いつか見た夢

B&B

第116章


 目の前の男は、鋭い視線を少しもそらすことなくこちらを見据えている。それが今語ったことが真実だと告げる。頭の中じゃ、そんなの嘘だと考えるかたわら、最近ではまるで当たり前のようにすらなった、現実として受け入れる自分が、レオンの話を肯定していた。あるいはそれを真実として肯定しておかねば、次に話が進まないことによる思考停止なのかもしれないが。
「はっ、一国の最新鋭の科学者たちがこぞってそんな話を本当に信じたってわけだ。どうしたってそんな結論に至ったんだ」
「うむ。普通はそれが当然の反応さ。だが、今からそれを見せてやろう。ちょうどこれから実験するところなのでな」
 レオンはここからは歩きだといって、上着の内ポケットから手のひらサイズのカードを出すと、おむろにそれを掲げた。すると、突然立っている床が地響きをさせながら、ゆっくりと動き始めた。
「これは」
「地下に入るための非常用階段の一つさ。ここでは、高感度の認証システムが至るところに設置されている。こうするだけで、それがかざしたこのキーを読み取れるようになっているというわけだな。また、この基地には至るところにそういう脱出用の抜け道となる通路や階段があるのだ。私のような立場になると、それを使って行き来したりするものなのだ。本来はあまり使わないがね」
「なるほど、VIP待遇だしな」
 ニヤリとしながらいう俺に、レオンは小さく肩をすくめ、床に現れた地下への階段を降りていく。まったく、ここが最深フロアだなんてよくもまぁ言えたものだ。まだまだ下があるではないか。
「階段は暗いから気をつけたまえ。ああ、それとここが最深というのは、来客があった場合に訪れることができるのがここまでという話だ。もちろん、ここから下だってあるさ」
 表情に思ったことが出ていたのだろうか。レオンがそういいながら、口元を吊り上げた。読心術がないとは言わないが、だとしてもそこまで言い当てることなどできるわけがない。何か納得のいかない俺は、首をかしげながら階段を降りていった。
「何ここ、全然先が見えないじゃない」
 俺の後ろをいく遠藤が、あまりの暗さに声をあげた。階段を降りた俺も遠藤と全く同様の感想を持った。階段は随分と暗く、照明といえば赤い非常灯程度のものが申し訳程度についているだけだった。非常用というだけあって、階段や通路自体は道なりにいくだけのものなので迷うこともないが、夜目の利く俺ですらほとんど先を見渡せないというのに、細いだけでなく、一メートル先ですら見えないほど暗い中を戸惑うことなく進む男の姿に妙な違和感を覚えた。
「ここだ」
 通路同様、暗闇に紛れて全く分からなかったが、進んだ先にあったのは存在すら感じさせることのないドアだった。そのドアのノブを捻って開けたその行為も、光量のほとんどないこの通路でほんの少しの探す動作もなくよくぞわかったものだ。だが、ドアを開けたおかげでようやく通路にもいくらか可視化出来る程度の明かりがもたらされる。
 ドアをくぐって入った先は、いわゆる操作室であるように思われた。室内は上段と下段に分かれており、上段に三名、下段に五名ほどのオペレーターが詰めており、俺にわからない画面を見やりながら、装置から表示される数字やメーターの確認をしていた。その数値やメーターなどに変動があると、それを正常値に戻すためだろう、機械についているダイヤル式のボタンを操っている。
「ここで何をしようっていうんだ」
「君は優秀なスパイのようだからもはや知っていることだろうと思うが、今各国は水面下で情報合戦が繰り返し行われている。その加熱さは、冷戦時と同様、いやそれ以上かもしれん。現在はスパイ合戦も主に情報戦に変わったから、目立ったものは少ないが。もちろん言うまでもなく、これは今に始まったことではなく、冷戦が終わったとされる以前より現在も行われている結果に過ぎんがね。
 これから君に見せるのは、なぜ各国がこうもスパイ合戦が加熱したのか、その要因となったものだ」
「内戦状態にあるアフリカや一部の国なんかで次世代生物兵器が使われたって聞いたぜ。その元をたどっていくと、このツングースカに辿り着く。だから、今見せなくともすでに一端と原因は知ってるぜ」
「NEABが使われた結果に生み出されたという生物兵器のことだな。ふふ、確かにお前の言う通り、それも大いにあるだろう。だが、それは以前から各国研究機関により進められた結果に過ぎん。全てはここから始まったのだ。今からここで起こることから始まったのだ。だからこそ、各国も我々に追随する形になった……それを見せてやろう。準備が整い次第始めろ」
 レオンがオペレーターに命じる。彼らはすぐにも実験が行えるよう、着実に準備を整えていく。そして、ものの一分と経たずに連中は準備し終えた。
「準備完了です」
 そういったオペレーターに頷き、レオンは持っていたカードキーを目の前にある特殊な装置にかざすと、直ちに装置がカードキーに収められているらしい情報を読み取り、装置がうっすらと青白い光を放ちだす。それとともに、周囲の至るところにある装置やら何やらが、途端に唸りをあげるように作動し始めた。
「今から何が……」
 目の前に展開されだした光景に、俺は息を呑んだ。これまでも様々なものを見てきたが、これは現在人類が造りうる最大のものにして驚異といっても過言ではなかった。
 これまで、薄暗い中で行われている装置の操作に、目の前のモニターへ行われるという実験のデータや何かが映し出されるのかと思っていたがそうではなかった。モニターだと思っていたものは、とんでもなく分厚いガラスだった。それも数十センチなんてものではなく、おそらく軽く一メートル、いやもしかしたら二メートルにすたなるほどの分厚いガラスだ。
 分厚さにも驚いたが、それ以上に驚いたのはそれだけの分厚さにも関わらず、ほとんど曇っていないのだ。よほど特殊なものなのだろうが、そのために、ガラスであることも瞬時に理解することはできなかった。目の錯覚というのもあったが、一瞬、吹き抜けになっているのかとすら思えたほどだ。ここが特殊な実験を行う施設であるということが、このことからも十分に窺える。
 装置が作動し始めたことにより、これまで暗闇に溶けていた風景が一気に浮かんだ。どうやらこのオペレータールームは、数キロに及ぶ巨大な真円を描く空間を見下ろす形になっていて、モニターだと思っていた分厚いガラスの窓は、突き出たように斜めに据え付けてある。その作りはまさに、ガキの時分に漫画やアニメなんかで見ていたSF作品に出た、巨大戦艦の操舵室を思わせる。
 レオンの説明によれば、このオペレータールームは先ほど立っていた床から約四〇メートルほど地下にあり、最深フロアの床が今は真上にあるということになる。またその床は特殊合金で作られた巨大な蓋の役割を果たしており、これから行う実験のために必要な装置の一つとしての機能があるらしい。
 反対に、眼下に広がる底には、どんな役割を果たしているのか用途不明の大小様々な幾何学的モニュメントが、中央に寄り添うように寄り集まっているのが見える。あのモニュメント群のある底まで、きっかり六三〇メートルもあるという。また、聳え立つモニュメント一つ一つの形や大きさも、実験のために全てその規格に当てはまるよう設計されているというか、相当なものだ。
 そして、底のほうから徐々にカードをかざした装置のような青白い光を放ち始め、その際に発される振動がこのオペレータールームにまで徐々に響き渡りはじめた。様々な形を見せるモニュメントは密集こそしているが、そのどれもがきちんと独立したものになっているのが、発される淡い光がそれぞれの隙間から真っ直ぐに漏れているのが確認できる。光はそのモニュメントの間を縫うように輝いていることから、モニュメントの底がどのような形になっているのかも良く見えた。
「ふふ、これで驚いてもらっては困る。こんなのは序の口だよ、クキ。なんだったら、もっと前に行って良く見てみるがいい。だが、その前にこれを持て」
 そういってレオンが手渡してきたのは、鋭角なデザインをした遮光グラスだった。わけが分からずも、俺はその遮光グラスを受け取った。さほど眩しいわけではないが、ここから光が強まるという意味なのだろうか。
「では、あれを投入しろ」
 レオンに促され、俺たちはのろのろとした足取りで、見やすい窓ガラスの前までやってきた。下から上に向かって徐々に広がるように傾いた窓ガラスは、より立体的に眼下を見下ろす形になっており、思わず足がすくむ。しかし、おかげで全体が良く見渡せ、数キロ先にある巨大な壁も実は何万何十万枚とあるパネルが、隙間なくピッタリと覆って作られているのも分かった。その一枚一枚の間から、かすかに光が漏れているように思える。そのせいで、壁はまるで巨大な網の目のようにも見えた。
 そして、そこにどこからともなく、一匹の奇妙な獣らしきものが現れた。投入といったレオンの言葉をそのまま受け取るなら、どこかにあの獣を囲っていたものがあったのだろうが、周囲の光に包まれて全くどこにそれがあったのか判断のしようがなかった。
 底まで六三〇メートル、外壁からは軽く一キロ以上離れた場所にいれば、見える異形の獣の姿など米粒ほどにすら見えないはずだが、それはあくまで身長二メートルかそこらの人間に限ったもので、あれは明らかにその三倍、いやもっとあるかもしれない。とにかく、こんな遠方からでもはっきりとその姿かたちと、所々に特徴的な部位も見て取れるのだから一〇メートル近くあってもおかしくない。
 だが、問題はそんなことよりも現れた獣らしきものの正体のほうだった。少なくとも、あの獣は俺の知りうる限り、決して自然の中で生まれ育まれるような類のものではなく、明らかに、もっと人工的な意図を持った姿かたちをしているのだ。そして、それは俺の脳内に、ある一つの単語を浮かび上がらせるに十分なものだったのだ。
「狼男……なのか、あれは」
 獣らしきもの顔部分はまるで狼のように面長で、顔に沿って流れるような長い耳、それに人間ならばあるはずの頭髪はそのまま首から背中、そして尻尾へと連なっていて、たてがみのそれそのままだ。しかし、そのたてがみも自然な感じはせず、むしろ不自然に感じられるほど逆立っており、針のように尖っていた。
 しかし身体の方はといえば逆三角形になり、発達した胸筋に肩筋、首元もまさしく狼などの肉食獣などに見られるように太い。くびれた脇腹にもしなやかに、しかし確実に強靭な筋肉がついていることが窺え、臀部や太ももの筋肉はやはり上半身同様に鋼のごとく発達している。なのに、手足は発達しているのは分かるが、妙に細く見えてアンバランスだ。
 なにより、その異形の姿を俺は知っていた。その姿は以前にも見たことがあったのだ。それは、坂上の研究所で出会ったゴメルや、シンガポール沖で美しかった女が異形へと変わっていった怪物と同様だが、あの姿そのものを俺は確かに見たことがあった。
「あれも、まさか人体実験によって造られたのか」
「詳しいことは私も知らん。ある人物が提供してくれただけだ」
「ある人物?」
 振り返った俺の質問にレオンは答えることはなく、ただ今から起きようとしていることに注視するよういった。俺はそれを忌々しく思いながら、再び眼下に視線を戻した。これまでは単なる予備動作といわんばかりに、装置とは思えない巨大なモニュメント群がいよいよ本格的に作動し始める。
「ふふ、始まるぞ」
 俺たちの頭上で、レオンがいった。そしてその通りに、続いていた微振動が徐々にその振動を強くしていき、その揺れは爪先のすぐ前がすでにガラスになった足元にはとても気が気でなくなるほどで、無意識に近くの手すりを掴んでいた。ここですら感じる振動が強いことを思うと、あの場に投入された獣にはもっと強く感じているに違いない。その異常さを感じ取っているのか、おろおろとしているようにも見える。あるいはただ振動のためにそう見えるだけなのか。
 振動がさらに強まる。これとともに、淡かった光もまただんだんと強烈な発光へとなりつつあった。青白い光が強まることで、底にいる獣の姿は見えなくなってしまい、こちらも手をかざさなければとてもじゃないが目を開けていられない。そして、いよいよその発光が強まるとさらに大きな光の渦へと変わっていき、それはここにいる俺たちすら巻き込むほどの巨大な光へと膨らんでいく。
「念のためにいっておくが、手渡しておいたものをつけておかないと失明の危険があるぞ」
「さらに光が強まるっていうのか」
 ここから先のことを知っているためだろう、すでにレオンは遮光グラスをつけている。それに習って、俺たちも遮光グラスを付ける。それでも隙間から光が入ってくるが、こうして、もはや光の中心が見えなくなっていた中心部分もうっすらと判別できるようになった。確かに、これほどの強い発光現象ならば、遮光グラスなしではとてもいられない。だというのにレオンの口ぶりからは、ここから更に光が強まるのだという。
 底の方では、獣の影も見える。強すぎる光に、俺たち同様に手を目の当たりにかざしているのが見えた。その仕草は、人間のそれと同じだ。やはり、狼男というに相応しいその仕草に違和感を覚える俺に、今度は大きなうねる音が鳴り響きだした。もちろん、振動による音だが、その鳴り響いてくる音はそれまでとは性質が違って聞こえる。
 ゴンゴンという地響きにも似た音が鳴り響き、それがさらに巨大に、さらに短い周期になってくると、遮光グラスを通して見える光が一回りふた回りと大きさを増していくではないか。
 それだけじゃない。つい先ほどまではモニュメント群の底から輝きだしていたはずの発光が、不思議なことに今では、モニュメント群の底からではなく、上空で巨大な光体となっているのだ。遮光グラスごしには、光体は小さな太陽のごとく、ゆらゆらと周囲を揺らめかしながら力強く輝いている。
 すると、今度は俺たちの真上にあった巨大な蓋の底が、徐々に下に向かって動き出していた。数十メートルの厚さに及ぶ巨大な蓋。その蓋がゴンゴンという音を発しながら下に向かって動いていくのは、まさに圧巻だった。俺たちのいるオペレータールームを通り過ぎる頃には、その蓋がどういう理屈なのか、分離していくように見受けられた。
 それも、ただ分離するだけではなかった。ゴンゴンという音の意味が、ただ底に向かって動いているから鳴っているわけではないということが判明したのだ。直径六キロというから、ざっと周囲二〇キロに及ぶ巨大な蓋。その巨大な蓋の縁が時計回りに回転していた。そして、どういう理屈かで分離した最外周部の縁から内側の部分が離れていき、それが反時計回りで回転している。
「あれは、周囲にある超強力な磁力によりあのような動きを実現させた。いや、そうしなければ、あのような動きを保てないのだ」
 蓋の上部は今だ天井にぶら下がったままであることから、どうやら蓋全体が落ちているわけではなく、縁の部分だけが徐々に落下していく仕様になっているようだ。しかし、落ちていく縁の部分は何かに吊るされているわけではなく、説明による磁力だけでこれを実現させたというのか。俺は再び息を呑んだ。
 周囲およそ二〇キロにおよぶ回転する蓋の縁が落下するスピードに合わせ、光体の輝きが再び強さを増し始めた。一端は収縮していく光体だったが、それは収縮というよりもむしろ圧縮、あるいは濃縮しているかのうに思わせる。そのおかげで、遮光グラスが一点のみ焼き付けられているように感じられて仕方ない。
 そして一気に凝縮された光体の輝きが再び増し始める。今までは圧縮されて輝きが増したような感じだったが、今度はその強さの光がより周囲を包み込むように渦巻き始めた。光が渦巻くなど有り得ない……普通であればそうだ。だが、目の前で起きている現象は、そう思えてならないほどの奇怪な動きを見せていたのだ。
 不思議だと思っていたが、その原因が周囲を回転する巨大な縁であった外輪装置と、そこから分離し逆回転する内輪装置のおかげだというのがわかった。直径六キロ以上に及ぶ巨大な縁、いやこの装置が強力な磁力を帯びることで浮力と回転力を生み出し、その内側に通常からでは考えられないほどの磁場を作り出す。
 もはや、この基地が数キロに及ぶ巨大な装置であることは疑いない。そして、その装置とは強力な磁場を作り出すために必要なものであるらしいということも、今目の前に繰り広げられる巨大な装置の動きからなんとなくだが理解できる。
 今起きている振動も唸り声にも似たこの音も、全てはこれら装置が有り得ないと思えるほどの強大さをもって稼働し始めたことによるためだ。だが、だとするならこの目がくらむほどの眩い光は一体何を示しているのか。レオンの言ったことが本当なら、これはツングースカの爆発を再現するためだといっていたから、やはり爆発を表現したものだということなのか。
 遮光グラスをしていても隙間から入り込んでくる光に目を細めながら眼下の現象を眺めていると、これまで一切動きのなかった天井の部分が不気味な音を立てて動き始めた。天井の底から、厚さ二〇メートルにはなる円台が下に向かって突き出てきたのだ。さらにその円台から一回り小さい円台が出てくると、またその円台よりも一回り小さな円台が、といった具合に次から次へと段々状になっていく。
 その円台が八段になったとき、最後と思われる段が突き出てくる。ここからはモニターに映る画像からでしか確認できないが、頂点が鋭角に尖った四角錐のものらしい。こうしてできた段々状の円錐は、広大なホールの中に底へ向かって、眩く輝いている光体へと向かって突き出る形になる。この円錐がどういう効果を生み出すというのか、そんなことは俺に分かるはずもなく、ただ息を飲んで見つめることしかできない。
 円錐が完全に姿を見せると、この円錐に呼応するかのように光体が大きく歪み始めた。同時に、巨大な外輪装置とは逆回転している内輪装置の動きに変化が現れた。だんだん回転する速度があがってきたのだ。これに伴い、外輪装置もその速さを増した。いうならば、この装置は一種のベアリングみたいなもののようだ。内輪装置と外輪装置の間には何が走っているなどはないが、そういうものだと捉えたほうが分かりやすそうだ。
 その内外輪装置にできた隙間に、周囲の空気が流れ込んでは吐き出されるというサイクルが生まれると、内外輪装置とその隙間に放電現象が現れだした。回転の影響から生まれた隙間へと流れ込む気流は、空気中に含まれるわずかな電子をぶつけ合わせる形で発生させた静電気を、徐々に巨大なものへと変えてついには凄まじい放電現象を生み出したということだ。
 そして、その放電が装置の内側へ、それが発光を続ける光体へと流れていく。このためなのか、遮光グラスを通して見られる光体が多方面に急速な回転をしているように見え、光体の周囲には装置から流れてきた放電を吸収しているようでもあった。
 すると天井の底から突き出た円錐状装置から、それまでのものとは違う放電と光を伴ったものが発生し、それが徐々に尖った先端へと集まっていき先端は一気に赤とも青とも、あるいは緑ともつかない不可思議な色を伴った光源を作り出した。鋭角に尖ったあの先端にエネルギーを溜めているのだろうか、そんな風に見見受けられる。突き出る先端の先には、もちろん宙に浮遊している光体に向けられている。
 もはや、このオペレータールームから見える広大な空間には、互いに逆回転する巨大な回転装置により生み出される気流と、それに伴った大量の電気を帯びた空気が吹き荒れ、大きな光がそれを包みこんでいきながらも膨張と収縮を繰り返している。まるで、今にも爆発しそうな、そんな危うさを持ちながら何かを待っているかのようだ。
 そう思った俺の予想は、次の瞬間見事に的中した。先端に充填されていたエネルギーが急激に熱を帯びたかと思うと、下に向かって一気に落下し、そのエネルギー体が真下の光体にぶつかって瞬時に弾けた。落下して弾けたというのは正確な表現ではないかもしれないが、その速度は想像を絶するもので、そのように見えたという感覚的なものでしかない。
 エネルギー体と光体が目の前で弾けたと思った次の瞬間、ほんの一瞬だが広大な空間に静寂が訪れた。その間も放電とそれに伴う大気流はあったが、それすらも一瞬だけ止まったように見えた。そして一気に、これまで感じたことのない発光現象と地震に似た地表から、全てを揺るがすような地響きを辺りに響かせた。
 その揺れはとても立っていられるようなものではなく、手すりを掴んでいたのに耐え切れずにその場に振られてしまう。瞬時に起こったその現象は、まるで世界の終焉がどんなものなのかと云えばきっとこんなものだと思わせるには十分なほどの衝撃力を持っていた。大気が乱れ、空間も歪み、全てが弾けたその中心に向かって吸い込まれていくような、そんな錯覚を起こさせる。
 いや、それは全てが錯覚ではなかった。まだ続く揺れの中で一度でも倒れてしまうと中々起き上がれないため、俺は倒れながらも歯を食いしばりながらそれを見続けた。初めは錯覚かと思った。揺れが続く中で、自身の遠近感がうまくとれずにいることが原因なのだと、そう思った。しかし、錯覚かと思ったそれは俺には考えもつかない現象を引き起こしていた。
「あれは……歪んで、いるのか。空間が……?」
 自分でも何をいったのか理解できていなかったんではないか。俺自身の言葉は的外れのようにも、現実を告げたようにもどちらとも取れる、曖昧なものだ。だが、どう言葉にしていいのかわからなかった俺の脳みそが、目の当たりにした事象にそう勝手に口をつかさせていた。
 辺りに響かせた巨大な衝撃とともに、遮光グラスなしではとてもいられなかった強力な発光現象も収まっていた。その光が晴れた先には、どういうわけか異様なものが存在していたのだ。これまでだって様々なものを見てきたが、あれはそういう常識の外にあるものだと脳みそが告げている。
 あるいは、光の屈折なのかとも思った。視覚などとはいうが、目で見えているものも所詮は光の反射とその屈折によるものだ。その屈折率が高すぎるため、そのように見えているに過ぎない……このようにも思えるものだが、屈折というには余りある現象で、その中心に向かって、全てのものが吸い込まれていっているようにも吐き出されているようにも見える。そしてそれらは、引き伸ばされては収縮するということを繰り返している。
「ふふ……その通りだよ、クキ。渦のようにも見えるだろう。あれが空間を捻じ曲げ、通常からは考えられないほどの強力な磁場と重力を生み出しているのだ。だが、まだ続きがあるぞ。良く見ているがいい」
 ようやく収まりだした地響きに呻くようにいった俺に、レオンはそう続けた。まさか、空間が歪むだなんて、そんなことがあり得るというのか。仮にできたとして、それを可視化できるというのか……。そんなことができるだなんて想像もつかなかった。
 レオンのいうように、それまであっはたずの光体が消えたそこに、考えられないようなものができていた。周りにだけ渦を作り、その渦に周囲に光の屈折でえぐられるように引き伸ばされては回転に巻き込まれ、そしてまた引き伸ばされたように吐き出されていく周囲の光景が見える。
 中心だけは光によるものなのか、もはや予想や想像、あるいは経験からくる全てのものの範疇を遥かに上回ったものが、多方面に収縮と膨張を繰り返している。それがまるで穴のように見えるのだ。そして時折放電したかと思えば、それが中心に向かって吸い込まれていき、中心の動きが活発になり、数秒後にはそれも収まる。
「これからあそこにミサイルを発射させる。面白いぞ」
 レオンが愉悦に染まった声を響かせながら、発射せよという指令を下した。オペレーターは命令に従って、即座に発射ボタンを押した。すると、何キロも先にある左手の壁から爆薬を搭載したミサイルが五発発射され、ものの数秒後に今できた空間の歪みに向かって飛んでいき、それが音もなく周辺の渦に巻き込まれたかと思うと、中心に合わせ鏡のような奇妙な姿を見せ、一直線に向かったはずのミサイルが全く別の方向に飛んでいったのだ。
 五発ともほとんど平行に飛んできたため、普通に考えれば大体同じ方向に飛んでいくはずだが、五発は上下左右、全く違う方向に飛んでいき、それぞれがその先の壁にぶち当たって爆発した。内一発はこのオペレータールームにほど近い部分の壁にぶち当たり弾け飛んだが、爆発による衝撃は一切感じられない。
「なんなんだ今のは。ミサイルがあらぬ方向に……」
 ほぼ並行して飛んでいた五発のミサイルが、あの渦を通過したと思ったら、それぞれが全く違う方向に飛んでいく……そんな有り得ない事象に、俺は混乱に陥っていた。どう考えても、そんな事実を頭の中で肯定できずにいたのだ。しかし、それぞれが全く違う着弾位置で爆破したという事実が、確かにそこにはあった。
 ここが核シェルター並みの強度を誇るものだということがわかったが、同時に、大型の直下型地震と同等かとも思えるほどの揺れと地響きを起こした先ほどの事象は、相当のものだということもわかった。それだけの体験をしたからこそ、遮光グラスをとって底のほうに見えたそれの存在が際立った。 
 俺の視界に映ったのは、巨大な装置起動前に投入された狼人間のような怪物の姿だった。うつ伏せになって倒れており、ここから見る限りは四肢を力なく投げ出している。その様子からは死んだのか、あるいはまだ生きているのか判断のしようがないが、核シェルターにも劣らないだろうと思われるここですら考えられないような衝撃があったのだから、生身でそれを、ましてや俺たちよりも近い場所でそれを受けたら、どう考えても無事ではいられないはずだ。
 そうした常識的な観点から、あの狼人間も死んでいるに違いないと思った俺だが、幾ばくとしない内に、その狼人間に変化があった。どういうことなのか、力なく倒れていた全身にかすかな生命の鼓動を感じさせ、のろのろと上体を起き上がらせるではないか。しかし、まだうまく力が入らなかったようで、一度二度と両腕から力が抜けて地面に頭から倒れこむ。
 生きていることも驚異だが、俺はあの怪物が倒れている場所の不自然さにも考えを巡らせる。投入時はもっと手前だったはずなのに、今はどういうわけか、その場からざっと一キロ近くも奥、光体だった渦のほうに移動しているのだ。極めて不自然なその現場に、俺は頭を捻らざるを得なかった。もちろん、どうしてほとんど無傷の状態でいるのかも気になるところではあるが。
「今回も成功のようだな。ではあれを」
「おい待てよ、なんだったんだ今のは」
「落ち着くのだ、クキ。まだ実験は続いているんだ。話は後で聞かせてやる。それよりもグラスをつけておけ」
 これが落ち着いていられるかという話で、俺はその前に説明を求めたがレオンは一向に無視し続け、俺たちにはなんの説明もなしに次の段階に進むよう指示する。俺はこの連中が何をしたいのかわけが分からず、仕方なしに再び遮光グラスをつけ眼下に目をやった。
「クキ、良く見ていろ。これからあそこで何が起こるのか、その答えは必然的に武田の、そして私がお前を敢えて助けた理由にもなる」
 つまり、武田の持つ行動理念、それが今から起こることにある。そういわれては、俺も黙って見るしかない。
「第二射、エネルギー充填開始」
 オペレーターの声ととともに、一端は納まった巨大な装置の唸るような稼動音が周囲に響き出す。天井から生えた四角錐の先端に、再び不思議な色をした放電を伴った光が集まりだし、またも弾けるように瞬速でもって落下した。どういう原理かは知らないが、どうやらあれがこの装置にとってもっとも重要な用力であるらしい。
 空間の歪みに撃ち込まれたエネルギー体は、先ほどと同様に瞬時に弾け、強力な閃光を発生させる。遮光グラスを通してもその眩しさは相当なもので、もしグラスなしであれば本当に失明しかねない。弾けたエネルギー体にまた強い衝撃波が訪れると思い、姿勢を低く保ったまま手すりをしっかりと握っていたが、おかしなことに今度はその波が到達することはなかった。
「あそこだよ、クキ。あれだ」
 レオンがそういいながら眼下に向かって指差した。向けられた先を目で追っていくと、そこには例の獣が何かに耐えているように見えた。弾けたエネルギー体の衝撃波は想像を絶するものだが、あの奇妙な生物がそれを食い止めているように思われたのである。太くしなやかな腕を空間の歪みのほうへ向かって上げ、弾けたエネルギーの流れを受け止めていたのだ。
 いや、受け止めていたという表現は正確ではない。どちらかといえば受け止めらざるを得ない、もっというと自然と発生したはずの強力な衝撃波があの生物に向かって勝手にいってしまっているので仕方なしに、といった具合だ。そのために、体の周りにはここに来てからというもの、もう何度も目にしている放電現象が起きている。
 しかしその状態を保てなくなってなのか、エネルギー体が弾けた際に発生した膨大なエネルギーと衝撃が体の周囲から漏れ始め、次の瞬間、獣自身が赤とも白とも、あるいは青ともいえない色に光り輝いたかと思うと、それに包まれるかのように一気に爆ぜて流れていったようにも、瞬時に消えていったようにも見え、それがどこに行ったのか判らない。とにかく、俺の目にはそのように映ったのだ。
「今のは……一体」
 呻いた俺をよそに、オペレーターがレオンに報告する。
「対象、現れました」
「出せ」
 短いやり取りの直後、画面にどこかの映像が映し出される。そこには、廃墟と化した町の中を敵味方に分かれた兵士たちが何人も展開しており、互いが銃撃を繰り返しているという映像だった。どうやら、衛星による映像のようで、真上から映し出されている。だが、その中の雰囲気が突如として変化した。両者ともに、異様なものを見るように双方の銃撃が止んだ。
 モニター画面の端に、突如として巨大な生物の存在が現れたのである。始め、衛星による映像はサーモグラフィによるものであったため、熱源に反応して赤や黄色に緑、それに青など様々なの色で熱の温度を表現しているが、そこに突然巨大な熱源が現れたのだ。全体が青っぽく、生物というにはあまりに無機質にも思える影だが、そこから窺えるのは狼人間のそれだ。
 そのサーモグラフィによる映像が切り替わり、現実の映像へと画面が変わった。衛星からの映像ということもあり、画面の映像が乱れがちな上、映る動きの一つ一つが画面を停止させながらのコマ送りのような印象を受ける。おそらく、これなら同様の装置にしてもアメリカや先進国各国のもののほうがより高い解像度で見ることができるだろうが、ロシア製にそこまでを期待するのもおかしいというものだ。
 しかし、これにより青っぽい巨大な影が、例の狼人間であるということの確認ができた。真上からの映像では一〇〇パーセント絶対に今、眼下にいた狼人間と同じとはいわないが、おそらく同じだろう。漠然としながらも、この装置の実態が徐々に明らかになってきているので、それがまさか全く無関係とは思えない。
「どうだクキ、これが我が国が総力を挙げて研究し続けた結果の一つだ。もう予想がついているだろうがね、あれは今目の前にいたものだ。この基地は巨大な転送装置の一つとして建造されているのだ」
「転送装置……これが」
 直径が六キロにも及ぶという巨大とは言わず、巨大すぎるこの装置が転送装置だというのか。俺は息を呑んで眼下に広がる、まだ動き続けている装置を見渡した。
「そうか……今各国で人知れず生物兵器が使われているのも、これのおかげなのか。あんなのをどうやって運んだのか気になってたが、なるほどな、これならほとんど瞬時に、連中のいる場所にまで送り込める。理屈はわからんが、そうなんだな」
「その通り。各国の部隊も一部は既に実戦投入しているが、わざわざ現地にまで直接運び込まねばならない。つまり、時間的なデメリットが大きいというわけさ。しかし、この装置ならばその時間はほぼゼロにできる。通常なら何時間もかけて行う輸送を、ほぼ時間差なしにできるというのは画期的というには及ばない。
 これこそまさに革命だよ。この装置の誕生は、世界の構図を根底から覆すことができる、究極の装置なのだ。こいつをワシントンに送り込むだけで……ふふ、想像しただけでもおかしくなってくるものだな」
 悦の入った気色の悪い笑みを浮かべるレオンに顔をやや引きつらせながら見上げた。世の中、どこか頭のいっているような人間がどんな世界の人間にも一人や二人いるものだが、こいつもそういった人間の一人であるようだ。自分たちが世界を征服したとでも、そんな妄想にとりつかれているのだ。
 俺はかぶりを振りながら、再びモニター画面に視線を移した。画面では、突如として現れた奇怪な生物の出現によって現場は混沌と化していた。そりゃそうだろう。兵士たちがどんな任を帯びているのか知らないが、少なくともあの場で真剣な命のやり取りをしているはずあのだ。そこで水を差すなどと生ぬるいものではなく、あんなものが現れたら誰でも混乱するのは当たり前だろう。
 兵士たちは敵味方関係なく、突然現れた獣に向かって一斉掃射にあたり、互いに一歩一歩確実に後退していきつつあった。狼人間にしても突然どこだか判らない場所に出現してしまったら混乱するだろうし、そこにいきなりあんな一斉掃射を受ければ暴れるのは目に見えている。予測通り、狼人間は始めこそ掃射に甘んじていたが、それもすぐに形成が逆転し、辺り一帯は夥しい赤に次ぐ赤へと変わっていった。とにかく、二の腕のあたりだけで周囲は軽く人間の胴回りの二倍、いや三倍はありそうなほどの屈強さを持っているのだ。
「対象、敵殲滅」
「想像以上の早さだ。良し、座標の確認次第、回収しろ」
 レオンが指示すると、オペレーターがボタンを押して再び巨大な装置が稼働し始める。どうやら、またエネルギー体をあのうねりに衝突させる気らしい。するとまたエネルギー体がうねりに向かって照射され、広大な空間に眩い閃光が辺りを包み込んだ。
 遮光グラスをしていなかったため目をつぶっただけでは耐え切れるようなものではなく、失明はなくとも強烈な残光が瞼を通して目の奥に焼き付いた。それは単に眩しいだとかそんなレベルではなく、瞼の奥に焼き付くような閃光というのが一体どんなものなのか、それを身をもって分かるほどのものだった。
 あまりの眩しさに光が収まった後も、しばらくの間まともに目を開くことができなかった。説明しにくいが、瞼の奥が白い何かにちらつかれて、うまく視神経が作用していないような、そんな具合だ。おぼろげに、広島や長崎の原爆を目の当たりにした人々はきっとこんな感じだったのかと、そんな風に思えるほどの強烈な閃光だった。
 確かにこれでは遮光グラスなしではとてもいられるものではない。何度も目をこすり、瞬きを繰り返すうちに、ようやく目が周囲の明るさに慣れてきた。もっとも、なおも俺の眼球の奥で白い閃光がちらついているような感覚は未だにあったが、とにかく少しはマシになった。
「ねぇ、あれ……」
 遮光グラスをしたままだった遠藤は、光が収まった後にグラスを外していたようで、巨大なうねりの間近になった辺りを指差しながら一点を見据えている。それを追って俺も視線をやると、俺も遠藤同様に目を見開いた。どういうわけか、そこには今しがたモニター画面の向こうにいたはずの、狼人間がいるのだ。ここからは聞こえないが、尖った口先を開けて上体をのけ反らしているその様子は、咆哮をあげているようだった。
「……この転送装置は、ただ送るだけじゃない。同じ要領で、元いた場所に戻すこともできるのか。まさか、こんなものが完成していたなんてな」
「どうだクキ、素晴らしいだろう。これが我々の次世代兵器にして、世界の覇権を制するに相応しいものだと思わないか」
 頭上で誇らしげにいうレオンを、目を細くしながら冷たく見放した。だが、確かにこの装置が驚異的なものであることは間違いない。転送するのに随分と大掛かりではあるが、世界中で展開する戦地はおろか、各国要人のところにだって簡単に行ける。もっとも、こんなド派手なことをしていては、すぐに国際批判を受けることは目に見えているだろうし、何よりもし大戦にでも発展しようものなら、ロシアだって決して都合がいいとはいえないはずだ。あるいは、ロシアにそうまでして覇権を取りたいという意思が強いのなら、またそれも頷けるというものだが。
「覇権ね……おたくの国とあちらさんが今だに冷戦状態だってのは知ってるが、そこまで過敏にいうことなのか。仮に覇権を取ったところで、今度は何千万なんていう死者数じゃ収まりきらないだろうよ。人っ子一人いない世界で覇権を取ったところで、なんの意味もない気がするがな。
 そんなことよりも、今ここで起きたことの説明をそろそろしてくれてもいいんじゃないか」
 レオンの戯言にいい加減うんざりしてきた俺は、皮肉をいってさっさと次の説明をさせてやることにする。どうせ話が長くなりそうなのは目に見えているので、説明したくて堪らないというのならさっさと説明させてやったほうが、時間の節約になる。
「見ての通り、この巨大な装置はロシアが世界に誇る転送装置の一つだ、君の言う通りな。だがそれだけじゃない。先に述べたように、これはあくまでツングースカで起きた爆発を再現するための装置だということだ」
「つまりあんたはツングースカで起きた爆発は、急激な変異事象が起きたことによる物体がどこか別の場所に転送したってことをいってるわけだ。確かにな、今目の前で起きたことはそうなのかもしれないぜ? だがな、落ちてきた隕石が空中で弾けたってだけで、そんなことが有り得るとは思えないね。
 今見たところ、いや、今も存在しているあの空間の捻れ……のようなものや、周囲を取り囲む巨大な円装置もなかったわけだろう? まぁ、捻れに関してはいくつも隕石が落ちてそこに変異が起きたって説明もできるかもな。だが、強力な磁場だとかって説明にはならない。
 第一、ツングースカの大爆発が本来は何倍も何十倍も大きかったっていう話自体眉唾もんだ。ツングースカでそんな人智を遥かに超えたことが起きたなんて、とても考えられないな。そういう計算をしたってんなら、もしかしてどこかで計算間違いをしてるんじゃないのか。
 今目の前にあるのがすごい装置だというのは認めるし認めざるをえないが、こればかりは少々話が突飛すぎるというものだぜ。おまけに、俺の知ってる限りの話だが、周辺の生態系にも変化があったんだろう? これについてはどうなんだ」
 上機嫌になっている男に、俺はまくし立てるように立て続けに疑問をぶつけた。宇宙空間から飛来してきたものが、まさかそんなSFよろしく、空間を飛び越えたことを起こせるだなんてとても思えない。確かに隕石の落下というのは、実際のところ世界中に存在するどんなミサイルよりも速く移動しているため、とてつもない衝撃を持っているということくらいは分かる。
 いつのことだったか記憶が定かではないが、またロシア領の上空で飛来してきた隕石の空中爆発による衝撃波に、田舎町が被害を被ったという事件があったのを覚えている。そのとき落ちてきた隕石はだいぶ小さいもので、爆破による衝撃力も落下スピードもツングースカの比ではなかったそうだが、だとしても街中の窓ガラスが軒並み割れ、ちょっと老朽化した石やコンクリートの壁にヒビが入るほどの衝撃波があったのだ。
 仮にこれがもし東京やロンドン、ニューヨークといった巨大都市の上空で起きたとあればもちろん話は変わるが、それでもレオンのいうような変異事象など起きていないし、起きるとも思えないのだ。俺にはどうしても、レオンのいっていることが信じられない。するとレオンは俺のそんな台詞は初めからお見通しだといわんばかりに続けた。
「普通ならそうだろう。だが、ツングースカの規模は、我々人類が考えている以上に大規模なものだったのだ。クキの言ったように、質量や落下スピードももちろんだが、含まれるそれ自体も近年起こったものとは遥かに、比べ物にならんのさ。これから起きる事象を見ればそんな考えなどどこかに吹っ飛ぶ」
 レオンがニヤリと口元を吊り上げた。蛇のような狡猾さを持ち合わせ、かつ残忍さを持ち合わせた嫌な笑みだ。
「だが、なんの説明もないというのもなんだから、付け足しておこうか。前述の通りツングースカの爆発と隕石の質量は、従来考えられている数字よりも一〇倍以上の規模だ。ただの爆発であれば、先のエアバーストと同様の結果だったろう。規模が違うだけでな。だがツングースカの場合は違う。隕石に含まれる内容物が先のものとは明確に違うのだ。
 おい、あれを」
 指示に従って、オペレーターが操作盤を操作して、画面にあるデータと思しきものを表示する。円グラフから棒グラフまでいくつかのグラフが表示されており、そこから導き出される数値を表にしているようだ。その装置を時間の経過や、あるいはそれによる推移を表しているのだろう。ただ、その全てがロシア語で表示されているため、いくらかを読み取ることはできるが多くを解することはできなかった。
「ここでは基地の性質上、隕石が引き起こす事象と、そこから得られるありとあらゆるデータが集められている。もちろん、先のロシア上空で起きたエアバーストについても然り、隕石に起因する事象は全てだ。そして、それらは常に分析、ツングースカの比較対象になる。全てはツングースカの比較になるためのものでしかないと言っていいだろう。そこに映し出されているデータは、そうしたものとツングースカとの比較図というわけだな。
 この画面に写っている中央のグラフを見てみるがいい。それは一九五〇年代以降、数十年間に渡って現在まで、世界中に落ちた隕石の内容物の質量などを数値化したものだ。一口に隕石とはいっても、主に三種類あるといわれるがその中でも様々な内容物を有していることが、その図から分かるだろう。その多くにラジウムやイリジウム、ロンズデーライトといった物質が含まれていることが多い。
 鉄やニッケル、白金からトロイライトまで本当に様々だが、中にはそれらに混じって特殊なものが紛れ込む場合もあることが報告されている。もうお前も知っているだろうが、NEABもそんな中の一つだ。なぜそんなものが混じるのか我々には分からんが、とにかくそういったものが宇宙から飛来するという事実だけは間違いない。
 中でも、ツングースカの場合は様々な点で特異性が現れている。その図の青い線があるだろう。その青い線がある一点で高くなっている。それは他の隕石にも同質の含有物を比較したものだが、ツングースカのところだけ異様に数値が高いだろう? これはグラムを一〇〇で検出した数値だが、ツングースカで検出されたそれは他のものと比べ圧倒的に高いことがわかる。それだけ濃度の高いものが含まれていたということだ。
 ツングースカの隕石あった含有物は、同質の含有物をもったものと比べると、全てにおいて最も高い、それも圧倒的な高濃度をもっていたことがこれらの図からわかる。そして、ツングースカには他の隕石にはなかった物が含まれていたというのが最も大きいだろう。それがこの巨大な装置を生み出すに至るだけの理由になり、それだけこれが特別だということでもある」
 データの映し出されている画面が下にスクロールされていくと、そこであるレポートが書かれていた。あまりに専門的な語句が並んでいたため、専門家でない俺にはそれがどんな内容であるか一〇分の一だって理解することはできないだろう。これが英語ならまだなんとかできたかもしれないが、残念ながら全てロシア語表記であったからだった。
「このレポートは、ツングースカの大爆発が単にエアバーストで起きたものではないということを報告した内容だ。読んでみよう。
 ツングースカの爆発は、複数の隕石が地表五〇〇メートルから一五〇〇メートルほど上空で起きた。複数の隕石とはあるが、これは元は一つであった隕石が大気圏に突入した際に分裂したためだと考えられる。大気中で複数個に分裂してできた隕石群は、音速の何十倍もの速度で地表に向かって落下しながら、大気中の空気を急激な熱圧縮を発生させ、それにより表面が徐々に分離し始めついには隕石の核たる部分に、その際に起きた摩擦熱が加わったことで爆発に繋がった。
 核、つまりコアと呼ばれる部分には従来の隕石では考えられない、電子をもった鉱物を含んでいたと思われる。また、大変珍しい発火性の強い鉱物も含まれていた可能性が高い。この電子が急激な摩擦熱によって爆発的に熱膨張を起こし、これに比例してその鉱物も熱源に反応し放電を起こしたと考えられる。このため、隕石は瞬時に爆発するに至り、この爆発により大量の電荷を発生させた……。
 要は一個が大爆発したとき、同時に放電現象が起きたということだ。それも大変な量の電荷があったというから、それにより周囲にあった隕石群にも瞬く間に拡散していき、これら隕石群が反応し同様の現象を引き起こした。おそらく、これだけであれば今度のようなことにはならなかった。というのも隕石が分離していく過程で、偶然にも隕石群は半ば円を描くように落下してきたということだ」
「円を描くように落下したことが問題だっていうのか」
「そうだ。この時爆発により発生した大量の電流は、瞬時にして一つの円を描きながら放電していった。全くの偶然だったろうが、この結果一つのサークルが完成し、その中央で爆発した隕石に必要以上の荷重がかかったのだ。
 荷重がかかった爆発はヒロシマやナガサキの原爆の少なくとも数百倍、現実にはさらにその一〇倍以上もの威力を伴った爆発を起こし、かつその爆発の際に発生したエネルギーが形成された電気の渦の中心に流れ込んだ。これにより発生したのが例のツングースカ・バタフライというわけだな。
 中心に流れ込んだ大量の電荷と爆発によるエネルギーが一つの歪みを生み出した。そして、そこで観測しうる最初のタイムワープが発生した」
「ツングースカで、最初のタイムワープが……」
 レオンの発した言葉に俺は惚けたように口をついていた。確かに宇宙から飛来してきたものが起こす気まぐれなど、それを正確に計算されたものだとするなら、それこそ天文学的な数値なのは間違いない。この天の気まぐれによって、偶然にもタイムワープと似た現象が起きたというのだ。
 それで分かった。この目の前の巨大な装置が転送装置というのは、おそらくタイムワープの過程で起きた副産物に過ぎないのだろうと。だからこそ、連中は実際に起きた爆発の威力は今言われている数字よりも大きいといったのだ。俺はそっちのほうの頭はまるで持ってないので理解しようもないし、仮に理解できるくらいの頭を持ち合わせたところで、それを信じきることもできないかもしれない。
 しかし、だとしてもツングースカの大爆発を再現するために様々な実験を行ってきた連中が、それにより生み出された大量の副産物が今、世界で新型兵器として使用されだしているという事実は変わらない。
「こうしてできた時空の歪みは、我々の持つ概念を大きく覆した。その際に起きたエネルギーの質量は凄まじく、その余波を受けて周辺の生態系にすら影響させた。爆発現場周辺の生物たちが遺伝的に変質したりしたというのは聞いたろう? 木々の年輪にそれ以上の成長が見れなくなったり年輪が何倍もの速度で増えたのも、この時空の歪みが発するエネルギーの余波を受けたためだ。
 普通であれば、我々は数多の動物の肉や乳、植物の葉や茎、根を食べてエネルギーを供給する。植物であれば、土中の養分に水、それと太陽からの光を浴びて成長するように、歪みが発生させるエネルギーにもまた、地球上に存在する全ての動植物に影響を与えることができる何らかのエネルギーが備わっているということだ。
 しかし、歪みが発生させるエネルギーの余波はあまりに強すぎて、並みの生物では影響が強く出過ぎるのだ。もちろん、それは通常人間にも同じことがいえる。過剰すぎるエネルギーの供給に体が耐えられるはずもなく、遺伝子に強く作用してしまう。遺伝子が影響を受けるというのはお前も知っているはずだ。がんの治療などで使われる、微弱な放射線を使って行うあれさ。
 だが、この爆発で起きたのは放射能とは違う別のものだ。これを受けると、全ての有機物は遺伝的な変質作用を引き起こす。この変質は、我々が幾多の実験を繰り返してきた結果、一定のものではないことが分かっている。ある場合は遺伝的に何度も複写され、同じ場所から手足が二本生えてくる。ある場合は遺伝的に本来置かなければならない配列が違う場所に組み込まれ、体にあるべき部分になく、全く別の部分にそれが現れるといった具合にな」
 レオンの説明を聞いて俺は以前田神から聞いていたことを思い出していた。なぜそんなことが起きるのか分からなかったが、爆発によって生み出された空間の歪みは、生物の遺伝子を組み替えてしまうような、なんらかのエネルギーを発していたからだったのだ。ふと、そんなことが起こりうるものかとも考えたが、確かにがん治療の例えも頷ける話で、がんというのがそもそも遺伝子の突然変異による疾患だと聞いたことがあり、だとするならそれを促す作用を持ったエネルギーがあっても不思議ではない。
 ただ、今回の場合はがんなどのような悪性腫瘍などを引き起こす類のものとは違い、もっと遺伝的に未完成……とでも表現していいのか、そんな概念に近いように思われる現象が起きるということだろう。そう理解して俺は質問をぶつけた。
「遺伝的に疾患が起こるってのは聞いてたからな、これが原因というならそうなのかもしれない。だが……遺伝子なんて良くわからないからなんて言っていいのかわからんがな、遺伝的な組み合わせが変わって別のものになりうるのか」
「このエネルギーの持つ力は絶大だ、これですらほんのわずかに過ぎん。今天井から打ち込んだ赤いエネルギー体の強さによって、得られる力が大いに変化するという結果も分かっている。その度合いが強ければ、お前のいうこともあるいは十二分に起こりうるだろう。その変質に細胞がついていけるとは思えんが、ついていくことができればそれこそ人類が夢に見た不老不死すらも可能かもしれん。
 なんせ、ツングースカの隕石にはNEABという未知の物質が存在していたからな。少なくとも、あそこにいる化物もまたそのNEABによって変質してしまった人間の一人なのだ」
 弾みというわけでもなく、ただ流れで漏らしたレオンの最後の一言に俺は男のほうを向かざるを得なかった。今、こいつは間違いなく人間だと言った。あの狼人間は、まさか人間だというのか……。
「驚くことはあるまい? お前も言っていたではないか、人体実験しているんだろうとな。そうとも、あれは人体実験の過程で生まれたものさ。もっとも私もそう聞いているだけで、どのようなプロセスがあったのかは知らんがな。あくまで協力者からあれを譲り受けたに過ぎん。
 その協力者が言っていたよ、この実験にNEABを使った生み出したこの”兵器”が存分に役立つはずだとね。彼の言ったとおり、本当にあれは役立っているよ。そしてそこから得られたのは、NEABはあのエネルギーに対して活発な動きを見せるということだ。NEABの特異な性質はもう言わずともいいな。
 他の生物の持つアミノ酸に結合し細胞に膜を張っていくという性質は、過剰に与えられたエネルギーに反応し、本来その種を構成する上で必要のなかった劣等遺伝子をも刺激するのだ。刺激されたこの遺伝子が、ついには寄生された生物を全く別の種へと変貌させる。目下の問題は、得られるエネルギーの度合いによってどの劣等遺伝子が反応するのか、ということだな。
 それが反応することにより、細胞は徐々に反応した遺伝子に適応するために、自らを構成する形をも変化させていく。こうしてNEABの宿主は姿かたちを変えざるを得なくなり、結果全く別の種として生まれ変わる」
 俺は睨むようにレオンを見ていた視線を眼下に移し、哀れな獣と化したかつての人間の姿を見つめた。一体どんな人間だったのか、どんな経緯であんな運命をたどることになったのか知る由はないが、だとしても好きであんな姿になったわけではないということだけは間違いないはずだ。
「そうそう、中には退進化といってもいい現象も起きた。これは生命力の弱い生命体によくあったものだ。生まれながらにして、生命体としての形を持っていないという、極めて稀な例だった。説明したので繰り返さないが、本来なら新しい形になるはずだったはずが、どういうわけか退化したような、羊水に漂う数多の細胞群になったというものさ」
 つまり、本来は結合し、生物として一つの形にならなければならないところ、全ての細胞が個々にバラバラに分離したというのだ。分離してしまった細胞は、当然生きれるはずがなく、そのまま死んでしまったという。羊水に浸ったまま生物としての存在を退化させられたなど、考えただけでも罪作りなものだがこいつはそう思っていないらしい。
 これまでも頭のイっている連中は何人も見てきたが、どうやらこの男もそんな人間の一人のようだ。俺からしてみれば、多少は良心の呵責といいうものが働くものと思うが、どうしてこういう連中はこんなにまでぶっ飛んでいるのか。そこまでして利益だとか名声、あるいは権力だとかいった自己権威を持ちたがるなんて俺にはまるで理解できない。
 俺のそんな態度が出ていいたのか、はたまたそれが当たり前だからこそ見越して先読みしていたのかは知らないが、男がいった。
「そんな顔をするなクキ。これも仕方がない。一度動き出した巨大な歯車は、もう誰にも止められんのだ。お前にだって分かるだろう」
「だとしても、俺は自分がやめると決めたらやめるがな」
 こんな野郎とほんの一ミリとだって同じ考えを持ちたくないと思った俺は、お前とは永久に分かり合えることはないというのを強調するように、嫌悪を滲ませながら返した。こうした俺の態度に野郎はただ黙って見下ろしながら、肩をすくませた。愚かな、とでも内心で思っているのだだろう。
「ふん、まぁいい。だがこれでわかったろう、これが武田が世界に部隊を展開しようとした理由の大きな要因だ。あの男は、どういうわけかこのシステムのことを聞きつけ、気づけば私の周囲にいた。始め、私は愚かにもあの男に魅了され、奴の世界を股にかけた行動に共感し自身のもつ技術をも流用させた。だが、たとえそうだとしても私にも立場というものがある。ここの存在だけは教えなかった。
 ところがあの男はだんだんに要求をエスカレートさせていき、ついには今どんな実験を行っているのかということまで首を突っ込んでくるようになった。そこからさ、あの男のことが鼻持ちならない奴だと思うようになったのは。そして案の定、あの男はこれまで集めてきた人間をこぞって武装化させ、ついには個人で軍隊を持つに至った。
 ……今思えば、なんであんな人間の行動をもっと早く見抜けなかったのかとも思うがな。どういうわけか、あの男は人の隙につけ入るのが上手いのだ。ごもっともらしくいって、相手を納得させ、それを続けていき知らず知らずのうちに洗脳していくのだろう。お前も会ったことがあるなら分かるだろう? あの男の持つ独特の雰囲気を」
「ああ。だが、俺は初めからあの野郎のことはどうにも気に食わなかったぜ。おまけに、なんの因果か知らんが、元々俺の命を狙ってたらしいしな。もし次に奴と会ったときは野郎の心臓に鉛玉をぶち込むさ、必ずな」
 不意にレオンが口元を吊り上げた。まるで俺がこういうのを待っていたかのような、そんな感じにも思えるタイミングだ。
「そうだろう。だからこそお前をここに呼んだ価値があるというものだよ、クキ」
「まさか、俺に奴を監視しろだとか、そんな面倒を押し付けようって気じゃないだろうな」
 俺はどことなく嫌な気持ちになりながら喚く。こういう連中が含みを効かせる時というのは、嫌なことしか言わないということは理解しているので、余計に口うるさくなってしまう。
「いいや、そんなことはしなくていいさ。我々はある実験から、あの男に興味を持ったのだ。そこで、あの男を捕らえてほしいのだ」
「捕らえてほしいだと? 馬鹿いうなよ、俺にそんなことできるわけないだろうが。今野郎がどこにいるかも判らないというのに。俺から言わせてもらえりゃ、そっちのほうが遥かに面倒だぜ。
 第一、俺は奴を捉える気なんざないね。俺は奴の心臓の動きを止めるために奴を追うんだ。これ以外に奴と会う理由なんて必要ない。もし生きて捕らえたいなら他を当たるんだな」
 そんな俺の台詞もこの男はお見通しだったのか、続けざまに切り返す。
「そうかな? 私にはお前が嬉々として奴を捕らえようとする姿が思い浮かべることができるぞ。クキ、私たちが何も知らずにお前を選んだと思うか? お前がなぜ殺し屋などという世界に飛び込んでいったのか……もし、お前の家族が再び一緒になれるかもしれないといったらどうかな」
 ニヤリと粘っこい、蛇を思わせるような一段と癪に障る笑みを浮かべた男が、妙なことを口走りだした。俺たち家族が一緒になれるかもしれないだと? おまけに俺が殺し屋になったその理由すら知っているというのか、こいつは。
 いや、ありえない話じゃない。俺はここロシアで、確かにひと騒動を起こした身だ、そこから連中が俺の素性を追っていくことになったというのは十二分に有り得る話なのだ。おまけに、このロシアという国は世界でも最も優れた諜報機関を有している国で、とりわけ工作技術については折り紙つきだ。おおまけに、直々に仕込まれた俺がそうなのだから、それを疑うことなどおかしな話ではないか。
 それどころか、この男は俺に妹がおり、その妹が失踪したということまで言い当てた。以降、元から他を信じない俺の性格に拍車をかけ、現在に至ったといいうことを。行動心理学などいくつかの見地から、それは間違いないと分析していたのだ。もちろん、連中は俺がイギリスにいたこと、一時はフランスにも訪れたことなど、俺の過去をまるで自慢話のように赤裸々にしていく野郎に、俺はもう十分だといって話を止めさせる。
「結局何がいいたいんだ。おまえらのことだから、俺の家族のこともどうなったのか分かってるんだろうがな、家族と一緒になる? はっ、んなことができるもんかよ。あまりに非現実的だぜ」
 親父は今どうしてるのか不明だが、まだ生きているし、妹に関しては少々問題がないというわけではないがこの通りだ。唯一母だけはもう死んだ。俺の腕の中で、静かに息を引き取ったのを昨日のように覚えている。心残りが全くないというわけじゃない。もし母も失わずにいれるとしたらどれだけ良いだろう。
 だが、そんなものは所詮夢物語だ。今のままでも、これだけでも十分ではないか。結果論で全てを語ろうという気は毛頭ないが、それでも母を失わなければ、あるいは俺がこの男のいうような行動を取るようになったという確証はない。俺が危険を冒してでもそうしようと考えたのは、母の死がきっかけだった。
 いいかえれば、母を失う代わりに、俺は妹を手に入れたともいえるかもしれないのだ。考えとしてはあまり気持ちのいいものではないが、そういう一面がないとはいえない。母とて、自分の生んだ子が離れ離れでい続けるよりは、いくらかは喜んでいてくれていると思いたい。
 にも関わらず、一緒になれるかもしれないとは一体どういう意味だ。行動心理学やらなんやらと小難しいことをいって持ち上げてきたが、こいつらがそんな母親のことを知らないわけがない。それだけに、こいつの言ったことが妙に引っかかる。まるで俺ようなのそういった考えすら、些細なことで頭を悩ませている思春期の少年少女と同じだといっているかのような、どこか人を小馬鹿にしているような含みが感じられる。
「言葉の通りさ。失われた妹と母親も、全てを元に戻してやると言ってるのだ」
「はっ、そんな夢物語、誰が信じるって言うんだ。今時、小学生のガキだって信じないぜ」
 皮肉を込めていう俺に、レオンは一切それを介することなく続けた。
「ふふ、それができるといったらどうだ? いったろう、この目の前に広がる巨大な装置は、全てツングースカの爆発で起きた全てを再現するための装置だと」
「馬鹿な。これは転送装置ではなく、まさかタイムマシンだとでも言いたいのか」
「だからそういっているのだ。転送装置としての役割などほんの一端に過ぎんのだ。これの最終目標は、時間軸の流れを物質を自由に行き来させるためなのだ。そう、タイムマシンなのだよ、これは。
 我々は世界のどこよりも早く、タイムマシンという神の領域にすら踏み込んだのだ。いいや、もはや神すらも時間の中を自由に行き来したわけではない。つまり、我々は神すらも超越したのだ」 
 レオンはここで初めて、至って真面目な顔になり高らかにそう告げた。その様子に俺はただ、何度目かもわからない息を飲み込むだけだった。



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