勇者のやり直し~世界を救った勇者は美少女に生まれ変わる

小林誉

第93話 逃げ出した先で

いつかこんな事になる予感はしていた。俺の嘘がバレ、大事な人達から白い目を向けられる時を。勇者の使命から逃げ出した俺を咎めるような、蔑むような彼女達の視線に耐えられず、俺はただその場を逃げる事しか出来なかった。大昔、何度もティアマトと戦って慣れ親しんだ神殿の最奥、何も無い広い空間に逃げ込んだ俺は、一人佇んでいた。

何がいけなかったんだろう? どこから間違っていたんだろう? 最初から正直に話していれば、裏切り者を見るような目で見られる事など無かったかも知れない。カリンを助けるだけで住み処を移し、彼女達と一切関わらなければ良かったのかも知れない。彼女達の優しさに甘えてしまった自分の油断が招いた結果なのかも知れない。

「でも……」

誰も居ない孤独な空間でポツリと言葉が漏れる。仕方ないじゃないか。化け物みたいな力を持っていても俺だって人間なんだ。三百年近くを独りぼっちで暮らし続けて、人の温もりが恋しくなるのも当然だろう? 少しぐらい普通の人達と関わったって良いじゃないか。俺だって普通の生活に憧れても良いじゃないか。それすら許されないほど俺は悪い事をしたのか?

「したんだろうな……」

彼女達からしてみれば、俺は魔王を倒す力を持っているのに、自ら動こうとしない怠惰な人間に見えるのだろう。昔のように剣を取り、危険を顧みず一人で魔王城に乗り込んで、魔王との一騎打ちをすればそれで全てが終わっていただろう。最悪でも差し違える程度は出来たかも知れない。

ならなぜその選択肢を選ばなかったのか? 答えは簡単、怖かったからだ。三百年前には得られなかった大事な人達。俺を普通の人間として扱ってくれて、恐れず離れず側に居てくれた優しい人達。また俺が力で解決してしまったら、そんな人達ですら俺の側を離れていくのは目の見えていた。そして自分以外を勇者に仕立て上げ、責任を他人に押し付けているのだから、軽蔑されるのも当然だろう。

カリン、シエル、ルビアス、ディエーリア。苦楽を共にしてきた大事な仲間。彼女達との関係も、これで終わりなんだろうな。とても寂しいし、悲しい。自分の不甲斐なさが嫌になってくる。せっかく仲良くなれたと思ったのに……。

「…………」

バシッ――と、静かな空間に音が響く。自分の両頬を思いっきり殴りつけたおかげで、落ち込んでいた気持ちが少しだけ持ち直した。気持ちを切り替えよう。彼女達に嫌われても、俺が彼女達を嫌ったわけじゃない。相手に嫌われたからと言って、こっちも嫌いになる必要なんてないはずだ。俺が彼女達のために出来る事はなんだ? もう一度考えてみよう。

ここでの修行を無事に終える事が出来れば、彼女達は飛躍的に強くなるはず。俺が手を貸さなくても、いずれ魔王を倒せるぐらい強くなるはずだ。せめて彼女達が戦いやすいように、影から敵の戦力を削れるだけ削っておくぐらいで十分だろう。それで世界が救われるのなら、俺は姿を消せば良い。それに今回は前と違って帰る場所がある。せっかくソルシエールが街まで作ってくれたんだ。彼女の厄介になれば良い。

「となると、鍛え直さないとな」
「どうするか決まったのか?」

いつの間に現れたのか、俺の背後にはティアマトの巨体が佇んでいた。俺がどうするか待っていたんだろう。彼はその大きな目でこちらを興味深そうに眺めていた。参ったな……。こんなデカい奴が来ていたってのにまるで気がつかないなんて。思った以上に精神的ダメージがあったみたいだ。

「ああ。修行するよ。一人で戦えるように鍛え直さないといけないからな」

そう言って俺はその場から飛び退き、ティアマトから距離を取った。ここに居るのは俺とティアマトのみ。他には誰も居ない。味方の援護も強力な武器防具も持たない状況で竜王を相手にしようと言うのだから、誰が見ても自殺行為だろう。以前戦った時の経験からわかっているが、ティアマトは手加減しない。いや、出来ないと言った方が正しい。あまりに巨大な力なためにたとえどんなに手を抜いたとしても、それは本人の意思とは関係無く必殺の一撃になってしまうからだ。

対する今の俺はどうだろう? 昔持っていた聖剣も鎧も盾もない。手に持っているのはミスリル製の頼りないハルバード一本だけだ。あまりに頼りなさ過ぎて笑えてくる。これでどこまで竜王に通用するんだろうか? 一歩。ティアマトが距離を詰める。ただそれだけの事なのに、彼から受けるプレッシャーが何倍にも膨れ上がった。

「お前相手なら楽しめそうだ。失望させないでもらいたいな」
「期待に応えられるように努力するよ」

全身に魔力を巡らせる。過剰に放出した魔力の残滓が周囲を明るく染め上げて、手に持ったハルバードがまるで魔剣のような輝きを放った。

「いくぞ!」

地面を抉りながら矢のようなスピードで飛び出した俺は、避ける素振りも見せないティアマトに対して大上段から全力で武器を叩きつける。しかし、コウン――と、硬い金属同士がぶつかるような音を立てて俺の攻撃ははじき返された。

俺が全力で放った攻撃で傷もついてない! その圧倒的防御力に呆れる暇もなく、ティアマトはその巨大な鉤爪を横薙ぎに振るってきた。

「くっ!?」

直撃すれば人間の体程度、細切れに粉砕されそうな一撃を鼻先で躱す。再び振り上げたハルバードを、今度はさっきより力を込めて振り下ろした。しかし結果は同じ。少しばかり鱗が傷ついたものの、ダメージを与えている様子はない。それどころか今の攻撃だけで限界を迎えたらしく、ハルバードが中程から折れ曲がっていた。

「ちっ!」

生半可な武器じゃ通用しないのは解っていたけど、ここまで役に立たないとは思わなかった。俺は役立たずのハルバードを投げ捨て、魔法を使うために魔力を練り上げていく。他のドラゴンと違い、ティアマトは弱点になる属性がないため、どんな魔法をぶつけようと結果に大差はない。なら自分が得意とする魔法を全力でぶつけるだけだ。

俺の体が激しく光を放ち、漏れ出た雷が荒れ狂う鞭のように周囲を無差別に抉り始めた。雷の鞭が当たった地面は赤く溶け出し、徐々に人が立っていられる部分が少なくなっていく。今の俺を第三者が目撃すれば、まるで雷の化身にでもなったように見えるだろう。

「くらえ!」

限界まで威力を高めた雷は、もはや直視出来ないほど輝きを放っている。後はこれを叩きつければ良い。突き出した右手から雷が放たれるその瞬間、俺はティアマトの姿を目にして動きが止まった。彼はその巨大な口を大きく開けて、こちらにブレスを放とうとしていたのだ。

ドラゴンの強さは肉体の巨大さを生かした格闘能力もあるが、最も恐れるのはその口から放たれるブレスだ。最弱と言われるグリーンドラゴンでさえ、ブレスの一薙ぎで並の魔物を殲滅する事が出来る。駆け出しの冒険者なら何も出来ないうちに全滅だろう。そんなものを竜王――ティアマトが放つのだ。どんな威力か想像もしたくない。山一つ消し飛んでも不思議じゃないだろう。本当に手加減無し。あいつはこれで俺が死んでも構わないと思っているに違いない。今から避けるなど不可能。魔法を放つ動作に入っている以上、今更キャンセルしても動けるようになるのはブレスが通り過ぎてからだ。ならどうするか? 答えは一つ。この魔法をブレスにぶつけるしかない!

ティアマトの口――その喉奥が白い光を放っている。それは徐々に膨れ上がり、口から放たれた光は俺の視界を白で埋め尽くした。反射的に突き出した右手から、おれの魔法が迎え撃つように放たれる。それは両者のちょうど中間地点で激突し、当たりに凄まじい破壊の嵐を巻き起こした。竜王のために太古から存在する神殿の、強固な床や壁が紙のように捲れ上がり、激突の余波で狙いのはずれたブレスや魔法が周囲に大爆発をおこしていく。必死に魔力を絞り出しつつティアマトのブレスに対抗していた俺だが、状況が劣勢なのは手に取るようにわかっていた。

もともと人間とドラゴンでは魔力量に大きな開きがあり、単純な力比べになると勝ち目はないのだ。いくら俺が神々の祝福を受けた元勇者とは言っても、ティアマトと比べると圧倒的に魔力量は劣る。俺の敗因は、その小柄な体を生かした戦法を端から捨てて、力のぶつけ合いを選んだ事だったのだろう。

全力でぶつけた魔法もほとんど消えかかっている。目の前に迫るブレスの奔流。ティアマトの魔力なら、それこそ数分ブレスを放ち続けても問題ないんだろうけど、おれはもう限界だった。

「ここまで……か……。でも……その方が楽になれるのかな……?」

これで死ぬのかと思うと、恐怖より安堵の気持ちがわき上がってくる。彼女達に責められたくない。何も考えたくない。そんな思考が逃げだと自覚していたものの、俺はその魅力に抗えなかった。そして全てを諦めた俺の意思を反映するかのように、雷の魔法はブレスに抗えずに消え去った。途端――あらゆるものを飲み込むようにブレスが迫る。俺は苦笑を浮かべつつ、そんな光景をどこか他人事のように眺めていた。

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