紅心中
III.
この店内、決して狭苦しいわけではない。だだっ広いとまでは言わないが、狭さを感じず、しかし多くの人が入り込めるほど大きくもない。その絶妙な設計を、僕はいつも感心しながら眺めている。
彼女はその中でも端の端、壁際の二人がけの席を選んだ。
まあ、壁際が落ち着く、という人は時々いる。あえて狭い空間を好む気持ちは分かる。僕だって子供の頃は、安楽椅子よりも本棚の隙間で読書をしていたものだ。
「ご注文はお決まりですか?」
しばらく経ってから、僕は水と一緒にオーダーを尋ねに伺った。
彼女はメニューとにらめっこをし、やがて口を開いた。
「ウインナーコーヒーって言うのは、本当にウインナーが乗っているの?」
顎に手をあてがう様をちらりと見る。白くって、細長い指。少し力を加えたら、明後日の方向へ折れてしまいそうな掌だ。
「ウィーンのコーヒー、という意味です。ホイップクリームが乗っております」
何だ、と露骨に残念そうな顔をする。本当にウインナーが乗っていたとして、果たして飲みたいだろうか。ホットドッグとコーヒーなら優れた組み合わせと言えるが、何だって混ぜたら良いというわけではない。
「じゃあ、ブレンド。濃いめを」
ミルクも砂糖もいらない、と付け加えて。それを承り、店長に伝達する。
しかし、ウインナーコーヒーの勘違いというのは久々に聞いたものだ。未だにああ思っている人もいるんだな、と少し嬉しくなる。
というのも、僕も最初はそうだったからだ。恐る恐る注文し、クリームの中を割って中から出てくるんじゃないかとか、実はミキサーしてあってコーヒーの中に混ぜ込んであるんじゃないかとか、色々疑ってかかったものだ。
店長から出されたカップを見て、一瞬「クリームがない」と驚いたが、よくよく考えると彼女はブレンドを注文したのだった。あれ、と首を傾げる店長に、手を振って苦笑いを浮かべつつ、そっと手に取る。
「お待たせ致しました――」
といつもの言葉を発し、そしてむせてしまいそうになった。
この店は未だに分煙にしていない。ひとえに店の構造上、無理やりパーテーションで区切るくらいしか方法が無いからで、勿論そんな事をすれば景観が損なわれるのでしていない。
故に、どの席にいようが喫煙可能である。働き始めてから様々な煙草の香りを感じてきたものだが、未だかつて無い強烈な匂いに目眩を起こしそうになる。
ゴロワーズやロゴよりも特殊なものだ。甘いようで、重たいようで、とにかくよく分からない。
カップを置く手がかたかたと震えている事に気づいたのか、彼女は僕の方を見上げて左手を下ろす。
「ああ……ごめん」
まだ幾分か吸える余地を残していただろうに、あっさりと灰皿に押し付けてしまう。
「いえ、僕は大丈夫ですので。申し訳ございません」
ちらりとテーブルにある箱を見る。黒に赤のラベル、シンプルな金色の題字は、上品で高級感あふれるデザインだ。
D、I、A……ジャルム、と読むのだろうか。ジャルム・スーパー。
彼女は左手に煙草を、右手に文庫本を持っていた。このお店にすっぽりと馴染んでしまいそうなほど物静かな佇まいだ。しかしジロジロ見るわけにもいかない。身を引いて、洗い物の事を考えることにした。
彼女はその中でも端の端、壁際の二人がけの席を選んだ。
まあ、壁際が落ち着く、という人は時々いる。あえて狭い空間を好む気持ちは分かる。僕だって子供の頃は、安楽椅子よりも本棚の隙間で読書をしていたものだ。
「ご注文はお決まりですか?」
しばらく経ってから、僕は水と一緒にオーダーを尋ねに伺った。
彼女はメニューとにらめっこをし、やがて口を開いた。
「ウインナーコーヒーって言うのは、本当にウインナーが乗っているの?」
顎に手をあてがう様をちらりと見る。白くって、細長い指。少し力を加えたら、明後日の方向へ折れてしまいそうな掌だ。
「ウィーンのコーヒー、という意味です。ホイップクリームが乗っております」
何だ、と露骨に残念そうな顔をする。本当にウインナーが乗っていたとして、果たして飲みたいだろうか。ホットドッグとコーヒーなら優れた組み合わせと言えるが、何だって混ぜたら良いというわけではない。
「じゃあ、ブレンド。濃いめを」
ミルクも砂糖もいらない、と付け加えて。それを承り、店長に伝達する。
しかし、ウインナーコーヒーの勘違いというのは久々に聞いたものだ。未だにああ思っている人もいるんだな、と少し嬉しくなる。
というのも、僕も最初はそうだったからだ。恐る恐る注文し、クリームの中を割って中から出てくるんじゃないかとか、実はミキサーしてあってコーヒーの中に混ぜ込んであるんじゃないかとか、色々疑ってかかったものだ。
店長から出されたカップを見て、一瞬「クリームがない」と驚いたが、よくよく考えると彼女はブレンドを注文したのだった。あれ、と首を傾げる店長に、手を振って苦笑いを浮かべつつ、そっと手に取る。
「お待たせ致しました――」
といつもの言葉を発し、そしてむせてしまいそうになった。
この店は未だに分煙にしていない。ひとえに店の構造上、無理やりパーテーションで区切るくらいしか方法が無いからで、勿論そんな事をすれば景観が損なわれるのでしていない。
故に、どの席にいようが喫煙可能である。働き始めてから様々な煙草の香りを感じてきたものだが、未だかつて無い強烈な匂いに目眩を起こしそうになる。
ゴロワーズやロゴよりも特殊なものだ。甘いようで、重たいようで、とにかくよく分からない。
カップを置く手がかたかたと震えている事に気づいたのか、彼女は僕の方を見上げて左手を下ろす。
「ああ……ごめん」
まだ幾分か吸える余地を残していただろうに、あっさりと灰皿に押し付けてしまう。
「いえ、僕は大丈夫ですので。申し訳ございません」
ちらりとテーブルにある箱を見る。黒に赤のラベル、シンプルな金色の題字は、上品で高級感あふれるデザインだ。
D、I、A……ジャルム、と読むのだろうか。ジャルム・スーパー。
彼女は左手に煙草を、右手に文庫本を持っていた。このお店にすっぽりと馴染んでしまいそうなほど物静かな佇まいだ。しかしジロジロ見るわけにもいかない。身を引いて、洗い物の事を考えることにした。
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