勇者のやり直し~世界を救った勇者は美少女に生まれ変わる

小林誉

第53話 ベヒモス現る

――バンディット視点


だまし討ちのような形で助けを求めた俺達を、ラピス一行は快く手伝ってくれることになった。本当なら怒って帰るか、二三発はぶん殴られる覚悟をしていたんだが、彼女達は文句も言わずに地下へと足を進めてくれている。


そう。俺達は今、クサントス城の地下に隠されている大空洞へと向かっていた。建国王に力を貸したベヒモスは、何処にも去らずに城の地下を根城にすることを決めたらしい。そこには二重の意味がある。この地を豊かにすると言う精霊として本来の目的が一つと、王家が約束を違えた場合、即座に女王を殺すという危険な目的が一つだ。四大精霊と言っても別に邪悪な精霊では無いので、約束を破ったからと言っても国中の人間を殺し尽くすような真似はしない。しかし王家の末裔であるティティス様だけは見逃しちゃくれないだろう。


そんな危険な存在が城の地下に隠れている事を知っているのは、この国じゃティティス様と俺達勇者パーティーだけだ。代々王家の人間だけが通れる秘密の扉の先に、この遙か地下へと続く長い階段は隠されていた。俺もつい最近までは知らなかったんだがな。期限が迫っているとベヒモスから脅されたティティス様は、悩みに悩んだ末、俺に相談を持ちかけてくれたらしい。


当然、一応とは言え勇者である俺は彼女を守るために戦うつもりでいたんだが、精霊が相手となると分が悪い。俺のパーティーは全員が肉弾戦メインで、使える魔法と言ったら簡単な回復魔法ぐらいだ。それで地属性の頂点に位置する精霊と戦うのは、全員戦士というパーティー構成から考えて、いくらなんでも無謀すぎる。困った挙げ句に思いついた手は助っ人を頼むことだった。と言っても、生半可な奴を連れてきても犠牲者が増えるだけ。最低でも俺と同じか、俺より強い奴等じゃ無いと戦力として考えられない。そして幸いに、俺はそんな人物に一人心当たりがあった。レブル帝国の模擬戦で、強化されたバルバロスを素手で圧倒し、数々の大魔法を無詠唱で使える強者――ラピス嬢だ。密偵だけでは無く、人伝に聞こえてくる彼女の噂。それが話半分だったとしても、これ以上の助っ人は考えられなかった。


本当に、彼女達が来てくれなければ絶望的だったな。そんな俺の内心を知ってか知らずか、ラピス嬢は特に気追いした様子も無く、時々俺に話しかけてくる。


「ベヒモス相手なら、最低でも剣に魔力を纏わせるか、魔剣や聖剣の類いが無いと厳しいな。そうじゃないと実体化してない時にダメージを与えられないから。バンディット達は大丈夫なの?」
「大丈夫だ。お前さん達程じゃないが、俺達も武器に魔力を乗せる方法は会得してある。例の晩餐会で一度見てから必死に練習したんだよ」
「へえ~。見ただけで出来るようになるなんて、流石勇者だな」


ラピス嬢が感心したように言う。褒めて貰えるのは嬉しいが、全く何も無い状態から作り出した技術じゃ無く、ルビアスが使ってた技を参考にしただけだからな。ヒントがある分楽だったぜ。


「それに、一応この獲物は魔剣なんだよ。仮に魔力切れになったとしても、攻撃は通るはずだぜ」


そう言って、俺は背中に担いだ一本の長剣を指さしてみせる。これこそバリオスにその名を轟かせる魔剣『ザンザス』だ。伝承によると、一度振れば水の流れを操り、剣から溢れる水は湖を作り上げるほどだったという。遙か昔は、この魔剣を操って敵の城を水没させた人物もいる……らしいが、実際にそこまで強力な能力は無い。確かにザンザスは水属性の武器であって刀身は常に濡れている。持ち主が魔力を込めて振ると水の奔流を生み出すことも可能だが、俺だとせいぜい大きなバケツで水をぶちまけた程度にしかならない。こんなんで城を水没させようと思ったら、それこそ何年かかることか……。そんな暇があったら直接乗り込んで制圧した方が手っ取り早いだろう。とまあ、そんな感じの微妙な性能を持つ魔剣だが、魔力を纏っているので普通の武器よりマシなはずだ。


「私達の武器もミスリル製ですから安心してください」


妹達もそれぞれの得意武器――槍と斧を掲げて見せた。当初は女の細腕で斧を振り回すのはどうかと思っていたんだが、それもラピス嬢と出会ったことで大きく認識が変えられたもんだ。なにせあの細腕で信じられないような腕力をしていたからな。あれに比べりゃ斧を振り回すぐらい可愛いもんだろう。


「皆、すまない。妾のためにこんな事を……」
「お気になさらず。それに、まだ確実に戦うと決まったわけじゃありませんよ。話し合いの余地が残っているかも知れませんから」


ティティス様を慰めるためにラピス嬢はそう言ってくれるが、俺は話し合いでベヒモスが収まってくれるなんて、欠片も思っていなかった。既にベヒモスは何度となくティティス様に約束の期限が迫っていると忠告していたみたいだが、その度にティティス様ははぐらかして答えを先延ばしにしてきた。百年単位で気長に待ってくれていた精霊でも、流石に我慢の限界が来ていたって事なんだろう。俺がベヒモスの立場なら、これだけ待ってやったのに今更反故にしようなんて、虫が良すぎると激怒するに違いない。だから高確率で戦闘になるはずだ。


「ラピス嬢。参考までに聞いておきたいんだが、あんたは精霊と戦ったことがあるのか?」


リッチですら赤子扱いする彼女なら、ひょっとするとベヒモス以外の四大精霊と戦った経験があるかも知れない。淡い期待して質問してみたが、彼女は可愛らしく首を捻っただけだ。


「う~ん……。流石に経験は無いかな。下級の精霊となら何度も戦ってるけど、流石に四大精霊クラスとなるとね。まず呼び出せる人も珍しいぐらいだし」
「そうか。て事は、ぶっつけ本番でやるしかないな」


下に降りて行くにつれ俺達から会話が無くなっていく。単純に頼りない灯りだけで、底も見えない真っ暗な穴蔵に降りていくという本能的な恐怖もあるのだろうが、だんだんと何者かの気配が強くなってきていたと言う別の理由があったためだ。


「近いわ……」


唯一の精霊使いであるディエーリアが言う。もう精霊使いですらない俺にだって肌で感じることが出来る。圧倒的な力の奔流。この世の理の一画を占める頂上の存在が、すぐそこにいるんだ。俺は、いつの間にか自分の体が小刻みに震えていることに気がついた。怖い――まだ直接相対したわけでも無いのに、心の底から怖いと思う。これが四大精霊……ベヒモスなのか。


「ついたみたいだ」


先頭を行くラピス嬢が、その言葉と同時に四方八方へ灯りの魔法を飛ばした。途端に周囲は昼間のような明るさに照らされる。ありがたい。暗いままだとまともに動くことも出来ない俺達にとって、一番初めにしなきゃいけないことだった。


初めて足を踏み入れた大空洞は、何も無い巨大な空間だった。降りてきた階段のある岩壁以外に一切人工物などがなく、本当に何も無いだだっ広い空間だ。城まで続く吹き抜けだから天井など見えないぐらいに高いだろうし、強力な灯りの魔法に照らされているにもかかわらず、周囲の壁は見えてこない。まるで何か巨大な存在が暴れるためにだけに作られた――そう感じさせる空間だった。


「ベヒモスは?」
「居るわ。もうここに」


俺の疑問にディエーリアが一点を指さす。するとそれに応えるように、周囲の魔力が一点に集まりだした。硬いはずの地面が海のように波打ち、空気がビリビリと震えている。緊張で呼吸するのも苦しくなってきた。俺達の顔には例外なく冷や汗が浮いている。あのラピス嬢でさえ厳しい顔のままだ。つまり、それだけ強敵って事だな。集まっていた魔力は次第に形を取り始め、一体の獣の姿を形作った。現れたそれは巨大な獅子。二本の凶悪な牙を口から伸ばし、強靱な四肢で踏みしめられた大地はひび割れている。赤みがかった皮膚はどんな攻撃すら跳ね返しそうなほど見事な筋肉で覆われて、背中を奔る鬣は、実った麦のように金色に輝いていた。


「あれが……ベヒモス……」


呆然としたように誰かがポツリと呟いた。今からこれと……こんな化け物と戦わなくちゃいけないのか……。勇者としては失格なんだろうが、まるで勝てる気がしない。まだ魔王とサシで戦った方が楽なんじゃ無いのか? 


「……約束を……果たす気になったか?」
『!』


凶悪な獣の口から信じられないほど低く落ち着いた言葉が漏れた。喋った! いや、仮にも四大精霊なんだから喋るぐらいは当然なんだろうが、ギャップが凄いな。ベヒモスからの質問にどう答えたものか一瞬迷っている間に、ティティス様は一人前に歩み出た。危ないと止める間もない。彼女は恐怖に顔を青ざめながらではあったが、堂々と胸を張ってベヒモスに相対している。流石は王と言ったところか。


「ベヒモスよ。妾の話を聞いて欲しい。確かに妾の祖先はお主と盟約を取り交わした。しかし現在、王家には私しか残っておらぬ。妾が其方に命を捧げると言う事は、すなわち王家の断絶を意味しているのだ」
「…………」


聞いているのかいないのか、ベヒモスは黙ってティティス様を見つめているだけだ。


「国を治める為政者として、妾にはまだまだやり残した事が多すぎる。それ故に、其方に命をくれてやるわけにはいかぬ。しかし一方的に約束を反故にする気も無い。人の命以外で何か其方に与えられるものがあるのなら、どんなに難しくても用意すると約束しよう。魔力が必要なのだとすれば、世界中から魔法使いを集めて其方に魔力を与えさせよう。其方の為の祭壇を王都に作っても良い。日々日参する者達が増えれば、其方の下には僅かずつではあっても魔力は集まるはず。どうかそれで納得しては貰えぬか?」
「駄目だ」


必死の説得を僅か一言で却下され、ティティス様の顔が引きつる。


「人の王よ。勘違いをしてはならない。お前達が考えているほど我との契約は容易いものではないのだ。あれは神を前にした誓いの証し。一度我と交わした契約は魂にまで刻み込まれ、我自身の意思を無視してでも実行される。仮にこの場で我が許しを与えたところで、早晩我は正気を失い、お前の首を刈り取り行くだろう」
「…………」


なんてこった。建国王が交わした契約の強制力ってのは、それ程強力なものだったのか。まさか神様が絡んでいて、ベヒモス自身にさえ自由に出来ないものだったなんてな。


「それを止めるための方法はただ一つ。戦って我を止めてみせよ。我自身ですら力及ばぬと判断されれば、神の契約はその場で破棄されるだろう」


つまり、どうあっても戦うのは避けられないって事か。わかっちゃいたが、現実になるとキツいな……。俺が諦めて武器を構えようとしたその時、急にベヒモスの様子がおかしくなった。今まで大人しく話していたと言うのに、急に目の色が変わったんだ。まるで本当の獣にでもなったように。奴は荒い息を吐きながら、苦しげに言葉を漏らす。


「ぐ……そろそろ限界か。人間達よ。すまぬが、我に契約の効果を押さえられるのはここまでのようだ。生き残りたくば我と戦い、倒して見せよ」
「お、おい……?」


思わず声をかけた俺には答えず、ベヒモスは口から涎を垂らして姿勢を低くした。まるで獲物に飛びかかる前の獣のような動きだ――そう思った時は既に遅く、気がついた時にはその巨大な爪がティティス様を引き裂く寸前だった。マズい――! 油断をしたわけじゃ無かった。警戒は怠っていなかったし、常に気を張って臨戦態勢も維持していたのだが、ベヒモスの動きは俺達よりも速かった。目では捉えているものの、体は反応してくれない。ゆっくりと振り下ろされる鋭い爪の先には、恐怖に顔を凍り付かせたティティス様の姿があった。もう駄目だ。為す術も無く攻撃を受けて、彼女はこのまま挽肉にされちまう――誰もがそう思った時、唯一動いたのはやはりと言うか、ラピス嬢だった。


「危ない!」


彼女は棒立ちになったティティスを突き飛ばした。いくらラピス嬢でも、ベヒモスによる突然の奇襲ではそれが精一杯だったんだろう。突き飛ばされたティティス様は勢いよく飛ばされ、受け止めた俺ごと階段近くまで転がっていく。そうするとどうなるか? ティティス様を突き飛ばしたラピス嬢は、たった今ティティス様が居た場所に留まることになる。振り下ろされる巨大な鉤爪。咄嗟に防御しようとしたラピス嬢はベヒモスの一撃をまともに喰らい、凄まじい勢いで俺の後ろにある階段へ――つまりは唯一ある岩壁へと叩きつけられた。


『…………』


一瞬のことで誰もが反応出来ない。ラピス嬢を飲み込んだ、ちょうど人一人分空けられた穴はすぐにヒビを大きくし、周囲の岩壁もろともガラガラと崩れだした。


「ラ、ラピスちゃん!」
「師匠!」
「ラピスちゃん!」
「……嘘でしょ」


呆然とした表情で彼女の仲間達が口々に叫ぶ。しかし崩れた岩の下から、それに答える声は帰ってこなかった。



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