アイディアル・アイドルガール ~なんでもします! わたしをトップアイドルにしてください!~

佐倉唄

3章9話 インビジブル・トーン



「――ゴメンなさい、やっぱり、なるべく早いうちに話しておくべきことがあったのよ」

 帰り道での出来事だ。本来だったら俺は恋歌と一緒に帰り道を歩いていたはずだった。しかし、今、俺の隣に座っているのは恋歌ではない。十音先輩だ。中学が一緒でも、十音先輩と一緒に帰宅するのは今回が初めてだった気がする。

 レンタルルームでの撮影が終了したあと、十音先輩が、話がある、と、俺に言ってきて、十音先輩は俺と2人で帰ろうとした。当然恋歌は猛反対したが、十音先輩が部に関する大切な話だから今日だけは許して頂戴、と、珍しく殊勝に頭を下げてお願いしたのである。結果、恋歌は若干不満そうだったが、一応これを了承。

 現在は仙台駅前から移動して、榴岡つつじがおか公園の近くの公園のベンチに座っている。俺の家とは違う方向だが、十音先輩の家がこっちなのだから仕方がない……。俺にあわせてもらったら、十音先輩が女の子なのに夜遅くに帰宅することになるし……。

 それにしても、綺麗な夜桜だ。街灯に照らされた領域では桜花がひらひらと舞っているのが鮮明に見える。俺はその光景を眺めながら、十音先輩が話を切り出すのを待っていた。

「――それで、話っていうのは星乃さんのことよ」

 耳に届いた声から十音先輩の感情を理解することは難しかった。ベンチに隣同士で座っているから、横を向かない限り十音先輩の表情はわからない。が、俺は横を向こうとは思わなかった。

「高槻くんは星乃さんのことをどう思っているの? 家族? 友達? 恋愛対象?」

 質問には答えずに夜空を仰いだ。流石に星は見えないが月がほんのりと輝いている。しかしその輝きは、ここから見るぶんには街灯よりも儚かった。
 俺は溜息をいて、十音先輩からの質問をはぐらかす。

「なんでそんなことを訊くんですか?」
「大事なことだからよ。あなただってわかっているでしょ? このままじゃまずいって」

 即答する十音先輩。これははぐらかしようがないな……。確かに、俺もこの状況がまずいって理解できている。それでも答えを見つけられないんだ。悩みの種の恋歌は今頃何をしているのだろうか?

「家族にしては遠い。友達としては近い。恋愛対象としては見れない。それ以外のどの関係でもない。だからこそ、幼馴染って概念が一番しっくり来るんですよ。母親という関係性の人を、お袋とか、母上とか、同じニュアンスを持たない別の言葉で表現しなさい、って言われても無理でしょう? それと同じです。幼馴染=幼馴染ってことですよ」
「便利な言葉ね、幼馴染って。私にはよくわからないわ」

 再び沈黙が俺たちを支配した。が、それに負ける十音先輩ではない。気まずさも、居心地の悪さも、十音先輩の前では無力だった。十音先輩は姿勢を正して本題に入ろうとしてくる。

「いつまでも幼馴染って言葉に甘えていたら星乃さんがかわいそうよ。そして、いつまでも幼馴染って言葉に逃げていたら星乃さんはアイドルをやめるわ」

 そんなことは注意されなくても理解しているさ。しかし反論はできない。俺は親に叱られる子どものように、無言を貫いた。俺の心情を見透かしたように、十音先輩は俺のことを責める。

「星乃さんがアイドルになった理由を知っているでしょう? 彼女の恋心を否定しても肯定しても私は咎めない。けれども、今の高槻くんは決断を先延ばしにしているだけよ」

「何が言いたいんですか?」

「その調子では絶対近いうちにケンカするわよ。星乃さんが頑張っているのに、あなたは振り向かない。だとしたら、星乃さんがアイドルになった意味はなかったことになるわ」

 月が半分雲に隠れた。黙っているが十音先輩の言葉を無視しているわけではない。言い返す言葉どころか、開き直る言葉すら湧いてこないのだ。視線を泳がせると街頭が瞳に映った。その街灯と俺が座っている位置は離れている。

「再会するほんの5分前まで暑苦しい口調で彼女のことを熱弁していたくせに、なんで今はそんなに冷めているの?」
「……恋歌にも教えたんですけど、俺は中学の頃に2回告白されて、どっちも断りました。別に恋歌が頭をよぎったからじゃありません。どんなに悩んでも恋愛感情が湧かなかったんです」

 当時のことを思い返す。俺に告白してきた2人の女の子は、何を思って俺に好意を伝えてきたのか? 見当も付かない。それでも、1つだけ明らかなことがある。俺は彼女たちを振った、好意を否定したんだ。本来ならば、本当に恋愛感情を知らないならば、俺は恋歌を振らなくちゃならない。一度否定しても、再会して今でも俺のことを好いてくれるならば、俺はもう一度恋歌を傷つけなきゃおかしいのだ。

「恋愛感情が湧かないなら、中学の時の2人同様に、俺は恋歌を否定しなきゃいけません。でもそれができないんです、今の関係を壊したくないから」

 今度は俺ではなく十音先輩が黙った。しかし十音先輩の場合はかける言葉を探しているというよりも、俺の話を理解するために黙っているように感じた。

「俺はアイドルが好きです。アイドルのホシノが好きです。それが伝わったら、恋歌にとっては告白されたと同然なんですよ」
「そうね」
「……でも、俺の中ではそれはおかしいんです。アイドルとして好きなのは間違いなく憧れです。憧れっていう感情で付き合ったら、恋歌は振られるよりも傷付くし、何よりも今の関係を最悪の形で壊すことになります」

 それだけじゃない。恋愛感情がないのに付き合ったら、中学の時の2人は意味もなく振られたことになる。俺は結局、恋愛が理解できないならば、今の恋歌との関係を維持するしかないのだ。
 夜風が凪ぐと十音先輩が喋り始めた。

「つまり高槻くんは振ったら星乃さんとの関係が崩れる。逆に付き合っても、幼馴染以上の感情を持てないから、アイドルに向ける憧れしか持てないから、結局は関係が壊れる。そう言いたいのね?」

 俺は間を置かずに頷いた。現状が壊れるのが必ずしも悪いこととは断言しない。けれども俺と恋歌の場合は間違いなく悪い方向に転がる。幼稚園からの思い出が、再会してからの日々が壊れるのは、イヤだ。

「関係をなくしたくないから、憧れのアイドルの前で冷静を装う。恋する女子に似ている構図ね。今のままでいいから、好きな人の前で好意を押さえ込んで冷静そうな素振りを見せる。高槻くんが恋愛をわかってくれれば完璧に同じなのにね」
「……すみませんね、恋愛を知らなくて」

 十音先輩は首を横に振った。

「別に咎めはしないわ。初恋がまだなのは平均からして遅いけれど、そんなのは人それぞれで然るべき。高槻くんの悪いところは、関係を変える勇気がないことだけよ」
「恋歌を振って今の間柄を壊せと?」

 どうも理解できない。なぜ恋歌をもう一度振る必要がある? 十音先輩が言っている、関係を変える勇気。俺と恋歌の関係を変える方法など、俺には2つしか思いつかない。1つは恋歌と付き合う方法。2つ目はその逆で恋歌を振る方法。どちらも無理だ。だから十音先輩は第3の方法でも教えてくれるのか、と、期待した。が、その期待はすぐに打ち消される。

「そうよ。過去に2人できたのなら、星乃さんにもできるでしょう? それに高槻くんは乙女心をまったく理解していないわ。星乃さんは一度や二度振られたぐらいじゃ、絶対に諦めない」
「言っていることが矛盾していませんか? 関係を壊せって言ってるのに、振っても恋歌は諦めないって断言している。俺が言うのも変ですが、それじゃあ関係を壊しようがありませんよ」

 十音先輩は口元を手で隠して笑った。こういう時にでも気品ある仕草ができるのは、余裕がある証拠だろう。俺はその笑みを見て自分の発言を頭の中で繰り返した。別に笑われるようなことは口走っていない。

「さっきから高槻くんは2人の絆が変わることを悪いことのように喋っているけど、必ずしもそうではないわ。1つだけ、良い方向に変わる方法がある」

 俺は勢いよく十音先輩の方を向いた。十音先輩は正面を向いて、対面にある誰も座っていないベンチを眺めていた。まるで俺のことなどいないように。きっとそれは勘違いだ。でもそう考えずにはいられなかった。
 落ち着きを取り戻すために、俺も対面のベンチを眺めてみる。そして十音先輩に問いかけた。

「なんですか、それは?」
「ただ振るのではなくて、自分の気持ちを素直に伝えることが重要よ。恋歌と付き合うことはできない。けど仲良くしていたい。だから恋歌の想いに正直になれる時間をくれないか? それだけで十分よ」

 それは恋歌からしたら振られるのと同じだ。
 自分の気持ちを素直に伝える。それができたら苦労はしないさ。十音先輩が今、代弁してくれた言葉は大体合っている。それでも違うところを挙げるなら、恋歌に対する想いが違う。実際に恋歌に告げるのは緊張もするし、勇気がいるのだ。そもそも、その方法で本当に関係が良くなるなんて、正直信じがたい。

「信じがたいですね。それだけで関係が良い方向になるなんて」

「なるわよ。高槻くんは星乃さんを理解している。けれども恋愛を理解していない。だったら恋に目覚めるかどうかは置いておいて、星乃さんに考える時間を欲しいって頼んだ方が彼女も安心するわ」

「確かに答えを曖昧にするって意味では、恋歌は振られたと思うでしょう。そしてそれ以上に恋歌は安心しますね」

 これから俺が恋歌にすることを決めると、十音先輩はベンチから立ち上がった。腕を伸ばして背伸びをする十音先輩。話は終わりのようなので、俺も足に力を入れて立ち上がった。
 帰る前に、俺は十音先輩に訊きたいことがあった。それを今訊いてみようとおもう。

「結局、十音先輩は何がしたかったんですか? 最終的には俺の人生相談になってしまいましたけど……」
「このままじゃ同好会の活動に支障が出ると思ったの。だから問題が起きる前に手を打ったわけ。高槻くんも部内で関係がこじれたら嫌でしょ?」

 十音先輩の軽口に苦笑いで返す俺。すみませんでしたね、関係がこじれる一歩手前まで来ていて……。確かに部内で俺と恋歌がケンカしたら、一番気まずいのは第三者である十音先輩だからな。意外と先輩らしいところを見せてくれますね。

「私の家はこの公園のすぐ近くなの。だから1人で帰れるわ。高槻くんは?」
「俺も大丈夫ですよ。道も知っていますし、電車を使えば30分前後で帰れる距離です」

 俺が告げると十音先輩は歩き出す。そして一度だけ振り返って俺に向かって手を振った。

「それじゃあ、また月曜日に学校で会いましょう」
「はい、また学校で」

 黒髪を夜風になびかせて、十音先輩は帰っていった。俺も帰り道を歩き始めた。

 帰路で考えていたのはやはり恋歌のこと。神様かなんかが第三者として、俺と恋歌のことを眺めているのならきっと思うはずだ。一度恋歌を振ったのに、もう一度振るのは関係が壊れるから怖いなんて、おかしい、と。普通はそう考える。だけど俺と恋歌の間には3年間の空白がある。だから、振ったらまた空白の期間ができるのではないか、そんな考えが脳裏をよぎって怖いのだ。

 俺はいつ恋歌との関係に決着を付けられるのだろうか。その時、恋歌はどんな表情を浮かべて、何を思うのだろうか。


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