況を見ているのか知る由もないが、周辺の詳しい状況を確認できているということだけはよく判った。バンで到着したポイントまでだって、ビルの正面はもちろん、同じブロックに面した道は全くといっていいほど走ってきたわけではないのだ。
 ともかく、アレンの指示に従ってビルの敷地に入ると通用口へ向かい、扉を二度三度、強く叩く。本当に中から警備員が出てくるのか少しばかしの疑問があったがそれはすぐに杞憂となった。がちゃりとドアノブが回って、中より警備員の男が顔を覗かせたのだ。
 開かれたドアの隙間から素早く腕を差し入れて、ドアを思い切り開く。これに伴い、警備員の男は掴んだままのドアノブに引っ張られ、前のめりになって倒れて受身を取ることもなくどんもり打った。
 俺は呻く男を中へと引きずり入れ持ってきたロープでもって両手足を縛り付けると、布で猿轡を噛ませる。警備員の男は、もう定年退職していてもおかしくないほどの年齢の男で、保険の完全支給のために復職し、こうして警備の仕事に就いたのかもしれない。民間人を巻き込むのは少々心苦しい部分もあるが、別に殺すわけでもないので少しだけ我慢していてもらおう。どの道、数時間後には解放してもらえるに違いないのだ。
 通用口の前で手足を縛った警備員の男から、携帯している鍵束を掴んで外すと、それをポケットに突っ込んだ。
『今いる通路を真っ直ぐいって、二番目の曲がり角だ。その先にエントランス、そしてエントランス中央の端にエレベーターがある』
 さすがに深夜のビルとあって人気は全くといってなく、踏みしめる足音がやたらと周囲に響く感じがした。もちろん足音はなるべく消して歩いてはいるものの、どうしてもそう感じてしまう。
 指示通り先を進むと、あっという間にエントランスへと出ることができた。エントランスはビルのオーナーの趣味なのか、えらくモダンな装飾品やアート作品がいくつも飾られてあり、そこはまるでちょっとした美術館のような趣きがあった。もっとも、それらの作品もこんな深夜においては、どこか不気味なものにも見えてしまうのが不思議なものだ。
「ところで今さらといえば今さらなんだが、こんなに簡単に侵入できて大丈夫なのか」
『本当に今さらだな。全く問題ないぜ。いったろ、特殊なネットワークを使ってるって。これは他のネットワークに侵入することは可能なんだ。ネットワークを経由することで、こちらからのデータを簡単に送信先のサーバーにデータを送れるわけさ。簡単にいえば、こちらが送ったデータがそのまま送った先のサーバーに転送される……』
「つまるところ、データの上書きが可能ってわけだな。全く違うデータを向こうに見せ続けることができるんだろう」
『そういうこと。もちろん、こうした技術は他の機関も持っているが、違いはこっちが転送し続けている間、もしくは転送した間のデータは向こうには記録されないってこと。あってもせいぜい、ちょっとしたバグや画像の乱れ程度しかないから、過去のデータを再生したところでもなんら”不自然な”記録を見つけることができないってことだ』
 エレベーターに乗り込みながら自慢げに話すアレンの言葉に、一体どこのどいつがそんな便利で恐ろしいシステムを作ったのか、半ば呆れるように小さくため息をもらした。こいつを有効利用できているあいだはかもわないけども、もし民間レベルで悪用されようものなら、犯罪や冤罪がいくらも起きようというものだ。……もっとも、このビルの職員たちにとっては正に俺が悪用している側なのではあるが。
 まぁいい。ごもっともらしくいえば今は人命がかかっているので、そこら辺は瑣末な問題でしかない。
『しかし、奇しくも俺たちの追ってる奴とあんたの目をつけた奴がこうも一致するとはね』
「どういうわけか、何か大きなものが関わってるときってのは、一度に多くのことが絡み合ってるもんさ。ましてや世界規模で不穏な動きがある今、経済大国の日本でそうした事情にほんの少しも関わりがないなんて、逆におかしいことだしな」
 全くだと同意するアレンの言葉を聞き流しながら、俺は自分の言葉に頷いた。日本が戦後、経済大国にのし上がったことに、ただ自分たちの持つ技術力や生産力だけがモノをいわせただけでそれを成し得たわけではないのだ。二一世紀を経済不況の中で迎えた日本にとっては、前世紀の右肩上がりの成長を一つの黄金時代と哀愁を抱くその一方で、バブルに沸いた当時の日本もまた今の中国やブラジルの世界展開と同様に、資本の成長という名の下に多くの弱き犠牲者を生み出してきたのもまた事実だ。
 資本主義や民主主義などというが、結局は金、利権にモノをいわせた暴力と、数の上での暴力にすぎないのだ。その土地々々にある人々の想いなど、たった一枚の紙切れによって全てが貪り尽くされてしまう。そんなことなど露も知らずに育った世代の俺だけども、結果、苦境に喘ぐ自国の状況を見て、自業自得だと思えるのはおかしいだろうか。
 民主主義という思想が持つ理想というものが民の幸福と平等権だというのなら、こうなったのもまた皆平等に苦境を享受するのが始末のつけ方というものだろう。金や権力を持つ一部の人間のみが安定した幸福を享受できるというなど、それこそ民主主義でもなんでもないではないか。
 つまるところ、民主主義の理想も結局のところは社会主義の理想へと帰結する。これは民主主義も社会主義も考え方が違うだけで同じであり、どんな理想や思想であれ、不平等はどこかで必ず起きるということでもあるのだ。そうでなければ民主主義や社会主義などと謳っておきながら、国家のトップや象徴、あるいは王侯貴族なんていう肩書きの持った連中が存在する理由の裏づけにはならない。
 民主主義とは、それに属する構成員全てに権利があり、全員がまた個人的な主張だってすることのできる社会だ。社会主義とは、それに属する構成員全てに権利がなくてはならず、全員が一つの流れに沿って平等に生きることが至上とする社会だ。
 思想というのはどんなものであれ、それが人間の幸福へ行き着くためのものだ。だというのに、なぜそれぞれに象徴だとか呼ばれるような、国家のトップや王侯貴族なんて連中が存在しているのだ。
 民主主義の人間は社会主義の平等とは、平等の名の下に個人の思想や理想が損なわれ、それは洗脳だという。反対に社会主義の人間は、民主主義の平等は個々人が好き勝手にでき、モラルを低下させるだけの悪魔の思想だという。
 こう主張するどちらの言い分も間違いことだとは思えない。社会主義の言い分は、今の日本やアメリカを見れば一目瞭然で、人の数だけある無数の考え方が個人主義を生み出した結果、著しくモラルの低下を招き、その反動でモラルのない人間との二極化が進んでいる一方、民主主義の言い分は、権利の平等を語っているのに全くそれが実現できず、むしろ貧富の差を生んだという。
 だが俺は考える。そういった事態はこれらの思想の行き着く先でしかなく、元より実現不可能な不完全な思想ということなのだ。少なくとも、今世界が自身の利権という名の権利のもと言い争いや諍い、あるいは宗教を利用した戦争をしている限りは永遠にだ。
 民主主義では自由に哲学ができる分、様々な思想を生み出すことができるがこれが極端すぎると、ある部分で取捨選択を間違え、破滅へと向かいだす。この結果、自身のことにしか目がいかなくなり、自身のことだけを考えようと集団として行動するようになる。これはつまり右傾化していくということだ。
 右傾化するということは即ち、それが例え善くない所業だとしても大義名分に選択肢が極端に無くなっていくことでもあり、右翼化していくということでもある。右翼化すれば周りのことには目がいかなくなって、否定する意思を鈍らせていく。つまり、洗脳だ。
 社会主義は集団、国家単位で一つの理想のもと突き進むため、元より右傾化しているが、一つの考え方しか知らない人間が別の思想に出会ったとき、自身の中にある別の思想、自我ともいうべきものが目覚めだす。自身で全てを考え、行動するということのできる思想に出会ったとき、初めて様々な考え方を吸収しはじめる。
 これは即ち、民主主義思想への目覚めであり、そこからいかに現在の自分が一つの考え方にだけ囚われているかを知ることになるだろう。それは様々に哲学できる環境を生み拡大していけば、結果、内々で様々な意見や思想とぶつかる内ゲバ、つまり左翼化である。
 対極にあるだけで、これら二つの思想は全く同じなのだ。進むべき方向が互いに反対から反対へ進むだけで、同じなのだ。民主主義のいきつく先は個人主義の極まりとそれによる崩壊、結果残り得た一つへの収束にすぎず、社会主義のいきつく先は個人主義への目覚めであり、一つのものしかなかったものからの拡散である。それらが繰り返すことで歴史は成り立ってきた。
 しかし、これらの思想が果たして人類に平和と幸福をもたらしたのかといえば、その答えは誰もが判りきっていることだろう。つまるところ、人の幸福というものは民主主義、社会主義などの思想に囚われることのない、もっと根源的な部分にこそ本質があるということなのだ。
 人間一人ひとりが、それら理屈を超越した部分で理解できない以上、この兄弟が交わることはない。
 俺は、自分がそんな世界で生きていることを辟易しながらも、今は目の前に集中するべく頭を切り替える。
「それで、あんた自慢のマシンで遠藤がどこにいるのか判るかな」
『もちろんさ。彼女は今、ビルの二一階に囚われてる。気をつけろ、馬場は始めから彼女を捕らえるための工作をしていたはずだから、その筋の人間が二人か三人いてもおかしくないはずだ』
 アレンにいわれるまでもなく、俺とてそう考えていた。馬場隆弘の奴が如何わしい人物だと知った瞬間から、最悪の状況を想定すればこうした事情が起こりうることくらいは簡単に思いつく。こうした予想が外れてくれるに越したことはないのだが、どういうわけか大抵の場合、それが当たってしまうのだ。遠藤にしても、まさか自分がこんなことになってしまうなんて思いもしなかったろう。
 俺たちがこうした遠藤の救出に至ったのは、アジトでジョージとバドウィンの二人が怪しいと話した馬場隆弘という名の商社マンについて、アレンの操るマシンを使って様々な回線をハッキングし、その出自とデータを探った。すると馬場隆弘は、仕事終わりにある場所へ頻繁に出入りしていたことが判明したのだ。それが奴のオフィスとは全く無関係であるはずの、このビルであったわけである。
 当然ながら、このビルの所在地や所有者はもちろんのこと、接続されるネットワークをハッキングしビルはこちらの支配下に置かれている。だとしても、中にはまだ人もいるので先ほどの警備員のように、こちらが最低限動かなくてはどうにもならないこともあるのは確かだが。そして遠藤の救出についてもだ。
『それにしても、いっぱしの商社マンが裏家業に手を染めているとはね』
「今の世の中じゃぁ、そう珍しいことじゃないと思うぜ。表立って……というのもおかしなもんだが、とにかくマフィアでもなく裏家業に手を染めているような奴は日本にだっているさ。それこそ、イギリスのフーリガンやなんかもそうだ。経済マフィア……最近は半グレなんて呼ばれる連中だっているそうだしな」
 そう、今時表社会で立派な肩書きを持った連中が裏家業に手を染めていることなど、決して珍しいことではない。裏世界の住人とて過去はある。中にはそうした繋がりで、繋がりたくなくともそうなったケースだってあるだろうが、自身の出世なんぞのために裏家業に手を染める奴だっているものだ。かの有名なイタリアン・マフィアなんかは、その典型だ。
 日本の半グレなんてのはチンピラだけでなく、高等教育を受けておきながら自身の地位や名誉のために裏世界の機能を使うことで、そうなっていったケースも多々あることだろう。こいつらは基本的に一人、ないしは数人のチームで行動するので、実態を掴めないというのが現実だが、この先、こいつらによる犯罪が増えていけば法令が強化されるだろうし、結果、経済が落ち込んでいる現在の日本では低所得者がそうした犯罪に手を染めていく可能性は十二分に考えられる。
 そうすると、こうした連中の数は増えていき、規制の強化による反動で身を守るため、最終的にはコミューンを形成する可能性だってある。つまり、新しい時代のマフィアが生まれるわけだ。中には専門職の人間だっているだろうから、そこから人的ネットワークやコネクションの形成と技術力による、強力な組織が出来上がるに違いない。
 そして今回の馬場隆弘という人物もまた、こうした半グレと呼ばれる人種の一人だ。T大卒という立派な学歴と、商社マンとして数々の業績を上げてきた人物ではあるが、まだ三二歳になったばかりの馬場は強い野心を持ち、若くしながら仕事のできる人物であることから上からのプレッシャーも強いらしく、こうした事情から日本のヤクザの手を借りた奴だった。
 ヤクザとどう接点を持ったのか、その詳細はこの際置いておくとして、ともかくこいつは自分の身の安全と野心のために自らもまた、半グレと呼ばれる人種になったということだろう。もっとも、その方がこいつにとっては何かと好都合だろうから、むしろ自ら喜んでそういった世界に踏み入った可能性はあるが。
 そんな馬場の素性をまともに調べもせずに、遠藤を尾行につけたのは明らかに俺の落ち度だった。こいつがどれほど裏世界と繋がり、熟知しているのか不明なのだから、最悪を想定したら遠藤が逆尾行、ないしは罠にかかったとしてもなんの不思議はない。
 それに、これは単に遠藤が心配というだけの話ではない。CIAやSVR、さらにはMI6といった諜報部から狙われる立場の俺がこうして数週間とはいえ静かに過ごすことができているということは、おそらくはまだ連中も正確に俺の所在を掴めていないということだ。もっとも、この日本においても公安という悩みの種があるが、まだ目立った動きがないことを察するに同様の状態とみていいだろう。つまり、今ここで連中に嗅ぎつけられるような真似だけはしてはならないということなのだ。
 遠藤が馬場に捕まり、そこからなんらかの方法で口を割ることは容易に想像がつく。もちろん、すでにこちらの動きを把握して水面下で動きがないとはいえなくはない。だとしても、この状況下でさらなる敵を作ることは得策ではないので、不本意ながら遠藤の救出、あるいは保護する必要がでてきたというわけであり、これは決して慈善事業ではない。
(待てよ、もしかしたら……)
 俺は行き着いた考えの先に、一つの仮説を思いついた。ミスター・ベーアという人物の正体についてだ。もしかすると、このミスター・ベーアという人間は、まさかそうした新しい時代のマフィアとも呼べる先駆けになっているのではないのか、と。ミスター・ベーアは丸きり謎に包まれた存在で、一度出会ったことがあるとはいっても正直なところ、あの人物が本当にミスター・ベーアそのものなのかという保証もない。
 しかし、あの男が屋敷で見せたあの映像などは、とても強力なコネクションを持っている証でもある。認知度の低い国家とはいえ、一国の極秘資料であろう映像を、そう簡単に手に入れられるはずもないので、それは明らかだ。ただ、あの映像からどうしたいのか、その思考はまるで見えてこないが。
 二一階に着いたエレベーターから降り廊下へ歩み出ると、右手の先にある部屋から蛍光灯の明かりが漏れているのが確認できる。アレンはこの階にある防犯カメラからの映像をハッキングし、エレベーターが数時間前に稼動して以降、この階にのみ停まっていないことを告げる。どうやら、あの明かりの漏れた部屋がそうらしい。
 息を潜めつつ、気配と足音を消して素早い足取りで廊下を進んでいくと、囁くような人の声が聞こえ始める。それは徐々にこちらにもはっきりとわかるほどのボリュームとなり、複数の人間が話し合う声であることがわかった。それも全て男のもので、声の感じからまだ年若そうな声に、若いがどこかひねくれた感のする声とドスの利いたしゃがれ声の人物三人がいることも間違いなかった。
 明かりの漏れる部屋の手前で壁を背に、そっと中を覗き込む。
「おい、姉ちゃん。いい加減、おれらを尾けてた理由を教えてくんねえかな。おれとしちゃ、あまり女に手を上げたくねえんだ」
 中には思った通り、三人の男と両手を後ろ手に縛られた女が一人、椅子に座らされていた。こちらからは後ろ姿で顔は見えないがすかしたスーツを着た黒髪の男と、どこか背丈恰好に合ってない服を着たチンピラ風の男、それにドスの利かせていたのは一人だけ年齢のいき、剃り込みの入った額とサングラスをかけた中年男。その三人に囲まれている女はやはり、尾行させて罠にかかった遠藤佳美だ。
「脅しのつもり? 言っとくけど、私はそれくらいじゃいわないわよ」
「やれやれ……本当に困った人だ。それでは一度、痛い目を見てもらおうかな」
 相変わらず強気の態度を見せる遠藤に、すかしたスーツを着込んだ後ろ姿の男はそういって手を上げたかと思うと、その手を女の頬めがけて振り下ろした。瞬間、乾いた小気味いい音がこちらに漏れる。
「った……」
「あなたのせいだよ。私も彼と同じで、こんなことはしたくないんだが」
「……女性に手を上げるなんて、見かけによらず最低な男」
「なんとでも。こちらとしては、あなた一人くらいどうとでもすることができますし。ねぇ?」
 スーツの男が中年男に振る。
「残念ながら簡単にはいかんが、確かにできなくはねえぜ。だがこの姉ちゃん、別に警察の人間というわけでもなさそうだし、かといって記者ってわけでもなさそうだ。もしかしてとは思うが、まさか探偵か何かか」
「ぜってえサツの回し者ですぜ、このアマ。そうでなきゃぁ、わざわざ兄貴を尾けるはずがねえ」
「違うっていってるでしょ! 私は単に酔っ払ってここにきただけだって」
「んな嘘が信じられるわきゃねえだろおが」
 頬を張られてもなお、あの気丈ぶりを見ると遠藤が俺について口を割った様子がないのは明らかだった。もし不利になるようなことを口にしていたとしたら、最悪の場合、遠藤を”切る”つもりでいたがその必要はなさそうだ。しかし、かといってまだ安心はできない。このまま男たちの暴力がエスカレートしていけば、やはり最悪のケースに陥る可能性は高い。
 また、今回はあまり事を大きくしたくないという、理由から携帯している武器も殺傷力の高い実弾の銃ではなく威嚇と防衛、捕獲用の電撃銃を選んである。アレンによれば、テイザー社の電撃銃をより殺傷性と非殺傷性、双方のバランスを高めたもので、ワイヤレスなのはもちろん、そこらのハンドガン並の射程を持っている。しかも、ワイヤレスの電撃銃といえば一回使えば、そのたびに装填しなければならないところ、こいつは一度の装填で六発まで撃ち出すことができる優れものだ。
 弾の一発一発に電気が溜め込まれているらしく、電圧は市販のものとさほど差はない数十万ボルト程度だが、数ミリアンペアしかない電流は何倍もあげられてあり、着弾により相手に与える電気量は格段に上がっている。よほどの重装備や厚着をしていない限り、こいつを食らえば例え超ヘビー級のプロレスラーだろうと、例外なく痺れてその場に倒れこむだろう。アレンの話を信じるならば、肉食獣だって一発だというからスタンガンとはいえとんでもない代物だ。
 それにしても、弾の一発一発に電気をこめているだなんて、とんでもない代物ではないか。蓄電の技術はできはしないというわけではないものの、意外と難しい技術であるらしく、これを行うためには大掛かりな装置が必要になると聞いたことがある。
 だというのに、こいつには弾の一発一発に殺傷能力が低いとはいえ電気がこめられているというから驚きだ。いや、もしかしたら殺傷力の低い程度の電気しかこめられないというのが本当のところなのかもしれない。
「アレン、聞いてたな」
『もちろんだ。今からその階の電力供給を止める。女への暴力ってのは許せない性質なんだ』
 やるべきことは決まっているが、アレンと俺の理由の温度差に思わず苦笑に表情が歪んだ。まぁいい。ともかく遠藤を助けることができるのであれば、理由など然したる問題ではない。
「早くしてくれ、こっちはいつでもいい」
『待ってくれよ……よし、供給を切る』
 直後、ついていた蛍光灯の明かりが全て消え、一瞬にして辺りは暗闇に包まれる。
「な、なんだ」
「おい、どういうことだ」
 突然の暗転にさすがに目がついていかない部分があったものの、夜目の訓練を受けた俺にはこれでも十分な光量だ。連中の誰もが驚きと困惑の声をあげている隙に、すかさず部屋の中へ身を滑り込ませ手にした電撃銃を連中めがけて撃ち込む。
「ぎゃっ」
「きゃあっ」
 暗闇の中で男が一人、短い悲鳴をあげて倒れこむ。一方の甲高い声は遠藤だろう。
「おい、今の声はなんだ、どうなってんだ」
「お、俺にもわからない。と、とにかく電気を……」
 どうやら最初の獲物は若いチンピラのほうだったらしい。つい今しがたドスを利かせた男のしゃがれ声がする辺りでうろたえる影に、再び引き金を引いて沈黙させる。つい今の今までそばで騒いでいた男が不意に声を発さなくなったことに、最後の一人が不安げな声をあげた。
「な、なんなんだよ、こいつは。おい、誰かいるのか、そうなんだろう」
 中々に勘が鋭い野郎だ。こうした状況に陥り動揺しているにも関わらず、ほんの数秒だって経っていない時間の中で、そこまで状況分析できるとは侮りがたい。だが……。
「悪いがあんたには眠っていてもらうぜ」
「な、なに」
 まだ何か言おうと叫ぼうとする男よりも早く、俺は引き金を引いて男を黙らせた。そして前二人の男同様に、その場に倒れこむ。
「終わったぜ」
『了解。今電気をつける』
 状況を察したアレンがすぐにリモートコントロールしているパソコンから電力の供給を開始させ、部屋に電気が戻って急に白い明かりの景色に視界が放り出される。
「あ、あなた」
「よう、助けにきたぜ」
 再び明るくなった室内に、なかったはずである俺の姿を見て、遠藤は驚きに目を見開いていた。



 夜明けに空が白ずんできた早朝、アジトに戻った俺たちは電撃銃で気絶させておいた馬場を椅子にくくりつけ、尋問の準備に取り掛かっていた。準備とはいうが、実際には脅し用の小道具を一点用意しただけに過ぎないが。馬場がどれほど肝が据わった奴なのかは知らないが、以前、田神のやった尋問術にならって、俺もこの野郎には少しばかりお灸を添えてやるつもりだった。半グレだかなんだか知らないが、この世界に踏み入るということは即ち、自分もそうした側になる可能性と覚悟を持っていると判断してもいいわけだから、心置きなく行える。
 遠藤については疲れからだろう、アジトにつくなり、こっくりこっくりと睡魔に首をもたげだしたので必要最低限のことだけを聞き出した後、空き部屋に置かれてある簡易用寝具に寝かせておいた。この女に関しては、これ以上の行動をさせては危険だと判断し、やることがすんだ後は速やかに自宅へと戻してやることにする。こちらも行動を開始したからには、これ以上は巻き込むことになる。元はといえば、遠藤は全くの無関係の人間なのだ。
「さて、準備は整ったところで、こいつを叩き起こすとしよう」
 俺は椅子に括りつけられ頭の垂れた馬場の頭を起こし、間抜け面を晒しているその頬へ強めに張り手を食らわした。
「う……」
「おい、起きるんだ」
 さらに三度四度と強く頬を張ると、痛みに驚いたのか馬場は意識を覚醒させた。その様子は俺自身も過去に数度受けたことのある仕打ちだが、こうして見るとこれがなかなかに屈辱的な姿に思えるのは不思議だ。
「う……こ、ここは」
「お目覚めか。だが寝ぼけている暇はないぜ。お前さんには喋ってもらわないといけないことがいくらもあるんだ。いいな?
 こっちの質問に答えない、もしくは求める答えを喋らなかった際には、お前は罰を受けねばならない。これは決定事項だ。当然、拒否権なんてものは存在しない。もし答えなかった場合は、こんな罰を受けることになる」
 俺は手にしたナイフで馬場の気取ったスーツのフロントに軽く引っ掛け、真下へと一気に引いた。シャツは簡単に裂けていき、男の胸板と腹部がはだける。ただの気取った野郎だとばかり思っていたが割合引き締まった体だ。
 周囲には該当が一つ二つある程度の、薄暗い場所にあるアジトで薄暗闇の中で目覚めた馬場にとって、逆光になった俺と隣のバドウィンの顔など、窓から漏れる街灯にうっすらと浮かぶ影程度にしか見えないだろう。見えたとしても、こちらの顔をはっきりと判別できるほど、はっきりとは見えないに違いない。もっとも、こちらからは、はっきりと男の表情を見て取れる。
「お、おい、待ってくれ、これはどういうことなんだ。それよりあんたは一体誰なんだ」
「俺が誰かなんてことは関係ないし、お前が知る必要もないことだ。いったはずだ。こっちが求める答えだけを喋りさえすればいい」
 興味なさげに冷たく言い放つと馬場は目を見開いて暴れ始め、くくりつけている椅子もろともがたがたと揺らし抵抗しようとする。
 俺は暴れる馬場の胸にナイフの切先を軽く押し当てると喉のほうへと引き上げていき、その肌を切りつけた。思いの外ナイフの切れ味は良いらしく、わずかに間をおいて一筋の赤が流れていく。馬場はナイフによる鋭い痛みに、悲鳴をこもらせる。そのまま悲鳴をこもらせる口元と頬にすぐにでも刃筋を引けるよう、ナイフを添い置く。
「さて、お前がブランドンというアメリカ人と取引契約をしたことは知ってる。問題は、なぜ契約したのにヤクザなんざと一緒にいた。まさかこの期に及んで、今回とは別件ですなんてのは俺の知りたい答えじゃないということを最初にいっておく」
 俺の言葉に先手を打たれた馬場は、観念したように喋りだした。単に頬に突きつけられたナイフへの恐怖がそうさせただけかもしれないが。
「れ、連絡は向こうからだった。それも会社の電話へではなく……個人の秘密回線から」
 とつとつと喋りだした馬場は、痛みと緊張からかぶるぶると震えて滑稽なほどぎこちない。しかし個人回線だなんて、これはまた妙な話だ。ブライアンの話したことが本当だとしても、なんで会社ではなく個人回線を使って連絡をとったのか。これはますますこの野郎を追究しなくては、どうにも収まりがききそうにない。
「な、内容は……あんたの知っている通りだよ。始めは、気取った感じの話し方だったから少しだけ、ぼってやろうとしたんだ。妙だと思ったのは、向こうが金に糸目はつけないと言いだしてきたことだった。理由までは詳しくは教えてもらえなかったからわからないが、とにかくすぐにでも欲しいとのことだった……」
 ブランドンがなぜそうしなくてはならなかったのか俺は知っているが、こいつにそれを教える必要もない。馬場にはなぜ自分がこんな目に遭わなくてはならないのか、その意味を考えさせることすら必要はない。ただ尋問に怯えて必要なことだけを喋るだけでいいのだ。
「個人回線にかけてきたといったな。どうしてブランドンはお前の番号を知っていたんだ」
「か、彼の話によれば、知人が教えてくれたという……おれもそれ以上は詳しく聞いてない。その回線番号を知っているのはほとんど限られていたから……。も、問題は、おれが使っていたルートがなくなっていたことだった」
「なくなっていた」
「そ、そうだよ。あんたも知ってるんじゃないか、三月にあったビル爆破事件だよ……。ビルの所有者がヤクザ者だったことで随分話題になってたから、知らないことはないはずだ。おれはあそこの連中を使って、中々取引できないような代物も秘密裏に流通させることができてたんだが、あの事件のおかげでそのルートが機能しなくなったんだ……」
 その話を聞いて思わず吹き出しそうになってしまい、それを隠すため軽く咳払いした。
(なるほど、そういうことだったのか)
 知っているも何も、俺自身がまさしくその当事者だった。確か、連中はそのルートを使い、人身売買にも手を染めていたことは記憶にあった。商社という特異性から考えて、馬場がそういった連中と手を組んだとしても不思議はない。それが原因で、馬場はかつての構成員だった男に連絡を取り、新たにルートを開拓する必要が出てきたのだ。
 そこで今回、すぐにも欲しいというブランドンの要望に応えるためと、その新ルートがきちんと機能できるのかという二つの理由から、先ほどのビルで出会った二人組みの男たちと接触を試みたというわけだ。話に出てきた構成員だったという男も、おそらく例の組にいた際には、それなりの地位にいたということも想像がつく。でなければ、馬場の持つ個人回線の番号をブランドンに教えることなどできないだろう。
 しかし、まさか例の組が解散していたとは知らなかった。まぁ、組のトップが消され、本拠のビルがあんなことになってしまえば、警察から捜査の手がつかないはずがないわけで、組を潰すにはうってつけの事態になったとしても当然だろう。しかも、俺は単なる片手間の仕事として請け負ったに過ぎない程度のことだったので事後のことはほとんど手付かずのままにしていたが、捜査していた警察の中に俺の属する組織の息がかかっている人物がいたと見ていいだろう。
 あの事件があった翌日に、真紀へ連絡した際にそれらをもみ消すさなければならない真紀の苦言があったことから、警察内部にそうした人物の存在がいることは間違いない。それもおそらくは、かなりの地位にいる人物だろう。もっとも、真紀のお小言など俺の知ったことではないが。そうした現場工作員の不始末をつけるのも、真紀のような人間の役目であり仕事なのだ。グダグダ苦言をいうだけのお飾りなど、誰にでもなれる。
「それで、連中のルートを使って、どこに品物を運び出そうとしたんだ」
「そ、それは……」
 視線を泳がせ言い澱む馬場の頬に、ナイフの切先を力強く押し付けながら引いた。
「ぎゃっ」
「いったはずだな、こっちの求める答えを喋らない場合はどうなるか」
 やれやれだ。こっちが少しでも甘くすると、すぐに付け上がるこいつらのような人間の根性は、全くもって気に入らない。さっさと必要なことだけを喋れば、こちらの時間もその分無駄にしなくなるというのに。時間ができれば、それだけ次のステップへの時間が稼げるわけだから、こいつらに時間をとられるわけにはいかないのだ。
「く、空港だよ。ブランドンからアメリカからの外交団の帰国に合わせて運び出すつもりだったんだ」
「本当にそれだけか」
「そ、それだけって……」
 本当のことを口にしたのに、それを疑問にされるとは思わなかったのか馬場は、驚きに目を見開いた。だが、こんなのは俺からしてみれば予想の範疇というもので、こう疑うのも仕方のない話なのだ。素直に喋らなければ苦痛を与えられ、素直に喋ったとしてもそれを疑問視するというのはこの業界では当然のことだ。
 第一、加速冷却装置というのがどのようなものであるかはわからないが、接続されるべき本体の類似品を知っている俺には、本当にそれだけで済むのかという疑問が浮かぶのも当然というものだ。とても巨大な装置だったが、あれの装置の一部として接続されるものであれば、それだけ多くの部品が必要になることは間違いなく、それだけにたった一機の飛行機で運ぶというのは無理がある気がするのだ。
 まだある。飛行機に積み込むだけなら、どうしてわざわざヤクザなんて連中の手を借りなければならないのだ? すぐに欲しいという要望に応えるためだというが、だとするなら理由は連中への”みかじめ料”というのが真っ先に浮かぶ理由になるけども、これだけの理由で個人回線を使ってまで連絡をしてくるだろうか。
 否、そんなことはないだろう。裏世界に多少なりとも詳しい人間ならばジャパニーズ・マフィアと知られるヤクザに、みかじめ料だなんだと金を支払う必要があることくらい、年端もいかない子供だって知っていることなのだ。ましてやブランドンは、いい歳をした大の大人だ。そんなことは知りませんでしたなんてことはあるはずがない。そうでなければ、そういった連中と繋がりを持つ馬場のもとに個人回線を使ってまで連絡などしてくるわけがないではないか。なにか、ヤクザなんてものを使わなくてはいけなかった理由があるはずだ。
「ほ、本当だよ。お、おれはただ、連中が帰国の際に積荷は空港へ運ぶよう言われただけだ」
「連中というのは誰のことだ」
 今の今まで尋問を黙って見ていたバドウィンが口を挟む。馬場の口走ったことに疑問の表情を浮かべ、眉をゆがませている。
「ブ、ブランドンだ、ブランドンの奴がそう指示してきたんだよ、ヤクザを使って空港へ運んでくるようにって……。う、嘘じゃない! ヤクザのルートを使えば簡単だろうからって……。そ、それも運び出すのは二回に分けろともいってきたんだ」
 標準的なシンガポール人らしかぬ突き刺すような鋭い瞳と視線、それに彫りの深い顔立ちをしたバドウィンに強くいわれたからか、馬場はうろたえながらペラペラと喋りだす。俺の仕切りということもあるが、みじめに泣き叫びだしたのがバドウィンの強い口調だというのに少しばかし焦燥感を覚えて、ナイフの切先を頬の肉にえぐって、今度は俺が怒鳴る。
「二回に分ける? なぜだ」
「し、知らない、それ以上は向こうも金の問題だとしかいわなかった。だからおれも必要以上には追及しなかった」
「どこの空港だ」
「成田だ、確証はないけど、連中は成田からの便で帰国する予定だといってた」
 大の大人二人、それもこういったことに手馴れたプロフェッショナル二人に怒鳴りつけられ、おまけにナイフによる恐怖と緊張が、危機的状況を迎えるにあたって自分の処理能力の限界を超えてしまったのだろう、ついに馬場は止めてくれと泣きながらに懇願し始めた。片足はそういった方面に突っ込んでいただけあって、普通の連中よりは粘ったほうだがそれでも限界があるというものだ。
 もはやここまでかと判断した俺は、まだ夜明け前の暗闇に閉ざされた部屋に繋がれた男の頭へ麻の頭巾を被せて覆い、脱げないよう猿轡の意味もこめて白布を口から後頭部へと回して縛ることで尋問を終え、バドウィンとともに部屋を出て鍵を閉めた。縄抜けの技術などもってはいないだろうが縄抜け防止のために、椅子に座らせて時点で何重にも縄でくくりつけておいたので、そう簡単に脱出などできはしないだろう。
「よかったのか」
「構わんだろう。ああなっては、もう大したことは知ってはいないだろう。それに相当な恐怖を味わったようだから、これでしばらく……いや、もしかしたらもう二度と馬鹿な真似は起こそうという気にならないだろうよ」
 こういう俺に、バドウィンはただ黙って肩をすくめるだけだった。この男からすると、俺のやり方は少々手ぬるい部分があったのかもしれない。これは俺自身もまた認めざるを得ないところではあるが、少々甘い部分があって、どうにも徹底した尋問や拷問には向いてない性格らしい。そうした徹底したサディストでないことが悔やまれる場面があることもしばしばで、その性格の甘さが招いた危機的状況も無きにしも非ずだった。
「ところで、品物を二回に分けるという話、あんたはどう見る。単なる狂言か、それとも……」
「狂言であることはないな。最後には泣き出したような奴だから、痛みや恐怖への訓練は受けてないだろう。このことから、あの男が口にしたことは全て真実であると見ていいだろうな」
「となると……」
「二回に分けて運ぼうという企ての裏に、なにか別の思惑があると見ていいだろう」
 断定していうバドウィンに、こちらも同意した。二回に分けるということは普通に考えて、まず、よほどの大きさを持つ品物であるから分けざるを得ないか、もしくは、それだけ数が多いかのどちらかしかないのでここは後者と見るべきだろう。もちろん、シンガポールで目にしたあの巨大な装置の類似装置となると、必然的にその大きさも大きくなってもおかしくはないので、それなりの大きさの装置が二回、空港に運ばれるというのが想定できる。
 問題はなぜ二回に分けられるのか、だ。二回ということは、大きなものなので当然トラックで持ち出されるに違いなく、巨大な装置に取り付けられる付属装置もそれなりに大きいものになれば、二台三台のトラックに分けられることになるわけだが、だとしてそれを、二回に分けるなどというだろうか。答えは否だ。複数のトラックに運ばれるとしても、一度の出荷で一回と分けるのが普通の考え方だ。やはり、もう一度、時間帯をずらして出荷される、こう考えるべきだろう。
 成田にトラックが件の品を運び、そこからアメリカに空輸する。この行為自体は違法でもなんでもないはずなのに、どうしてわざわざヤクザを使うというその理由が思い浮かばない。馬場の野郎が証言したことは間違いではないかもしれない。しかし、それが真実であるとは限らない。野郎がなぜヤクザなんかと一緒にいたのか。そもそも、それをたまたま尾行した遠藤が捕まったのか……ここに何かヒントがあるに違いない。
「ところで、例の加速装置ってのはどこから卸すつもりだったんだろう」
 戻ってきた俺たちの会話を聞いていたのか、だんまりだった俺たちに投げかけるようにジョージがつぶやいた。
「商社マンを使うんだから、どこか、そういったものを作ってる企業からだろう」
「……盗み聞きするつもりはなかったんだが、企業から卸してもらうにしても、そんな大層そうなものを簡単に卸してもらえるかな。ただでさえ大きなものかもしれないわけだろう? 単純に卸すにしても、結構目立つと思うんだ」
 ジョージの素朴な疑問に俺もバドウィンも、はっと閃いて視線を合わせた。そうか、そういうことだったのだ。
「そうだ、奴らはどこかでそれらを作っている場所を襲撃するつもりだったんじゃないのか」
「おそらくそうだろう。いや、というよりもむしろ、ジャパニーズ・マフィアが取り仕切る企業のいくつかから技術提供してもらい、それをやはり息のかかった連中に組み立たせるつもりなのかもしれない」
 俺たちは互いの意見に納得がいくように、大きく頷いた。だとすれば、すぐに欲しいという依頼に対応するためにも、連中を使わなくてはならない理由ができる。なにより、何かあったとしても極力穏便に済ますことも可能だ。
「もう一度、あの男を締め上げてやる必要がありそうだな」
 バドウィンの言葉に再度首を縦に振った。馬場の野郎は確かに嘘はいっていなかったが、真実を語ったわけではない。今度はナイフなんていう回りくどいことはなしに、野郎の指を二、三本へし折ってやるつもりだ。田神などにならって、スマートなやり方を選んだつもりだったけども、やはりこんなのは俺のやり方ではない。もっと直接的なダメージと痛みを与えてやったほうが、その場限りとはいえ効果はあるはずだ。
 これからの行動を決めるために必要なことだと思うと、途端に残酷になれそうな気になるのがなんともおかしなものだが、容赦するつもりはない。俺の欲しかった答えとは、こういうような単純で次に、すっと繋がる答えなのだ。
 俺はすぐにバドウィンとジョージから踵を返すと、沸きあがる暴力への疼きを抑えながらも浮き足立つ足取りをこらえることができなかった。



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