とある魔族の成り上がり

小林誉

第31話 脱出

女が小屋を後にしてしばらく、外で魔族達が野営の準備に追われる様子が窓から窺えた。テキパキと無駄口を叩かず次々に簡易の天幕を作りだす様子は流石に軍隊だと感心出来る。例の女は俺を縛り付けた事で安心しているのか、小屋の入口に一人見張りを置いただけで放置されたままだ。


「寝静まるのを待った方がいいか……」


脱出するなら夜になってからだ。再びスキルを使えるようになるまで回復する必要があるし、人目も少ない方が良い。窓から見える範囲では、魔族達が各々食事を摂りながら談笑している。それを見ている内に、俺の腹が自然と空腹を訴えてきた。


「そう言えば何も食ってなかったか。それにしても……俺のメシは抜きかよ」


外に居る誰も食事を持ってくる気配は無い。殺されないだけマシだと思えばそれまでだが、どうしても不満に思ってしまう。結局深夜になっても誰一人として小屋の中に入ってくる事はなかった。


何人かの見張りを残し、大半の魔族がそれぞれの天幕の中へと姿を消した頃、ただじっと動かず回復に努めていた俺は静かに目を開いた。小屋の中は窓から差し込む僅かな月明かり以外光源になるようなものはない。ずっと目を瞑っていたおかげか、夜目を慣らすのにそれほど時間は必要としなかった。暗闇の中だと言うのによく見える。


(まずは現状確認からだ)


俺の手足に着けられている枷は鉄製で出来ているため、人力で破壊する事は難しい。それを壁につなぐ鎖も同様だ。じゃあ壁側はどうだと見ても釘で打ち付けてある。自分の槍がこの場にあれば簡単に破壊出来そうだけど、無い物ねだりしても仕方がない。


(そう言えば、捕まる前に矢を受けてたよな……?)


痛みが無いので今まで気がつかなかった。改めて怪我しているはずの肩を確認すると、傷は綺麗に塞がって痕すら残っていない。いくらなんでも自然治癒で矢傷が簡単に塞がる訳もないから、治癒のスキル持ちが治療したと考えるのが自然だろう。仮にも軍隊だ。どこでも重宝がられる治癒スキル持ちが居ても不思議ではない。俺を運び込んだ時に治療を施していたのだろう。


他に目立った怪我はなく体を動かすのには何の問題も無さそうだ。あったとしても擦り傷や打ち身だけだし、この状況で気にするような事じゃないだろう。少し精神を集中させてスキルを使おうとしてみたが、やはり完全に回復していないようで頭がクラクラする。この状態で氷の矢を使っても、一発か二発撃てばその場で昏倒しそうだ。


(て事は、何とかしてこの枷を外さないと駄目か)


まずは利き腕からだと鎖の余っている部分を腕に巻き付け、壁に両足をかけて力一杯引き剥がそうとしてみる。


「ふん……! ふんん……! ぐおお……!」


手首に血が滲むぐらい力を籠めて引っ張ってもビクともしないし、打ち付けてある釘は少しも動いた様子はない。左手や両足を同じように何度か試してみたものの、結果は全て同じだった。休み休み繰り返しても枷は壊れる気配が全くない。これは詰んだかと思ったその時、小屋の扉近くで何かが倒れる音がした。そして閉じていた扉が静かに開き、誰かが入ってこようとしている。


咄嗟に寝たふりで誤魔化そうと目を瞑る俺に向けて、部屋に入って来た気配が近寄って来る。あの女ならギリギリまで近づけてから襲い掛かるつもりでいたが、気配は俺の手前まで来ると足を止めた。そして次の瞬間、バキンと何かが砕ける音と共に両手が自由になり、俺はその場に倒れ込みそうになった。


「おっと危ねえ。大丈夫かケイオス?」


地面に激突する寸前抱きかかえた人物の聞き慣れた声に慌てて顔を上げると、そこには魔族の鎧を身に着けたハグリーが立っていた。


「ハグ――」
「しっ! 大声出すな。それより早くこれに着替えろ」


手早く足枷を剣で破壊したハグリーは、自分が着ている物と同じ装備を俺に押し付けてきた。どちらも例の女と行動を共にしていた魔族の物だ。あの乱戦の中奪い取る暇なんか無かったろうから、追撃してきた奴を仕留めたのだろう。ハグリーが外を警戒している間急いで装備を身に着ける。サイズが合っていないせいで多少不格好だが、この際贅沢は言ってられない。なるべく自然な感じを装って小屋から出た俺達は、ゆっくりとした足取りで森の外へと足を向けた。


「助かったぞハグリー、正直助けは期待してなかったんだ」
「まあ俺も半分以上諦めてたんだがな。連中がお前をわざわざ生かして捕らえる理由もないし、生存は絶望的だと思ってた。でもリーシュの奴があいつは悪運が強いから絶対生きてるはずだって言うから、こうやって忍び込んで来たって訳だ」


そうか。そんなに長い付き合いじゃないが、そこまで思ってくれていたのは素直に嬉しい。これは帰った時二人にお返ししなければならないな。


「ところで、そのリーシュの姿が見えないんだが……」
「あいつは上で待機してるよ。見つかった時に援護してくれる手はずになっている」


なるほど、確かにリーシュの能力なら上から槍を投げるなり投石するなり色々と出来るだろう。それに今は夜だ。地上から上空に居るリーシュを見つけるのは至難の業だろう。これなら思ったより簡単に脱出できると思ったその時、俄かに背後が騒がしくなった。


「捕虜が逃げたぞ! 誰か手引きした奴が居るはずだ! 探せ!」


倒れた見張りが見つかったのか? バレるのが早すぎるだろ! まだ小屋からそれほど離れていないぞ! 警告の声に反応した他の魔族達が飛び起きて天幕の中から出て来るのを見た俺とハグリーは、身を隠すために近くにあった少し大きめの天幕の中へと飛び込んだ。敵と鉢合わせする確率は十分あったが、外に居るよりいくらかマシだ。


「なんだ? 何かあったのか?」


幸い飛び込んだ天幕の中に兵隊が沢山居る事は無かったが、兵隊より厄介な奴が一人簡易式のベッドの上で目を覚ましたところだった。誰かと思えば例の女だ。俺達は咄嗟に女に駆け寄って羽交い絞めにすると、素早くその口に手近な布で猿轡をかます。女は必死に抵抗しようとしたもののハグリーの怪力になす術もなく、微かに身をよじるだけだ。


さて、取りあえず小屋からは脱出できたが事態が好転した訳では無い。未だ外には敵がウヨウヨしているし、この女自身の能力も未知数だ。


「どうする?」
「どうするもこうするも……こいつを人質にして逃げ切るしかないだろ」


他に上手い手も思いつかない。行き当たりばったりでも他に方法がないならやるしかない。俺は覚悟を決めつつ、こちらを睨み付ける女に剣を突きつけた。

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