炎呪転生~理不尽なシスコン吸血鬼~

黄崎うい

23節 朽ちるを知らない魔術師

 白い城の壁が良く見えるようになるほどシアラが近付いたとき、シアラを待っていたかのようにまっすぐシアラを見て口元に笑みを浮かべている人がいることに気が付いた。

『……な、何で!』

「……思ったよりも早かったな、寝坊するところだったぞ。それよりも、あの爆発ワカナが原因だろ、怖いなぁ」

 シアラがワカナの顔で目を見開いて驚くと、待っていたその人はゆっくりと口を開いてのんびりと言った。思わずシアラも進むのをやめてしまう。信じられなかったが、シアラはそこにいる"管理者"の名前を呼んだ。

『アノニム……っ!』

「そんなに意外か? 私的には隠していたつもりも無かったんだが……。ところで、お前シアラだろ」

 そこには神界にいたアノニムとは似ても似つかない共通点と言えば袴のような黒い和服だけの普通ならば同一人物とは思えないが、確かにアノニムだった。そして、目の前にいるアノニムにはシアラは見覚えがある。魔術師として生きていた頃のヒトミそのものだ。

 長い髪が邪魔にならないようにと少しだけプライドを持って横で一つに結った紫色の髪。近くで見ればただボサボサなだけなのに遠目で見ればお洒落な癖毛。寝不足というわけでもないのに深い隈が染み付いているのに澄んだ青い瞳。アノニムはその目で蔑むようにシアラのことを見つめていた。

『そうよね。ワカナはその姿を見てアノニムだなんて思わないもの……。そうよ、俺はワカナじゃなくてシアラ。答えて、アノニムがどうしてここに?』

 シアラは目の前にいるアノニムに動じたが、ほとんどそれを感じさせない落ち着いた口調と声でアノニムに尋ねた。逆にアノニムの方が顔色が悪くなっていっている。

「理由か。シアラなら知ってるだろ? 私の目的も、そのための手段も、お前のことが嫌いな理由も」

 そう言ってアノニムはシアラを強く睨む。握りしめた手からは血が滲むのではないかと思うほど強く握りしめ、奥歯も折れそうな程強く口を噛み締めて。

『それが理由にならないから聴いているの。ヒトミの存在を抹消する目的も、そのために新しい神としてワカナを利用することも、貴女が"ツクルガワ"を嫌ってるのも知ってるわ。それがどうしたらここにいる理由になるのよ』

 優しい瞳が原型をとどめないほど強く歪めてアノニムはシアラを睨み続ける。いや、続けていた。フッと全身に込めていた力を抜き、アノニムは笑いを浮かべる。何も知らない子供が浮かべるような無邪気で明るい笑みだ。それをわざとシアラに見せてからアノニムは強く顔を歪め、シアラの問に答えた。

「ワカナを利用することは手段の一つに他ならない。他にも同じ"ツクラレタガワ"としてコトの望みを叶えてやらなければならないんだな。魔術師として。まあ、ここにいるのはその手順の一つだ。これで答えになるかな」

 紫色の髪を風に揺らして唱うようにアノニムは言う。シアラは何を言うわけでもなくそのアノニムの顔を気味が悪そうに無意識に軽く睨み、アノニムはそれに答えるようにニタリと笑った。

「わからなくていい。それに、そんなに身構えるなよな、別に殴り合いとか魔術の投げ合いをしようって言うんじゃないんだから」

 隙が出来ないようにアノニムの周囲にまで意識を広げていたシアラにアノニムが嘲るように言う。

『じゃあ、何よ』

「お前をワカナから引き剥がすことが私の今の仕事だ。よかったなぁ、シアラ。私に教えてくれた一人でお人形遊びに戻れるぞ」

 嫌味のつもりでアノニムはシアラに言うが、シアラはその言葉が耳に入っているかも疑わしいほどに口の端を上げていた。

「……何だ」

『管理者とはいえただの魔術師ごときが、結局はにんげんの器から逃れられなかった魔術師ごときが、生命体とはいえ天使であるこの俺の術を破れるとでも思っているのかしら、と思ってね。魔力から生まれて魔力に朽ちていく。それが天使と悪魔が逃れられない理なのよ、民に生まれて民に朽ちる魔術師にんげんは詠唱とやらが必要らしいじゃない。そんな時間の無駄なことをする魔術師には俺の掛けた術を解けない。それは当然のことでしょう?』

 アノニムを馬鹿にするような言い方でシアラは笑いながら言う。クルクルとその場で回転してみたりして愉快そうだ。そして、その顔に浮かべた笑みはワカナのものではなくシアラの顔そのものだった。うっとりと宙を撫でるようにして先にいるアノニムをボンヤリと見つめる。愚かな者を見下すように蔑む笑みも浮かべた。

「……忘れたか?」

 シアラを前に笑みを浮かべたままのアノニムが静かに尋ねる。

『何を?』

 当然のことをシアラも尋ね返した。

「確かに"ヒトミ"は人に生まれて人に朽ちる魔術師だ。だが、"私"はズィミアによって塵から作られ朽ちるを知らない魔術師。確かに詠唱は必要だが、その眼に写っていないわけでは無いだろ? 私はずっと唱っとなえていたじゃないか。言葉いしは音になり、貴女に溶ける。唄は呪文になり、紡がれ唱えられる。あとは言葉意志を紡ぐだけだ」

 詠唱は言わば宣言だ。アノニムはシアラをワカナから剥がすと宣言し、詠唱に必要となる言葉と魔力は少しずつ気付かれない程細かく砕き、会話に混ぜ込んでいた。

 シアラとワカナを繋いでいるもの、"眼"。目的、"剥がす"。誰が、"アノニム"。何故か、"コトの望み"。相手は誰か、"シアラ"。そして、自分は誰か、"朽ちるを知らない魔術師"。

 この欠片を紡ぎ直す。そして、アノニムがゆっくりと口を開く。

「私、朽ちるを知らない魔術師アノニムの願いを叶えよ。目の前の天使シアラ、その眼を腐り落とし、その体、持ち主に返させよ。剥がれ落ちしその魂はその者のいる場まで我が魔力が運ぶだろう。我らが破壊神コトの願いを叶えよ。ワカナの意識を今取り戻し、その邪魔をするものを閉じ込めよ。二度と出て来れぬよう、深く封印せよ……」

『なっがい詠唱ね。そのくらいあれば妨害でも何でも出来るのが天使よ』

 最後まで聴いてあげるという自称優しさを見せてシアラは言う。まだ何も変化などない。それもそうだ。アノニムの詠唱が始まると同時に他者の魔力が自分に影響しないように妨害をしたのだから。

 もっと面白いかと思ったとつまらなそうに浮くシアラをアノニムは笑って返す。高いところから見物をするようににこぉと笑う。

「どうやら"朽ちるを知らない魔術師"がどれだけの魔力を溜め込んでいるかわからないようだな。時々使いはするが、ため息が出るほど長い期間魔力は増え続けるのだぞ? そんな妨害、破壊するなんて容易い」

 シアラにはわかる。妨害はバリアとは違い目に見ることなどできないが、張られた妨害を上から別の魔力が覆っている。書き換えられるのももはや時間の問題だろう。

「もう何も言わずにあの部屋に戻るのか? 抵抗くらいならされると思っていたのだが。まあ、そうしたらお望み通り魔力に朽ちさせてやるよ」

 黙ってアノニムを見つめるシアラにアノニムは情けをかけるように言う。馬鹿にしているのか、油断しているのかわからないが、どうせそのどちらもだろうとシアラは見るのをやめない。しかし、掛けられた情けは返さなければならない。シアラは低い声で呟いた。

『良いこと教えてあげる。ワカナを眠らせたのは俺じゃなくてイロクよ』

 その些細な違いが魔術師にとってどう影響するかアノニムは知っている。眼をドロリと融かし赤かった眼を黒く変えて落としたシアラはアノニムの反応に気が付くとニヤリと笑い、最後にまた呟いた。

『私は暴れたかったってだけよ。退屈しのぎにね』

「……気が向いたら殺し合いをしに行ってやる。それまではイロクと殴り合いでもしてろ」

 アノニムは言いながら急降下した。ワカナが落ちてくるよりも先に。

 アノニムはシアラに向けて魔術を掛けた。シアラがイロクの力を使い、ワカナを眠らせたのならばシアラがいなくなるのと同時にワカナが目覚めるはずなのだが、イロクが眠らせたのであれば少し違う。アノニムの魔術はイロクには作用せずにワカナは目覚めない。

 ワカナのことなどもうどうでもいいシアラはこのまま地面に叩き落としてワカナを殺してしまおうと思っていたが、アノニムに伝えて拾わせることにしたのだ。ワカナが死ねばアノニムの計画など全て無くなってしまう。情けを返した。

「……ったく、とりあえず連れてくか」

 頭から落ちるワカナを少しだけ降りたところで優しく抱え、アノニムは宮殿の中に入った。

 頭痛がする。魔術とは、何かを代償に望みを叶えること。呪術とは、自分を代償に対象を追い込むこと。少なくともアノニムの記憶ではそう習っていた。そして、不発とはいえワカナを起こす魔術を使い、シアラを剥がす呪術を同時に使ったことはアノニムにとって過度の負荷となっていた。魔力の消費は些細なものだ。自分の代償を定めていなかったことが原因で意識を保つのもやっとのようだ。

 アノニムは思う。

 これだから生命体など厄介なだけだ。朽ちることはない。だから……少しだけ、ほんの少し休憩することくらい、コトも許してくれるはず……よね。

 アノニムはワカナに傷がつかないように無意識に横に倒れた。ワカナの頭は守ったが、アノニムは強く頭をうち、綺麗な色をしているその髪を黒く、赤く染めた。

 そして、そこに一人、高貴や美しい、素晴らしい、そんな言葉では到底表せない雰囲気を身に纏った者が一人、悲し気に倒れたアノニムを見つめながら立っていた。

 スッとその形容し難い美しく雅な顔に無を浮かべ、ワカナの腕を優しく持ち上げた。そのまま奥に運んでいく。その美しい者が背を向けると、いつのまにかそこにあったアノニムの姿はうっすらと宮殿を満たしている霧に溶けて消えてしまっていた。

 そのアノニムの姿は、宮殿の最奥、宝庫にしまわれたのだろう。地に落ちて死んでしまったワカナが道中で殺したあの天使と悪魔と一緒に。宝石や金のような客観的に価値のあるものなど一切無いその宝庫に。

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