とある魔族の成り上がり

小林誉

第91話 交渉

再び長い時間をかけて街に戻った俺達が訪れたのは、この小さな街を支配する魔族が住む屋敷だった。屋敷と行ってもケニスが使っていた屋敷ほど大きくも無く、少し大きな規模の一軒家と言った感じだ。見張りもいない門をくぐり、固く閉ざされた扉を叩く。ゴンゴンと低い音をたてた扉から離れてしばらく立ち尽くしていたんだが、何の反応もなかった。聞こえなかったのかと思いもう一度繰り返し再び待っても無反応だったので、扉に手をかけてみると鍵がかかっていた。


「留守みたいだな」
「のようだね。まいったな……いったん出直すかい? 夜には戻ると思うんだけどな」
「……あんたら、そんな所で何やってんだ?」


などと言う会話をしていると、両手に食料を抱えた下男のような男が俺達に不審な目を向けていた。身なりからして恐らくこの屋敷の下男なんだろう。俺達は慌てて姿勢を正し、扉の前から飛び退いた。


「失礼。あなたはこの屋敷の人ですか? 我々はこの屋敷の主の方に用があって尋ねたんですが、取り次いでいただけないでしょうか?」
「……この屋敷の主は俺だよ。何の用かは知らないけど、話があるって言うなら聞こう。中に入ると良い」


男の発言に驚かされる。みすぼらしいナリをしていたので、てっきり下男だとばかり思い込んでいた。と言う事は、この男は街の支配者であるにも関わらず自ら買い出しに出ていたと言う事になる。あまり良くない経済状態を察して、交渉を始める前から失敗する予感がする。


屋敷の中は地下が何階もあるとか別の空間に繋がっているとかは一切無く、外から眺めた通りの狭さだった。床が見えないぐらいのゴミをかき分け、空の食器や飲みかけのコップが散乱するテーブルに着いた俺達は、臭いに鼻が曲がりそうになるのを我慢しながらここを訪れた目的を告げた。


「硫黄が欲しい?」
「はい。それも大量に」


ケニスの言葉に男が首をかしげる。まるで何を言っているんだコイツはと言わんばかりの態度だ。


「硫黄って、あんな物そこら辺に転がっているだろう? わざわざ俺に許可なんか取らず、勝手に持って行けばいいじゃないか」
「数が少ないならそれで良いでしょうけど、我々が欲しい量は最低でも馬車数台分なのです」
「馬車数台分の硫黄だって!? そんな物、何に使うんだ?」
「何に使うかは詳しく話せません――が、それを我々の領地に運んでいただけるなら、それ相応に報酬をお支払いする用意があります」


思いがけない申し出に、男はただ戸惑っている様子だ。しかし報酬という言葉は聞き捨てならなかったらしく、興味深さを隠そうともしない。ここの住人にとって臭いだけの石ころに、わざわざ金を払う物好きが居るとは思わなかったのだろう。無価値な石ころが金に換わる――見るからに金の無さそうな一地方領主が、その錬金術の魅力に抗えるだろうか。


「く、詳しい話を聞かせてくれるか?」
「もちろんです。と言っても事は単純、難しい話ではありません。我々は現在大森林を開拓中なのですが、そこに貴方が調達した硫黄を運び込む。やる事はただそれだけですよ」「報酬は?」
「そうですね……」


即答しないケニスに男はやきもきしている。そんな彼を無視して両隣に座る俺とシオンをチラリと見るケニス。恐らくシオンの実家からいくら金を引っ張ってこられるかを考えているんだろう。しかし、いちいち口に出さなくてもシオンと長い付き合いのあるケニスなら、大体の予想はつくはずだ。


「馬車一台につき金貨三十枚。硫黄を満載にしてと言う条件付きですけどね」
「さんじゅ……! う、ううん! それは……ちょっと安くないか? こちらも馬車を借りたり人を用意したり、経費がかかるんだが」


田舎の領主が生意気にも駆け引きをするつもりでいるようだ。だが相手が悪い。俺なら言いくるめられる可能性はあっても、今交渉役を引き受けているのはケニスなのだから。


「そうですか。では仕方ありませんね。この話は無かった事に――」
「ま、待ってくれ! わかった! その条件で構わない!」


あっさりと交渉を打ち切って席を立とうとするケニスを、男は大慌てで引き留める。大方商人にでも話を持ちかけて、自分抜きで商売が成立することを恐れたに違いない。欲の深い事だ。だがそのおかげで簡単に交渉がまとまった。してやったりなケニスだったが決して態度に出す事は無く、ニコリと笑みを浮かべて再び席に着く。


「ありがとうございます。では手付けとして金貨十枚をこの場でお支払いしましょう。残りは実際に荷が届いてからと言う事で。それだけあれば、馬車や人を手配する事が出来るはずですよね?」


突然目の前に積まれた滅多に見る事も出来ない大金に、男はただ首を縦に振るしか出来なかった。


「一応確認なんですが、確実に荷は届くんですよね?」
「もちろんだ。前金までもらって今更止めるつもりは無い。絶対届けてみせるよ。ところで、まだ名前も聞いていなかったんだが、聞かせてもらっても良いか?」
「これは失礼しました。私の名はケニス。貴方は?」
「俺はクラテル。出来れば末永く良い関係を築きたいものだな」


開拓地の主である俺や金を出すシオンを蚊帳の外にして、ケニスはあっさりと交渉をまとめてしまった。口を挟む暇も無い、完璧と言って良い交渉能力には舌を巻くばかりだ。屋敷を後にして宿に戻る道中、ケニスはずっと笑いっぱなしだった。


「いやいや、予想以上に上手くいったね。ここの領主が欲深い人物で助かったよ」
「そこなんだがケニス。本当に大丈夫なのか? あの男、前金だけ受け取って嫌になったとか言うんじゃ無いだろうな」
「それは大丈夫だと思うよ。あの目を見たかい? あれはたとえ目の前に金貨が落ちていても、近くにより多くの金貨があると聞けばそっちに向かって走り出すような奴だ。まあ見てなって。僕の人を見る目は間違いない。一ヶ月も待っていれば、必ず硫黄が届くはずさ」
「そんなものかね……」


いまいちケニスの言葉を信じ切れないが、ここまで来たら今更ジタバタしてもしょうがない。大森林に戻って結果を待つしか無いだろう。俺達は交渉の結果を待っているリーシュ達に伝えるべく、宿に向けて急ぐのだった。

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